第八十三話 牛獣人
第八十三話 牛獣人
獣人の乗る馬に先導され、彼らの集落……というか、天幕の集まっている所に向かう。
牛獣人の彼らは非常に大柄で筋肉質な体つきをしていた。
先導してくれる二人とも背が目算で二メートル以上ある。厚手の服の上から革鎧を着ているのに、一目でわかるほどがっしりした体だ。
ただ一番の特徴は側頭部から生えている一対の角だろう。灰色に近い白の角が、闘牛の様に伸びていた。
彼らは警戒する様にこちらを時々振り返りながら、誘導してくれる。先ほど公爵家の身分証明書を見せたので身体チェックなどはされなかったが、それでも『不審な行動をしたら殺す』とばかりに殺気立っていた。
それも無理はない。まだ一番外側の天幕に近づいただけなのに、もう『血の臭い』がしているのだから。
微かにだがうめき声も聞こえる。亜竜に相当手ひどくやられたらしい。
これは、後で怪我人の治療を牛獣人の氏族長に申し出た方が良いな。協力を得られれば貴重な戦力になるし、何より生の情報が欲しい。
そう思って指定された場所に馬車を止め、天幕群の中央へ。
この天幕、やはりモンゴルのテントみたいな住居に似ているな。たしか『ゲル』と言ったっけ?名前も前世のと同じだった……かも?生憎とそこまでは覚えていない。
近くで見れば意外な程しっかりとした作りだが、観光に来たわけではないのだ。アリサさんすら真面目モードに入っている。
自分も気を引き締めて牛獣人達に睨まれながら歩いた。
「ここだ。ちょっと待っていろ」
公爵家の紹介状を手にした牛獣人が、一際大きな天幕に入っていく。それから三分ほどして、彼ともう一人の男性が出てきた。
こちらもでかい。二メートル十、いや二十か。先導してくれた人よりもやや恰幅がよく歳をとっているものの、その立ち姿を見るだけで強者である事が伝わってくる。
四十歳前後の彼は背中にかかるぐらいの茶髪に豊かな髭を生やしていた。だがその厳つい顔立ちに反し、目元は柔らかい。
「これはこれは。ようこそ王国のお客人。遠路はるばる、ご苦労様です」
「いえ。突然の訪問申し訳ありません。ラインバレル公爵家のアーサー様から命を受け馳せ参じました、シュミットと申します」
「ほお……!」
男性が目を見開き、先導していた二人もこちらの顔を二度見してきた。
アーサーさん、すみませんが名前をまたお借りします。
他人の、それも社会的地位のある人間の名前を勝手に使うのは重罪。だが『貴族が平民に家紋入りの身分証明書を渡す』とはこういう事だ。アリサさんに過去の判例などを聞いたので、バレても黒よりのグレーで済む。
もっとも、その判例では三割ぐらいの奴が裁判後行方不明になっていたが。
「あの『ゲイロンドの狂鳥』……失礼。『ゲイロンドの若き天才』と名高いアーサー殿の……。それも、『シュミット』という名前。もしや貴方があの『ソードマン・キラー』ですか?」
アーサーさん、どこまで悪名を轟かせているんだ。
「はい。現在は『剣爛』と呼ばれておりますが」
「なんと……新たなる伝説とこうして顔を合わせる事ができるとは……!」
男性はこちらを爪先から頭の天辺まで二度ほど見た後、突然殺気を───殺気擬きを放ってきた。
これは凄いな。前世の自分だったら間違いなく腰を抜かしている。ライカンスロープより余程恐い。
だが、ただの試しだというのは見ればわかる。隣にいるアリサさんも涼しい顔で立っているぐらいだ。
「……なるほど。騙りではない様ですな。失礼いたしました」
「はて、何のことでしょうか」
意識して柔らかく笑う。自分達は彼らと協力しに来たのだ。一々この程度で目くじらを立てていては話が進まない。
こちらの意図を察してか、男性はニコリと笑みを浮かべる。
「申し遅れました。私はゾリグ・ドルジ。氏族長ゾリグの息子です」
確か獣人達は『父親の名前・自分の名前』という順で名乗るのだったか。正直馴染の無い文化である。
「改めまして、シュミットです。こちらは相棒のアリサ・フォン・ラインバレル。アーサー様の妹君です」
「お会いできて光栄です、ドルジ殿」
「おお、これはこれは!こちらこそ、ご機嫌麗しゅう。アリサ殿」
お嬢様らしいカーテーシーをするアリサさんと、獣人流らしいお辞儀をするドルジさん。
「では、立ち話もこれぐらいにしてどうぞ中へ」
「はい。武器を誰かに預けた方が良いでしょうか?」
「いいえ。貴方はあの『ソードマン』を討った戦士。敬意と歓迎こそすれ、その様な事はいたしません」
「ありがとうございます」
一応、大まかにだがアリサさんから彼らの事は聞いていた。もっとも、無駄に長い恋愛知識のせいで本当に大まかに、だが。
彼らは銃を使わない。というか、まともに使えない。
牛獣人に限らず獣人は視覚、聴覚、嗅覚が基本的に人間より鋭いのだ。その影響か火薬の炸裂音と臭いを極端に嫌う。
ついでに言えば、その高い身体能力から繰り出す投槍と複合弓の破壊力と射程が十分すぎて無くても問題ない……少なくとも、旧式の銃なら。
そう言った理由もあり、ソードマンの様な剣で銃に勝つ存在は尊敬の対象にされる。
また、牛獣人の氏族は猫獣人や犬獣人と色々いる氏族の中でも特に武闘派であり、戦闘能力の有無こそが魅力とされる……らしい。
話に聞いただけでは『いくら筋肉があろうが鉄砲に勝てるか』と思っていたが、こうして牛獣人の戦士達を見ると考えを改めた方が良いな。
乗っていた馬も『ばん馬』かと思う程に大きく、強靭だ。彼らが鎧を纏い突進してくれば、旧式のライフルと銃剣だけで止めるのは至難の業だろう。
無煙火薬は現在公爵家だけで作られていると聞くし、兵士が各貴族の『財産』扱いの分王国や帝国でもフリントロック式のライフルが現役な隊もあるとか。
……それでも人間同士の戦いではやや不安が出そうだが。ライフルならともかく、機関銃相手は厳しいだろう。塹壕や有刺鉄線もある。騎馬の機動力でゲリラ戦ならあるいは……?
何にせよ、今回の相手は亜竜。彼らを味方にできれば心強い。
そんな事を考えながら、天幕の中に。
内側もかなりしっかりしている。朱塗りの柱が中央に四つあり、それに支えられた天窓と天井。平原な分やや風が強かったが、この中では感じない。
足元も敷物が敷いてあり、外側を見ていなければ貴族の屋敷としか思えないだろう。
「ようこそおいで下さいました、シュミット殿。アリサ殿」
天幕の中にいた老人がこちらを出迎えてくれる。
老人と言っても、その背中は丸まっていないし体つきもかなりがっしりしていた。ドルジさん同様厳めしい顔に柔らかい笑みを浮かべた白髪のこの人が、恐らくゾリグ氏族長なのだろう。
彼の隣には老婦人が一人、そして天幕の壁沿いには十人ほどの男女がいた。
女性の方もかなり背が高い。百八十は超えているだろう。なるほど、自分の様なガタイでも性別を間違われるのはこういうわけか。
「私はバータル・ゾリグ。牛獣人の氏族長です」
「突然の訪問申し訳ありません、ゾリグ様。自分はアーサー・フォン・ラインバレルの命でやってまいりました、シュミットと申します」
「同じく、アリサ・フォン・ラインバレルです」
自分は胸に手を当ててお辞儀をし、アリサさんはカーテーシーをする。
相手は氏族長。獣人の王族か、高位の貴族として対応すべきなのだろうが、獣人の中で『片膝をつく』という行為は忠誠を誓う場合のみ行われるそうだ。なので、二人とも立ったまま礼をした。
彼もそれに対し鷹揚に頷き、天幕中央。天窓に照らされた朱塗りの机を示す。
「既に知っているでしょうが、緊急事態につき前置きは無しにいたしましょう。まずはあちらの席におつきください」
「はい。失礼します」
示された椅子に座り、氏族長と彼の妻であろう老婦人と対面する。
すると、ドルジさんがお盆の様な杯を持ってきた。
「前置きは省略するとは言いましたが、せめてこれをお飲みください。せめてもの歓迎の印です」
「ありがとうございます」
「あ、いえ。私は……下戸ですので遠慮させていただきます」
隣でアリサさんが、同じように運ばれてきた杯を断っていた。お嬢様モードのわりに頬が引きつっていたあたり、余程これを飲みたくなかったらしい。
まあ、無理もない。前世モンゴルでも歓迎の印として馬乳酒を振る舞うと聞いた。そして中々に癖のあるお酒だとも。それがこの量となると、確かに厳しいかもしれない。
だが自分は何としても亜竜の心臓が欲しいのだ。この程度で彼らの好感度が稼げるのなら安いもの。
ついでに臭いから度数も低いと思われる。開拓村で育った身にとって、これも立派なご馳走だ。
というわけで、杯を受け取り一気飲みする。
「おお……!」
「あっ」
何やら感嘆の声をあげる氏族長。そして若干引いた様な声を出すアリサさん。
うん、確かに甘味の無い乳酸飲料の様で少し慣れないが、それでもまずくない。栄養もありそうで、胃が喜んでいる。
綺麗に飲み干し、杯をドルジさんにお返しする。彼も凄い笑顔だった。
ふっ、これで協力して亜竜討伐への一歩を踏み出せたか。良かった良かった。
「王国から来た方で飲み干してくれた方は何年ぶりか。嬉しく思いますよ、シュミット殿」
「いえ。大変美味しいお酒でした。お礼を言わせて頂きたいぐらいです」
とても『美味しかった』とも。この程度で音を上げる王国の外交関係者には少し情けなく思うが、自分の株が上げられたのは喜ばしい事だ。
「そう言われると『乳を出した』私も少し照れますな!」
「……はい?」
照れる様に笑うゾリグ様に、自分の笑みが固まった気がした。
「おや、ご存じなかったのですか?我ら牛獣人は大切な客人をもてなす際には氏族長かその長子の出した乳を振る舞うのです」
なんで、ほこるように、そんなこと、いうの?
ドヤ顔で己の胸を張るゾリグ様。うんうんと笑顔で頷くドルジさん。そして壁沿いにいる他の牛獣人達。
最後にそっとこちらから目を逸らすお馬鹿様。貴様さては恋愛話に夢中で忘れていたな?
……今生で初めて、毒の入っていない食料を吐き出したいと思った瞬間である。
だが耐えろシュミット。ここでせっかく得た心象を悪くさせるなどもっての外。思い出せ、開拓村での暮らしを!!
あ、なんか普通に耐えられそう。よく考えればお爺さんの母乳と開拓村なら前者の方が百倍マシだな。
「牛は雌しか乳を出せませんが、牛獣人は男女問わず乳を出せます。これこそが我ら獣人がただの獣よりも遥かに勝る存在であるという、証明なのですよ!」
それでいいのか牛獣人。
ぐっとガッツポーズをする氏族長に、内心でそんな事を思う。もっとあるだろう。この天幕のしっかりとした造りとか、文化面で色々。
……いや、これもしかして他の獣人へのマウント?そうだとは思いたくないな。だとしたら余計にそれでいいのか、貴方達は。
「なるほど。浅学の身ゆえ、そちらの文化を不勉強でした。ですが美味しかったのは本当です」
更に笑みを強める氏族長。そして『え、マジかよ相棒』って顔でこっちを見てくるお馬鹿様。
その顔やめろお馬鹿様。てめぇ泥水にその辺の雑草を入れた開拓村スープ飲ませんぞ。
「では早速ですが、亜竜についてのお話を」
これ以上お馬鹿様が馬鹿面を晒す前に、話を進めるとしよう。
そう思い意識して表情を真剣なものに変えれば、天幕の空気も張り詰めたものへと変わった。
「そうですな。そう致しましょう。それで……率直に聞かせて頂きたい。王国からはどれほどで援軍が到着しますかな?」
「軍となれば、到着までに最低でも一カ月以上かかるかと」
「そう、ですか……」
予想していたのだろう。あるいは日頃の王国との話し合いで決まっていた事なのか。氏族長は大きく驚く事もなく頷いた。
だが天幕の空気が一段重くなったのがわかる。壁沿いにいる初老の牛獣人達がチラチラと顔を見合わせ、不安そうにしていた。
……やはり、被害は既に大きいか。
「現在、亜竜は我らの本来の移動ルートを荒し更なる血肉を求めて暴れております。このままでは、牧草の減少で家畜が飢えてしまう前に我らが食い殺されるでしょうな」
「亜竜は、それほどまでに強いのですか?」
「ええ。既に我らが誇る精鋭が戦いを挑み……三度、破れております。優秀な戦士達が既に半分以上あの怪物の腹の中に」
三度……!
この様子だとかなり圧倒されているだろうに、そんなにも戦う気力を持っていたのか。その上、軽く見ただけだが天幕の数は少なくない。非戦闘員が撤退できるだけの戦闘は可能だったという事だ。
益々欲しいな、牛獣人の騎馬隊。
「……これも、武に生きた一族の定め。銃の時代に入った今、我らはここまでなのでしょう」
「氏族長」
ゾリグ様の言葉に他の獣人達が反応するが、しかし彼は小さく首を横に振った。
「せめて最期は、誇り高く戦い散ろう。ドルジよ。そして同胞たち。各家に伝えよ。もはやこれまで。女子供のみを王国側に逃がし、戦える男衆は全員であの怪物に一矢報いると」
「しかし氏族長。まだ他の氏族から返答は来ていません。まだ諦めるには早いかと……!」
「そうです。狐獣人や猫獣人の奴らだっています。あいつらはエルフ程ではありませんが、魔法の使い手です」
「勝ち目はありますよ、氏族長!」
「いいや。彼奴らは来ぬよ。我ら牛獣人の弓が、獣人達の持つ武器で最も破壊力を持つ。それが効かぬ相手に挑むほど馬鹿でもない。堂々の膂力を持つ猪獣人も遠い位置にいる。となれば、これしかない」
「ゾリグ様」
決意を固めた様子の彼に、そっと声をかける。
「何かな、シュミット殿。できれば貴方には女子供を王国側に逃がすのを手伝って頂きたいのだが」
「いいえ。それはできません」
「……そうか」
ゾリグ様の目に、若干の失望が混ざる。
「いいや、無理は言わん。見ず知らずの獣人達を守る為に、この様な地にいたくないのは人間の性よな」
「恐れながら、そういう事ではありません」
「なに?」
静かな笑みを意識しながら、しかし瞳は真っすぐと彼の目に合わせた。
誰がここまで来て逃げるか。せっかく、牛獣人達が一斉攻撃を仕掛ける『好機』に間に合ったのに。
心臓が、亜竜の心臓が目の前にあると言うのに。
「自分達も亜竜との戦闘に参加させて頂きたいのです」
「……なに!?」
これは予想外だったらしく、ゾリグ様も他の獣人達も目を剥く。
「元より、自分達はただの伝令としてやってきたわけではありません。亜竜の首を落とす為に来たのです」
「そんな……何を言っているのか、わかっているのですかな?」
動揺していた彼も、流石は氏族長と言った所か。
すぐに瞳を鋭くさせ、こちらを見定める様に視線をじっと向けてくる。
「亜竜の脅威を甘く見ていらっしゃるのか。我らが弱いから負けただけだとでも?」
「いいえ。自分は竜種と交戦した事はありませんが、『ヴァンパイアロード』と戦った事があります。それに匹敵する怪物であると、考えておりますよ」
「っ……!?」
他の獣人達はいまいちピンときた様子がなさそうだが、ゾリグ様だけはたらりと頬に冷や汗を流す。
「よもや、あの噂は本当でしたか。新たなる聖女の正体は……」
「はて。聖女は聖女。僕は『剣爛のシュミット』です」
ニッコリと、あの新聞の内容と自分は関係ないと告げておく。もっとも、そうは思われないだろうが。
「剣と馬の扱いには自信があります。それと弓は扱えませんが、投槍にも心得があります。どうか、自分も亜竜と戦う権利を頂きたい」
「同じく。私も銃の扱いには慣れています。獣人の方々が火薬を好まないのは知っていますが、必ずや役立ってみせましょう」
隣で静かに話を見守っていたアリサさんも、真っすぐとゾリグ様の目を見つめる。
自分達の目に、彼は数秒だけ天を仰いだ。
「……神よ。創造の女神よ。これほどの戦士達を送ってくださった事に、感謝を」
そう言って、ゾリグ様がこちらに顔を戻す。
先ほどまでの最期を悟った老人のそれではない。獰猛な戦士の姿で。
「覚悟はいいのですな?」
「ええ。例えここで死んだとしても、自分自身の未熟故とアーサー様には伝えてあります」
情報報告の手紙に、そう言った旨を同封しておいた。
無論、死ぬ気はない。いざとなれば彼らを見捨てでもアリサさんと逃げる。だが、万が一の覚悟はしているつもりだ。
「よろしい。であれば、共にあの化け物を討ち取るとしましょう」
「ええ。必ずや亜竜を殺し、その心臓を抉りだして天に掲げながら王国に帰ってみせます!」
「なんと勇ましい……!流石はあのソードマンを討った御仁だ!」
自分で言ってからやや野蛮かと思ったが、彼らの文化的にそうでもないらしい。
さり気なく心臓を持ち帰れる言質はとった。後は、亜竜さえ討ち取れば───。
その時、天幕の外が騒がしい事に気づく。亜竜が来た……わけではないらしい。騒ぎはあるが、戦闘開始を告げるものではなさそうだ。
「どけ!親父!氏族長!」
どかどかと、天幕の中に入ってきた若い男。
二十代中盤ぐらいの彼は、牛獣人らしい大柄で筋肉質な体つきに鋭い角を生やした偉丈夫。しかし、体の各所に血の滲んだ包帯を巻いている。
「どうして人間の馬車が、それも火薬なんて臭いもん乗っけた物がある!あの『のろま』共が今更何しに来たってんだ!!」
そう怒鳴り込んで来た傷だらけの彼に、ゾリグ様は眉間に深い皺を寄せ、ドルジさんが頭を抱えた。
これは、もうひと悶着ありそうだ。
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