第八話 ライカンスロープ
第八話 ライカンスロープ
森は個々にその表情が細かく違う。
前日に倒れた木があって道を塞いでいるとか、雨で崖が崩れているとか。場所と日にちだけで細かく変わるのだ。
それを普段村で暮らす人間が把握するのは難しい。しかし、常に森や山で過ごす動物たちは違う。
鹿の通り道を探れば、不自然に避けている箇所がある程度絞り込めるというもの。更にはそこが水場から丁度良い距離となれば、何者かのテリトリーだと察する事もできる。
開拓村でもよその山から来た若グマを避け、鹿達の移動ルートが変わったものだ。
「……いや、鹿とか野兎の通り道ってそんなほいほいわかるものなの?」
「初見の山や森だと少し大変ですが、今回は現地の狩人達から話が聞けたので」
森の中を進みながらアリサさんに答えた。
狩りの時に会話をするのは、少し違和感を覚える。村にいた頃は水で体を清めた後は一切喋らないのが習わしだったから。
だからか、無意識にボソボソと小声で返した。
「ここの狩人が勤勉な人達で助かりました。必要な分だけ狩りをし、その記録を残す。おかげで森の変化がわかりやすい。森コボルトにつけられたという怪我が早く治る事を祈ります」
「あ、怪我と言えば。ライカンスロープの牙には気を付けてね」
「はい?」
どういう意味かと振り返れば、アリサさんが真剣な表情で続ける。
「奴に噛まれた動物は凶暴になるんだ。それこそ、手足が折れても向かってくるぐらい」
「……狂犬病ですか?」
「いいや。近いけど別のものらしいよ。何故かライカンスロープの配下になり易くなる効果もあるしね。一応薬師さんに診てもらうか教会で『白魔法』を受ければ治るんだけど、それまでの間に狂い死ぬ人が多い」
「……わかりました」
白魔法とか色々と聞きたい事があるが、森の中で長話をしたくない。後で聞く事にしよう。
「他に注意点は?」
「ライカンスロープと、それに噛まれて配下にされた奴はしぶとい。普通なら動けない様な傷を負っても襲ってくるって言われているんだ。完全に死ぬまでは気を抜いちゃいけない」
「承知しました」
頷いて返す。なるほど、村長が止めるわけだ。
クマなみかそれ以上の強さに、凶暴な配下を作る毒。そのうえ今回の様に配下を作って群れとして行動する。間違いなく強敵だ。昨晩の野盗の様にはいかないだろう。
だが、個人的には悪くない。
殺しは良い経験値になるが、より強い『生物』であればなおの事。文字なりなんなり、欲しい技能は幾らでもあるのだ。
金稼ぎと人助け、そこに経験値も加わるのだから自分にとっては一石三鳥。無事に狩る事ができれば、だが。
油断せず、鹿たちの移動経路を探りそれが狩人達の記録から不自然に逸れた場所を探っていく。
そうしていけば、枝についた灰色の体毛が見つかった。
村を出ておよそ二時間。狼の行動範囲は広いが、森コボルトはそこまでではなかったらしい。
「アリサさん。これ、狼の毛に似ているのですが」
「マジか。さっすがー、シュミット君」
ニンマリと笑い銃を抜いたアリサさんに、自分も剣に手をかける。
「現在僕達は風下にいますが、既に奴らのねぐら近くと考えた方がいいですね」
「OK。ここからどうする?」
「そうですね……狼は基本的に明け方や夕暮れ。もしくは夜間に行動するのが主です。森コボルトやライカンスロープはどうなんでしょうか」
「ごめん、そこまでは私も知らないや」
「そうですか……」
現在は午後の三時頃。はたして、魔物の類を普通の狼と同じに考えていいものか。
「……村長さんの話では奴らが家畜を襲うのは夜だとか。昼間は動きが鈍いと思います。そして、昨晩にも被害があったばかり」
「よーし、じゃあ今のうちに行っちゃうか!」
「声が大きいです」
「ごっめーん……」
ゆっくりと移動していけば、乾いた土手が視えてくる。
その周辺には雑草が少なく、足跡と何かを引きずった後。何よりも血の跡があった。
間違いない。あそこに森コボルトとライカンスロープの巣穴がある。
木の陰に隠れ地に伏せる様にして耳をつけた。自分の呼吸音や心音すらも無視して、それ以外の音を拾い上げる。
……いる。呼吸音は九つ。うち一つは他のと違うが、これは起きているのか?見張りをつける知能があるらしい。
できれば巣穴の入口に罠ぐらい用意したかったが、この位置では何かした段階で気づかれるな。
地面から耳を離し、アリサさんに小声で話しかける。
「あそこにいます。戦闘用意を」
「わかった」
左右にわかれ、土手にある横穴を見やる。
アリサさんがピストルを抜き撃鉄を起こすと、その音に反応したのか中の気配が動いた気がした。
だが、それよりも先に彼女が銃口を穴の中に向ける。
────ガガガァン!!
一瞬、一発だけ撃ったのかと思った。だが彼女の手の動きから三発撃ったのだと理解する。
引き金を引きっぱなしの状態でハンマーを動かしていた。よくわからないが、あれで連射できるらしい。
『ヴゥオオオオオオ!!』
一体の森コボルトが巣穴から出て来た。頭とわき腹から血を流し、普通の獣なら逃亡を考えそうな傷。だと言うのに、真っすぐとアリサさんに向かっている。
それを横合いから首を刎ねれば、続いてアリサさんが発砲。次に出て来た個体に三発撃ちこんで殺したらしい。
その個体も倒れながら、しかし這いずってこちらに近づこうとしていた。なんという執念。これがライカンスロープに噛まれた獣の姿という事か。
「残りの数わかるぅ!?」
「およそ五体!うち一つがライカンスロープ!」
彼女の問いに答えた直後、一際大きな個体が飛び出してくる。
二メートルは優に超える巨体。横幅も自分の倍はあり、全身を灰色の体毛で覆った二足歩行の狼。
『ブァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』
なるほど、これがライカンスロープか。
「シュミット君!?」
それに対し前へ出た自分に、背後からアリサさんの驚いた声が聞こえる。
たしか、六発撃ったらもう一方の銃に交換すると言っていた。その隙を無くすため後退しているのもあり、すぐに次の攻撃ができないのだろう。
故に、その隙を補うのが自分の役割だと思った。何より。
「すぅ……」
呼吸を整え、踏み込む。
確かに自分の『チート』はセルエストス王に及ばないが、それでも『反則』と言えるものだと自負している。
『ヴァア゛ア゛ア゛ア゛────ッ!!』
振るわれた右腕。五指全てに鉈の様に鋭く分厚い爪が揃ったそれが、豪速でこちらの頭を狙う。
それに対して足を開き重心を落として回避しながら、剣を合わせた。
狙うは右手首。相手の力に合わせて刀身を走らせる。
木々の隙間から降り注ぐ陽光が刃を照らし、血飛沫が宙を汚した。
『ギャッ!?』
ライカンスロープが悲鳴をあげながら、しかしすぐさま左の爪を振るってきた。怯みすらしないとは。
だが、読めていた。奴の右側に滑り込む事で爪を回避。そのまま背後に回りながら右膝裏に踵を叩き込む。
蹴った足に重い感触が返ってきた。毛皮は硬く皮膚は分厚い。その上筋肉に覆われた体は切るのに苦労するが、切れないという事もない。
なら、殺せる。
『ガッ、ァァ……!』
片膝をついたライカンスロープの首に背後から剣を突き立て、貫く。
骨に刃が折られない様に注意しながら、傷口を広げる様にして引き抜いた。
それと同時に奴の傍から飛び退く。直後、致命傷を受けていると言うのに当たり前とばかりにライカンスロープは残った左腕を思いっきり振り回してきたのだ。
『ゴ、ボォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……!!』
首に空いた穴から血と空気を漏らしながら、ギラギラと目を輝かせるライカンスロープ。
奴と相対している自分をよそに、アリサさんも残りの森コボルト相手に発砲している。
できればあちらの援護にも行きたいが、はたして。
『オ゛、オ゛オ゛オ゛オ゛────ッ!』
ライカンスロープが真っすぐと自分に跳びかかってくる。
三百キロを超えるだろう質量を持った突進に、奴の右手側に逃れる。だが、その瞬間獣の口元が歪んだ様に見えた。
左腕の爪を地面に突き立て、ライカンスロープが急な方向転換をする。突進の勢いを殺さず、大口を開けてこちらの首を狙ってきた。
なるほど、やはり頭がいい。だが、
『ギッ』
開かれたその口に、剣を突き込んだ。こういった手はクマや狼だって使う。
柔らかい口の肉を貫き、脳へ。切っ先をぐるりと回しながら、ライカンスロープの肩を蹴りつけて引き抜いた。
倒れ伏すその姿を視界の端に入れながら、残りの森コボルト共を見やる。アリサさんはどうなって……。
「やるねぇ、シュミット君」
「これは……」
倒れ伏すコボルト達。よく見れば、ライカンスロープの後に出て来た個体は全て目か喉を撃ち抜かれている。その死にざまから即死だった事がわかる。
こちらに笑みを浮かべているとうの彼女は無傷。余裕のある立ち姿を見せていた。
強いだろうとはあの膂力の強さや野盗の一件で思っていたが、これ程とは。嬉しい誤算である。
「私だってやるもんでしょう?」
クルクルとトリガーガードに指をかけてピストルを回し、ホルスターにおさめるアリサさん。
彼女に軽く肩をすくめ、ライカンスロープの胸に剣を突き立てながら答える。
「ええ。素晴らしい腕前で」
「でしょ~?けど、まさかライカンスロープを剣で倒しちゃうとはね」
もう一回刺したが、反応はなし。よし、ちゃんと死んでいるな。
剣を引き抜き布で刀身を拭ってから鞘に納める。
「まあ、楽勝とは言い難かったですが」
「それでも凄いよ。普通、奴相手に銃以外で戦うとか自殺行為だし。ドワーフや獣人の戦士でも一騎打ちは無理じゃない?」
「ドワーフや獣人の事がそもそもよくわかりませんが……今は、撤収の準備をしましょう。魔物って何か剥ぎ取ったりできるのですか?」
「うーん、コボルトやライカンスロープの場合は毛皮かな。あとライカンスロープの方はギルドに首を持ち帰った方がいいかも。あんまり気乗りしないけど……」
「……?何故ですか?」
「いや、首を持ち運ぶとか何かヤじゃん」
「……なるほど」
前世の倫理観を思い返すと、確かにと納得した。
背嚢を降ろし、剥ぎ取りの準備を始める。
「あ、ちなみにライカンスロープの毛皮はかなりの高値がつくらしいよ」
「!!??」
彼女の言葉にギョッとしてライカンスロープの死体を見る。
右手首は切り取られ、胸には死亡確認の為に二カ所の刺し傷。首にも大きな穴が開いていた。
毛皮の売り買いには詳しくないが、とても高く売れる状態には見えない。
「し、知らなかった……」
魔物の皮とか大した値で売れんだろうと殺す事を優先し過ぎた。だって開拓村にくる魔物ってゴブリンとかスケルトンだけだったし。
「先に教えてほしかったのですが……」
「OK、シュミット君。常識を教えてあげよう。普通ライカンスロープ相手に毛皮目当てで正面から戦うとかないから。毒餌とかで仕留めた場合だけだから」
確かに毛皮の事を気にしながら戦える相手だったかと言われれば諦める他ない、か。毒の餌でとなると、今度は時間がかかり過ぎてあの村が危ないし。
後ろ髪惹かれる思いを抱きながら、ロープを取り出して手頃な木を探す。もうさっさと解体して森を抜けたい。獲物を狩ってからも森に長居するのは嫌いだ。
それに、ポジティブに考えよう。ライカンスロープを討ち取った経験値は大きい。剣術を上げるなり、字を覚えるなりに使えばいい。
クマを倒した時よりも多い経験値が入った感覚に頷き、そこでふと思った。
「あの、アリサさん」
「なぁに?」
「ライカンスロープの討伐報酬って、どれぐらいでしょうか」
「たぶん、三セルぐらい?コボルトの方も合わせれば二人で九セルだね」
「……それって、割に合っているのでしょうか」
ライカンスロープは強い。そのうえ、森コボルトも率いている。
大工の日当が一セル。つまり大工三日分の仕事がライカンスロープの首という事だ。これを普通の人が仕留めるのは、かなり大変だと思うのだが。
そう思い尋ねてみると、アリサさんはドヤ顔で親指を立てた。
「勿論、安い!」
「ですよねー」
あの村、結構儲けていると思っていたが……いや。儲けていたが、ライカンスロープのせいでかなりの被害を受けたのだろう。なんせ牛二頭に狩人達の負傷。村の存続を危ぶむ被害だ。余裕がないのも頷ける。
「普通こういう依頼だと、依頼した村とか街がそこに色を付けた額を提示しないと誰も受けてくれないよ。だって割に合わないもん。弾も人も結構かかるのさぁ」
やれやれと肩をすくめて首をふる彼女。
村への道中で聞いたが、アリサさんが使う金属薬莢はまだ珍しいものらしい。それを十二発つかって森コボルト八体を仕留めた段階で、一人頭三セルは少ない気がした。
つまり、最初からこの人は採算を考えていない。ライラさんもその事を踏まえて依頼を斡旋したな?
「不満があるなら私の分の取り分はシュミット君の物にしていいよ?」
「いいえ。こういうのはきちんと割らないと、後で面倒な事になります」
「それも開拓村の経験?」
「どちらかと言えば前世ですね。伝聞ですが」
よくテレビでお金のトラブルが原因で人間関係が壊れた話はよく聞くものだ。それを実際に体験するのはごめんである。
「僕としても、こういう依頼はメリットがありますので」
「おお!シュミット君も!?」
何故かハイテンションでこちらに寄ってくるアリサさん。
「困っている民草を助けてあげるのは気分がいいよね!承認欲求が満たされる気がする!舞台で見た主人公みたいで!」
「いえ、そういうのではありませんが」
「えぇ、違うのかよぉ」
頬を膨らませる彼女をよそに、太い木の枝にロープをひっかけた。
「貴女や他の冒険者と違い、僕なら剣で仕留められる分安く済みます。それに、経験値も入る」
「あー、そういうこと」
「……剣を買い替えないといけない時が少し不安ですが」
軽く柄を撫でる。
この剣、正直名剣の類でなく普通に大量生産品の一つだ。剣術の技能のおかげで研ぎなどはしっかりやったが、打ち直す様な事はできない。先の戦いで所々歪んだので、街に帰ったら鍛冶師を探さないと。
いや、今はまだ森の中。その辺は帰ってから考えよう。
「アリサさん、少し手伝ってくれませんか?」
「おうとも、任せたまえー」
「では穴を掘ってください。血とか内臓をそこにいれるので」
「お、おう。その時は私、周囲の警戒してるね」
「はい。お願いします」
ライカンスロープを引きずりながら、物凄い速さでロープを吊るした近くに片手用のスコップで穴を掘るアリサさんを見やる。
「そう言えば、貴女がこういう依頼を受ける理由は承認欲求の為なんですか?」
「んあ?そうだよー。別に、聖人みたいな理由じゃないのさ。見た目は聖女かもしれないけども!」
「はぁ、そうですね」
「うっわ心が籠ってない……。私なりに、家出娘やっている責任を果たそうかなっていうのも理由の一つだけどね。お父様は、私にそういう事しなくてもいいって言うけど」
あっという間に穴を掘り終えた彼女が、膝についた土を軽く払う。
「けど、何もしないって嫌じゃん?せっかくの人生なんだからさ!」
サムズアップするアリサさんの笑みに、少し視線を逸らす。
何というか、言うだけあって顔はいいんだよな、この人。紛れもない変人だけど。
「そうですか。あ、すみませんけど熱湯の用意もお願いできますか?解体に使いますので」
「い、いいけど私がお湯を用意する横でスプラッタな光景とか嫌だからね?」
「……わかりました」
「その間が怖いよぉ!?」
別に自分の血や臓物が出るわけでもないのに大袈裟な。いや、前世の価値観ではわりとショッキングな光景か?殺しはいいのに解体は無理とか、よくわからん。
薪を採りに行ったアリサさんの背を見送り、ライカンスロープを吊るしにかかる。
これも重労働だが、良い経験値だと気合を入れて奴の足にロープを通していった。
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