67 -不審な旅人
いつも通り、現世に生きるリックの部屋に行き、そこで寝る。
(本当にこの時間が俺の最も幸せな時間だな……)
抱きしめキスをして匂いを嗅ぎ……色々と話をして一緒にゲームをする。リックはつい、寝落ちするまで遊んでしまうので、ゲーム機が顔に向かって倒れてしまうことが時々あった。
今夜もそれだ。
ゴッ!
「痛っ!」
「寝落ちする前にちゃんと寝ような〜」
「うん……」
そう、注意はするけれど肉体のない新月丸は、顔に向かって倒れるゲーム機を止めてやれないのをいつも悔しく思っている。
(痛っ!と言うリックもかわいいが痛い目に遭わせるのは嫌だな……)
隣でスヨスヨと寝るリックを抱きしめ、新月丸も眠りに落ちた——
——いつも通り、昼頃に城へ出勤するとクレアが話しかけてくる。
「おはようございます。もう少し待っていらっしゃらなければ連絡しようと思っていました」
表情が少し固い。
「何かあったのか?」
話を聞くと、どうやら街に不審な旅人がいると嫌雪の元へ街から数名が伝えにきたそうだ。前払いの店で金を払わず食事を持ってこさせようとしたり、通りすがりに売り物を盗ったりと、とにかく態度がおかしい。
盗られた物はすぐに取り返し今のところ実害はないものの、そんな旅人が街にいるのは問題だ。それに、たぶん……ハーララが絡んでいるのではないか、という予感がある。
この国にはまだ、警備兵が足りていない。ケケイシが所属する騎士団人狼部隊は国軍に近い扱いだが、警備も兼任してもらっている。
けれど、もう1つの問題として国民の大半がまだ、獣人に対して悪い感情を抱いている、というところだ。
かつての国体だと獣人は人間種より下として扱われ、街への立ち入りは主付きでなければ許されない。そのあたりはハーララとよく似ている。
人というのは、自分が虐げられる身分であるのは辛いけど、自分より下とされていた身分の者が同列になるのを、好ましいと思いにくい性質があるのだろうか。
新月丸が王となり、奴隷制度も身分制度も完全撤廃したけれど、それはあくまでも「人間種のみ」といった固定観念をどうしても、捨てきれない人がいる。
こういった部分を薄めていくのは時間がかかるものだ。
騎士団人狼部隊の詰所は街に建ててあるのだが、不審者がいても助けを求めに行くのは遠くにある城の正門脇御用口。嫌雪が街中にある詰所へ相談すれば協力してくれますよ、と伝えても難色を示す。
国軍や街の警備兵には人間種もいるのだが、人数が圧倒的に少なく詰所に回せる状態にない。
それに、居たとしても人間種だけで固め続けていれば、いつまでたっても獣人への風当たりは変わらないだろう。
「私とタロウで説得してみても、納得していない表情で帰っていくのよね……」
「でも、素行の悪い不審者を放置するわけにもいかず。私が行きましょうか?」
タロウが提案した。
しかし、ここで戦いに不向きな文官であるタロウが行っても、あまり意味はない。
タロウの体格は筋肉質な見た目だし、一般人としては力があるほうと言えるけれど、武術に通じておらず魔法も使えない。
男ではあっても文官が1人、不審者のところへ行っても事態は好転しないだろう。
それどころか、不審者が抵抗し攻撃してきたのなら、余計な被害者を作るだけになってしまう。
「わかった、俺が行ってくる」
(まだまだ国として、きちんと成り立っていないなぁ……)
「その前にエルネアの治療施設に行き、ケケイシを連れていこう」
そう言い残して新月丸は瞬間移動で姿を消す——
——その頃、ケケイシはリルフィーの部屋にいた。
リルフィーの身体的なダメージは日に日に、回復している。しかし、身体のダメージが治れば治るほど、精神が不安定になっていった。
最初は平気だった男性看護師を怖がるようになり、部屋に近寄る足音に怯える始末。
しかし、ケケイシのことだけは信用し、安心できるらしい。
足音も人のそれとは違うし、姿が人間ではないからか、ケケイシも男なのに会話している間は安定する。リンジーからは「なるべく話し相手になってやってくれ」と頼まれ、ミュラーからは「連れてきたのはケケイシなんだから、世話をしてやれ」と言われた。
新月丸がいつものように医師長部屋へ転移すると、そこには誰もいない。治療施設として稼働している時間帯なので忙しいのだろう。
通りかかった看護師にケケイシの居場所を聞き、その部屋へ向かうと
「キャーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」
耳をつんざくような悲鳴だ。
すぐに部屋から慌てたようすのケケイシが出てきた。
「新月様! 少々、医師長部屋でお待ちください!」
何か事情があるのだと察し、新月丸は頷いてミュラーの部屋へ移動する。
待つこと5分くらいだろうか。ケケイシが走ってきて新月丸の前に止まるやいなや、片足をつき頭を深く下げる。
「申し訳ございません」
「……いや、謝ることはなにもない」
互いに情報共有をしたいけど時間がなかった。
「ケケイシ、悪いが俺と一緒に街へ行ってほしい」
その一言で急を要する事態だろうとケケイシは短く「わかりました」とだけ言い新月丸と共に治療施設を後にする。
新月丸と合流する前に、リルフィーをリンジーに頼んできた。
月光国の医師はまだ足りない中で申し訳ないが、リンジーは「私に任せてあなたは王の元へ行ってください」と快く承諾してくれたので、今はその言葉に甘えることにする。
新月丸の瞬間転移で着いた先は、城下町の入り口付近。そこから新月丸はケケイシを連れ、歩いて不審者を探す。
新月丸は王として、多くの国民から信頼され、親しまれている。その証拠に、先の選挙でも圧倒的な支持率を獲得した。しかし、獣人に対する待遇については、未だに理解を示さない者も少なくない。
単独で城下を歩くときと、ケケイシを伴うときでは、周囲の反応は大きく異なるのは、その証拠だろう。
普段なら気軽に声をかけてくる人々も、ケケイシが隣にいると一歩引き、さらには視線を避ける者まで現れる。
そんな状況だからこそ、新月丸はあえてケケイシを連れて城下町を歩き、住民たちに声をかけて回ることで、少しでも獣人に慣らしなから、不審者や異変の手がかりを探ろうとしている。
詰所にいる人狼部隊は何かがあった時、頼れる存在なのだと、ゆっくり伝え広めるしかない。
ケケイシを帯同させる理由は、すでに街の人々に何度か目撃されており、ごく僅かかもしれないが、親近感を持たれている可能性がある。他の獣人ではなくケケイシを選ぶことで、警戒心を和らげ、話が聞きやすくなると考えたのだ。
これから向かうのは、新月丸がよくいく馴染みの定食屋。この店の店主は獣人と人間種を区別せず、分け隔てなく接する人物だ。しかも、情報通である。
様々な意味でこの店は最適な場所だった。
「連日、おじゃましてすまないな」
軽い挨拶で店に入る。
「らっしゃい! 大変だなぁ、王さま」
店主はなぜ、新月丸が来たのかを察しているようだ。新月丸の後ろから入ってきたケケイシを見て「久しぶり!」と気さくに声をかける。
ケケイシは礼儀正しく一礼しながら返事をした。
「お声がけ、ありがとうございます」
店主はにこやかに笑いかける。
「たまには寄ってくれよな!」
一瞬考えるようにしてから、ケケイシは柔らかな表情で応じた。
「はい、ぜひお邪魔させていただきます」
新月丸は、店内に他の客がいる状況でこのやりとりを見せられたことを良い機会だと思った。
店主の自然な態度も、ケケイシの丁寧な応対も、普通の人同士のやり取りそのもの。人だ、獣人だといった垣根はない。
こういう場面を自然に見かければ、周囲にも少しずつ伝わるだろうと期待している。
「お二人にお食事を、と言いたいところですが、今はそんな時間もないですよね。不審な旅人の件でいらっしゃったんでしょう?」
新月丸は「そうなんだ」と頷きつつ、その件について話を聞き始めた。