第三章 エピローグ
第三章 エピローグ
サイド なし
大陸のとある場所。そこには、血の池としか表現できない物があった。
決して自然に出来上がった物ではない。人里離れた洞窟には幾つもの照明器具が設置され、光源を確保されている。
それだけでも怪しいと言うのに、四方に魔法陣まで描かれているのだ。カルトの集会場か、おぞましい儀式を行う邪教の集いにしか思えない。
だがその場には誰一人いなかった。無人の空間をこの時代では高価な照明器具でひたすらに照らしている。
そんな風などなく波紋一つない血の池に、突如ごぼりと泡が浮かんできた。
泡は瞬く間に勢いを増し、ごぼごぼと音をたてて遂には一人の女性……否、少女が浮上する。
美しい顔に、男を魅了するスタイル。百人が百人見惚れそうなその少女は、しかし青い肌をもっていた。
一糸まとわぬ姿で立ち上がる彼女。いつの間にか赤かった血の池は紫色に変わり、下腹部のあたりまで浸かった状態となる。
エリザベート・ドゥ・フィレンツ。
ヴァンパイアロードであるダミアンの娘にして、彼が真の後継者と目していた女吸血鬼。
「が、げぼっ……ここ、は……?」
少しボウっとした目で周囲を見回した後、彼女は顔をこわばらせ己の胸に手を当てる。
大きな乳房が形を変えるのも気にせず、鼓動のない心臓の存在を確認した。吸血鬼の核であるその箇所は、確かに教会戦士達によって銀の弾丸を撃ち込まれ破壊されたはずである。
だが、音はなくともその魔力で存在を告げる心臓。その事にエリザベートは疑問符を浮かべると共に安堵の息を吐いた。
「目覚めたか、ダミアンの娘よ」
聞こえてきた洞窟内に反響するバリトンボイスに、彼女がハッと顔をあげた。
血の池のほとり。そこに一人の男が立っている。
その存在に今の今まで気づけなかった事に警戒心を抱きながら、エリザベートはそれをおくびにも出さずあえて傲岸不遜な態度で長い髪を掻き上げる。
己の肢体を隠す気などない。彼女が自身の体に絶対の自信をもっているのもあるが、何よりも目の前の存在に恥じらう姿を見せる事の方が恥だと思ったのである。
なんせ、エリザベートを見下ろしているのは『人間』であったのだから。
「あらぁ。裸のレディに対して、バスローブの一つも差し出さない貴方はどこのどなたかしらぁ?」
「ダミアンは死んだぞ」
「……は?」
エリザベートの言葉を無視し、男が放った言葉。彼女の父親の、死を告げるもの。
一瞬それらの事に彼女の思考が止まり、次の瞬間には犬歯をむき出しにして男を睨みつけた。
「ふざけた事を抜かすな!お兄様ならともかく、お父様がいったい誰にやられるってんだ!そんなの噂に聞く聖女にしか───」
そこまで言って、彼女の唇が止まった。
「その聖女に、殺された。そう王国の記事には書いてある」
ばさりと男の足元に新聞の束が落ちる。
それに目もくれず、エリザベートは脳内に一人の少女を思い出していた。
黒く長い髪に、赤みがかった瞳。透き通る様な肌はどんな磁器よりもきめ細かく、神がその肉と骨を使って手ずから作り上げたのかと思う程に美しい少女。
「ミーアぁぁ……!」
エリザベートはその血を舐め、高純度の混じりけ一つない魔力の味を知っている。
きっとこの娘は生まれる時代と場所を間違えた聖女なのだと確信さえしていた。だが、それは間違っていたのだとようやく痛感する。
時代も場所も正しかった。何もかもがあの女に都合のいい環境にあった。そうでなければ、ヴァンパイアロードであるダミアンが人間に討たれるはずがない。
聖女がただの街娘に扮しヴァンパイアの居城に忍び込んでいたのだ。コソ泥の様な手口で自分達を騙し、その美貌で兄を篭絡し利用して慈悲深い父を殺めたのだと彼女は結論を出す。
黒い眼球を紫色に血走らせながら、エリザベートは元々長かった犬歯を怒りにより更に伸ばした。
「許さない、ぜぇったいに、許さなぁぁい……!」
全身から殺意を漲らせる彼女に、男はゆっくりと頷いた。
「ああ。そうだな。許される事ではない。貴様がこうして、生きている事を含めて」
「なに……?」
ぎろりとエリザベートが男を睨み上げる。
常人なら腰を抜かすであろう殺意と魔力が籠められた視線に、しかし彼は微動だにしなかった。それどころか、爬虫類じみた冷淡な目で彼女を見下ろしている。
「ダミアンは傷を負ってなお数世紀に一人と言うほどのヴァンパイアだった。若い頃の慢心も消え、素晴らしい戦士だった。そんな男が最後の魔力を振り絞って『魂を逃がした』のが、貴様の様な小娘とはな。アンデッドであっても、老いというのは存在するらしい」
「あなたぁ……そう。そんなに死にたいの」
エリザベートの目が細められ、炎の様な激しさを見せていた殺意が氷を彷彿とさせるものへと変わっていく。
彼女の中で、この男は『殺す』と確定したのだ。
「ねえ、どこの誰とも知らない貴方。きっと私を匿ってくれたのであろう貴方。お父様のお知り合いだろう貴方。一度だけ、先の発言を撤回させてあげる。今すぐ首を垂れ、許しを請うのなら苦しまずに殺してあげるわぁ」
「貴様の許しなど不要だ、小娘。無駄に歳だけ重ねただけの餓鬼に、下げる頭などない。ヴァンパイアロードにのみ使える『魂の転移』を使ってまで逃がされただけの娘よ。貴様こそ、その空っぽの頭を地面に擦り付けるがいい」
「身の程知らずの人間風情が。よくも吠えたな……!」
エリザベートの腕が男へと向けられ、その人差し指と中指の爪が高速で伸びた。この慮外者を一分一秒でも早く殺さねば、フィレンツ家の次期当主として……現当主として示しがつかぬと全力で殺すと決めたのだ。
音速に届く寸前の爪は一センチの鉄板だろうと容易く貫く力を持っている。人体が受ければ並みの防具などないも同然に絶命させる事は火を見るよりも明らかだった。
だが───それは当たったらの話。
「なっ……!?」
男の喉に触れる寸前で爪が止まる。エリザベートの意思ではない。別の何かによって、彼女の動きは止められた。
『■■■■■■■■』
「ダミアンよ。貴様の娘は駄目だ。弱い。弱すぎる。故に───我が有効に利用してやろう」
「が、あああああああ!?」
エリザベートの絶叫が洞窟内に響き渡る。
彼女の腕に鱗が生え始めたのだ。血の様に赤い鱗が瞬く間に右腕を包み込み、更には他の手足の先からも変化が起きていた。
「なに!?なんなのよ、これは!」
「貴様と立てていた、『下級吸血鬼による王国内部からの軍事施設への攻撃』という計画は潰えた。我が国から武器を秘密裏に送り、内と外から彼の国を滅する計画は机上に消えたのだ。王国にある教会を消したかった貴様の願いも、このままでは叶わない」
全身を襲う激痛に藻掻くエリザベートを見下ろし、男は同盟者の死に黙祷を捧げた。
「助けて!お父様!お母様!私、いや!私じゃなくなる!私がいなくなっていく!!」
「黙れ小娘。これだから『深度』の低い者は……むしろその変化を光栄に思わずして何とする」
エリザベートを叱責し、男は懐から取り出した黄金の杖で地面を叩いた。
「さあ、無知で無力なエリザベートよ。我らが大願を成就させるための礎となるがいい。それこそが同盟者ダミアンへの、貴様の父親へのせめてもの手向けである」
「い゛や゛ぁ……!ぎえ゛だぐな゛い゛……!わ、た……」
彼女の体が完全に鱗に包まれ、胎児の様に丸まったかと思えばその周囲に膜が発生する。
ふわりと膨らんだそれが殻を形成していき、数秒後には血の池の上に巨大な卵が直立する様にして浮かび上がっていた。
男が杖を軽く振るえば、その卵が彼のすぐ傍まで移動する。
「これでは若すぎる……だが、呼び水としては十分か」
男が目を閉じれば、そこに一体の魔物が浮かびあがっだ。
数百年───否。千年以上の時を生き、今なお健在である地上最強の存在。天を我が物として、大地を思うままに蹂躙する絶対の王者。
ドラゴン。亜竜などという『幼体』とは格が違う。彼の邪龍を殺せたのは、神によって生み出され、更には世界からの後押しまでも受けた『とある存在』を除いて存在しない。
そんな現存する最強の生物を……『錨』を呼び寄せる為の鍵が、こうして手に入った。
彼の、彼らの悲願を叶える為の鍵が。
「もうすぐぅ……もうすぐだぁ……」
先ほどまでの態度とは一変し、愛し気に卵を撫でる男。
その身分に相応しい豪華絢爛な衣服を翻し、彼はゆっくりと歩き出した。
袖の下から、黒い鱗の生えた皮膚を覗かせながら。
* * *
サイド シュミット
イチイバルに到着し、一晩休んだら早速アリサさんと共にハンナさんの店へと向かった。
「シュミット……お前、後で絶対に剣を見せろよ。防具もだ」
「はい。よろしくお願いします」
じろりと三白眼で睨みつけられ、何度も頷いた。
恐らく『整備を任せるのは金庫の中を確認した後で』、というのは彼女なりにかなり譲歩してくれているのだろう。
自分としても仕事道具は可能な限り万全な状態にしておきたかった。ルーデウスとの戦いで剣は刃こぼれだらけだし、ボディアーマーもグールの群れを強行突破したせいで破損個所は多い。
だが、今回ばかりは別だ。
『龍殺しの剣』
そんな物が実在するのなら、あるいは過去に実在したのなら。
既存の兵器では殺傷する事のできない、忌々しい蜥蜴の駆除が可能になるかもしれない。喉から手が出る程に何かが欲しいと思ったのは、開拓村の頃に偶然カビ一つないパンを見た時以来だ。
硬い唾を飲み込んで重厚な金庫を見つめる自分とは裏腹に、アリサさんはどこか冷めた目をしている。
「それにしてもさー、本当にあるんですかね?龍殺しだとか何とかって」
「アタシにもわからん。どちらにせよ一族の残した指南書は必要だから、開けないといけなかったが」
ハンナさんがこちらをチラリと見る。
「お前が期待する様な物があるかわからない。それでお前への報酬は本当にいいのか?」
「ええ、構いません。そんな剣が実在したのか否か。その確認だけでもお釣りがでます」
「………」
「言ったでしょう。龍殺しという単語は教会に貸しを作るのにいい材料なのだと」
アリサさんがこちらを無言で睨みつけるも、知らんふりをする。
別に貴女の為にその剣を使うつもりは一切ない。本心からそう誓える。
もしもその剣を自分が振るう事があったとしたら、十割我欲を満たす為だ。具体的に言えば、『気に入らない相手をたたっ切りたい』という、辻斬り同然のとても褒められない動機である。
その相手が、偶々でかい蜥蜴だっただけだ。
「じゃあ、開けるぞ」
「はい」
「おーけー」
緊張した声二つと、気の抜けた返事が一つ。
その後に、ガチャリと金庫の鍵が開けられた。
分厚い扉が開かれる。ドワーフの金庫と聞きどんな中身かと緊張していたが、意外な程普通の様子だった。
三段に分かれた内の一つに、古い本が一冊だけ置いてある。
「これが……」
ハンナさんが慎重にそれを取り出し、眼鏡をかけて読み始める。
少し申し訳ないがコッソリと上から覗いてみたが、どうもドワーフ特有の文字で書いてある様で読めなかった。
現在は亜人も人間も同じ言葉と文字を使っているが、数百年前までは全く別のものを使っていたとか。その頃の字なのだろう。
一瞬チートを使うかとも考えたが、焦り過ぎだ。そっと首を振って自分を冷静にさせる。
彼女が読み進める事十五分ほど。しびれを切らした様にアリサさんが問いかける。
「なんか面白い事とか書いてありました?熱線を出せる銃とか、空を飛べる靴とか」
「アリサさん、流石にそれは」
「あった」
「は?」
「え、マジ」
思わずハンナさんの方を見れば、彼女はゆっくりとこちらを振りかえる。
眼鏡の下で赤銅色の瞳をまん丸にし、あるページを指し示してきた。あいにくと読む事はできないが、そこに何か重要な事が書かれているらしい。
まさか……。
「あったぞ、シュミット」
「あったって……本当に?」
「ああ」
彼女が、ハッキリと頷く。
「『龍殺しの剣』の作り方。アタシの爺ちゃんの名前と一緒に、その過程が書いてある」
読んで頂きありがとうございます。
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