第八十四話 亡くした者の
第八十四話 亡くした者の
「これバトバヤル!家族とは言え氏族長のゲルに無断で入るとは何事か!」
ドルジさんが額に青筋を浮かべて入ってきた青年、バトバヤルさんに怒鳴る。
それに対し彼も視線を鋭くさせ怒鳴り返した。
「うるせぇ!どうして今更人間なんかが来ているんだよ!いったい何の用だ!」
バトバヤルさんがこちらに目を向けたので、軽く会釈をする。
先ほどの『親父』や『家族』という発言から、彼はゾリグ様の孫なのだろう。王国で言ったら、知っている人間だとアーサーさんの立ち位置に近いかもしれない。
「こちらは『ソードマン・キラー』のシュミット殿と、その相棒であるアリサ殿だ。アリサ殿は『ゲイロンドの若き天才』と呼ばれるアーサー殿の妹君でもある」
「はぁ!?」
ドルジさんの紹介に彼は驚いた様子で自分達を見比べた後、口を『へ』の字にした。
「こんな細っこいのがソードマンを斬った男?『狂鳥』の方は本人じゃなくって妹だぁ?ふざけてんのかこいつら」
「何という事を言うんだこの馬鹿たれが!!」
胡乱な眼を向けてくるバトバヤルさんに、ドルジさんが掴みかかる。
「何すんだ親父!」
「貴様は一端このゲルから出ろ!頭を冷やせ!」
「嫌だね!氏族長に話さなきゃならねえ事があるんだ!」
「何様のつもりだ貴様!何度も言うが、家族とは言え氏族長に直訴など出来る立場──」
「バトバヤル」
口論する二人だったが、ゾリグ様が口を開いた瞬間動きを止めて唇を閉ざした。
そして彼らは氏族長の方を向き、無言のまま片膝をつく。
「この方達の身分に偽りはない。公爵家の身分証明書を見させてもらったし、何よりもシュミット殿の方は立ち姿を見ればわかる。我ら氏族の誰よりも、強力な戦士であると」
「っ……!」
ギシリと、音が鳴る。
その出所はバトバヤルさんの歯であり、一瞬だけ彼の瞳がこちらを強く睨みつけた。
「彼らがここに来たのは、王国からの援軍が一カ月はかかる事を伝える為。そして、我らと共に亜竜へ挑んでくれる為なのだ」
「なに……!?」
氏族長の前だが、それでも我慢できなかったのだろう。
バトバヤルさんが顔を上げ今度はハッキリと睨みつけてきた。
「一カ月!?一カ月だと!?やはり人間は盟約を守る気がないのか!?」
「それは違うぞ、バトバヤル。彼らは我々獣人とは違う。戦うとなれば、用意する物が沢山あるのだ」
「何が違う!有事の際は互いに惜しみのない支援をし、軍が馳せ参じて共通の敵を討つのだと!そうゲイロンド王国とは盟約を結んでいたはずではないですか!」
今度はゾリグ様に顔を向け、バトバヤルさんが吠えた。
「それが、援軍がたった二人!?人間どもは俺達を見捨てたんだ!三度だぞ!三度、俺達は戦った!家族を、友を殺されながら、それでも戦った!それなのに奴らはこんな男とも女ともわからん優男と、温室育ちの娘を送りつけるだけか!」
「未熟なバトバヤル。今貴様が罵ったお二人は、貴様を上回る戦士だぞ」
「だからなんだ!亜竜を殺せるのか!?違うだろう!」
拳を床の敷物に叩きつけ、バトバヤルさんが周囲を見回す。
氏族長を、ドルジさんを、そして壁沿いに立ち成り行きを見守る獣人達を。
「王国が盟約を守らないのならば、我らとて守る必要はない!」
「っ、待て、バトバヤル!」
「帝国を頼るなり、王国に攻め込んで土地を───」
ごすりと、鈍い音がした。
バトバヤルさんの頬にドルジさんの拳が叩き込まれたのだ。
ふらついた彼の角を掴み、ドルジさんが殺意を……自分に向けた擬きではない。本気の殺意を乗せて睨みつける。
「貴様、この場でそれを言う事の意味がわかっているのか……!!」
「……ああ、わかっているさ」
そこらチンピラなら泣いて命乞いをするであろうそれに、しかしバトバヤルさんも怯む事はなかった。
内心でその姿に感心する。なるほど、権力を笠に着て粋がっているだけの若者ではないらしい。
無論、上に立つ一族の行動とは思えない蛮行だが。外交問題という単語が頭から抜け落ちている様に思える。
「俺と俺の仲間達で、そこの二人の口を塞いじまえばいい」
まさかのストロングスタイル。
「貴様っ」
「どうせ女子供だけ逃がそうとか言ってたんだろ、あんたら。逃げた先に何がある?王国からの支援か?それで今後も食っていけるのかよ!氏族を残す事ができんのか!」
ドルジさんの胸倉を掴み返し、バトバヤルさんは天幕の外にまで響きそうな声で吠えた。
「誇りの前に守るもんがあんだろうが!俺達が後でどれだけ非難され様が構わねぇ!親父たちに処刑されてもいい!氏族を守る為なら、本望だ!!」
「こ、このバカ息子、どこまで脳みそが足らんのだ……!」
ビキビキとドルジさんの額に血管が浮き上がる。
まあ、自分の様な政治のせの字も知らない者からしても穴だらけの考えだからな。『危なくなったら盟約を無視して味方に攻め込む奴』とか、大抵の国は契約を結ばなくなるしむしろ積極的に刈り取りにかかる。
だが、逆を言えばこんな意見が出てくる程に牛獣人達が追い詰められているとも言える。
「……もうよい」
背筋が凍る様な声が天幕に響く。
ゾリグ様を見れば、彼の目には先ほどまでとは比べ物にならない冷たさが宿っていた。
「バトバヤル。貴様はここで首を」
「どうかお待ちを、ゾリグ様」
彼が言い切る前に口を挟み、椅子から立ち上がる。
咄嗟にアリサさんが止めようと袖を掴んでくるも、回避。
これが出過ぎた真似だという事は承知の上だ。しかし特大の外交問題をやらかしたのは彼らが先である。
この程度の横紙破りは、笑って水に流してもらわねば。
「牛獣人の氏族の方々が行う政治に自分が関わるつもりはありません。ですが、『貴重な戦力』を失うのは惜しい。これから我らは共に強大な敵に挑むのですから」
そう、本当に貴重な戦力なのだ。
バトバヤルさんは技量こそゾリグ様やドルジさんには遠く及ばない。しかし『若さ』がある。
更に『俺達』とも言った。それはつまり、彼の賛同者がいるという事。恐らく、バトバヤルさんと共に亜竜と戦い生き残った者達だろう。
欲しい。非常に欲しい。
亜竜の心臓を抉りだす為に、彼らの力が必要だ。
「バトバヤル殿。貴方は言った。この様な者達など、援軍にはならぬと」
「ああ、そうだ。貴様一人が加わった所でいったい何になる」
「このっ」
「なります」
彼の口を塞ごうとするドルジさんに手でやめる様頼みながら、真っすぐとバトバヤルさんを見つめる。
「間違いなく、戦力になります」
「はっ!口では何とでも言える!貴様ら人間はいつもそうだ。賢しげに喋るだけで、結局は何もしない」
「ならば今から行動で示しましょう」
アリサさんが汽車の中で教えてくれた彼らの文化。無駄な恋愛話のせいで穴だらけのそれだが、使える知識もあった。
「戦いましょう。貴方と、貴方に賛同する戦士達。それら全員でかかって来てください」
決闘。そして何かを賭けての模擬戦。自分の意見を通す為に、彼らが時折行う文化だ。
「……は?」
「無論。死人を出さない様、お互いに手加減はしましょう。こちらは自分一人が出ます。アリサさんは銃使いで、加減が苦手なので」
「貴様……俺達を馬鹿にしているのか?」
先ほどまでの嵐の様な怒りではない。
代わりに、ゾッとする程の殺意と怒気が向けられる。
やはり素晴らしい。牛獣人風に言うのなら、これは良い戦士だ。
「いいえ、バトバヤル殿。逆です」
「なに……?」
「僕は、貴方が欲しい」
「えっ」
「貴方と、その仲間達という『戦力』が欲しいのです」
そっと、彼に近づいて手を伸ばす。
「強者たちよ。どうか共に戦ってほしい。だからその前に、僕の力を見せましょう」
こちらを睨みつける彼に、ニッコリと笑みを浮かべる。
「もう一度言います。全員で来てください。時間がありませんから。───纏めて叩きのめして、こちらの力を認めさせます」
……まあ。
無理そうで殺されそうなら尻尾を巻いて逃げるがな!!
* * *
上等だと息巻くバトバヤルさんに、天幕を囲っていた彼のお仲間達。更には彼ら以外にも王国の救援が遅い事に不満を持っていた牛獣人達によって、もはや氏族長ですら抑えきれない流れとなっていた。
正直すまんかったと思う。ゾリグ様の目が凄い事になっていたし。
「で、マジでやるのかい。相棒」
「無論です」
呆れた表情のアリサさんに頷いて返す。
「後でお兄様に謝りなよ、流石に。ギリギリ後で有耶無耶にできる範囲だけど、これは外交的には良くない話だ」
「はい。それは言ってから自覚しました」
非常に癪ではあるが、彼女の言う通りアーサーさんには頭を下げる必要がある。
ここまで勝手に名前を使いまくったあげく、氏族長の孫が『売ってきた喧嘩』を買ったのだ。ただの、名誉騎士に内定しているだけの男が。
相手の無礼も大概であるし、『舐められたら殺す』が基本の貴族とは言え限度がある。少し、笑い話で済ますには苦労をするかもしれない。
「ですが、負けたら謝るでは済まないでしょうね。彼の面子が完全に潰れます」
「おや、戦う前から負けた時の心配かな?」
「ええ。僕はいつでも負けた時の逃げ方を考えるタイプです」
「そうかい。だけど、私には君が負ける姿なんて思い浮かばないけどね」
「買いかぶりが過ぎますよ」
「そうかな。私は、自分の相棒がソードマン以上の『伝説』だと思っているけど?」
パチリとウインクしてくる彼女に肩をすくめて、指定された場所に向かう。
牛獣人達の天幕がひしめく場所から少し離れた所。当然の様に広がる平原には、既に見物人が数十人ほどやってきていた。
何ともまあ、元気な人達である。肉体だけでなく心まで頑丈らしい。
「おい、人間!」
「はい」
バトバヤルさんとその仲間達。合計十人。彼らが一頭の馬を引きずる様にしてやってきた。
かなり大きな馬だ。彼らの使役する馬はどれも大柄だったが、これは更に二回りは大きい。
黒い毛並みに赤みがかった鬣を生やした巨大なその馬は、酷く興奮した様子で手綱を引く彼らを睨みつけながら蹄で地面を削っていた。
その様子から、筋骨隆々な牛獣人達でさえ数人がかりでなければ引っ張ってくる事もできない化け物馬だという事がわかる。
「貴様はこの馬か、馬車を牽いて来た馬を使え」
「ふむ……」
ギロリと睨みつけるバトバヤルさんに、少し首を傾げる。
「その馬はいったい?」
「これは、我らの氏族で最も強かった戦士が乗っていた馬だ。三度目の亜竜との戦いで、その戦士は死んでいる」
「……なるほど」
彼ら獣人は小さい頃から家族の様に馬を世話すると聞く。であれば、この馬にとってもその戦士は身内も同然。
それを失ったが故に、こうも怒り狂っているわけか。
「貴様に俺達の馬を貸すなど絶対にごめんだ。だが、こいつを御すことが出来たのなら使えばいい。貴様らが使っていた馬車の馬では、勝負にすらならん」
今回彼らと戦うのは、『馬上試合』。貴族同士のそれとは違う、実戦形式に近いものである。
であれば馬の性能は重要だが、自分達が馬車に使っていた馬は駄馬ではないが名馬とも言い難い。ニール子爵の所の馬ならいざ知れず、アレで彼らを相手にするのは厳しいだろう。
だが、この馬は下手な乗り手が手綱を握れば次の瞬間には頭蓋を蹴り砕く様に思えた。
「さあどうする、人間」
「バトバヤル!?貴様、その馬は───」
「この人間は力を見せると言った!!」
見物人の輪から飛び出してきたドルジさんに、バトバヤルさんが吠える。
周囲を囲う他の者達にも聞こえる様に。
「であれば、やって見せろ!この我が氏族の有する最も気高く、もっとも獰猛な馬を乗りこなせ!さもなくば、亜竜を相手に勝てるものか!!」
「そうだ!あんな馬車を牽くだけの馬が使い物になるか!」
「乗って見せろよ!人間の剣士!」
彼の声に呼応して吠える獣人達。それに額を押さえるドルジさんと、沈黙しているゾリグ様。
この人、統治者というよりは扇動家だな。良くも悪くも前線が向いているタイプかもしれない。
チラリと、一瞬だけゾリグ様の傍で待機する相棒を見る。
彼女は、ただ軽く肩をすくめるだけだった。まったく……期待が重いな。
「いいでしょう」
「ほう」
頷いた自分にバトバヤルさんが眉を動かす。
これだけ煽っておいて受けるとは思っていなかったらしい。
まあそれも無理はない。この馬は、名馬は名馬であるがそれ以上に気難しい……いや。
違うな。たぶん、それは違う。
「その馬、有難く貸して頂きます」
「……そうか。蹄でその大層な顔が潰されそうになったら助けるぐらいはしてやろう、人間」
「気遣いに感謝します」
バトバヤルさんにそう答え、彼の仲間達が押さえるあの馬に近づく。
「………」
『ブル゛ル゛……!ブォオ゛オ゛オ゛……!』
近くで見れば見る程、馬と言うより怪物じみているな。
前足の付け根が自分の背ぐらいあるし、頭の位置に至っては首を大きく反らせて見上げなくてはならないぐらいだ。
ギラギラと輝く瞳を、じっと見上げる。
「手綱を離せ」
「は、はい!」
バトバヤルさんに従い、彼の仲間達が押さえつける手を離した。
だらりと下がった手綱。自由を得た馬は、眼前に立つ見知らぬ存在に殺意を向ける。
『ヒィィィィィィンン!!』
甲高くも腹に響く嘶き。真正面からそれを聞きながら、無造作に手を伸ばした。
常人の指などこの馬なら噛み千切れるだろう。本当に草食かと疑いたくなる顎に、指先を近づける。
周囲の獣人達が息を飲むのがわかった。あるいは、次の瞬間自分の手が血まみれになるのを幻視したのかもしれない。
バトバヤルさんが焦って一歩こちらに踏み出そうとした、その時。
「なっ」
彼の驚愕の声が耳に届く。
自分の指が、ゆっくりと馬の顎から首にかけてを撫でたから。
「……悔しかったんだな」
『……ルルゥ……』
馬は、先ほどまでの荒れ様は何だったとばかりに落ち着いた声を出す。
きっと、こっちが本来のこの馬だ。
乗り手を、そして共に育った相手を失った悔しさ。共に戦う身でありながら、自分だけが生き残った絶望。
自分は幸いにしてまだ味わっていない感情だが……あるいは、そう遠くないうちに似た様な悲しみを味わう事になるかもしれない。
相棒を一人で死なせると言うのは、いっそ狂えてしまった方が楽なほど辛いだろうから。
「敵討ちがしたいか?」
賢い子だ。きっと、こちらの言いたい事がわかる。
だからこそ、この馬は無言で自分を見下ろしている。
「なら……守りたいか?」
『ブルル……』
賢いだけでなく、優しい馬だ。本来の乗り手に似たのかもしれない。
馬の鳴き声にも種類がある。チートで得た知識故偏りがあるが……この馬が暴れながら出していた声は、まるで親を探している様であった。
図体はでかいし、きっと馬の年齢でも大人である。だがきっとこの馬にとって、乗り手は甘えられる相手でもあったのだ。
しかしその者はもういない。亜竜に殺された。
その上で、この馬は復讐ではなく彼の同胞を守りたいと願っている。
どうやら見誤っていたらしい。
この馬が本気で『仲間』を傷つけるつもりで暴れていたら、この場にいる人数では足りなかった。
本当に、優しい子である。
「この子の名前は?」
「……『サリフ』」
背後から、バトバヤルさんがそう呟く。
彼もまた、馬の背を、サリフの背を少しだけ撫でた。
「……上手く乗りこなしてみろ、シュミット」
「ええ。本来の乗り手ほどかは、わかりませんが」
「ふん。当たり前だ。あの人ほどの騎手などいない」
鼻を鳴らし、彼が距離をとる。
「その馬が貴様を認めようと、俺はまだ納得していない」
「ええ。こちらもまだ力を見せていませんから」
バトバヤルさん達が、自身の馬が待っている場所に向かう。
……何ともまあ、不器用な人だ。この状況、自分と彼が周囲にどう見えているかわからない程愚かではないだろうに。
だが、彼も彼なりに覚悟がある。否定も肯定もする気はない。
バトバヤルさんの背を見送り、サリフの顎をもう一度撫でた。
「乗せてくれるか?」
『ブルゥゥ……』
仕方がないとばかりに目を細めた後、サリフが乗りやすいように膝を曲げてくれた。
「ありがとう」
鞍に跨り鐙に足をかければ、サリフがすっくと立ちあがった。
一気に高くなった視点に少々驚くも、バランスを崩す事はない。
そして、向こうからもバトバヤルさん達がやってきた。
彼らの乗る馬のどれもがサリフ程ではないにしろ、強靭かつ巨大な名馬たちである。それを操る戦士達もまた、体幹を不必要に揺らす事無く乗りこなしていた。
これが、草原の戦士というものか。
「これより『ソードマン・キラー』シュミット殿と『氏族長の孫』バトバヤル、そしてその配下たちによる模擬戦を行う!!」
ドルジさんの声が響く。そして、徒歩の牛獣人達が双方に模擬専用の武器を渡しに来た。
「使うのは布で綿を巻いた物のみ!それ以外の武器は禁じる!馬から落ちるか、全ての武器を使えなくなった場合負けとする!双方、よろしいか!」
「応!」
「はい!」
模擬専用の武器だが、前世日本とは違い安全基準の非常に緩い世界だ。
当たり所が悪ければ死ぬし、万が一落馬して馬蹄に踏まれればタダではすまない。
だが、それがどうした。その程度で迷うのなら、そもそもここには来ていない。
「では───始めぇ!!」
間髪入れずに返された返事に、ドルジさんの腕が振り下ろされる。
銅鑼の音が、平原に響いた。
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