第七十八話 顔
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第七十八話 顔
仰向けに倒れた子爵らしき人物と、その上に落ちた培養槽の中にいた少女。ちょうど彼の腕の中で眠る様な光景に、妙にしっくりくる自分がいた。
まあ、そんな事はどうでもいい。
ルーデウスとの戦いの後、とりあえず目につくグールを片っ端から斬り捨てながらここに来たわけだが……揃いも揃って満身創痍である。
アリサさんは何か気絶しているし、ハンナさんは心が折れかけて撃たれそうだったし。クリスさんに至ってはどこにいるのやら。
だがまあ、これでグール共も活動を停止しただろう。ハンナさんの手を取って立ち上がるのを手伝った。
「大丈夫ですか?」
「ああ……世話に、なったな。本当に」
「仕事ですので」
軽く肩をすくめて答え、子爵らしき人物の死体を見る。
できれば殺す前に色々と聞きたかったのだが、状況が状況だった故しょうがない。道中にあったドワーフの遺体がハンナさんの父親だろうから、金庫の鍵だけでも確保できたと考えよう。
「げほっ……あ゛あ゛~、終わった感じ?」
「ええ。何とか。大丈夫ですか、アリサさん」
「なんとか~。黒魔法でも受けたのか、ちょっと記憶が曖昧だけどね~」
ライフルを手にふらつきながらやって来たアリサさんに振り返れば、彼女は顔色が悪いながらも軽く左手を上げてきた。
そこで、袖に血が滲んでいる事に気づく。動きから既に治療はした後の様だが、彼女が負傷するのは珍しい。
どうやら、こっちの方もかなりの激戦だった様だ。
「そういう君こそどうなのさ。ぱっと見ボロボロだけど」
「ええ、まあ」
なんせルーデウスだけでもきつかったのに、道中単騎でグールの群れを突破したのだ。あっちこっち撃たれるは引っかかれるはで傷だらけだ。
魔力が先のエンチェントで尽きかけ、これ以上魔法を使えば倒れる確信がある。致命傷は避けたので、傷薬を塗って放っておけば治るだろう。
「お前、その剣……」
「え?ああ」
ハンナさんが自分の持つ剣を見ていたので、軽く掲げる。
随分と無茶をさせてしまった。刃こぼれは幾つもあるし、柄頭に至っては完全に砕け散っている。鍔も先ほど銃弾を受けた時に少しだけ欠けてしまった。
これは怒られるかと思ったが、彼女はいつもの三白眼でこちらをじっと見上げてくるだけだった。
「ハンナさん?」
「……斬れたのか?」
その問いに、ハッキリと頷いて返す。
「斬りました。装甲のある個所ではなく、鉄線を束ねた筋肉の部分でしたが」
「……そうか」
ほんの少しだけ笑みを浮かべるハンナさん。
ルーデウスの体を改造したのは黒魔法使いである子爵だが、材料を作ったのは彼女の父親だろう。
弟子は師匠を超えるのが恩返しだと、前世で聞いた事があった。もしかしたらそういう事なのかもしれない。
ならばと、自分の感謝も付け加える事にした。リップサービスには入らない範囲の、本心である。
「貴女の剣には助けられました。この刃でなければ、負けていたかもしれません。ありがとうございました」
もしも自分がイチイバルに来た時の剣だったなら……間違いなく敗北していた。
かと言って別のドワーフの作った刀剣など知らない。自分の知る限り目の前のハンナさんこそこの剣を任せられる刀匠だ。
「やはり貴女の腕が必要です。どうか今後とも、よろしくお願いします」
「……お前」
「シュミット君ぇ……」
「……あ」
言ってから、そう言えばこれはドワーフにとってプロポーズ紛いの言葉なのだと思い出す。
しまった。疲労のあまり頭が回っていない。
「失礼しました。他意はなく、純粋に貴女の腕に惚れこん……いや、あの」
「いい。わかってる」
ボスリと、彼女の拳が腹に当てられる。
表情は俯いていてわからないが、拳から怒りの感情は伝わってこない。軽い、親しみを込めて拳を触れさせた程度のものだった。
三人で書斎の様な部屋に戻りながら、アリサさんがハンナさんの顔を覗き込む。
「あれれ~?ハンナさぁん、もしかして照れてらっしゃる~?」
「黙れ雌牛」
「おう上等じゃわれぇ。その低い身長半分になるまで殴ってやるから覚悟せぇやチビ牛ぃ」
「あ゛?」
「お二人とも、そういうのは後にしてください。クリスさんの合流と、ハンナさんのお父さんの御遺体の回収。その後に各々応急処置をしたら街に」
「うおおおお!!」
こちらの声を遮り、ドタドタという足音と妙ちくりんな雄叫びが聞こえてきた。
あの迷惑記者、無事たったか。ご家族に悲しい報告をしなくて幸いである。
そう安心しながら出入り口の方を見ていると、何かにアリサさんが気づいた様に顔を引き攣らせた。
「待った。もしかしてあの人まだ半」
「待たせたな、諸君!真打登場だ!!」
鍛冶場を通って駆け付けたクリスさん。その姿を見て、思わず硬直する。
ブーツは履いていた。あと帽子も被っていた。
だがそれ以外はない。
スラリとした手足は剥き出しだし、形のいい乳房も丸出しでつんと前に突き出されている。
挙句の果てには薄っすらと腹筋の乗った腹部の下にはよく手入れされた───。
「痴女だぁあああ!?」
「むがっ」
「見ちゃだめだ相棒!教育に悪い!!」
破廉恥の権化が何か言っているが、頭に入ってこない。
この柔らかくどこまでも沈んでいきそうなのに、それでいて確かに押し返してくる奇跡の様な感触。そして鼻孔一杯を通っていく硝煙と石鹸の匂いが混ざった彼女の香り。
間違いない。自分は今、アリサさんの爆乳に包まれている。
「なんで裸なんだよ君ぃ!」
「途中で下着があっちこっちに引っかかってね。だが無傷だ!」
「社会的に大怪我だよ!」
「オレは考えたんだよ、レディ。恥ずかしがるから、恥ずかしいのだと」
「恥じらい以前に社会常識を持て!相棒の教育に悪いんだよ君の存在そのものが!」
「そうだね。貴族様のお屋敷なんだしネクタイを付けていない事には謝罪するしかない」
「違う!そこじゃない!私の相棒に絶対に近づくなよ、絶対にだ!!」
「おや……もしかして恋人関係かな?」
「あ、い、ぼ、う!!!」
なるほど……ここがエデンか……。
激闘の果てにたどり着いた場所がここならば、悔いはない。疲労は既に限界だった事もあり、アリサさんに身をゆだね顔全体で爆乳の柔らかさと温もりを楽しむ事にした。
「……お前、本当に女の胸が好きなんだな」
すみませんハンナさん。今感心した様な声をかけられるのは、ちょっと精神が。精神がエデンから現実に戻ってきてしまうので……。
「ふむ……本来の予定以上に働いてもらったが、報酬の足しになるか?」
ムニリと、後ろから腰に何かが押し付けられた。
アリサさん以上の反発。だが確かに柔らかいそれは、間違えるはずがない。ルーデウスとの戦闘時以上に研ぎ澄まされた感覚が、顔面と腰の後ろへと広がっていく。
なるほど……エデンには更なる深みがあったのか……。
「それはそうと、剣爛殿そのままだと死なない?いや満足して死にそうだけど」
「え?あ、あいぼぉぉぉう!?目を覚ましてぇええ!?」
「少し、静かに……」
「おい、こいつ笑ったまま気絶したぞ。少し不気味だな……」
こちらに必死な様子で呼びかける声が聞こえるが、自分はエデンから追放された哀しみを抱きながら、それでも余韻を楽しみながら意識を手放した。
……我ながら凄まじく格好悪い気がするが、知った事じゃないと開き直る事にする。美女の乳に勝てる男は特殊性癖か同性愛者だけだ。
* * *
その後、適当な服を子爵の屋敷から拝借したクリスさんを連れ、街に向かった。予想通りただの死体に戻ったグール達を、教会やそれ以外の場所に避難していた住民たちが広場へと運んでいる所だった。
無事の帰還を喜ぶ店長さん達と軽く情報交換を行ってから、自分を含めて怪我人の応急手当をして一夜を過ごす事に。
驚いたのは、街の各所に緊急時用にシェルターとでも呼ぶべき物が複数あった事と、そこに避難していた住民が意外なほど多かった事か。
どうも十五年前……ヨルゼン子爵が家督を継いですぐの頃に作った物らしい。魔物によるスタンビート等への対策として私費を投じて建設したとか。
彼はどうしようもない犯罪者であったが……いいや。これは自分が判断すべき事ではないだろう。
教会の奥にあった備蓄や各々持ち寄った食材で炊き出し何かをやっていたら、汽車でやってきた隣街の兵士達が翌朝やってきた。
そちらへの対応やら何やらで、イチイバルに帰る事ができたのは結局事件解決から三日後の事となってしまう。
もっとも。面倒な騎士等への説明は主にアリサさんがやって、自分とハンナさんは崩れてしまった家々からの救助活動の手伝いをしていたが。あいにく、開拓村育ちと鍛冶師にはそういう話は荷が重いので。
何はともあれ、どうにか運行は出来ている汽車でイチイバルに帰る事に。駅のホームには店長さんとアメリアさん、そしてクリスさんが見送りに来てくれていた。
「あんた達には本当に世話になった。この恩は一生忘れねぇ……!」
「いえいえ。成り行きみたいなものでしたから」
男泣きをする店長さんの横で、アメリアさんがうんうんと頷く。
「あたしも忘れないよ。本当にありがとう、皆!」
「ええ一生感謝して下さい。毎朝毎晩僕らのいる方向に土下座でもしながら」
「あたしにだけ当たり強くないかなぁ!?」
うるせぇ人の事を聖女呼ばわりした事は許したが忘れたわけではないからな、このデカ尻。助けてやった恩はその尻にしまっておけ。
「まあまあ、ハニーをそう虐めないであげてくれ。例の記事に関してはこう見えて本気で反省しているんだ」
「……クリスさんが言うのなら、いいですが」
「え、待って何だかダーリンと剣爛さんの距離近くない?気のせい?」
気のせいだから目のハイライトを消さないでください、デカ尻さん。
「ふっ、安心してくれハニー。オレと剣爛殿は魂の兄弟の様なもの。ちなみにオレが兄だ」
「は?」
「あぁん?何が兄弟だ他人だよ他人。百歩譲っても友達だよ」
一部極めて遺憾な言葉があったのだが、自分を押しのけてアリサさんが迷惑記者にメンチを切り始める。
偶に思いますが、貴女本当に良い所の出ですかお馬鹿様。どう見てもチンピラですけど。
「おやおや嫉妬かい?モテ気ってやつかなぁ、オレの!」
「ダーリン?」
「お、おっと。落ち着いてくれハニー。ジョーク、ほんのジョークだとも」
……もう面倒だし何でもいいか。
「それで。店長さん達はこれからどうするんですか?」
「このヨルゼンの街で、暫く頑張るつもりでさぁ。とりあえず酒場は比較的無事だったから、そこで炊き出しでもしてやすかねぇ」
「この街に残るんですか?」
少し意外に思い彼を見上げれば、人相の悪い面に子供の様な笑みを浮かべていた。
「当たり前でさぁ!ここは俺らの街だ。子爵にも見捨てられちまったこの街を、誰が面倒見てやれってのさ。悪所の連中もいい機会だから引っ張ってきて、荷物運びから働かせますよ」
「……逞しいですね」
「あの夜よりキツイ事なんて、そうそうねぇですからね!」
銅鑼の様な声で笑う店長さんに軽く肩をすくめた後、クリスさんに視線を向ける。
「なら、子爵の屋敷でちょろまかした物をそこの迷惑な記者にでも吐き出させると良いでしょう。元よりアレはこの街の税。こんな状況です。飯に変えてしまえばいい」
「おぉう。マジかよ兄弟。オレに博愛の精神なんてないんだけどな」
現在はちゃんと服を着ているクリスさんがおどけて見せる。
「そうでしょうね。僕だってありません。ですが恨みより恩を買っておいた方が後でお得ですよ。例えば、後から来る教会の人員や貴族様からの覚えが良くなったり」
「とんだセールストークだね。オレに目に見えない物を買えと?」
「不服ですか?」
「さあ、どうだろうね」
二人して悪い笑みを浮かべる。
ここで自分一人火事場泥棒紛いの事をして逃げ出すのなら、それは『獣』だ。
火事場泥棒は間違いなく『悪』である。だが、状況が状況な上に盗みに入った家が首謀者であった子爵の家とあって、単純な判断はできない。盗品と取るか戦利品と取るかは、見方次第だ。
故にその行為を悪だなどと言うつもりはない。生きる為の行為に、悪も善もないのだから。
だが、『人』であろうとするのなら。
「……まあ、私の名前でいいのなら一筆ぐらいは書いておくよ」
何故か襟首を掴まれ、後ろに下げられる。かと思えば前に出たアリサさんがクリスさんにメンチを切りながら、露骨に不機嫌な様子でそう言った。
はて。例の記事の事はもう許したと伝えたはずなのだが。まだ律儀に僕が女扱いされた事を怒ってくれているのだろうか?
「光栄の極みだね、レディ。オレ個人の儲けは『絢爛のシュミット、金の髪をなびかせた相棒と共に曇天の中を疾走!死者の街を切り開いて』とでも記事を書いて稼がせてもらうさ」
「良い奴だね君は!一筆と言わず十筆ぐらい書いてあげよう!!」
うーん、このお馬鹿様。
「それはそうと、微妙に記事のタイトルが長い上にダサいですが……売れるんですか?」
「君の写真付きなら間違いなく売れる!!」
ああ、そう言えば昨日あたりに『生存者の無聊を慰めるため』とか言われて剣舞をやらされたな。確かその時写真も取られていたはず。
この迷惑記者……。
「写真を使うのは構いませんが、必ず『絢爛のシュミットは見ての通り男であり、異性にモテモテな伊達男』とでも書いておいて下さいよ」
「あー、うん、おーけー」
おい目を逸らすな迷惑記者。割るぞ。貴様の彼女の尻を横に。
──ポオオオオオオ!!
汽笛の音に駅にある時計を見れば、もうすぐ出発の様だ。
「それでは皆さん、お元気で」
「支援に来る予定の貴族や商人には私の実家の方からも色々言っておくからねー」
「……じゃあな」
三人それぞれ言って、汽車に乗り込む。駅のホームから手を振る『家族』に見送られ、ガタゴトと音をたてて汽車は進みだした。
ヨルゼンの街を抜ける。窓から見た街並みは、それは酷い有り様だった。
あちらこちらにまだ燻ぶっている炎が残り、死体の山は未だ広場にある。怪我人の類は粗方治療したものの、彼らの未来はわからない。
だが……まあ。
チラリと見えた街の人々の顔つきに、そっと目を閉じる。
この世界の人々は本当に逞しい。厳しく、薄暗い世界だからか。はたまたそれもまた人間の一側面だからか。
ご飯を食べて、眠り、また日常を続けていく。いつかは、自分がこの街に来た時以上の活気が戻っていると信じよう。
「それで、ハンナさん。今回の依頼はこれにて完遂、という事でよろしいでしょうか」
彼女の父親の御遺体は、一足先にイチイバルに送ってある。また、皮膚の下にあったという鍵も回収済みだ。
何より仇である子爵も討ち取った。依頼は問題なく……とは言い難いものの、成し遂げたはずである。
「ああ。二人には本当に感謝している。必ず報酬は払うと約束しよう」
「まあねー。この天下一の天才美少女にかかればざっとこんなもんよぉ!」
ドヤ顔でご立派な胸の下で腕を組む相棒から、少しだけ目を逸らす。
自分が追い付いた時には気絶していたので大丈夫かと心配だったが、この様子なら問題ないらしい。
「ああ、そうだな」
「お、認めた?認めましたねハンナさん。遂に私が今世紀最高の美少女だと!!」
「顔の造詣がいいのは認める」
「いやぁ、それほどでもあるね~……待って。顔の?他は?」
「恩は感じている。これ以上は言えない」
「言っている様なもんじゃこのチビ牛ぃ!!」
「あ゛あ゛?てめぇ人が下手に出ていれば……」
「どこがじゃこんちくしょう!!」
「上等だこの雌牛が……!!」
キャットファイトならぬカウファイトが始まる。個室だしもう汽車を壊さないならどうでもいいかと思っている自分がいる。
だが、その前に聞いておきたい事があった。
「アリサさん」
「なんだよ相棒!私はプリチーでお上品な美少女だよな!?」
「ルーデウスの……鉄血傭兵の手配書って持っていますか?」
「スルー!?いや持っているけども」
アリサさんが自分の荷物を漁り、賞金首達の手配書を纏めた物を引っ張りだした。
「でも、あの姿じゃ流石に賞金は出ないと思うよ?うちの名前を出せば強引に認めさせる事もできるけど……」
「いいえ。得る物はありました。これ以上は不要です」
彼女から手配書を纏めた本を受け取り、開かれたページを見る。
そこには、刀傷で両目を塞がれた男が不敵な笑みを浮かべている写真があった。
一般的な美的感覚だとお世辞にも美男子とは言えない顔。誰が見ても凶悪犯だとわかるその人物に、小さく鼻を鳴らす。
「なんだ。やっぱり分かり易い顔しているじゃないですか」
戦いの中、暴力でしか己を表現できないとばかりに振る舞っていた癖に。
何ともまあ、一目でわかるぐらい感情の出ている面だ。
しっかりとその悪人面を刻みつけて、瞳を閉じる。
ガタゴトと揺れる汽車。お馬鹿様と口下手な鍛冶師の口論を聞き流し、背もたれに体を預けた。
墓参りはしてやらんぞ、傭兵。
そもそも罪人用の墓地にすら送られず、灰にされてから教会の奥地に封印される男にそう心の内で呟く。
貴方に言いたい事は、もう全部言ったはずだから。
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