71 -祭りの始まり
「さて、あの罪人をとっとと返すか」
新月丸は機嫌がよさそうである。
何やら晴れ晴れとした表情だ。
けれども、クレアとタロウの2人からすれば「この王を見張っておけばよかった」という後悔の念が強い。
神が治めるあの国から来た者の態度は、確かに許されないものだが、いきなり刑罰……それも、かなり重いのを王の一存で決め、執行してしまっている。
回復を施し送り返そう、という案をタロウが出したものの時既に遅し。新月丸自らが呪いをかけ、傷を癒すには莫大な魔素が必要となっている。
この王の魔素値がいくつなのかは誰も知らないが、相当に高いのは紛れもない事実。そこまでの値を持つ治療師を探してもなかなか居ない。
もしも、治療できる存在がいるとすれば、エルネアの医師長くらいだろうが、王がそれを頼まないだろう。
「で、どのように届けるおつもりですか?」
もう、諦めの境地だ。
今は悶着なく届けられる案を、持っていることを願うのみである。
「あそこへは1度、行ってるからな……瞬間転移が可能だぞ」
「あの辺りは神都を治める***様により、そういった魔法が使えなくなる呪いがかけられているはずでは?」
それに対して新月丸は「ああ、あれね」と、いとも簡単そうに言う。
「あれくらいなら、どうということはない」
行きの段階では、これから始まる戦いを見据え、少しでも力を隠しておきたいという考えがあった。
しかし、神都内であれほどまでに目立つ行動を取った今となっては、隠したところで何も意味をなさない。
あの時に戦いで発揮した程度の力なら、もう隠しておく必要もないだろう。
新月丸は2人に「あいつに『様』なんてつけてやる必要ないぞ」とも言ったのだが、その言葉はスルーされた。
——新月丸は気取らないし親しい者の前で取り繕わない。
己の力を隠すことも基本はしない。それが時として、周りの気持ちにざわつきを覚えさせてしまうのだが、良くも悪くも鈍く、それに気づいていないのだろう。
“あれくらいなら”という言葉でタロウは、問い詰めるように質問攻めしたのを思い出す。
申し訳なさと同時に、やはり「強すぎる力に対する恐れ」を多少、持ってしまう。そして、その恐れ由来の疑問がふつふつと湧き上がり、聞かずにはいられなくなる。
「一瞬で行けるのはいいとして、あの罪人を置いてそのまま帰ってくるおつもりですか?」
相手国のどこへ向かうつもりなのかは不明だが、刑を受けた者をただ置き去りにして戻るだけでは、相手にこちらの意図が伝わるはずはない。
「軍に関してはお前たちは一切、見ていないのだから、それを一筆添えればいいと思うぞ」
そこで少し、間を開け
「本当に、王もご存知ないのでしょうか?」
クレアがちょっと疑いを込めて問う。
「知らん知らん!」
新月丸の言い方からは怪しさしか感じられないが「嘘だ」と決められる証拠もない。知らない、という体で手紙を書くしかないのだろう。
軍に関しては一切、しらないこと。
罪人の刑罰は国法に則っておこなったこと。
これを丁寧かつ簡潔に書くしか今の2人にはできない。
「封蝋を大量に押してやって、板みたいにしてやってもいいぞ」
などと、笑いながら言っている王をいつも通りに無視して、クレアとタロウは、なんとか丸く収まりそうな文書を考えはじめていた。
(この間、封蝋が板状になったやつを投げつけてやったから、今回は真面目版でいいか……)
真面目な文書を渡そうが、不真面目な文書を渡そうが、あの国を統べる王は態度を変えないだろう。
強大な神、というのは得てしてそういうものだと新月丸はよく知っている。
己が最も偉く、己を信じない者や命令に背く者へは何をしても構わない。そのように信徒にも教える。
だからこそ、ふざけた態度で臨んだ上で、力の差を見せつけてやろうと考えてしまうのだ。
親しくしている神もいるのだが、信者を多く抱えているわけでもなければ、国として人を従えているわけでもない。
単独で密かに住んでいたり、一定の場に止まらず常に旅をしているようなタイプだ。どうにも信者数というのが、横柄な態度に繋がるのかもしれない。
今回、これで一時的に自分やこの国への干渉は治るだろう。けれども、己の命令に背く者も、その国も永遠に許さない性質なので、きっとまた、仕掛けてくる。
それもたぶん、そう、遠くはない未来に——
新月丸は現世との関わりを断つことは絶対にしない。国を明け渡す気もなければ、媚びへつらうような真似もしない。
たとえ神がどんな事を仕掛けてきても、真っ向受けて立つと決めている。
ハーララへ送る手紙は1時間ほどで書き上がった。
日が少し、傾きかけた頃のことである。
丁寧に書かれた文は、新月丸には到底、考えつかない綺麗な文章だ。
「ありがとうな」
そう一言告げ、地下の刑場へ向かおうとしたが、その前に
「これから先も苦労をかけてしまうかもしれないが、よろしく頼む」
と付け加えた——
刑場に到着すると、オゥンシフモは袋に詰められ、ぞんざいに転がされている。
それをふわりと浮かべると、新月丸の周囲に瞬間転移の光が満ち、彼と罪人の姿は静かに消えゆく。
ハーララの国内へ飛ぶこともできたが、それはしなかった。クレアとタロウの文書を見て、なるべく丸く収めたいと2人の気持ちを汲み取った結果だ。
元々の予定では、ハーララの城前まで飛び、そこにオゥンシフモと手紙を投げ捨ててくる予定であった。それを考えれば大きな方向転換である。
到着したのは、つい先日新月丸が派手に破壊した門の前だ。
そこには既に兵士たちが配備され、緊張感の漂う物々しい雰囲気が周囲を包んでいる。
あの混乱の後、数名の一般階級民が逃げ出したのだろう。しかし、そのほとんどが周辺で兵の追撃により命を落としたらしい。
ケケイシとウデーが月光国へ連れ帰った5人以外、脱出に成功した者はいなかったようだ。
そんな中、新月丸の姿に気付いた一人の兵士が、険しい表情で近寄ってきた。
「何の用だ!」
相変わらず、威圧的な態度を崩さない。これがこの国の兵らしい物言いなのである。
「これと、この手紙をお前らの王に届けてくんないか?」
新月丸はあえて軽い調子で言い、袋を差し出す。
「神都の兵に向かってその態度は何だ!」
兵士は顔を赤くし、怒りをあらわに剣を抜き、切りかかってくる。
しかし、新月丸は全く動じず、持っていた袋——オゥンシフモが入っている袋でその剣撃を受け止めた。
グハッ!
剣で刺されたオゥンシフモは、袋の中で息を詰まらせるような悲鳴をあげる。
「あーあ……これの中身、生きてるんだから、お前らもう少し気を使えよ」
生きた人間が入っている袋を盾代わりにしておきながら、平然とそう言い放つ。その無遠慮な態度には、呆れるというより狂気すら感じるほどだ。
「なるべく、お前たちに手出しはしたくないんだよなぁ」
新月丸はそう呟きながら、袋の中身を兵士たちの前にさらりと見せた。
「誰だ? そいつは!」
と言ったものの、表情が固まった。どうやら袋の中身——オゥンシフモの正体を知っているようだ。
「俺は戦いに来たわけじゃない。ただ、これとこの手紙を、お前たちの王に届けに来ただけだ」
新月丸は無駄な挑発も脅しもしなかったが、兵の怒りは増すばかり。遠くにいる他の兵まで呼び始めてしまった。
これ以上、話をしても埒が明かないと感じた新月丸は、軽く手を振りながら
「んじゃ、頼んだぞ」
とだけ言って、来たときと同じ方法で、何事もなかったかのように月光国へと姿を消した。
このとき、新月丸は手紙の中にもう1枚、別の書状がひそかに加えられていることに気づいていなかった。
新月丸がクレアとタロウの意図を汲み、穏便な対応を選んだように、クレアとタロウもまた「現世と関わり続けることへの文句を少しでも減らすために」丁寧な文書を別途、仕上げていた。
加えられた書状の中には、現世との関わりを容認している神がいる旨を、さりげなく記していたのだ。
神であっても、他の神への対立を直接招くような行動は避けがちになる。その性質を知っているからこそ、この一文を忍ばせたのだった。
しかし、このさりげない配慮が、後々予想外の変化を引き起こすことになる——これはもっと先の話であり、今はまだその余波を知る者は誰もいない。