第四章 プロローグ
第四章 プロローグ
『『龍殺しの剣』を作った』
「───」
ぽかんと口を開けるアリサさんと自分。
次の瞬間、自分は咄嗟にハンナさんの肩をがっしりと掴んでいた。
「何て書いてあるんですか!?その剣は今どこに!?そもそもドラゴンを殺せたのですか!?」
「お、落ち着けシュミット。今、話す」
「そうだよ相棒。冷静に……冷静に、なるんだ」
アリサさんに肩を掴まれ、ハンナさんから引きはがされる。
彼女らの言葉にどうにか理性を引っ張り出して、己の胸に手を当てて深呼吸を数度繰り返した。
「……失礼しました。取り乱してしまい申し訳ありません」
「いや、いい。どうしてそんなに『龍殺しの剣』に執着するかわからないが……。ヨルゼン子爵がアタシの親父を殺したのと、関係があるのか?」
細められた赤銅色の瞳に、言うかどうか少し迷う。
だが、ここまでくれば彼女に黙っている理由などなかった。
「依頼を受ける際にも言った通り、第一エクソシストからドラゴンとアンデッドの間に何らかの関係があるという情報を聞いています。アンデッドと黒魔法は切っても切れない関係にある事から、ドラゴンと黒魔法使いにも何かがあるのかもしれません。ドラゴンを殺せる武器というのは、子爵にとって不都合だった可能性があります」
「そうか……あの時、子爵が言っていた『龍になる』という言葉は……」
アリサさんが気絶した前後の話は、ヨルゼンの街の復興を手伝う合間にハンナさんから聞いている。
子爵は『龍になる』と言っていたらしい。そうすれば家族を救えるのだと。
彼の家族の事は知らないが、彼の体には龍に近い鱗が生えていた。狂人が吠えた世迷言で片付けるには無理がある。
汽車で帰る途中、休憩で泊まった宿でアーサーさん宛てに手紙を出しておいた。この金庫の事も含めて。
今頃彼のもとに届いているだろう。彼の方も何か有益な情報を得られていると良いのだが。
「話を戻しましょう。その本には、なんと?」
「ああ……。この指南書には龍殺しの剣を作るのに、六人のドワーフが関わったって事が書いてある」
ハンナさんが視線を本へと戻し、ゆっくりと続きを語る。
「アタシの祖父の『ロック』……親父は『ロックジュニア』だったが、元は祖父の名前だ。そして『シュタイン』『ピエール』『リトス』『カーメイン』『ラピス』。この六人で、その剣を作ったと」
「待った。私の記憶が正しいのなら、ロックさん以外の五人はドワーフの各里の長だったはずだけど」
「ああ。アタシが生まれた里の長がシュタインだった」
ドワーフ族は複数の里が寄り集まって一つの集団となっていると聴くが……その里長達の名か。
この世界で勝手に地位のある人間の名前を使う行為は重罪である。場合によっては族滅すらあり得る程に。
しかも『腕』を重視する故に契約にも厳格なドワーフにとっては、許し難い行為だろう。
一族以外の者には見せる予定のない物に、わざわざ書くだろうか?あのドワーフ族が。
否が応でも期待が膨らんでいく。
「里長じゃ誰が上に立っても角が立つからって、長以外で一番腕が良かった爺ちゃんが主導で打った。貴重な素材と……普通じゃ手に入らない素材も使って」
「その剣は今どこに?」
「作られた後……『聖女』に渡したって書いてある」
聖女……!!
ここで、ここでなのか!?
なるほど、やはり彼女も自分と同類だったらしい。セルエルセスよりも更に前にいた『転生者』。女神の手で送り込まれた存在。
ならば、ヴィーヴルの里にある龍の死体は……!
「その後、聖女はドラゴンと戦い、相討ちになった……その遺体と、ドラゴンの死体はヴィーヴルの里で保管されている。そう書かれているが……何だこれ、爺ちゃんは酔っぱらってこれを書いたのか?」
訝し気に指南書を眺めるハンナさんだが、こっちとしてはむしろ信憑性が増した。
アーサーさん曰く、ヴィーヴルは王国の事は嫌いだが、教会に対しては比較的友好な態度をとっている。
もしかしたらそれは聖女に関係しているのかもしれない。
いや、待て……。そう言えば、セルエルセスがヴィーヴル相手にやらかした事があったとも彼から聞いたな。戦争に発展してもおかしくない様な事を。
ヴィーヴルの里に不法侵入したあげく、長であった女性に『俺の子種をやる』とか宣いながら神殿にまで侵入し、封印していた龍の死体から肉を剥ぎ取ってついでに国宝にまで手を出そうとしたとか。
戦争が起きない様に、ドルトレス王が秘密裏に交渉したともアーサーさんから聞いている。
……聖女の遺体の保管をヴィーヴルがする事を、ゲイロンド王家として認める。そんな事を条件にしたな?さては。
これならば聖女の墓地が無い事に説明がつく。こんな内容を世間に出せば、教会とゲイロンド王家との間で殺し合いが起きてもおかしくない。なんなら、ヴィーヴル相手に教会が武力を背景とした交渉をしかねないぞ……!
自分が会った教会の関係者は開拓村の神父さん以外、敬虔で善性を持った方々だった。そして開拓村の神父さんも、あの地では『紳士』であったとも記憶している。
だが、それ以外がわからない。前世に置いて『聖地』というのはそれだけで戦争の理由になった。聖女の遺体がどう視られるか想像もできない。
知らず、自分の喉は固い唾を飲み込んでいた。
「シュミット?」
「……いえ、何でもありません」
訝し気に眉を顰めるハンナさんに、小さく首を横に振る。
とんでもない厄ネタに気づいてしまった気がするが、確証はない。何より、これを言いふらさなければ問題ないのだ。
「ハンナさん」
がっしりと彼女の肩を掴む。
ドワーフであり人間の女性よりも頑強で、鍛冶仕事をしている分筋肉質な感触。しかし自分のそれと違ってどこか柔らかさもある。
ハンナさんがギョッと目を見開いてこちらを見てきたので、正面から視線を合わせた。
「なっ、なにを」
「聞いてください」
「あ、ああ……!」
眼鏡越しに見える赤銅色の瞳が左右に揺れている。
何やら頬が少し赤らんでいる気がするが、たとえ体調に不安があっても聞いてもらわねば困るのだ。
距離を取ろうとする彼女を逃すまいと、肩を掴む手に少しだけ力を籠める。
「大事な話です」
「まっ、おま、今は……!」
「絶対に今の話を余所でしないでください」
「……あ゛?」
三白眼でこちらを睨んでくる彼女に、心を籠めて説得する。
「詳しくは言えませんが、貴女の為でもあるんです。特に聖女の遺体がヴィーヴルの里にあるという部分は、絶対に喋ってはなりません。いいですね?」
「……おう。わかった」
何やら冷めた目でこちらを睨みながら、肩を掴んでいる手を外してくるハンナさん。
はて。まさか……いや、ないな。
自分が彼女から好かれる要素などない。ドワーフは『腕』を恋愛の基準にすると聞いた。
彼ら彼女らの腕と言えば、鍛冶や細工仕事の技量だろう。自分はそう言った事はできない。一応チートを使えばできる様になるが、そういうのを彼女に見せた事はないのだ。
であれば、『気になる相手から告白されると勘違いして緊張していた乙女』の様な反応と見えたのは気のせいだろう。所詮自分は恋愛経験ゼロの独り身だ。彼女と色恋沙汰に発展する関係ではないのである。個人的には非常に残念な事だが。
おおかた、異性に慣れていない様子だったから単に慌てただけなのだろう。自分がそうだからわかる。
少し機嫌の悪くなったハンナさんに、小さく咳払いをしてから問いかけた。
現状、最も重要な質問を。
「それで、『龍殺しの剣』は結局今どこに?ヴィーヴルの里にまだあるのですか?」
「……ない」
「ない?」
彼女の言葉に首を傾げれば、ハンナさんは顔を横に振った。
「ない、というか。なくなった。壊れたらしい」
「それは……」
「ドラゴンとの戦いで砕けたらしい。その残骸もヴィーヴルの里に保管されていると書いてある」
砕けているのか……。
正直それについてはかなり残念だが、しかし希望はまだある。
「先ほど、制作の過程も書いてあるとおっしゃっていましたね。では、新たに同じ剣を作る事は───」
「不可能だ」
キッパリと言い切ってから、ハンナさんは唇を『へ』の字にした。
「一応言うが、アタシの腕が足らないからという話じゃない。作る為の『材料』がないだけだ。この指南書の通りにやるぐらい、出来なくはない」
「材料とはどんな物でしょうか。伝手と金蔓ならあります。教えて頂けませんか?」
自力で集められないとなれば、公爵家に集めさせればいい。アーサーさんなら、いいや『あんな物』を作っているあたり公爵家その物が龍殺しの為ならば全力を出すはずだ。
更には王国貴族にとっても呪いを振りまくドラゴンの撃滅は悲願と言っていい。そちらからも協力は引き出せるはずだし、教会もある。
ダミアンを討ち取った事で近々教会から『謝礼』とやらが来るはずだ。その時に交渉の引っかかりでも……!
「『亜竜』の心臓」
「っ……!」
ハンナさんが告げた言葉に、歯を食いしばる。
聞き間違いであってほしい。だが、自分の耳は正常に機能しており、彼女の唇の動きからも間違いではないと確信がもてた。
理解した上で、己の耳と目を疑う。理性が、疑ってしまう。
間違いであってほしかったから。
なんだ、それは。
公爵家に今まで、亜竜に堕ちた者はいない。必然的にこの国に亜竜の死骸なんぞないのだぞ。
唯一手に入れる手段があるとすれば、それは───。
「他にも、数百年生きた『ヴィーヴルの宝石眼』。現在では精錬の方法が失われた『ミスリル鋼』。エルフの族長の『毛髪』。その他諸々。とてもじゃないが、どうこうできる物じゃない」
自分の眉間に皺が寄っていくのがわかる。
ただ金のかかる物なら集められるはずだった。なんせ公爵家がいるし、各貴族も黙ってはいないはずだから。
しかし金でどうにかできない物ばかりではないか。まずヴィーヴルについて自分は碌に知らないし、ミスリル鋼とは前世の創作物に出てくるアレか?技術が失われているとして、現存する物はどれほどあるのかもわからない。
唯一どうにかなりそうなのがエルフ族長の毛髪だが、実質他国の王族に要求する形になる。他が厳し過ぎるだけで、これも十分に頭の痛い難易度だ。
だが何よりも入手が不可能であるのが『亜竜の心臓』である。そんな物、いったいどうしろと言うのだ。
希望が、眼の前に降りてきた。世界の意思だろうが防衛機能だろうが知った事ではないが、それでも確かに『やれる』と思えたのだ。
その希望が、まやかしだったと突き付けられる。
「あー、そりゃ無理だね」
隣から、気の抜けた声が聞こえる。
「『一つを除いて』入手は不可能なものばかりだ。元々期待はしていなかったけど、『龍殺しの剣』とやらを私が生きている内に視る事は無理だね!」
ケラケラと笑いながら言う彼女。
はたしてその顔の下に、どの様な感情を抱いているのだろうか。
鉄火場では手に取る様にその思考が読めるのに、言葉にせずとも意思が伝えられると思っているのに。
今は、何もわからない。
「悪かったな……だが、アタシは最初から眉唾だと言っていたぞ」
「ああ、ごめんなさい。別にハンナさんやそのお爺様の事を悪く言うつもりはないんですよ。ただ単純に、『最初から期待していなかった』から」
困った様な笑みで、彼女は後頭部を掻く。
「いやこれだと言い方が悪いな……とにかく、そう都合よく『龍殺しの剣』とか言う伝説の武器が手に入るわけないよなぁって思っていただけなんですよ」
「それはそうだろう。そもそも、ドラゴンと戦うとか馬鹿のする事だ。勝てるわけないだろう、人間が」
「ですよねー!私もそう思いますよほんと!」
不思議そうに顔をしかめるハンナさんに、彼女は更に笑う。
ああ、そうだったな。そもそも彼女に自分が、そしてアーサーさんが『蜥蜴を殺す』と言わないのは、要らぬ希望を持たせぬ為。
それを忘れて、自分は随分と残酷な事をしてしまっていたのかもしれない。
「駄目だよー、シュミット君。君も男の子らしくそういうのに憧れるのはわかるけどさー、ハンナさんまで困らせちゃ」
そう言ってこちらの肩をバンバン叩いてくる彼女。
勝手に抱いていた希望の事を追求されてはならないと、分かり易い深呼吸はしない。代わりに心の内で感情を整える。
そうして、相棒の、アリサさんの顔を真っすぐと見た。
「龍殺しという言葉に、憧れてしまうものなんですよ。男という生き物は」
「わかるよ。男女関係なく夢は見ちゃうものなのさ。私も『昔はそうだった』。でもね、夢は覚めるものなんだ」
クスリと、アリサさんが笑う。
普段とは違う、まるで老婆の様な笑み。瑞々しい肌に、肉付きのいい身体。なのに、その気配は……。
「できる事と、できない事がある。その折り合いをつけるのは人生を楽しむ上で大切な事なんだよ」
「………」
「ま、とりあえずだ!!」
一際強く背中を叩かれた。
思わず数歩よろめく自分に、彼女はニッカリと笑う。先ほどまでとは打って変わって子供の様な表情。
これもまた、この人の本心なのだろう。偽りのない笑顔なのだろう。
「その指南書の事はもういいだろうし、今夜の祝勝会の計画でもたてようぜ!」
「今夜なのか……お前は疲れと言うのを知らんのか」
「いやー、私はまだピッチピチの美少女なもんで。元気が有り余っているんですよ、これが!」
「おい雌牛。それはアタシが行き遅れの年増だと言いたいのか」
「そうは言っていないけど言った事にしていいですよ、私を雌牛と呼ぶのならね……!」
額を押し付け合って睨み合う両者。その横で、天井を見上げる。
きちんと手入れのされた、素朴だけど綺麗な天井。その向こうには雲一つない青空があるに違いない。
だが、自分の心境はどうだろう。
忌々しいクソ蜥蜴に抱く殺意は私怨でしかない。彼女の生命など別とした、確固たる己の意思だ。
だが……いや。
切り替える。
ここで嘆けば、諦めれば解決するのか?
世界の意思が龍を殺せと言っていると知った。すなわち、龍の存在は世界の存亡に関わるかもしれない。世界が死んだ時、そこに住む自分達はどうなるのか。己の様な無学な者でさえも想像がつく結末が待っている。
もはや私怨で済ませられる領域を超えた。生きるか、死ぬか。
であればこれは生存競争である。自身の生命を守る為の戦いである。
この身は人から獣になり、そして人に戻る事ができた。だが、人も生物。生きる為に抗う事を否定する事が駄目な理由などありはしない。獣の掟でも人の掟でもないのだ。
来たる死に対して抗うのは、一個の生命としての権利である。
そのついでに、誰かの生き死にが関わったとして。
それを深く考える暇があるのなら、手足を動かせ。それを開拓村で学んだはずだ。
生きる為に動かなければ死んでしまう。今後もこの世界で息を吸い、飯を食い、眠って起きてを繰り返したいのなら。
戦え。この世に生きる命として。
一歩は進めたのだ。目指すゴールがまだ遠かろうが、それでも進めた。ならば、進軍あるのみ。
「……そうですね。祝勝会は今日やって、明日はゆっくりしましょうか」
「だよねー!ほらシュミット君だって今日は祝うぞって言ってる!」
「お前らな……どうせ場所はアタシの店だろ。酒場じゃないんだぞ」
「まあまあ。出来合いになりますが料理は持って来ますし、お酒も良いのを買って来ますから。アリサさんが」
「うんうん……私!?」
「ああ、それならいい。高いのを頼む」
「いやいいけど。いいけども!それはそれとして何か腹立つんだけど!?」
「まあまあまあ」
「それで誤魔化す気か相棒!?」
「モーモーモー」
「どういう意味だチビ牛ごらぁ!?」
「牛語で喋ってやったんだよ雌牛がっ」
また額をぶつけ合いだした両者に、思わず笑う。
今日は騒ごう。この胸にたまった鬱憤や頭を悩ます事柄全てを飲み下すために。
そして───明日になったら、彼の使いも来るはずだ。来ないはずがない。
決して深い仲とは言えないし言う気もない相手だが、あの『お馬鹿様』は風の様にやってくる。そう確信があった。流石に本人が直接ではないと思うが、その辺りは予想の斜め上を行きかねない。
眼の前のお馬鹿様との血の繫がりを深く感じる彼と、馬鹿な話をするとしよう。
なんせ、男という生き物はずっと求めてしまうのだから。
『龍殺し』などと言う、おとぎ話を。
読んで頂きありがとうございます。
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