第七十二話 罪人の過去
第七十二話 罪人の過去
サイド ホーエンハイム・フォン・ヨルゼン
『おかーさん、ここにわたしのおとうとがいるのー?』
『まだ弟か妹かわからないけど、そうよ。メリンダはお姉ちゃんになるの』
『メリンダならいいお姉ちゃんになれる。私が保証しよう』
『もう、貴方ったら』
『おぎゃぁ!おぎゃぁ!』
『旦那様!元気な男の子です!』
『おお、良くやった!これでヨルゼン家は安泰だ!』
『このこがわたしのおとうとー?なんかおさるさんみたーい』
『あう、あぶぶ……』
『ほーらマイケルー、お人形さんだよー』
『あらあら、あの子ったら』
『しっかりお姉ちゃんをやれているな。お前に似たのかな?』
『ごほっ、げほっ……!』
『どうなんだ!?妻と子らの、そして父の病気は治るよな?なぁ!』
『申し訳ありませんが、奥方様達の病気は……』
『嘘だ!この似非神父め!私は信じんぞ!こんな、こんな!』
『ああ、嘘だ……どうして……神よ……』
『おとう、さん……』
『メリンダ!?そうだ、お父さんだよ。大丈夫絶対に助けるから、だから目を閉じないで!』
『苦しい、よ……たすけて……おとう、さ……』
『旦那様。ご家族を亡くされたお気持ちはわかります。しかし、そろそろ政務の方を……』
『ご子息を亡くされたのはお辛いでしょう。ですが、新しい妻を娶って』
『子爵家の為にも今は前を向かなければ。伯爵家からの招待状も来ております』
『なくしたものは戻って来ません。健康で頑丈な新しい妻を見繕って再婚を』
『───、──────』
「ん……」
また、意識を失っていたか。
脳の一部が下の階で起きている戦闘を伝えてくる。どうやら侵入者と使い魔達が戦っているらしい。
手に持っていたボルトアクション式ライフルから空薬莢を排出し、次の弾を込める。昔は趣味で狩りをやっていたが、腕が随分と錆びついていたらしい。屋根を走っている『聖女』を撃とうとして外し……。
聖女?違う。聖女伝説など三百年近くも前の事。人間の寿命で生きているはずがない。
そもそも聖女の顔を私は知らないはずだ。なのに何故、奴を聖女と誤認して……。
『■■■■■■■』
「ああ、君か」
聞こえてきた『友人』の声に、笑みを浮かべる。
辛い時ずっと一緒にいてくれた彼。立ち直る為の希望をくれた彼女。家族を救う術を教えてくれた少年。家族を取り戻す術を教えてくれた老婆。
たった一人の、私の友人。
「そうだね。君がそう言うのだから、奴は聖女の生まれ変わりなんだ」
『■■■■■■■■』
「ああ、わかっている。立ち止まりはしないよ」
机の上にある一冊の本を撫でる。家族を救うためにあらゆる手段を使って集めた魔導書の一つ。
この本と出合う事で、私は代えがたい友人を得た。
「そうだね。もっとグールを増やそう。もっと黒魔法を使おう」
黒魔法というのは不思議なものだ。基本的に魔法というのはきちんとした理論を学び、魔力の扱いを鍛錬しなければ上達しない。
だと言うのに、黒魔法だけは使えば使う程に技量が上がる。その上使える魔力の量もどんどん増えていくのだ。
これも友人のおかげだろう。感謝してもしきれない。
「ああ、そうだ。クラウディオ神父に協力してもらおう。彼なら事情を話せばきっと助けてくれる」
クラウディオ神父は私が小さい頃に何度も遊んでくれた人だ。
かつては第一エクソシストに所属し、片足とパートナーを失って引退したとか。今は、第三エクソシストだったか?よくわからない。頭がぼうっとする。
『■■■■■■■■』
「ああ、そうだったね。これは神父には秘密なんだった」
あの老人は少しだけ頑固な所があって、この友人の事を嫌っているんだった。
前にも……前?はて、この友人の事をクラウディオ神父に話した事なんてあっただろうか。一度だけ、教会に誰かと一緒に行って……誰と行ったんだったか。
ああ、そうだ。最近雇った傭兵……傭兵を名乗る『賞金首』を連れて会いにいったんだ。
彼も友人が体を『改造』して、善人になったんだっけ。その報告に行った……いや、神父に呼び出された?
「なあ、我が友よ。クラウディオ神父はどうしているんだったか」
『■■■■■■■■』
「ああ、そうだった。教会にいるんだった。なら、気にする必要はないね」
ライフルを杖代わりにして立ち上がり、歩く。グール共が奴らを追い立てているうちに、地下へ向かうとしよう。あそこなら安全だ。
「エレノア、メリンダ、マイケル、父上、母上。そして領民たちよ。大丈夫。安心してくれ。私が皆を救ってみせる。大丈夫、絶対に助けるから」
そう、絶対に……何をしてでも助けるから。だから。
「目を閉じないでくれ。起きてくれ、皆……」
『■■■■■■■■』
友人が導いてくれる。それだけで、体から無限の力が湧いてくる様だ。
階段を下り、地下を目指す。一階の反対側から響く幾つもの銃声を聞きながら、下へ。下へ。
───『鍛冶場』も通り過ぎて、更に、下へ。
* * *
サイド シュミット
この屋敷に住み込みで働いていた人達の部屋を荒らすのは流石に良心が痛むも、緊急事態である。
というわけで勝手ながら漁らせてもらい、適当な布や靴下を集めたわけだが。
「これぐらいの量ならいいかなっと」
「……本当に手際が良いですね」
クリスさんが作っているのは爆弾である。
グール共が持っていた銃から鉛玉と火薬を抜き取り、布や靴下に包んだ物。それに導火線を取り付けた物だが、殺傷力は十分だ。
火力を低くしているので鎧まで抜けないかもしれないが、それでも手足を一度に潰せれば良い。
だが、簡単な作りとは言えこうもテキパキと用意できるものだろうか?
「記者兼冒険者だからね!」
流石に服も乾いてきた様で濡れ透けもなくなったクリスさんに、目を細める。
「本当にそれだけですか?」
「それだけ、とは?」
壁を背にし、右手は剣を持ったまま。
周囲の物音には警戒しながらもあの記者から目を離す気はない。アリサさんもこちらの事を察して、代わりとばかりに索敵に集中してくれているのが気配でわかった。
「記者という職業は随分と物騒なのだなと思っていましたが、それにしても貴方の技能には違和感があります。冒険者として見ても、年齢にそぐわない技量だ」
「照れるな、褒め殺しかい?」
「これが最後の確認です。貴方のそれは、どこで覚えたものですか?……アメリアさんのお父さんを『師匠』と呼んでいた事に関係が?」
「うーん、これじゃオレの方が取材されているみたいだな」
苦笑を浮かべながらも、クリスさんの手は止まっていない。器用に布で火薬を包み、鉛玉の敷き詰められた靴下に仕込んでいる。
「……お義父さんまで疑われるのは困るから、正直に話そう。と言っても、ただの身の上話なんだがね。つまらない内容だけど、聞く?」
「聞きましょう」
「わかった。まず、オレは孤児なんだ」
……初手から洒落にならない単語が出てきたな。
「子爵の家族も亡くなった流行り病。当然金のない民衆の方でもたくさん被害が出てね。オレの親もぽっくりいったのさ。当時七歳だったオレは、行き場に困って悪所の孤児たちと暮らしていた」
アリサさんとハンナさんも無言で耳を傾けている。
外からの雨音と、火薬を詰めた靴下を縛る音だけが部屋に響く。
「生きるために色々やったよ。決して褒められた事じゃないから、この場では語りたくない。ただまあ、当時は碌に飯も食べられなかったからガリガリの子供で、体を売る事はなかったのが数少ない救いかな」
……この世界では、そう珍しい話でもないのだろう。
開拓村という厳しい環境にいた自分だが、だからと言って外の世界が楽園なわけではないとこの数カ月で知った。
当たり前の様に人が死に、野盗だけでなく魔物までもが命を奪う。そして、生きている故に飢えと病も蔓延っているのがこの世界だ。
だが……『なら気にしなくていいだろう』と言うのは、違うはずだ。
「でも子供たちだけの集団なんて他の悪所にいる連中からしたら良いカモさ。夜中に突然襲われて大半が死ぬか人買いに売られたよ。オレは何とか逃げ出せたけど、行き倒れてね。そこで拾ってくれたのが」
「店長さんですか」
「そう。あの人も当時は冒険者をしていてね。しかもその前は軍人だったらしい。年齢を理由にそのすぐ後に引退したけど、一番の理由はたぶん病気で奥さんを亡くして酒場と子育てに集中するためだったんだと思う」
あの人、やたら荒事に慣れていると思っていたら元軍人の冒険者だったのか。
軍曹と似た様な経歴と考えれば、強くて当たり前と言える。何だかんだ言って軍隊の戦闘術を身に着けた人間は他の冒険者とは格が違うものだ。
「愛する妻の忘れ形見である娘と同い年の少女。見捨てる事が出来なかったのか、あの人はオレを拾って育ててくれた」
出来上がった爆弾を並べながら、クリスさんが続ける。
「最初は生きる為に力が欲しいって、師匠に鍛えてもらおうと頼んでさ。でも、アメリアと一緒に育てられていくうちに……オレは、戻ってこられたんだ」
「───人間に?」
少し驚いた様な顔でクリスさんがこちらを振り返る。
じっと自分の眼を見てきたかと思えば、記者はニヒルに笑ってみせた。
「そう、人間に。君も似た様な口かな?」
「さあ。記事にされたくない過去なので語る気はありません」
「そりゃそうだ。オレも君の身の上話は書きたくないね」
前世のどこだったか。たしかテレビで、『人は衣食住があってこそ人らしく生きられる』と聞いた事がある。
アレは決して間違いではない。生きる為なら、人は獣になれる。なるしか、なくなる。
一皮むけば人なんぞ獣だ。だが、その薄皮一枚がどれだけ貴重なものか。どれだけの死山血河が押し固められて、その皮一枚が作られたものなのか。
それを、あの村で嫌と言うほどに学んだ。
「記者兼冒険者として稼いだ金で、覚えている限り盗みに入った家にオレが盗った分は匿名で返したよ。もっとも、既に連絡のつかない人もいたし、何より法の裁きを受けたわけじゃない。ただの自己満足さ」
「それでも、やらないよりは良いんじゃないですか」
「かもね。少なくともオレの場合は、それをやったから踏ん切りがつけられた。おかげで胸を張って彼女にプロポーズできたのさ!」
爆弾を作り終えたらしく、クリスさんが立ちあがって軽く伸びをする。
「以上!これがオレの過去。つまらない内容だっただろう?」
「面白い話ではなかったですね」
「ははっ、言うねぇ」
腕まくりを戻しスーツの上着を着ながら、記者は帽子を胸に当ててこちらに一礼する。
「剣爛のシュミット殿。貴殿の命を懸けた活躍をどこの誰ともわからぬ『二代目聖女』として書き換えた事、この場で謝罪いたします」
「その件ならもうチャラにすると言いましたよ」
「なら、婚約者を助けてくださった事に改めて感謝を。可能な範囲で、この恩を返しましょう」
……こいつ。まさか教会に残らずに子爵の屋敷にまでついて来たのは。
何となく察して、殺意さえのせて本気で睨む。
「一応言っておきますが、『命に代えても恩を返す』とぬかしたら殺しますよ。不愉快なので」
「……ははっ!まさか。恩返しをしないといけない相手には先約がいるし、何より」
気障な仕草で帽子を被り直しながら、新聞記者は笑った。
「愛するハニーのもとへ帰って、楽しい新婚生活をする予定なんでね。君の今回の記事を売って、そのお金でハネムーンさ!」
「教会に入る予定のくせに、それでいいんですか……」
「そこはそれ!やりようはある!……はず!」
「そうですか。ま、せいぜい頑張ってください」
「応とも!」
壁から背を離し、剣を握り直す。同時にアリサさんが声をかけてきた。
「相棒」
「ええ、聞こえました」
こちらへ接近する足音が複数。足取りからして生者ではなく、死者のものだ。
視線で察したのか、ハンナさんとクリスさんが爆弾をつめた背嚢を背負って頷いてくる。
「では、いい加減今回の元凶を殴りに行くとしましょうか」
雨の勢いが、少しだけ弱まってきた。
この暗雲が晴れるのも、遠くない。
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