プロローグ
「昔は素直だったのに! どうして今は、ああ言えば、こう言うなんだ。この僕をなんだと思っている!?」
「私の我慢の限界ということです。これまで殿下の私への態度も、浮気も全部我慢してきましたが、もうこれ以上は無理。婚約者である私に強引な態度をとることも、婚約者がいるのに他の女性に手を出していることも。」
「何を言っている! この僕をこれ以上愚弄するなら、不敬罪に処すぞ!」
大声を出すその姿は、ゲーム画面では見たことがない姿。目を吊り上げ、怒りをあらわにし、それはまるで……そう、瞬間湯沸かし器みたいに怒り心頭状態。
ドルフ・セント・アトキンソン。アトキンソン王国の第一王子であり、立太子を控えた身である。国王陛下譲りの金髪に碧眼と、容姿も身分も恵まれているのに。裏の顔があった。
「不敬罪! 本気ですか、殿下?」
「ああ、本気だ。ここまで僕の気持ちを無下にして! いくら誘っても、拒み続ける。ここ一年は、僕を寄せ付けないため、神殿での誓約まで盾にしている。一体、何を考えている!?」
ああ、本当に残念。がっかり。
乙女ゲームの世界に転生できたと思ったら、悪役令嬢だった。でもヒロインの攻略対象であるイケメン第一王子の婚約者になれると分かり、私は舞い上がっていた。どうせ断罪されるとしても、ヒロインが登場するまでは、彼の婚約者として夢のような時を過ごそう。でもヒロインが登場したら、その恋路を邪魔せず、潔く身を引こう――そう決めていたのに……。
悪役令嬢への転生。
それはある日突然訪れた。前世での最後の記憶、というか、最期に見たもの。それは手術室の天井についている無影灯だった。そこから推察するに病死ではなく、事故死だったのかなと思う。ともかく転生前の、おそらくは辛い命を失う瞬間の記憶はなく、目覚めると乙女ゲームの世界に転生していた。
乙女ゲーム『ラブ・ナイト~姫君の秘め事~』。
これは私が初めてプレイした乙女ゲームであり、初めて出会った中学生の頃から八年間。愛し続けたゲームだった。大学生になり、バイトを本格的にやるようになると、手に入れたお金はガチャに消えて行ったなぁ。
そう、私の推しに。ドルフ第一王子に、どれだけ愛とお金を注いだことか。
ドルフ第一王子。
私にとって、初対面のドルフ第一王子は……完璧だった。
あれは乙女ゲームにはないイベントで、私、悪役令嬢ユリアンナ・R・ラティマーは、ドルフ第一王子と出会った。その時、お互いに社交界デビューを控えた十五歳で、共に通うことになる学園に入学する前だった。
春の狩猟大会。
父親と二人の兄が参加し、ユリアンナはギャラリーとして母親と一緒に、馬に乗って観戦していた。狩りをする者達が森の奥へと入った後。狩りをしない貴婦人達は、森の手前に設置された天幕で、社交に勤しんでいた。
上質な紅茶とペストリーをつまみ、扇子片手に優雅に笑い合い、夫や息子が獲物を持ち帰るのを待つと言うわけだ。
「ラティマー公爵ご子息、ライアン・J・ラティマー様が、鹿を仕留めたと報告が入りました」
狩猟大会を仕切る、ポワン公爵家のヘッドバトラーの声に、ユリアンナと母親は天幕を出て、馬に乗る。獲物を仕留めた兄を迎えるため、森の入口まで移動することになった。
この時代、乗馬時の女性は横乗りが基本。馬も走らせるのではなく、馬丁に引いてもらい、ゆったり移動する。何せドレスも着ているし、走るなんて……。勿論、乗馬が得意な令嬢もいるが、母親もユリアンナも、お飾りで横乗りしているタイプだった。つまり、乗馬は得意ではない!
ともかく森の入口まで移動し、兄の到着をユリアンナと母親は待っていた。
その時。
春といえば、花も咲き誇るわけで、ミツバチなどの虫も活発に活動している。ユリアンナが乗る馬は、どうもそのミツバチと接触があったようで。突然、馬がいななき、前脚を持ち上げたのだ。
横乗りなんてしているので、そんなことされたら即落ちる。落馬!
馬はただ乗っているだけでも高さがあった。そこから落ちたら……華奢なユリアンナであれば、どこかの骨の一本や二本、折れてしまうかもしれなかった。
落馬して骨を折ったのか!? でもそうはならない!
ドルフ第一王子は雉を数羽とらえ、森から丁度出てきたところだった。ユリアンナが乗る馬の異変にいち早く気づいたドルフ第一王子は、自身の馬から飛び降り、落下する彼女を受け止めたのだ。
もうそれはまさにおとぎの国の物語のような出会い。
美少年のドルフ第一王子。美少女のユリアンナ。まさに似合いの二人だった。
ユリアンナは悪役令嬢として、本当に美しかった。
輝くようなプラチナブロンドに碧い瞳、薔薇色の唇と頬。白磁のようななめらかな肌、十五歳とは思えない成熟した肉体。どんなドレスでも完璧に着こなし、この日はアーモンドの花を思わせる、淡いピンク色のドレスを着ていた。
一方のドルフ第一王子は、ブラウンの革製の、狩りのための装備を身に着けていたが、それがとてもよく似合っている。金髪の髪はサラサラで、瞳は空を映したような碧さ。特に横顔が美しく、視線を少し落とし、長い睫毛を伏せ、微笑んだ時の顔立ちが最高なのだが。まだ少年のドルフ第一王子でも、やはり横顔がカッコいい。鼻の高さも際立つし、整った顔立ちであることが浮き彫りになる。それに十五歳とは思えない、王太子教育の賜物の均整のとれた体つき。剣、槍、弓の全てをマスターしていると聞いている。程よく筋肉もつき、既に完成形に近い。ただ、顔はまだ幼く感じる。
何よりもこの落馬の瞬間。
私の覚醒が始まった。つまり、ユリアンナに前世の私の記憶が甦るのだ。
転生したと思ったら、いきなりまだ若い推しの腕の中にいるなんて、鼻血案件だった。もうあの時は嬉しくて、嬉しくて。そのまま抱きかかえられ、天幕まで連れて行ってもらい、私は少し横になることになった。その間に、前世記憶の取得と転生したユリアンナの記憶の継承は完了。そこで自分が悪役令嬢であることから、その後の方針を早々に定めた。ヒロインが現れるまでは推しであるドルフ第一王子と夢のような時間を過ごし、ヒロイン登場と共に身を引くと言う、あのプランだ。
悪役令嬢に転生すると、たいがい断罪回避で悩むが、『ラブ・ナイト~姫君の秘め事~』はタイトルこそドキッとするが、全年齢版だった。ゆえに痛い断罪は用意されていない。つまり断頭台送りとか火あぶりはなかった。ヒロインが選ぶ攻略対象により、断罪の内容は変わるが、爵位剥奪、修道院送りで、ドルフ第一王子の場合は……婚約破棄&幽閉で許された。幽閉も屋敷での軟禁であり、ドルフ第一王子がヒロインと婚儀を挙げると恩赦の一環で幽閉も解かれるのだから……。
『ラブ・ナイト~姫君の秘め事~』は、悪役令嬢に優しい乙女ゲームだと、あの時は思った。そしてドルフ第一王子との婚約は、学園に入学してすぐのこと。ドルフ第一王子の裏の顔をなど知らない私は、どうせ彼とは婚約するのだからと、この狩猟大会で、積極的に彼に話しかけることにした。
森に入っていた父親や兄他、狩猟を楽しんでいるみんなが戻り、昼食となった時。私は助けてくれたお礼を、ドルフ第一王子に伝えに行き、そこで彼との仲を深めたわけだ。もうゲームで散々推しまくったドルフ第一王子が目の前にいる。しかもヒロインと出会う前の、美少年の姿で推しがいるのだ。眼福! 尊い!
おかげでドルフ第一王子との婚約は、私の知るゲームの時より早まり、どれだけ喜んだことか……。
でも、後になって知るのだ。
攻略対象として絶大な人気を誇っていたドルフ第一王子には、ゲームでは明かされていない裏の顔があることを。