第七十九話 情報交換
第七十九話 情報交換
「んシュミットぉおおおおおお!!」
視界に入った瞬間、その無駄に整った面にアホみたいなキス顔を浮かべたアーサーさんが助走をつけて跳びついて来る。
その顔面に無言無表情で拳を突きだした事を誰が咎められようか。
「な、何をしとるんだ貴様ぁあ!?」
いた。イチイバル男爵である。
「こういうコミュニケーションもあると最近聞きました」
「誰だそんなアホなコミュニケーションを教えた奴は!」
「賞金首だった男です」
「そんな奴の言葉を真に受けるな馬鹿者ぉ!!」
ごもっともである。
冷や汗を流しながら顔を真っ青にしているイチイバル男爵の横で、潰れたカエルみたいに倒れていたアーサーさんがすっくと立ちあがる。
彼は軽く白スーツの汚れを払い落としながら、キラリと白い歯を見せた。
ついでに鼻血も流していた。
「はっはっは。気にしないでください男爵。これは『つぅんでれ』というやつです」
「お、おお。セルエルセス王が手記に残していた、あの!?」
「ええ。これも私と彼の仲の良さゆえですとも」
「それほどの間柄だったとは……やはり、あの噂は……!」
全力で違うと言いたいが、それをやると本当に自分の立場が危ういので自重した。
「申し訳ありませんが男爵。また庭園をお借りしても?」
「もちろんですとも!……ベッドも用意させますか?」
「それはまだ結構ですよ」
まだって何だ。まだって。寝具が必要になるとしたら僕がこのお馬鹿様三号の手足をへし折った時だけだ。
何やら納得した顔で引き下がるイチイバル男爵。どうしよう、理性はアーサーさんと二人きりにならないといけないと理解しているのに、本能が嫌だと告げている。
ちょっと男爵、意識を失った状態で肉壁として一緒にいてくれないかな……。
そんな大変無礼な内心を口に出せるわけもなく、男爵邸の庭園に。
「さて、久しぶりだねシュミット」
「ええ、お久しぶりです」
「では、とりあえず君を抱きしめてキスをしていいかね?」
「その瞬間僕は貴方の顎を割ります」
「はっはっは!拳じゃなく剣に手をかけているのは気のせいだよね……?」
一応こちらが白魔法で治してやった顔に冷や汗を浮かべる彼に、ニッコリと笑みを浮かべてやる。
気のせいや冗談の類と思うかどうかは貴方次第だ。
「お、おほん!ま、まあ。それだけ君に感謝しているという事さ。まさか、こんな『吉報』が届くとは思っていなかったからね」
「恐縮です。早速ですが、とりあえず件の鍛冶師から聞けた情報を纏めた物です」
「読ませてもらおう」
メモ帳を渡せば、アーサーさんはすぐに受け取って内容に目を通していく。
先ほどまでのふざけた空気はない。ギラギラと瞳は輝き、真一文字に結ばれていた口が三分ほどして開かれた。
「これはまた、難儀な材料だな」
「ええ。一応材料さえ揃えてもらえれば件の鍛冶師は同じ物が作れると。いざとなれば、公爵家お抱えの鍛冶師達にも手を貸してもらう事になるかもしれません」
「それは構わないよ。里長クラスの腕を持った者達を抱えている。最近は剣よりも銃に力を入れているが、勘を取り戻すのはすぐだろう」
「それは安心しました。彼女を信じていないわけではありませんが、念には念を入れたいので」
「……時に、シュミット。酷な事を聞くようだが」
「お察しの通りです」
彼の疑問を先読みし、答える。
「同じ武器を使っても、僕では聖女の様に相討ちに持っていく事すらできない」
聖女の剣技を使ったからわかる。彼女と自分では、天と地ほどの差があると。
純粋な技量では勝っていると思う。過去の人物なので実際の腕前はわからないが、恐らく外れてはいない。
だがそれ以外の全てで負けている。
膂力で、頑強さで、速度で、魔力で。そして己の命さえ投げ捨てる覚悟で。
ダミアンが心身ともに深手を負ったのがわかると言うもの。むしろ、それで済んだ彼を賞賛すべきかもしれない。
それほどまでに、聖女は強い。そして彼女でさえも相討ちが限界だったのが、ドラゴンという生物だ。
「そうか……」
「ですが『鍵』にはなるはずです。ヴィーヴルの件、そちらも情報収集をして下さっていると思いましたが」
「無論だとも」
そう言って彼が差し出してきた、折りたたまれたメモ。それを受け取り中に目を通していく。
内容は以下の通り。『龍を打倒したのは聖女である』『聖女の遺体と武装は里で保管している』『それをゲイロンド王国に差し出す気はない』。
「一応うちが持っている外交ルートを使ってチャンネルは開いたままだが、やはり我が国は嫌われているな。よほどセルエルセス王の蛮行に腹を立てているらしい」
「でしょうね」
「私でもブチギレる自信があるからな」
二人して頷く。本っ当にやってくれたなあの下半身脳。
帝国の侵略を跳ね返したのと奴隷制の撤廃運動だけは感謝しているが、それ以外は心の底から『地獄に堕ちろ』としか言えん。
「ご丁寧に、ドルトレス王が聖女の遺体と彼女の武装をヴィーヴルが管理する事を認める密約の手紙まで寄こしてきたよ。無論、写しだったがね」
そこも予想通りだったか。
「教会のルートを使わなくってよかった。ただでさえ政府は手一杯なのに、ここで教会とまで事を構えなければならないのは困る」
「……他に、事を構える必要のある所が?」
「帝国だ」
彼の言った国の名に、眉をひそめる。
なるほど、そう言えばリリーシャ様の護衛依頼の時に随分と仕掛けてきていたな。
「エルフの姫君の一件。彼の国が無茶な工作を仕掛けて来たのは、どうにも一大攻勢があるからの様だ。向こうに入れている密偵から、人と食料に大きな動きがあると連絡が来たよ。王国に仕える密偵からも同様の話が届いた」
「まずいですね」
「ああ、非常にまずい」
アーサーさん、いいや公爵家としては龍に関して二年以内に片を付けたいはずだ。
だが戦争となればそちらに力を入れなければならない。二百年続いた小康状態が、遂に破られようとしている。
突然とも言える話に、正直現実味を抱けない。
「それとこれは教会戦士達からの噂なのだが……君が倒したヴァンパイアロード。そいつがメッセージを送ろうとしていた相手は帝国側に逃げたらしい」
「それは……」
「我が国の教会が帝国の教会に問い合わせているが、『問題ない』の一点張り。現在海路で西の国々に話を持っていき、あちらからも帝国の教会に話を聞いてもらおうとしているが……」
「嫌な予感がしますね」
「恐らく予感では済むまい」
ため息が出そうになるが、男爵家の使用人さん達が命令を待って声が届く距離にいる。ぐっと堪えた。
まったく、黒魔法という奴は本当に厄介だな。
人の精神に干渉するだけでなく、『死』にさえも手を出せてしまう。帝国のお偉いさんが溺れるのも無理はない。
「現在はこちらの教会上層部が頭と胃を押さえながら対策を協議しているよ。彼らも急ぐだろうが、すぐには動けないだろうな」
「益々厄介な事になりましたね」
「そうそう、教会から君への謝礼の品も遅れるらしい」
「そこは別にどうでも良いのですが……それより、教会に帝国を押さえてほしいですね」
「残念ながら宗教が政治に与える影響は無視できないが、万能ではないのだよ。もしもそうなら、私の様な者は困るがね」
苦笑を浮かべる彼だが、もはや笑うしかない状況だ。
世界の防衛機能とやらよ。もう少し仕事しろ。ドラゴンを殺して欲しいのならもっと力を貸せ。
「それで、先ほどの材料はどれぐらい集められそうですか?」
「まずエルフの族長の毛髪なら手に入るはずだ。簡単ではないが、裏でなら金銭や物品の取引でどうにかなる。問題はそれ以外だ」
「ヴィーヴルの宝石眼とか、ミスリル鋼とか公爵家の蔵にありませんか……?」
「ミスリル鋼ならそれを使った美術品が少しだけ。剣を打てるだけは無いかもしれん。大変貴重な物だ。王国でもそれほどの量はない。それと、数百年も生きたとなれば里長クラス。そんな存在の宝石眼は無理だ。そんな物を持っていたら、それこそ『彼女ら』と戦争になる」
「……そもそも、ヴィーヴルとはどの様な種族なのですか?」
そう問いかければ、アーサーさんは少し意外そうにこちらを見てきた。
「知らないのか?君なら私より詳しそうだが……」
「まだ街に出てきて一年も経っていないので」
「そう言えばそうだった。君の活躍が華々し過ぎて忘れていたよ」
軽く肩をすくめてから、彼は続けた。
「ヴィーヴルには五つの特徴がある。一つ目は『龍に似た翼と尾がある』事。二つ目に『額に眼球以上の能力を持つ宝石に似た器官がある』。三つ目に『獣人を超えた身体能力とエルフなみの魔力』。四つ目に『エルフ以上の寿命』。最後に、『女性しか生まれない』事だ」
「……本当にいるんですか、そんな種族」
「ああ。ちなみに体型は大半がボンッキュボンらしいぞ」
……エロゲかな?
「女性しか生まれない関係上、余所から種を持ってくる必要がある。だから我が国を嫌いながらも、交流を続けているのさ。二十年に一度、彼女ら主催で武闘大会が開かれる。各種目の入賞者はヴィーヴルの里に招かれ五年間の『子作り』に協力し、見返りとして金銀財宝を手に入れる」
「……そうですか」
「出たくなったかね。その大会に」
「ノーコメントでお願いします」
それにしても、セルエルセス王が何故『俺の子種をやろう』と言って侵入したのかがわかった。
彼女らにとって人間と関わるのは子種を貰う為。自分の種こそがヴィーヴルにとって最も欲しいもので、龍の肉を貰う為の交換材料になると思ったのだろう。
……いややっぱ無理だわ。一国の王が実質他国であるヴィーヴルの里に不法侵入している段階で戦争ものだよ畜生。
「残念ながら次の大会が開かれるのは九年後だ。今年か来年に開かれるのなら君に全種目優勝してもらって、種の代わりに宝石眼やら聖女の武器やら要求してくれないかと考えるのだがね」
「それ、僕にメリットは?」
「無論公爵家から多額の報酬は出すとも。ついでに、ヴィーヴルはエルフに匹敵する美人揃いだぞ」
「……ノーコメントで」
「個人的には君がセルエルセス王の様に節操なく腰を振るのは不愉快だが、これも外交の一環と考えれば納得もいく。ま、何にせよ大会はまだ先だがな」
「教会からヴィーヴルに交渉してもらう事はできませんか?」
「無理だ。教会に説明できない。あちらとしても、聖女の遺体とその武装の所有を王家が勝手に決めたとなれば面子の為に拳を振り上げなければならない。神の家でも現世にあるのなら、俗世の面子は必要なのさ」
「でしょうね」
困った……本当に困った。
できれば、使いたくない手が浮かぶぐらいには困った。
「一つ質問が。そのヴィーヴルは龍と聖女にどの様な感情を持っていますか?」
「あいにくと確定情報ではないが、ドラゴンに対しては『畏れるべき存在』。聖女に対しては『救世主』の様に崇めていると、私は感じているよ」
「……ヴィーヴルに僕の写真を送ってください。聖女の剣技を使ったという文章も添えて」
「写真もかね?」
「ええ。……聖女と交戦した吸血鬼に、彼女そっくりの容姿だと言われましたので」
「それはそれは……」
チェシャ猫の様な笑みをアーサーさんが浮かべる。
「諸々が上手く行ったら、報酬に期待してくれたまえ。一代貴族よりも上のものを用意しよう」
「程々に期待していますよ」
捕らぬ狸の何とやら。上手くいくかもわからないのに成功報酬に期待するほど夢見がちではない。
「と言っても、ヴィーヴルとて里長の宝石眼を簡単にくれるとは思えない。彼女らにとってあの宝石は最も大事なものだ。アレを失ったが最後、自死する場合もあるらしい」
「それほどですか」
「ああ。かと言って聖女の武装も簡単には手放すまい。なんせ国宝だからな」
国宝ってそれかぁ……。
セルエルセス王、よりにもよって聖女の遺体と武装にまで手を出そうとしたのか?
意図はわからないが……絶対に碌な理由ではない。僕の勘がそう告げている。
「ヴィーヴルとミスリル鋼については私の方で動こう。それで、一番の問題だが……」
そこで、アーサーさんが言葉を詰まらせた。
数秒沈黙した後、彼は能面の様な無表情で口を開く。
「……『二年後』に、亜竜の心臓を回収する事になるかもしれない」
「それは……」
「最悪の場合、そうする」
断言した彼が、こちらを見下ろしてきた。
「公爵家の一員として、これは譲れない。他の手段で入手が不可能だった場合、王国に残る呪いと言う名の爆弾を処理する為、龍を殺せる手札が必要なのだ」
「……否定も責める気もありませんので、泣きそうになるのはやめてください。使用人さん達の目があります」
軽くアーサーさんの脇腹を小突いた。
ここで突然泣かれでもしたら、彼らも体調に何かあったのかと心配で寄ってくるだろう。
「……これでも腹芸には多少の心得があったのだがね。武術の達人には隠せなかったかな?」
「いいえ。誰が見ても、顔から出す物全部出すのを堪えている様に見えたと思いますよ」
「はは、それは参った。これではいずれ公爵家を継ぐ者として失格だな」
自嘲する様に笑うアーサーさんに、小さく首を振る。
相棒をあえて亜竜にする考えは彼の立場上仕方のないものだし、それを悲しく思うのも当然の事だ。恥に思う必要などない。
と言っても、自分に貴族として必要な能力などわからないが。
「僕は、そこで感情一つ動かさない人よりは好きですよ。貴方みたいな人」
「え、告白?」
「殴ります」
「うぉう!?冗談!冗談だよシュミット!」
ちっ、避けたか。
突きだした拳は空を切り、彼は上体だけ仰け反らせた状態で顔を引きつらせる。
渋々腕を引っ込めれば、二人して近づいて来ようとする使用人さん達に軽く手を振って『問題ない』と伝えた。
「はぁ……まったく。どこかに殺しても心の痛くない亜竜が転がっていないものかね」
「いたらいたで困りますよ。やたら強いと聞きますし」
「それもそうだ。文献でしか知らないが、厄介な生物らしい」
「……そう言えばその文献、どうやって亜竜の事を?もしかして」
「残念ながら、亜竜の死体はないよ。この文献は黒魔法使いの根城を教会が調査した時に出て来た物と、ドルトレス王の研究データをもとに導き出しただけに過ぎない。実際の目撃例は遥か昔。黒魔法使いが何らかの術で亜竜を作り出したという話だ」
「そう、ですか」
上手い話など転がってはいない、か。
「いっそ黒魔法使いを利用するのは?」
「無理だ。それこそ教会に殺される。彼らと戦うのはごめんだぞ。こんな時に」
「ですよねー」
また、二人してため息を吐く。
それから二時間ぐらいああでもないこうでもないと話を続けて、今回はこの辺りでという事になった。
「ではな我が愛しのシュミット。君を思って今日も枕を濡らすよ」
「そのまま脱水症で死んでください。……アリサさんには会っていかないのですか?」
「……やめておくよ」
お馬鹿様には似合わない、儚げな笑みを浮かべてアーサーさんが首を横に振る。
「私は未熟者だ。貴族としての『覚悟』が緩むような事はしたくない」
「そう、ですか」
きっと二年後の事を言っているのだろう。
その覚悟とやらが無駄になる事を、祈るばかりだ。
……偶には、教会にでも行ってみるか。
男爵邸からの帰り道、街の教会に足を向ける。思えば黒魔法使い関連での話以外では行った事がなかった。
神頼みなど、あまり気乗りはしないのだが……女神様の実在を知ってしまった身としては、馬鹿にもできない。
軽く伸びをしながら、地上にある神の家とやらに向かった。
───その祈りが通じたのかどうかはわからない。
だが、『もしや本当に女神様が聞いていたのか』と疑う様な話が自分の元へと飛び込んでくる。
それは、アーサーさんと話した翌日の事だった。
読んで頂きありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。励みにさせて頂いております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。