第六十七話 ヨルゼン
第六十七話 ヨルゼン
「では依頼を受ける事が決まったわけですし、準備に取り掛かりましょう」
「そうだねー、善は急げってセルエルセス王がよく言っていたらしいし!」
この世界で一番人生設計を参考にしちゃいけない人の発言はちょっと……。
「ハンナさん、お願いしていた防具はどうなっていますか?」
「用意できているが……そう急がなくても汽車の切符を取るのは時間がかかるぞ」
「ありがとうございます。後で取りに来ますので」
「汽車の方は私がやっとくよー。一般車両ならともかく貴族用の席なら空いているはずだから」
「お願いします。僕は一度ギルドに寄ってきますので」
「うん?何しに行くの?」
疑問符を浮かべるアリサさんに、軽く肩をすくめる。
「少々買い物に。……少しだけ、嫌な予感がするので」
自分は学習力のある方ではないが、何も学ばないわけではないのだ。
こういう時の嫌な予感は、気持ち悪いぐらいに当たるのである。当たってほしくない時ほど頻繁に。
* * *
「うおっ」
「とっ……」
冒険者ギルドに入って早々、ちょうど出て行こうとしていたらしい軍曹と鉢合わせた。
「ああ、お久しぶりです。軍曹」
「おう、二カ月ぶりぐらいか?」
「それぐらいですかね……」
リリーシャ様の護衛依頼に、返って早々やってきたウォルター神父の依頼。
段々とイチイバルにいた時間よりそれ以外の場所で活動している時間の方が長くなってきた。これも冒険者という職業故だろう。
「お前ら随分とハイペースで依頼を受けているらしいな。新人でこんなに街を空ける奴はそういないぞ」
「まあ……結果的に長い仕事になってしまうと言いますか」
リリーシャ様の一件は元々の予定を襲撃のせいで超過してしまったし、ウォルター神父の方はそもそも想定外の吸血鬼集団という異常事態。
アリサさんではなく自分が呪われているのではと考え始めたぐらいだ。
……場合によっては、呪いではなく『祝福』かもしれないが。質の悪い押し売りの。
「そういや……その、大丈夫か?」
「大丈夫とは?ああ、仕事は大変ですが今は元気です」
こんな仕事だ。大怪我もする。実際ダミアンとの戦いでは片腕を斬り飛ばされた。
幸いな事に無事元通りに治せたが、生傷に絶えない依頼ばかりである。
「いや、依頼の方もそうなんだが……」
軍曹がその大きな体を丸め、厳めしい顔に労わりを浮かべながら小声で喋りかけてきた。
「お前が……駅で騎士に強引な手段で馬車に連れ込まれたあげく、男爵邸で……その、卑猥な事をされたって噂が流れていてな」
「えっ」
……えっ。
「辛いよな……すまん、傷口を抉る様な事を」
「いえ、そんな目にはあっていませんが」
「いいんだ。お前は被害者なんだ、恥じる必要はない。……北の戦場でも、貴族の士官が若い男にそういう行為を強要する事があった。被害者達が前に向き直る為の集まりもある。俺も詳しくはないが、伝手を頼ってお前も───」
「だから、本当にそういう目にはあっていません」
キッパリと断言する。そんな噂が流れていたとは、流石に心外である。
アーサーさんもこんな悪趣味な話をばら撒くとは思えないし、男爵とてやらないだろう。メリットがない。となれば駅で見ていた者達の流した噂に、尾ひれでもついてこうなったか。
重いため息を吐く自分に、軍曹が目をパチクリと動かす。
「……そうなのか?」
「ええ。お気遣いありがとうございます。ですが、男爵邸でそんな事は起きませんでしたよ。とある仕事の関係で呼ばれただけですから」
「なら、いい。俺の早とちりだったみたいだな」
心底安心したとばかりに笑った後、軍曹がこちらの肩をバンバンと叩いてくる。
「よーし、だったら俺が夜のギルドで奢ってやる!一回だけな!そんで変な噂なんぞ消し飛ばしちまえ!」
「あー……すみません、それは無理です」
「あん?ああ、急ぎの依頼でもあんのか。ならその後でもいいぞ」
「いえ……それが」
「シュミットさん!」
こちらの声を遮り、ライラさんがカウンターを出てこちらにやってきた。
相変わらずの美貌に満面の笑みを浮かべ、近づいてくるなり自分の手をとってくる。
「昇格、おめでとうございます!」
「昇格……?なんだお前、もうカッパーに上がったのか」
彼女の言葉に軍曹が目を見開いた。
「そうなんですよ軍曹。まあ当然と言えば当然ですね。彼は『ソードマン』『皆殺しのサム』『山女のボニータ』『アイスハートのクロウド』。名だたる賞金首を刈り取った『剣爛のシュミット』さんですから。その前には『早撃ちヘンリー』を討ち取る活躍もなさっていますし」
「言われりゃそうだった。短い間にとんでもない大物狩りをしたもんだな。それも複数」
「いえ……僕一人の力で仕留められたわけではありません。アリサさんの援護がなければ、不可能だったでしょう」
謙遜ではない。皆殺しのサムとやらはともかく、他の面々は自分一人では撃破できたか怪しい。そうでなくとも『護衛依頼』という本来の仕事は失敗していたはずだ。
そう言うと、軍曹が深く頷く。
「おう。仲間は大事にしろよ。謙遜し過ぎるのはまずいが、慢心はもっと駄目だ。すぐに死ぬ」
「そうですね。冒険者と言う職業こそ、冒険をしてはならないと言われるほどです。私としては、むしろ冒険してこその冒険者と思っていますが」
そう言いながら、何故かライラさんが身を寄せてきた。
ギルドのキチッとした制服に包まれた彼女の豊満な胸が二の腕に押し付けられる。温もりと柔らかさが厚い生地越しに伝わってきた。
「ちょっ……!?」
「ですので、夜の冒険もしてみませんか?シュミットさんは太陽の昇っている時間にしかギルドには来てくださいませんから」
「おいおいライラさん。まだ昼間だぜ」
「おっと、これは失礼しました。少々ダークエルフの本能が……」
上品に笑いながら、彼女は一瞬だけ口元に流れた涎を舌でなめとる。
その動きが妙に艶めかしく感じて耳が熱くなるのを感じながら、どうにか平静をたもった声をだす。
「申し訳ありませんが、夜のギルドには行けそうにありません」
「おや、何故でしょうか?」
「実はその……アリサさんのお兄様にそういう店には行くなと」
「 」
ずざざと、そんな音がしそうな勢いでライラさんが後退りする。
何なら聞き耳を立てていたらしい受付にいたダークエルフの人達も顔を引き攣らせていた。
「ライラさん?」
「そ、そうでしたらしょうがありませんね、ええ。あのゲイロンドの狂……失礼しました。『ゲイロンドの大鷲』であるアーサー様が仰るのなら、従うべきでしょうとも」
「……そんなに恐がるべき人なんですか?」
「恐がるなんてそんな。これは敬意ですとも、ええ。十代の頃から領内に入り込んだ麻薬カルテルをみなご……殲滅し、十八の頃には王国の裏社会を牛耳っていたとある大規模な犯罪者集団を単身で撃滅した事で有名ですから」
「ついでにその際、何故か『犯罪者のボスのパンツを旗にして高笑いしながら王都中を駆け回っていた』らしい」
「なるほど」
関わってはいけない類の人種なのはわかった。
でも向こうから関わってくる場合はどうすればいいのだろう。とりあえず出会い頭に顔面パンチで牽制でもしておくか。捌かれる可能性の方が高いけど。
「まあ、そういうわけですので……」
「え、ええ。他のキャストにもこの事は伝えておきます」
「……なあシュミット。お前本当に大丈夫か?やっぱりあの噂は」
「違います」
非常に遺憾ながら、公爵家に睨まれるのはまずい。王国で王家の次に権力を持っている人達を怒らせたら洒落にならない。
アーサーさんへの顔面パンチ予定?あの人ならいいだろう。たぶん。
「今回は頼みたい事があって来ました」
「なんでしょう……あの、本番でないからOKとかそういう屁理屈は通じないと思った方が良いかと」
「そうではなく」
懐から公爵家の身分証明書を取り出す。
まさかこんなに早く使う事になろうとは。だが、『龍殺し』という言葉が関わる事態ならアーサーさんや御当主も納得して下さるだろう。
「ガラス瓶を売って頂きたいんです。密閉さえできるのなら粗悪品でも構いませんので」
どうせ行先でトラブルが起きるだろうから、事前準備ぐらいしておきたい。
はたしてこの支度がどれだけ通用するかはわからないが、相棒の名前を借りずとも騎士爵の身分でこういう事が出来る様になったのは少し嬉しい。
……あくまで内定だがな。名誉騎士爵。
* * *
汽車に揺られ数日。アリサさんの取った高い個室に目を白黒させるハンナさんに和みながら、目的の街『ヨルゼン』に到着する。
その第一印象だが……決して悪くはなかった。
職務に忠実な兵士達に、賑わう市場。街を囲う城壁は堅牢であり通行の便も良い。商人が頻繁に行き来している様子も見える。
正直、一見して街のトップが野盗と組んで犯罪に手を出していると思いづらい街だ。
だが、それもアリサさんが集めてくれた情報で崩れ去る。
「……まだ『悪所』と呼ばれる街の東側にはいかない様にね。先にヨルゼン子爵の話を聞いてからだ。このメンツであそこに行って、騒ぎを起こさずに済むとは思えない」
『悪所』
本来悪所とは山道などの危険な場所や、そうでなければ風俗街などを指す。だが、それとは別の意味を持つ場合もあった。少なくともこの世界では。
スラム……貧民街と言ってもいい。
一地方都市であるが、ヨルゼンは広い。そして経済的にも潤っている。だが光が強い分闇も濃くなるのが世の常らしい。
上京したものの失敗した若者。色んな理由で職を失った者。社会になじめなかった者。そういう人達が集まった地区に、内と外から現れた悪人がたかった結果できた場所なのだとか。
王都でさえ比較的小さいながらも存在はしていると聞く。イチイバルにそういう場所がないのは、むしろ珍しい事だとも。
この街にも悪所があり、ギャングが裏に蔓延っているのだとか。そこでは酒は勿論、違法な賭博にドラッグの密売まで行われている。件の野盗たちもそこで『ラリっている』所を保安官たちに逮捕されたのだ。
兵士の質が良さそうなのに、そんな場所が徐々に拡大しているのは少々不思議な話である。経済的な理由か、それとも根絶は無理と諦めてあえて放置しているのだろうか?
何にせよ、華やかで賑わっているだけの街ではない。
そう気を引き締め直し、ヨルゼン子爵の屋敷に向かったのだが……。
「病気?」
「ええ、そうなのです」
アリサさんと公爵家の紋章もあり、アポイント無しでもすんなり応接間には通された。
だが、子爵家の執事さんは申し訳なさそうに『ホーエンハイム様はご病気の為、皆さまにお会いする事はできない』と言ってきたのである。
「お顔を見る事もできないとは……そんなに重い病なのですか?」
お嬢様モードのアリサさんに、執事さんが頷く。
「はい。ご自分で立って歩く事もままならず、お部屋にて療養を続けております」
「それは大変ですね……良ければ、私が診ましょうか?教会で一時白魔法を学んでいた事があります」
「いえ。教会の神父様が泊まり込みで看病して下さっているので、問題ありません。それよりも原因不明の病ですので、万が一にも公爵家の方に移ってしまっては子爵家として申し訳がたちません」
……道理ではある。
医者としての側面も強い神父さんが看病している中、アリサさんも強引に踏み込む事はできないと判断したのだろう。『そうですか。では、私もヨルゼン子爵の御快復を祈らせて頂きます』と笑顔で返していた。
「質問が、したい」
「……なんでしょうか?」
ハンナさんに執事さんが訝し気な目を向ける。どう見ても平民な彼女にあまり良い感情はないらしい。
まあ、貴族に仕える執事となればこの人も貴族の出だろうし無理もないか。
「この前処刑された野盗と子爵の関係は、なんだ」
「……ああ。あの狂った罪人どもですか」
執事さんが彼女の問いを鼻で笑う。
「処刑される寸前の言葉など何の意味もない世迷言です。ホーエンハイム様はこの街の統治を任されているお方。悪所の住民が僻んでいて、死に際に少しでも悪評を撒こうとしたのでしょう」
これも、道理ではある。
だがハンナさんは納得できなかったらしい。その三白眼で執事さんを睨みつけ、立ち上がろうとした。
「本当にそうか?子爵は十年前……」
「ハンナさん」
彼女の左肩を掴み、押さえる。
普通の人よりは血の気の多い方だ。万が一掴みかかられては面倒になる。
「落ち着いてください。冷静に」
「っ……」
「おやおや……随分と元気な従者をお連れになっているのですね」
執事さんが、嫌味な内容とは裏腹に心配そうな目でアリサさんを見る。この人も一応公爵家に……呪いの受け手に敬意は持っているらしい。
「……そちらの方は十年ほど前に件の野盗にご家族を殺されたのです。多少言動が乱暴になったとしてもどうか許してあげてください」
「なんと。そうでしたか。お悔やみ申し上げます」
形だけの一礼に、ハンナさんの目が更に鋭くなる。
困った。ドワーフの力は強い。女性であっても並みの成人男性より膂力が高いのだ。強化魔法無しだと片手では押さえ切れないかもしれない。
チラリとアリサさんに目配せして、手短に聞きたかった事を尋ねてもらう事にした。
「ところで。彼女の父『ロック』氏にヨルゼン子爵が何度も手紙を出していたとか。何かお心当たりはありませんか?」
「はて……そのロック氏が亡くなられたのが十年前となると、その手紙も同じぐらい前でしょうか?」
「ええ。そうらしいですね」
「申し訳ございませんが、すぐにはお答えできません。何分十年も前となると、私達人間にとっては一昔前ですので」
「それもそうですね。私達は数日程この街に滞在させて頂きますので、もしよろしければ帰る時にまたお訪ねしても?」
「勿論です。その時までに調べておきましょう」
「ありがとうございます。それでは」
にこやかに挨拶をして、子爵の屋敷を出る。それから一分ほど歩いてから、笑顔のままアリサさんがドスのきいた声を出した。
「ハンナさん。私やシュミット君でも庇える範囲ってあるんですからね?調べるのを依頼してくれたのなら、あまり前に出ないでください」
「すまん……」
「というか、今更ですけど何で貴女まで来てるんですか。依頼は受けたんだから普通にイチイバルで待っていてくださいよ」
へにゃんとした顔になったアリサさんに、ハンナさんが首を横に振る。
「いいや。この件はアタシも黙ってはいられない。敵討ちもあるが、もしも奴らが親父の鍵を持っているのなら絶対に必要なんだ」
そう言って彼女の視線が自分の腰、そこに提げた剣に向けられる。
「金庫の外にあった指南書は全部読んだし、全部できる様になった。極めたとは言えないが、これより先に行くにはあの中にある指南書がいる」
「そうでしたか……」
子爵への殺意が薄まった今でも依頼に積極的な理由はそこだったか。
しかし、同時に少しだけ疑問が浮かぶ。
「あの、ハンナさん」
「なんだ」
「今更の質問なのですが……どうして───」
そこまで言った所で、見覚えのある顔に思わず視線が吸い寄せられた。
「えっ」
「あっ」
長い髪に、素朴な顔立ちながら整った様子。そしてスカート越しでもわかるデカ尻。
「ま、まさか『ミーア』!?」
「全自動死亡フラグ製造機……!?」
「はい?」
「失礼、ヴァンパイアの村に攫われた時の方ですね」
「そうそう!」
まさかこんな所で遭遇するとは。世界とは狭いものだ。
「いやぁ、あの日以来ね!」
「シュミット君、この人は?」
「ええ。この人はですね」
そっと、剣帯から鞘を取り外す。
「何やら変なコメントを新聞記者にのたまっていた人です。いったいあの場にいた誰が『聖女』だと?」
「え゛え゛!?」
鞘に包まれた剣を構える自分に、女性がどこから出したのか汚い悲鳴をあげる。
ケツを出せい。裁きの時だ。
読んで頂きありがとうございます。
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