第八十二話 獣人の領域へ
第八十二話 獣人の領域へ
「………」
「………」
───ポゥ、ポォォ!!
汽笛の音を聞きながら、汽車に揺られる。
窓から見える景色もあっという間に文明の溢れた物から、草木が転々と見える自然へ。
そんな中、相棒の目がずっとこちらを向いている。
「……なんですか」
合流してからこっち、ずっと彼女は観察でもする様に自分の顔を見ている。
ハンナさんからの不意打ちで一時的に制御不可になった表情筋も、合流した頃には落ち着いた。何ならヴァンパイアの城で獲得した『演技』の技能も使っているので、表面上は普段通りにしか見えないはず。
この剣爛のシュミットに隙などない……!
「ねえ相棒」
「はい」
「ハンナさんと何かあった?」
窓枠に左肘をのせて頬杖をしながら、アリサさんがニヤニヤと笑いながらこちらを指差してくる。
落ち着け、シュミット。これはお馬鹿様の罠だ。
「別に。特に何も」
「唇は柔らかかったかぁい?」
「っ!?」
咄嗟に口を押さえれば、彼女の口笛が部屋に響く。
「マッジか、適当言ったら当たったよ!?」
「ちょ、今のなし!なしでお願いします……!」
「いやいや無理無理!え、遂に!?遂に踏み込んだの!?どっちから!ねえどっちから告ったん!?」
「うるさいですねお馬鹿様!これから仕事なんですけど!?」
「いいじゃん汽車だけでも四日かかるんだから!」
「そんなにかかるんですか!?」
「そうだよ。で、そんな事よりも先に告白したのはどっち!?花とか持ってった!?愛の告白の内容は!?」
「知りません!話しません!!」
「ははぁん、さては君が思わせぶりな事を言ってハンナさん側が思いを抑えきれなくなったパターンだなぁ!?かっー、罪な男だねシュミット君!!」
「見ていたんですか!?」
「いいや。君の様子を見ればわかるとも。いやぁ、そっかそっかぁ」
ご立派な胸の下で腕を組み、うんうんと頷くお馬鹿様。
「君らは何だかんだお似合いだと思っていたんだよ。強いて言うのなら寿命の差が問題だけど、愛の前にはそんな事関係ないからね。むしろ恋人同士の間ではそんなものスパイスにしかならないんだよ!私は詳しいんだ!」
「何を言っているんですか貴女は!?」
「恋愛相談はお姉さんに任せなさいシュミット君!詳しいから!そういう本も演劇もたくさん見たから!!」
「ただの耳年増じゃないですかあんぽんたん!」
「にゃんだとぅ!?」
ギャーギャーと騒ぐ事十分ほど。
ぜえぜえとお互いに息を切らせながら、ゆっくりと喋る。
「……確かに、その、ハンナさんから告白されました。キスも、されました。責任はとると、答えましたけど……」
「断言するけどハンナさんは君の方から告白してきたって言うね。間違いない」
「そ、それは不可抗力というか……例の指南書が元で僕が転生者だと看破されました。その事を知ってしまったから、口封じをしろと首を差し出してきたので馬鹿を言うなと……彼女の腕がどれだけ自分に必要かを話したらですね」
「うぅわシュミット君。それはないよ。腕前を褒めちぎるのはドワーフにとっては愛の告白だって。前に教えなかったっけ?」
「教えていただきました……」
「なら先に告白したのはシュミット君だ。君の負けだよ」
「勝ち負けとかないでしょう」
「あるんだなぁ、これが。恋愛は先に好きになった方が負けで、告白は敗北宣言なのさ」
「何ですか、それ」
「この前読んだ娯楽本に書いてあった!」
「焚書すべきですね」
「そこまでぇ!?」
むしろこのお馬鹿様の恋愛脳も一緒に燃やした方がいいかもしれない。
「いやぁ、何にせよ私もこれで肩の荷が少しおりたよ」
「は?何を保護者みたいな事を言っているのですか、貴女は」
「いやいや。真面目な話、私の寿命ってそんな長くないじゃん?」
へらへらと笑いながら告げられた言葉に、自然と眉間に皺が寄る。
その事にアリサさんが気まずそうに目を逸らしながら、しかし撤回する様子もなく言葉を続けた。
「だからさ、私が死んだ後にも君と一緒にいてくれる人って必要でしょ?シュミット君、一人になるとあっという間に野生化しそうだし」
「人を獣みたいに言わないでくれます?それに、別にそんな事は貴女に気遣われる必要などありません」
───ここで、『龍は貴女の限界が来る前に自分が討つ』と言ったらどうなるのだろう。
考えるまでもない。彼女が何かをする前に、自分で自分を殴りつける所存だ。奥歯をへし折るつもりでぶん殴る。
我が身は可愛いが、それはそれ。彼女の『覚悟』を揺るがす様な事を、言いたくない。
そう、覚悟だ。彼女のそれはただの自殺志願ではない。
青い血の人間として、その責務を果たす為の気概だ。亜竜となって周囲に与える被害も考えた上で、決断した事だろう。自分と共に歩いた時間など刹那に思えるほどの時間、十年以上を家族と話し合ったうえで決めた事なのだ。
その覚悟を他人が揺るがしていいはずがない。そんな事をする輩がいたら、自分がまず殴り飛ばす。
「僕と貴女は『相棒』です。頼る事はありますが、頼りっぱなしはごめん被りますよ。ましてや今後の人生まで面倒みられるのは不愉快です」
「言うねぇ。ま、確かに大きなお世話だったかな。で、結婚式はいつ?」
「気が早すぎます。それに……その」
「なになに、どうした?お姉さんに言ってみ?」
「誰がお姉さんですか。……ハンナさんから、お前の正妻になる気はないと言われました」
「……んん!?」
アリサさんが気色の悪い笑みから、白目向きかけの馬鹿面に変わる。
そっちの方が似合っていますよ、お馬鹿様。
「待って待って待って!どゆこと?」
「僕の嫁の立場は面倒ごとが多すぎて、鍛冶に専念できなさそうだからと言われました」
「あ、それはありそう」
「そんなにですか……」
「そりゃそうだよ」
ハッキリとアリサさんが頷く。
「シュミット君は私の実家から身分を保証されているわけでしょ?たぶんどこかの家……もしかしたらそれこそ私の家の名誉騎士になるかもしれない。名誉騎士は一代貴族だけど、そこから他の騎士の家の娘と結婚したりでその子供が正式な貴族扱いになる事もあるんだ」
「え、そうなんですか?」
「そうなんだよ。で、そういう事になると君は大変だよぉ?名誉騎士の段階で覚える事もやらなきゃいけない事もたくさんだ。奥さんになる人はそれをサポートしなきゃいけない。面倒ごとは目白押しだよ」
「な、なるほど……」
自分はこれまで『成り上がる』事だけを考えていたが、そこから先の考えは甘かったかもしれない。
なんせ前世でも貴族の暮らしなんて映画やアニメの中でしか知らない事だ。あまりイメージがわかない。
「そう言う事なら、正妻ポジの人が他に必要かぁ。最悪お兄様が嫁の斡旋ぐらいしてくれるかな?恩を売れるわけだし。何よりこういうのは主家側の責務でもある」
「そ、そう言うのはまだ早いかと……」
「だね!君にはまだまだこの天下一の天才美少女、アリサちゃんの相棒としてバンバン活躍してもらわなきゃなんだから!!」
サムズアップしてくる彼女に、小さく肩をすくめる。
ハンナさんが『アリサさんと自分が出来ている』という誤解をしていたという話は、言わない事にする。
何となく、この人は自身が結婚をするという考えを持たない様にしていると思ったから。
理由も想像がつく。貴族の婚姻は子供を作る事も含めた義務。亜竜化現象の生贄になった身で子供を産めば、次の生贄はどうなるのか。
更に言えば、公爵家の血を広げ過ぎると呪いの指向性にも影響が出るかもしれない。そうなればこの国は終わる。統治者も守護者も一斉に怪物となるのだから。
故に、この人は自分の恋愛については考えないつもりなのだろう。
あるいは、『未練』を増やしたくないからか。
だったら他人のそういう事にも口を挟むなと思うが、言っても無駄だろう。なんせお馬鹿様だし。
「うん?なんだいシュミット君。私の美貌に見惚れちゃった?」
「いえ。やはりお馬鹿様はお馬鹿様なんだなぁっと」
「あ゛あ゛ん?喧嘩売っとんのなら買うぞわれぇ」
「どこのチンピラですか」
「なんじゃごらぁ。自分の方が美少女面や言いたいんかぁ?」
「ふぅぅ……よし、その喧嘩買います」
「上等じゃこらぁ!で、どれやる?チェス?ポーカー?」
「二人でカードゲームは嫌ですよ。チェスにしときましょう」
「オッケー。コテンパンにしてやるけんのぉ!」
「……その言葉遣い、どこで覚えたんですか?」
「お爺様に読んでもらった本!」
「公爵ぅ……」
* * *
アリサさんの気に入っている娯楽本の話やら、彼女の謎の恋愛知識を聞かされて汽車に揺られる事四日間。
更にそこから馬車で三日。草原に出て、遂に獣人達の領域に踏み入る。
見渡す限りの平原。所々に背の高い木はあるものの、ただただ緑が広がっていた。
道もなく、しかし各所に建っている旗を目印にして移動して、遂に天幕らしき物が見えてくる。
「さぁて。どうなるかな、相棒」
「どうも何も、まだ何とも言えません」
一応、イチイバルを出る前にアーサーさん宛ての手紙は出した。とっくに届いていると思うが、この独断専行を公爵家が追認してくれる事を祈るばかりである。
まあ、あの人なら上手くやってくれるだろう。
自分はただ、斬る事しか能のない男だ。やるだけやって、斬れなかったらまた別の方法を考えよう。
馬車の御者台で手綱を握りながら、こちらにやってくる獣人の元へと向かった。
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