61 -歴史
新月丸が王になる遥か前。
エルネア帝国皇帝との親交も無かった頃。
どこにも定住していなかった時期がある。
あてもなくフラフラと気の赴くまま、自由区域を行きたい方向へ、ただ歩くだけのその日暮らし。
瞬時に距離を飛ぶテレポーテーション系の技や魔法が使えても、目的地が無ければ意味をなさず、この先に残る無限と言える時間を、とりあえず様々な情報収集と見聞に使おうと思っていた。
自由区域には家畜を飼い草地を巡り、どの国にも属さない生き方をしている遊牧民も多い。この者らは、しばらく居着くと決めた場所に小さな簡易集落を作る。誰でも自由に使え、どの国にも属さない区域は、誰も護ってくれないが、土地を占有せず自衛できるのであれば、その名の通り自由である。
そういった生き方をする人たちと接する機会が多かったこの頃、次の草地に羊と山羊を連れていくために集落をたたむ、その時まで食と住のお世話になることがあった。
家と食べ物を提供してもらうのと引き換えに、様々な魔法で便利さを提供する。高い魔素を持ち呪文や術の仕組みを解読し構築できる新月丸は、多くの魔法を扱えるので、とても重宝されたものだ。
次の移動先である草地が新月丸の行きたい方向と同じであれば、共に旅もした。滅多にないが数回、そういった経験がある。暑い日があり寒い日があり、晴れの日雨の日……同じ遊牧民と最も長く旅をしたのは2年ほどで、広大な自由区域を共に歩んだ。
自由区域で厄介なのはモンスターより圧倒的に亜人である。集団で襲いかかり家畜から各種の物資、そして女まで略奪するからだ。
襲いかかる亜人の集団は少なければ10体前後、多くても30体程度である。しかし、目的地まであと数日という旅の終盤、ある暑い日の夕方に、その襲撃はおきた。
約100体での襲撃は他に類を見ない以上な数である。
オークの目的は家畜と物資、そして女——
特に1人の女に執着し、何がなんでも奪う姿勢で襲いかかっている。新月丸がいれば亜人ごとき敵ではないが、その日は少し離れたところで数日分の獲物を狩りに若い衆を数名連れて出かけていた。集落に残り襲われた者の1人が、命がけで新月丸を呼びに駆けつけたのだ。
狩りくらい、新月丸1人でどうとでもなる。しかし、生活に必要なことを魔法で全てしてやれば、後進が育たない。長い目で見ると遊牧民にとってそれはマイナスだ。
若者の育成と用心棒を頼まれていたので、万が一に備え簡易集落に輪を描き、狩りをしていた場所に縁を刻んでいた。それが大いに役立ち瞬間移動での即時帰還が可能だったため、集落へ早く戻れオークの群れを殲滅し事なきを得た。
——そう思えたが、狙われた女がオークから受けた小さな傷は、みるみる悪化していく。新月丸は大抵の魔法を使えるが、医術関連の魔法は得意ではない。ただの傷であれば治癒も可能だったが、特殊な毒を治す術はななかった。
このままでは死を待つのみ。
あと数日で到着する目的地は薬学に強く、薬草の扱いに長けている小さな国で、新月丸と遊牧民が共に歩む今回の旅の終着点でもあった。
小国なれど、そこの王……名はジフトニア17世だっただろうか——とても人望に厚く、冷遇されやすい遊牧民にも友好的に接し、安く買い叩くことなく仕事を依頼する。
遊牧民はその依頼を受け、採取し集めた珍しい薬草や未知の植物や木の実、キノコなどの納品を目的とし数年ぶりに、この国へ立ち寄ったのだ。納品で得た金を使い自由区域では得られない布や薬、調味料などの買い溜めも遊牧の旅にとって必要であり、納品だけでなく買い物も目的である。
どの国にも属さない生きかたを嫌う者は案外多い。税を納めず法に縛られず、自由区域を利用するのが狡い、または図々しいと感じるらしい。
意味不明のイチャモンだと新月丸は捉えているが、そういった考えの者は国王から地方官吏、貴族から平民まで幅広く存在している。
隣の芝生は青い、というものだろう。
そんな背景がこの世界には漠然と、しかし確実にあるので、自由区域で生活する遊牧民にとって友好的な国は貴重だ。
遊牧民以外にも自由区域で生活する人はいる。新月丸もその頃は、そこに住んでいる自由人扱いだから、肌で感じる居心地の悪さは幾度となく経験している。
友好的な国の民もまた、友好的である場合は多く、自由区域の者と互いに補い合える、良い関係を築いている数少ない国の1つだった。
あの時——毒を受けた女を助ける唯一の方法は、一刻も早くその国に着き手当をしてもらうことである。
目的としている国は新月丸にとって初めての場所。瞬間移動は使えない。但し、新月丸は飛べるので、怪我を負った女だけを抱え一足飛びにそこへ向かったのだ。
共に歩いて来た遊牧民より遥かに早く目的の国へ着き、門番に理由を述べると、こんな簡単に信用していいのか?と少し心配になるほど、あっさりと入国が認められた。
その後、女は国営の医療施設へ引き取られていき、簡単な手続きで治療が施される。それまでの経緯を役所で話し許可を得た場所に輪を描いてから、再び飛行し遊牧民と合流。そこに縁を刻み、女の身内だけ先に瞬間移動で入国させ施設に案内したのだった。
この国の医療技術は確かなもので女は数日でみるみる回復する。けれど、退院が間近になった頃——発音しにくい名前の国から、この国の王に書簡が届いたと、街の掲示板に告示されているのを見た。その内容は
“我が国の兵士100名ほどが自由区域にて貴国に入った女とそれの家族に殺されたもよう。調べをするので即、我が国へ引き渡せ”
というものだ。
もちろん、彼らは身に覚えがない。
殺人なんてしていない。
でも『100』という数字には覚えがあった。
——襲いかかって来た亜人の数である。
引き渡しが命じられた者と新月丸は、王に謁見し事情を話す。
100名ほどの亜人に襲われたこと、亜人は家畜と物資を狙っていたが医療施設へ運ばれた女に執着していたこと。亜人が使っていた武器に特殊な毒が塗られていたであろうことを事細かに説明する。
毒に倒れた女がまだ、幼い頃からこの遊牧民グループと付き合いのある王は、話を全面的に信じ、「引き渡しには応じられない」「自由区域とはそういう場であり、兵士が負けたからとて犯罪者扱いは、どの国もできない」といった旨を丁寧に返した。
その上で、「万が一、自由区域に出てから追手が向かってきたら大変だろう」との理由で、有事の際に使う避難施設の1つにしばらく住めばいい、と家を提供してくれたのである。
女と女の家族2名は王の言葉に甘え、書簡の件が落ち着くまでの間、そこで過ごすことにする。どんな建物なのか、その時の新月丸は興味津々で見に行った。シェルターのような作りで強固かつ街からも近く、建物の内部を見ても住みやすそうだと思えたのは印象に強い。
他の遊牧民は家畜の都合もあるので自由区域を旅する生活に戻り、新月丸は国から数日間の滞在許可を得た。観光や見聞を広げるためである。
彼らと過ごした2年の旅はそこで、終了だ。
滞在許可は得られたものの、大した金を持ち合わせない自由人である新月丸は、他に就労許可を得た。この国では建築関係の仕事に魔法を使い、日々の生活資金と今後の旅の金を貯める。そしてここでは金以外に、新たな魔法を得たのだった。
魔法の名は万物砂塵。
これは使わなくなった建物の除去と砂壁の材料、両方が一気にはかどる職種魔法の1つ。砂壁をもちいる建築方式が主流の国だが、この魔法を使いこなせる者は当時少なく、ここでも新月丸は重宝された。
何なら「永住もどうだ?」と勧められたが、それは丁寧に辞退する——けれども国内での待遇はかつて経験のない親切さだったので、個人的な礼をした。自分が旅立っても不便にならないよう、魔素を有する者数名に使い方を丁寧に教えたのだ。
数日間の滞在を経て次の場所を、あてもなく求めプラプラと単独で歩き……夏が終わり秋は足早に去り、とても寒い日に立ち寄った小さな集落の宿で噂話を耳にする。
ジフトニア王国がハーゥルヘウ……
とにかく、なんか長い名前の遠くにある国から攻撃を受け陥落した——と。