第七十話 死者たちの出迎え
第七十話 死者たちの出迎え
「これを見てくれ」
額を赤くしたクリスさんがメモ帳を差し出してくる。
「これは……見取り図?」
「そうだ」
数ページに渡って書かれたそれは、恐らく子爵家の物なのだろう。
自分が覚えている玄関周りやそこから続く応接間への道も一致していた。平民の、御用商人でもないクリスさんが何故こんな物を?
「……これは本当ですか?どうやって入手したんです」
「屋敷のメイドさん数人と宿屋でね♡」
「………」
胡乱な眼を向けると、彼女、彼……迷惑記者は肩をすくめた。
「まあオレのテクが凄かったのは事実だが」
「ダーリン?」
「め、メイドさん、というか使用人たちから子爵は嫌われているのさ。執事みたいな地位の人間は知らないが、それ以外からはかなりね」
「嫌われている?」
「そうとも」
迷惑記者が、真剣な顔で頷く。
「子爵の家族が十一年前に病気で亡くなった、という話は聞いた事があるかな?」
「いいえ、初耳です」
「彼の父と、奥さんと子供二人がこの地方で流行った病でね。かくいう私の……いや、それは関係なかった」
小さく首を振るクリスさんに、アメリアさんが心配そうな顔で袖をつまんだ。
それに対し記者は小さく微笑んだ後、こちらに向き直る。
「母親もその数年前に亡くなっていた事もあり、子爵は完全に一人となった。周りは再婚を進めたが、断固拒否。ふさぎ込んでしまったんだよ」
「使用人から嫌われているというのは……」
「八つ当たりの結果だよ。最初は皆彼に同情していたが、悲しみや怒りをぶつけられ続けていい気分なわけがない。それが何年も続けば余計にね。そういう理由で、オレの様な記者にもちょっと可愛がってあげれば協力してくれる様になったのさ」
パチリとウインクするクリスさんから、隣のアリサさんへと視線を移す。
彼女が否定しないという事は、『十一年前の流行り病』や『元々子爵が引きこもりがち』という話は嘘ではなさそうだ。
それにしても、家族を失ったとは……動機まで出てきてしまったな。
「わかりました。この地図をお借りします」
「おっと、私も行くよ。行かせてくれ」
「何故です?」
「金がいる」
随分とハッキリとした言葉に、首を傾げた。
「街がこの有り様だ。特ダネが欲しい。ついでに子爵の屋敷から金目の物を持ちだせたなら万々歳かな」
「おい、クリス」
「師匠……いえ、お義父さん。オレの今の発言がモラルに欠けている事は理解しています。ですが、店だってもうこの状況じゃ再建は無理だ。これからの生活を考えれば、どうしても纏まった金が必要です」
「しかし……」
渋る店長さんだが、あいにくと家族会議に付き合う暇もない。話を進ませてもらう。
「こちらのメリットは?貴女は戦力になりますか?」
「逃げ隠れが専門だが、銃が使えないわけじゃない。何よりその地図はオレがメイドさんから聞いた話を思い出して書いた物だ。自分用に書いた分、他人では読み取りづらい部分もあるはずだよ」
ふむ……。
チラリとアリサさんを見れば、彼女は頷いた。
「いいんじゃない?足手纏いになったら斬り捨てれば」
「ふっ、手厳しいなお嬢さん。だがオレも───」
「物理的に」
「本当に手厳しいなぁ!?」
何やら迷惑記者がショックを受けている様だが、アリサさんの目は冷たい。
「いやぁ、私は自分以外が相棒を必要もないのに女扱いした場合は怒ると決めているし……そういう理由で君が嫌いかなって」
「ふ、ふふ……中々手厳しいお嬢さんだ。オレも伊達に記者と冒険者を同時にやっているわけじゃない。覚悟はしているとも」
顔が引きつっているが、大丈夫か。
「まあ、それもそうですね。少しでも怪しい動きをしたら斬りましょう」
「あれ、まさかオレ疑われている……?」
「むしろ信じる要素の方が少ないですよ」
「マジ?」
「はい」
会って一日も経っていない記者兼冒険者で、なおかつやたら子爵の屋敷に詳しい。そんな人物が鉄火場に丁度良く現れたら誰だって疑う。
……まあ、『丁度良く現れた』の部分だけは別の理由が浮かぶのだが。
「それでも来るんですか?」
「……ああ」
「ダーリン」
不安そうにもう一度袖を引くアメリアさんを、クリスさんが抱きしめる。
「君を安心させる言葉を、今は見つけられない。でも、信じてくれ。必ず帰ってくる」
「うん……待ってるから……」
……とりあえず少しでも見取り図を頭に入れておくか。
視線を手元のメモ帳に落とし、書かれている内容を読み込む。隣からはアリサさんが覗き込んできて、反対側からはハンナさんが視ようとしてくる。
が、ドワーフの彼女の場合背が足りなかったので少し腰を曲げて読む事に。
「クリス」
「お義父さん」
「……俺は、頭の固い男だ。お前を『娘』として見る事は出来ても、『義理の息子』として見る事はできない」
「はい……それでも」
「それでも。俺は、お前に死んでほしくない」
視界の端で、店長さんが拳を突きだす。
「生きて帰ってこい。結婚だの何だのは、それからだ」
「……ええ。必ず」
拳を突き合わせる両者。話は終わったらしい。
メモ帳を閉じ、クリスさんに差し出す。
「では、道案内をお願いします」
「任せてくれ」
なけなしの気合でニヒルな笑みを作る記者に、軽く頷く。
とりあえず、裏切ってはこなさそうだ。
* * *
ザアザアと雨が強くなり、雷雲も大きくなってきた街『ヨルゼン』。
風雨の中でも燃える家もあれば、鎮火された家もある。だが、一様にして生きている者はいない。
『ガァァ……!』
死者だけが歩いている。まるで映画のワンシーンの様だと、不謹慎ながらそう思った。
それを教会の屋根の上で体を小さくして見下ろしながら、アリサさんに尋ねる。
「どうします?」
「……グールは基本的に、そこまで機動性がない」
アリサさんが何かを思い出す様に、口元を手で覆いながら呟く。
「五感は残っている。太陽光が苦手で、銀の武器はあんまり効果がない。跳んだり跳ねたりする事はあるけど、屋根に一足で上ってくる程じゃなかったはず」
「遠距離攻撃の手段は?」
「奴らは基本的に『使い魔』みたいなものだから、術者が直接制御すれば物を投げたりはできるはずだよ」
「なら」
「だね」
ヨルゼンの街は栄えている。二階建て以上の建物が通りにはいくつも並び、見渡せば地面より屋根の方が多いぐらいだ。
「アリサさんはハンナさんをお願いします」
「OK」
剣ではなく、教会の庭で集めた石の入った袋を手に立ち上がる。
「上ってくる敵は僕が仕留めます。前から自分、クリスさん、アリサさんの順で行きましょう」
「わかった」
「ほら、捕まってハンナさん」
「え、お前雌牛みたいだから抱きかかえられると乳で息がっ」
「誰が牛じゃチビ牛ぃ……!」
「もががががが……!?」
……後で僕もお姫様抱っこしてくれとアリサさんに頼もうかな。
ダメだ、集中力が切れている。煩悩に引っ張られるな。
両手の掌で頬を張り、気合を入れ直す。そうしいていると、何故かクリスさんが肩に手を置いてきた。
しかもサムズアップしてくる。
「わかるよ。あの二人のオッパイに跳び込みたい。そう思うよね」
「ちょっと黙っていてください」
貴女も顔とスタイルが良い方だからそういう目で見ないのは少し大変なので。いざとなったら首を刎ねないといけない相手を異性として見るのは辛い。
何より、前世の価値観を持つ者として性自認が男性な人に色目を向けない様に努力しているのだ。
気づいているのかいないのか、スーツの前を開いているせいで雨に濡れたシャツが透けている。
黒かぁ……指摘した方がいいのだろうか。でも変な空気になられても嫌だし……。
「ん?どうしたんだ、剣爛殿」
「いえ、なんでも……」
自分が前を進むのだし、もうそれでいいか……。後ろから撃たれても先に殺す自信はある。
視界に動く屍共だけをいれる。まったく、こんな光景に冷静さを取り戻すのだから我ながら碌な死に方をしないのではなかろうか。
雷鳴が聞こえている日に屋根を走る事自体嫌なのだ。この街で一番背の高い建物……城壁の見張り台や子爵の屋敷に雷撃が落ちてくれるのを祈ろう。
「では、行きましょう」
「ああ」
「いつでもいいぜ相棒!」
「………」
「全員、滑って落ちるのだけは注意してくださいよ!」
背後からの返事を聞き、駆けだす。
流石に四人の武装した人間が乗れば民家の屋根は嫌な音を出すが、それでも抜けないのならいい。雨漏りの修理費は子爵にでも請求してほしいものだ。
足音に気が付いたか、あるいは偶然こちらを見上げたのか。グール共が唸り声をあげて群がってくる。
それらを置き去りに、ひたすら駆けた。開拓村で暮らしていた時に『軽業』に関する技能も取っている。やった事はないが、パルクールの真似事もできるはずだ。
前方で壁を這いあがり屋根に上ってきたグール達が見える。それに対し、足を動かしながら左手に持つ袋へと右手を突っ込んだ。
「『チャージ』『プロテクション』『アクセル』……!」
抜きざまに放った石礫。強化魔法で引き上げられた膂力でもって、それらは射程こそ三十メートル程度ながらその破壊力はライフル弾に匹敵する。
脳漿をぶちまけて落下するグール達。後ろから感心した様な口笛が聞こえる。
「やるねぇ、剣爛殿!剣腕以外にも随分と多芸だ!」
「当たり前でしょ私の相棒だぞ!」
「無駄口はいいのでついて来てください!」
視線をゴールである子爵の屋敷へと向けた。その時。
───ギラリと、鈍い光を目にする。
「っ!?」
咄嗟に急ブレーキをかければ、足元が爆ぜた。ほぼ同時にどこか間延びした銃声。
「全員、近くの路地に!」
こちらの声に従って、背後でも跳び下りる気配。自分も路地に跳び下りながら一瞬だけ子爵の屋敷に目を向けた。
五階の窓。そこに青白い肌の男がいる。人相はそれ以上わからなかったものの、そいつがライフルを手にこちらを見ていた。
地面に着地するなり、前後を挟む様に出てくるグール共。
石の入った袋を投げ捨て、剣を抜く。
「そこまで楽はさせてくれない様ですね」
「上等!後ろは任せたまえよ、シュミット君!」
「はぁ……はぁ……助かった……」
首だけ振り返れば、ハンナさんを降ろし背負っていたレバーアクション式のライフルを手にして獰猛な笑みを浮かべる相棒の姿があった。
「オレも微力ながら手を貸そう」
「いいえ」
小型の拳銃を取り出したクリスさんにそう返し、剣を構える。
「貴女とハンナさんは屋敷につくまで弾薬を取っておいてください」
アリサさんと自分がいれば、たった二人を守りながら進軍する事など容易い。
「行きますよ、お馬鹿様」
「応とも。でも後でその呼び方には物申すからね!」
『ガアアアアア!!』
路地になだれ込んでくるグール共。脳みそに巣くう黒蜥蜴の知能は随分と低いらしい。
数が多いせいで互いの体が邪魔になり動きの鈍ったそれらを、ひたすらに鏖殺する。
首だけでなく邪魔になる手足さえも切り刻み、踏破。死者の壁を十メートル進むのに一分とかからない。
通りに出る直前、近くの民家の壁を斬り裂いて道を作る。石壁ならともかく、木製の部分なら問題ない。
生活感が残る家へと踏み込み、また駆ける。
「敵狙撃手がいますので、このまま家を突っ切ります」
「腕の悪いスナイパーだったけどね!」
「貴女やクロウドを基準にしないでください」
「照れるね相棒!でも他の奴の名前まで出すのは妬いちゃうなぁ!」
そんな軽口を叩きながら、前進。途中立ちはだかるグールを斬り払いながら、通り過ぎた後に側面からクリスさんに噛みつこうした個体を振り返らずにピックで仕留める。
ご機嫌に響く相棒の銃声と死者たちのうめき声の中、やや引きつった声が聞こえてきた。
「……君の記事は今後ありのままを書くよ。その方が売れそうだ」
「そうしてください。ついでに剣爛のシュミットは美丈夫で男らしい戦士だとも」
「……ああ、うん。頑張る」
自分も軽口を言ってみたのだが、クリスさんの返事に力がない。まあこんな状況だし仕方がないか。
二十分ほどかけて、子爵の屋敷を囲む鉄柵にまでたどり着く。
途中狙撃してきた男のいた部屋からは死角になる位置だが、警戒は必要だ。アリサさんに対狙撃手として構えてもらいながら、ハンナさんを小脇に抱えて屋根のある場所から駆ける。
「よっと」
眼前にある鉄柵に減速もなく突っ込む。縦横に張られた鉄棒のうち、横向きの物を足場に跳躍。三メートルはあろう柵を飛び越える。
強化魔法様様だなと思いながら、彼女をおろし周囲を警戒した。
「お前は……」
「はい?」
「何でもない」
何やらハンナさんが睨んできたが、抱え方が雑だっただろうか。わからん。
苦情は後で聞くとして、周囲に敵影はないので端を手早くその辺の木に巻き付けたロープを柵の向こう側に投げる。
二人と合流し、屋敷の壁に張りついた。
「……足音が二つ。歩き方からしてたぶんグールです」
「中にもかぁ」
呆れた様な半笑いをアリサさんが浮かべる。同意見だ。
いい加減、人の血肉の臭いには飽き飽きである。そういうものを楽しめる感性はしていない。
「とりあえずっと」
窓ガラスに黒い粘液を塗ったボロ布を押し当てたかと思えば、クリスさんが拳銃のグリップで殴りつけた。
音は僅かにしたものの、窓ガラスは散らばる事もなく布に張り付いたまま。出来上がった穴に手を入れ、記者は窓の鍵を外す。
「……手慣れてますね」
「記者兼冒険者だからね」
ウインクをしてくるクリスさんに、若干頬が引きつった。この世界の記者やばいな。
何はともあれ、今は役に立つのだから問題ない。できるだけ音を消して屋敷に入り、巡回しているグール達の背後を取った。
その時、稲光で奴らの姿がハッキリと暗闇に映し出される。
「は?」
思わずつぶやいてしまった声に、『ガシャリ』と音をたてて二体のグールが振り向いた。
手足は普通の使用人のもの。だが、胴体と頭が違う。
分厚い胸甲と兜ですっぽりと急所を覆い、腰にはガンベルトと大量に刺し込まれた拳銃。
あげく右手にはパーカッション式のリボルバーにボックスピストル。
その黒光りする銃口が、こちらに向けられた。
『術者が直接制御すれば物を投げたりは───』
ああ、うん。なるほど。
物を拾い上げて投げるのと、撃鉄をあげて引き金を引く動作の難易度にそれほどの差はないか。
銃声が、屋敷に響く。
雨の音が、いっそう増した気がした。
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