第七十六話 一方その頃
第七十六話 一方その頃
サイド なし
死者の群れの中を、三人の人間が進む。
一人は龍の呪いを受けた令嬢。一人はドワーフの娘。一人ははた迷惑な新聞記者。
何だかんだ人類というカテゴリに入る彼女らは、ひたすらに眼前を塞ぐグール共を『破壊』しながら前進する。
記者が投げた手製の爆弾で死者たちの戦列を崩し、金の髪をなびかせた少女が跳び込むのだ。
「よっと……!」
スカートを翻して放たれた蹴りが正面のグールに直撃。厚さ八ミリの胸甲にブーツで足跡をつけ、臓腑と骨を破壊しながら後列を巻き込んで吹き飛ばす。
続けて素早く構えたライフルを至近距離で他のグールに発砲。いかに頑強な鎧とは言え銃口が触れそうな距離で放たれれば、兜に風穴が開きもっと大きな穴が後頭部に出来上がるのだ。
連続して三体に鉛玉を叩き込むと、少女は、アリサは後列が放ったピストルの弾を屈んで回避。そのまま間合いを詰め長い脚をしならせて足払いをしかける。
少女の細足から繰り出されたというのに、その蹴りはまるで熊の前腕に匹敵する破壊力を生み出した。
グール共の足が掬い上げられ、あるいはへし折られて彼らの体がひっくり返る。
倒れた所にすかさず左手で腰の愛銃を引き抜くなり、六連射。全ての動く死者の眼球を鉛玉が貫いて、その脳漿を兜の中に弾けさせた。
「ふぅ……いやぁ、きっついねぇ」
銃口の白煙に軽く息を吹きかけてからホルスターに戻し、アリサは軽く周囲を見回す。
相棒ほどではないが彼女とて五感は鋭い方だ。潜んでいるグールがいないか確認ぐらいはできる。
とりあえず敵はいないと判断し左手を軽く上げて後ろの二人を呼ぶと、アリサは壁に背を預けライフルに弾を込め始めた。
ポーチ、と言うより中身や強度的に弾薬盒と呼んでいい代物の中を見て彼女は形のいい眉を顰める。
今しがた装填した十一発で最後。装填数一杯に届かない上に、左のピストルの補充は不可だ。なんせ彼女が使うレバーアクション式ライフルは愛用の拳銃と使用弾薬が共通である。
グール共の銃は故障や暴発のリスクがあり使えない。そもそもどれも旧式の弾薬だ。無理に使ってもあの鎧は貫けない。もしかしたら、これらを装備させた子爵の想定通りの展開かもとアリサの脳裏によぎった。
だが、『最悪普段封じている魔力を使えばいい』と結論を出し弾薬盒が閉じられる。
彼女に、アリサにとって自分の寿命というものは『余暇時間』の様なものだ。
貴種としての己の役目は生まれた段階で果たされた。であれば、残り時間は全て遊ぶためのもの。それが短くなってしまうのは悲しいが、遊びを優先し過ぎて無辜の民が黒魔法使いの企みで殺されるのを見過ごすのは公爵令嬢としての矜持に反する。
何より、彼女は使命感よりも『自分がやる』という意思を強く持っていた。生き残る者が多ければ、自分が誰かと過ごした記憶も残るのだから。
生物としての死が、存在としての死ではない。貴族としての教育を受けていた分、アリサにはその価値観が強くある。
故に寿命を縮める事に躊躇いなど───。
『僕が貴女を殺します。痛みをできるだけ感じさせずに、首を皮一枚残して斬りますよ』
躊躇いなど、ない。
「いやぁ、凄いね。まるで猛牛が通った後だ」
「お前、パワーまで牛だったのか……」
「君らも蹴り殺してやろうか、マジで」
迷惑記者とドワーフ娘に頬を引き攣らせ、アリサがライフルのレバーを動かす。
装填音に全力で首を横に振るクリス。
「ちょ、ジョーク。ジョークだよレディ!」
「あっそ。で、次はどっちに行けばいいのさ」
「あ、ああ。突き当りまで行って、左に曲がれば地下への階段が見えるはずだよ」
「そう」
冷たい目を向けてくるアリサに腰が引けたまま答え、彼女の視線が外れるなり記者はハンナへと小声で問いかけた。
「なんか、凄く嫌われているんだけど……オレ、何かしたかな。剣爛殿の記事以外で」
「いや。たぶんシュミットと『相棒っぽい』やり取りをお前がしていたからじゃないか」
「あー、そういう」
「そこ、急がないと外のグール達も来るよ。無駄話禁止」
「おう」
「はーい」
小声だったが雨音と死者たちのうめき声以外は静かな館だ。二人の声はアリサにも聞こえている。
彼女とて己の器が狭い方だとは思っていない。シュミットに、相棒に仲のいい相手ができるのは歓迎だ。
友人が増えるのも、仲間が増えるのも、恋人ができるのもいい。むしろ推奨さえする。なんせ自分は遠くないうちに死ぬのだからとアリサは考えていた。
だが、『相棒』というポジションが誰かに取られるのだけは我慢ならない。自分が死んでも十年……できるなら一生その席を空けておいて欲しいとさえ考えている。
そんな事を考えながら進んで行き、クリスが手鏡で次の角を覗き見た。その瞬間。
「ちょぉ!?」
記者は身を翻して飛び退いたかと思えば、三人の耳に凄まじい轟音が届いた。
───ガガガガガガッッ!!!
連続で響く発砲音。今までとは密度が違う。角は無数のスプーンですくい取られた様に抉り飛ばされ、『射線上』にあった壁は瞬く間に蜂の巣にされた。
「グールがガトリングガンは卑怯ダメだろう!?」
情けない声を出して腰を抜かしたクリスが吠える。
そう、地下へ続く階段にはガトリングガンが設置されていたのだ。そこに数体のグールがおり、うめき声をあげながら装填作業までしている。
術者である子爵が他の個体以上に精密な操作をしているのだろう。新しいマガジンを装填する間ピストルで牽制までしていた。
「まっずいなぁ、これは」
一瞬だけ顔を角から出しすぐさま引っ込めるアリサ。彼女が頭を出していた位置へとまたガトリングガンが死の回転をした。
建物の壁では遮蔽物として頼りないと、曲がり角から更に距離をとり姿勢を低くする三人。
「ガトリングガンの弱点は弾丸の消費ペース……なんだが」
「時間がないのはこちらも同じだからねぇ……」
アリサ達にとって最悪なのはグール共が物量で押しつぶしてくる事だ。
どれだけ獅子奮迅の働きをしようとも、個人で出来る事には限界がある。弾薬も残り少ない今、大量の敵を捌き切る事はできない。
だが───子爵もまた、その事を見抜いていたのだろう。
「っ、マジか……!」
アリサが顔を引き攣らせたのと、大きな音が複数響いたのがほぼ同時。
ドアが踏み倒される音。窓が叩き割られる音。そして、十や二十ではきかない足音までも。
咄嗟に三人が窓の外へと視線を向ければ、屋敷を囲う鉄柵に張り付き中に入ろうとしているグール共の姿があった。
街中の死者達がここに集まろうとしている。食いちぎられた腸を引き摺りながら、主の命により外敵を食い殺すために。
「腹くくるかぁ……!?」
流石に街からくるグール共は着の身着のままであるが、物量というものはそれだけで脅威だ。
アリサが己の魔力の流れを調整し始めた所で、三人の頭上をガトリングガンの掃射が通り過ぎる。角が更に削れ鉛玉が壁や窓を粉砕していった。
「うおっ」
割れた窓から風雨が入ってくる。特に背嚢を降ろし中から爆弾を取り出そうとしていたクリスが諸に雨をあびた。
「こ、の!」
そうこうしているうちに、彼女らが通って来た通路の方からグールの集団が押し寄せてくる。
ハンナが近くの部屋のドアをドワーフ特有の怪力で引っぺがし、フリスビーの様に集団へ投げた。
続けて腰の後ろから取り出したソードオフショットガンを放ちグール共を堰き止める。
「おい!どうする!?」
「……私がガトリングガンをどうにかして破壊するから、二人は」
「いいや、その役目はオレが引き受けよう」
立ち上がろうとしたアリサの肩を掴んで押し止め、クリスが代わりに立ち上がる。
記者は先ほどまで背負っていた背嚢を右手に持っており、左手にはいつくすねたのか屋敷にあったライターが握られていた。
何を言っているのかと見上げるアリサに、クリスが気障ったらしくウインクをする。
「本当はこういうのはガラじゃないんだが、教会の守りがこれ以上もつとは思えなくってね」
「……まさかっ」
「剣爛殿に、これはオレ自身の選択だと言っておいてくれ。君の為に死んだわけではないと!」
「待って!」
その腕を掴もうとするアリサの手をするりと避けて、クリスが駆けだした。
ちょうどガトリングガンの装填中。護衛のグール共がピストルを撃ってくる中、記者は疾走する。
「うおおおおおおお!」
細い喉から雄叫びを上げ、導火線に火のついた背嚢をガトリングガン目掛けて投げつけた。
その瞬間、クリスは目を閉じる。
脳裏に駆け巡るこれまでの記憶。それに愛おし気な笑みを浮かべ、愛する者の名を呟いた。
「アメリア……」
───この時、複数の偶然が重なった結果一つの『奇跡』が起きた。
まず、割れた窓から入ってきた雨によりクリスの体が再びびしょ濡れになっていた事。
二つ目に、その雨が背嚢にもかかっていて中の爆弾に……湿気に滅法弱い事で有名な黒色火薬のそれらにかかっていた事。しかも放り投げられた時、記者の方に向かう側が。
三つ目に、グール共のピストルが全弾外れた事。多少の操作は術者ができると言っても、きちんと狙いをつけて引き金を引く事は出来ない故に。
四つ目に、クリスの背後。屋敷の壁はガトリングガンによって破壊され人が通れるぐらいの穴が開いていた事だった。
「のあああああああ!?」
爆音が響き、煙と爆風がクリスを襲う。そこに爆弾に詰められていた鉛玉はない。
衝撃で吹き飛ばされた記者は衣服をボロボロにするも無傷。屋敷の外へと吐き出され、柔らかい泥の中を転がっていった。
上下逆さにひっくり返り、爆風のせいかズボンも吹き飛んで黒い下着だけの尻を晒した状態でクリスはニヒルに笑った。
「ふっ、計画通り!!!」
全くの偶然である。
すぐさま立ち上がり気障な姿勢をとったクリスが、ビシリと地下への階段を指差す。
そこには破壊されたガトリングガンと、その弾薬も誘爆した事で行動不能になったグール共。
「さあ行け、二人とも!道は開かれた!!」
何故か無事だった帽子を被り直しながら吠えるクリス。なお、半裸である。
なお、その周囲に敷地内へ侵入を果たしたグール共が迫っていた。
「え、待って多くない?予想以上に多くない?」
ギョッとして周囲を見回すクリスは、全力で走り出す。器用に伸ばされた手を避けきって、命懸けの鬼ごっこを開始した。
半裸で。
「うおおおおお!この流れで死ねるかああああああ!!」
「……ほっとこっか」
「ああ……」
その光景に何か馬鹿らしくなったアリサとハンナが、地下への階段を下っていった。
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