王様が「平民はハダカだ」とツッコミ入れるなら、ちょっと論破してくれんか。
これはエッセイです。
小説だと思って読みに来てくださったんなら申し訳ない。
3分くらいで読めますんで、よかったらぜひ。
ごめん、3分は無理かも。
10分くらいでなんとか。
王様が「平民はハダカだ」とツッコミ入れるなら、ちょっと論破してくれませんか。
はい、みなさん。
ハダカの王様の物語はご存知でしょうか。
かんたんに物語の成り立ちから紹介しましょう。
1335年、フアン・マヌエルは「ルカノール伯爵」という寓話集を執筆しました。
そのなかに「ある王といかさま機織り師たちに起こったこと」ってお話があります。
そのエピソードを、のちにハンス・アンデルセンが翻訳したのが「はだかの王様」です。
現在我々が知る「はだかの王様」のストーリーは、マヌエルの原作をアンデルセンが修正したバージョンです。
さて「はだかの王様」のあらすじを紹介しましょう。
ある国に王様がいました。
この王様が、詐欺師の仕立て屋にダマされます。
「王様、この服はバカには見えないのです」
そう言って仕立て屋は、一着の服を献上しました。
ところが王様には、その服が見えませんでした。
しかし、自分はどうやらバカだったみたいだ……と言えるわけがありません。
「み、見事である!」
さて王様は部下にその服の感想を聞いて回ります。
大臣、兵士、神官、召使い……みんなが王様の服を褒めちぎります。
なんと美しい。
おお、素晴らしい。
みんなにも服は見えませんでしたが、それを言ったら自分がバカだと告白するようなものです。
結局だれも王様の服を褒めるしかありませんでした。
素晴らしい服である、褒美をとらせよう。
王様は見えない服を買いました。
さあ、テンションがあがった王様。
新着の服をお披露目するために、国内をパレードするとか言い出しました。
このときには、バカには見えない服のうわさは国内に広まっていたのです。
全国民が見守るなか、王様は連隊とともに通りを行進します。
なんとご立派な!
国王陛下バンザイ!
みんながみんな、王様を褒めたたえます。
そのとき。
「王様ハダカじゃない?」
ひとりの少年が言いました。
そのとおり。
王様はハダカでした。
バカには見えない服なんて、最初から無かったんです。
たちまち、通りにいた群衆がざわめきました。
やっぱりそうか!
そうだよな、王様はハダカだ。
なにもお召しになってないじゃないか。
王様はなにも言えず、ハダカのままパレードを続けたというお話です。
めでたしめでたし。
めでた……
なんやねん、この話。
ハダカの王様は、現代では慣用句にもなってます。
自分の思いこみで周囲の意見を無視するひとに対して「あの人はハダカの王様だ」なんて使い方をします。
けっこうそういう人いますけどね。
現場の実情を無視してトンチンカンな命令出す取締役とか。
自分のポリシーだけで行動して政務機能をマヒさせる政治家とか。
だれか指摘してやればいいと思うんですが、なかなかそれが出来ないんですよ。
この手のひとたちって、他人のアドバイス聞かないですから。
しかも権力者であるがゆえに、反対者を追放する権限を持ってたりする。
いよいよイエスマンしか残ってない段階で、積み重なった過ちが限界に達します。
最終的な、取り返しのつかない破綻ってやつです。
で、そのときになってから言うんですよ。
だれも止めてくれなかったのが悪いって。
やれやれイタい人だ。
自分勝手で迷惑なタイプですね。
はい。
……逆もないっスかね、コレ?
現場の実情を無視して、トンチンカンなことしだす社員とか。
自分のポリシーだけで行動して政務機能をマヒさせる市民とか。
だれか指摘してやればいいと思うんですが、そう上手くいくとは限りません。
この手のひとたちって、他人のアドバイス聞かないですから。
しかもパンピーであるがゆえに、いかなる重責にも無関係を主張できる。
いよいよ誰からの信頼も失った段階で、積み重なった過ちが限界に達します。
最終的な、取り返しのつかない破滅ってやつです。
で、そのときになってから言うんですよ。
だれも止めてくれなかったのが悪いって。
やれやれイタい人だ。
自分勝手で迷惑なタイプですね。
……これ、キャスティングを逆にするのはダメですかね?
市民のひとりが、詐欺師にダマされるんです。
この服はバカには見えない服ですって。
そんな服無いんですけど、そのひと完全に信じちゃうんです。
で、服着てるつもりでハダカなの。
ハダカの市民、そのまま王様のパレード見に行くわけです。
そんで通りかかった王様が言うんです。
「そこのお前、ハダカではないか」
「なんで余のパレードを全裸で見とんねん」
騒ぎ出す群衆。
やっぱりそうか!
そうだよな、こいつはハダカだ。
なにも着てないじゃないか。
そいつはなにも言えず、ハダカのままパレードを観覧しつづけたというお話です。
めでたしめでたし。
……こっちのが面白くないですか?
ていうかリアリティなくないですか?
ちょっとここで「はだかの王様」という作品の魅力について考えてみたいと思います。
ハダカの王様とは、どういう点が優れた寓話なのか―――
あくまで私の考えですが。
「市民が王様をやりこめる」っていうところがミソなんじゃないかと思うんです。
暗君と言ったらさすがに言いすぎですが、作中の王様はあんま賢いキャラではありません。
存在しない服を着て、みんなにそれを見せびらかしている。
まるでピエロです。
それを市民が、ましてや子どもが、王様はハダカだと指摘してみせました。
あろうことか公然と。
こうなっては王様の面目は丸つぶれです。
国王が間違いを犯しているのを、大衆の前で露見してみせた。
「持たざる者が権力者に対して、赤っ恥かかせた」
ここがなんていうか、名作たらしめるポイントだと思うんです。
一休さんが義満公にギャフンと言わせる定番とでも言いましょうか。
なんかスカッとジャパンするんでしょうね。
権力ではかなわない雲の上の存在に、高説垂れてやったような気持ちとでも言いましょうか。
なんていうの?
絶対的強者のアラを見つけて、庶民が溜飲を下げるといいましょうか。
いい気味だと思うんでしょうね。
そういう反権威主義的な欲求不満を発散させてくれることが、ハダカの王様という作品の魅力なんじゃないかなと思います。
もちろん道義的な意味でもよくできた作品だと思います。
とくに人の上に立つ人にこそ、この絵本を教訓にしてほしいですね。
ではこれ、立場が逆だったらどうでしょう。
逆ってのはつまり、王様と市民の役回りがって意味です。
詐欺師にダマされて、見えない服を着てる「つもり」の市民がいます。
もちろん自分では服を着てると思ってる。
王様を愚鈍と呼んでいいなら、こいつは愚鈍な市民です。
そこを権力者がやってきて、みんなの前で指摘する。
お前なんでハダカなん?
もはや晒し者。
私なら明日から表を歩けないです。
よく考えたら、ここがいちばん不思議なんですよね。
王様をやりこめるのがスカッとするっていうんなら、ダマした仕立て屋こそヒーローであるべきなのに。
そういう捉え方をしてる意見を見たことがありません。
というか仕立て屋がいちばんの悪のはずなのに、まるでモブキャラみたいな扱いです。
詐欺品を売りつけて国費をダマし取ったわけで、私に言わせれば全国民が彼にブチキレるべきだと思うんですが。
いや、待って。
あの服、国費で買ったのかな?
ふつうに王様の私財で買ったんですかね?
すいません、話が逸れました。
えー……
なんでしたっけ?
あ、そうそう!
権力者が労働者の過ちを指摘するって内容だと、労働者が読んでて楽しいストーリーにならないなと思いまして。
それは庶民にとって、苦々しい展開だと思います。
くるくるしいじゃありません。
にがにがしいです。
当事者意識っていうんでしょうか。
自分たちがバカにされてる気分になるというか……
弱い者いじめされてる感覚というか……
桃太郎を読んで、面白いと思う鬼はいないでしょうし。
さっきも書いたように「はだかの王様」には、道徳の教科書としての役割もあるんだと思います。
人の上に立つ者にこそ読んでほしい。
権力者への戒めのために、「はだかの王様」は語り継がれるべきです。
強者が暴走や独断をしないように、警告するための寓話としてです。
と、ここからが肝心でして。
最初に「はだかの王様」の作者を紹介しました。
覚えてます?
フアン・マヌエルさんです。
このひとどういう人かご存知でしょうか。
マヌエルさん、カスティーリャ王国ムルシア領の領主さまです。
……これ、ウソみたいなホントの話。
フアン・マヌエルさん、王族のお方です。
つまり権力者の立場でありながら、権力者が笑いものになる作品を書いたんです。
創作の理由は知りませんが、まあ、自分の地位をネタにできるような度量の人だったのは確かでしょう。
さっきハダカの王様を、人の上に立つ者にこそ読んでほしいと書きました。
実際にはそれどころじゃありません。
人の上に立つ者が、これを書いたんです。
王族でありながら、王族を揶揄する寓話を書いた。
これ、すごい立派なことだと思います。
自らを戒める作品を書くという勇気。
フアン・マヌエルさん、たいへん崇高な人だと思います。
じゃあ逆があってもいいんじゃない?
愚かな市民が、王様によって晒しあげられる寓話があってもいいんじゃないですかね?
ちょっと探してみたんですが、どうも見つかりませんでした。
神様とかそういう神秘的な存在が、人間に罰を与える作品ならあったんですが。
そう、罰なんですよ。
庶民がやりこめられたエピソードはいくつかあったんですが、それは全部、なんらかの悪事に対する罰としてなんです。
犯罪の被害者になった庶民を吊るし上げるような作品って、マジで見当たらなかったです。
あってもいいと思うんです。
王様が被害者のケースでは、それが許されてるわけですし。
ただそれ、ぶっちゃけ需要あると思います?
社会的弱者が、絶対的権力者に論破されて窮してる作品、需要あると思いますか?
私は需要まったく無いと思います。
存在するべきだとは思います。
権力者の暴走にアラートかける寓話があるなら、無辜の市民の暴走にアラートかける寓話もあるべきだと思います。
フアン・マヌエルさんは、自分も含めた権力者を揶揄する童話を書きました。
同じように、自分も含めた市民を揶揄する童話があってもいいんじゃないかと思います。
ただ絶対に私は読みません。
なんか間接的に自分がバカにされてるみたいで、ムカついて読めないですそんな絵本。
たぶん大半のひとがおなじ気持ちだと思いますんで、需要ないかなーって思います。
もしかしたら、そういう絵本もあるのかもしれません。
ただあったとしても……読んだところで、素直に教訓として受け入れる自信がありません。
有識者がSNSに投稿した苦言とかにもキレてますもん、私。
あれ?
そんな性格だから、こんな恥かいてばかりの人生になったんか?
どうやら自分がハダカだと自覚してるだけでは、解決になってないっぽいですね。
最後になりましたが。
王様が「平民はハダカだ」とツッコミ入れるのが許されるなら、ちょっと論破してくれませんか。
仕立て屋:
「王様、この服はバカには見えないのでございます」
「さらにこの服は羽根のように軽く、なにも身に着けていないかように重さを感じさせません」
王様:
「あー……どうじゃ、この服は?」
大臣:
「なんと見事な! 陛下にまことお似合いでございます」
衛兵:
「すばらしいお仕立て……まさに王の威厳そのままにございます」
使用人:
「王様の服はなんてお珍しいんでしょう」
「It’s a Beautiful huku」
王様:
「あ、え、うん…………買うわコレ」
↑
この状況で服が見えないって言ったら、王様めちゃくちゃ炎上しません?
バカだと思われるリスクを回避するために見えない服を買ったの、逆に神判断じゃなくない?