第六十六話 理由
第六十六話 理由
「殺してほしい、とは……随分と物騒な話ですね」
冗談の類ではない。少なくともあの目には本物の殺意が宿っている。
自分の中でスイッチを切りかわる感覚。内容は未だ不明だが……命が関わるのなら自然と背筋も伸びるというもの。
「僕たちは殺し屋ではありません。相手はどの様な人物なんですか?」
「……ヨルゼン子爵」
その名前に、いいや名前の後ろにつく称号に目を見開く。
子爵……!?貴族。それも法衣でも準でもなく、国王陛下に正式に任命された、貴族だと?
「ホーエンハイム・フォン・ヨルゼン子爵を、殺してほしい」
「それは……」
どういう事かと目で続きを促す。
「アタシの父親が十年前に殺されたって言うのは、前に話したか」
「ええ。たしか街の外で野盗に襲われたとか」
「その時の野盗がこの前捕まったらしい。そしてすぐに処刑が行われた」
白湯を一口飲んでから、ハンナさんが言葉を続ける。
「野盗一味は薬物と酒に溺れていたらしくってな……麻薬を扱っていたギャングを取り締まろうと保安官たちが突入した時に、纏めて捕まったんだ」
「薬物に酒ですか……それは」
「ああ。まともに喋れる状況じゃなかったらしいが、目撃情報も合わさって間違いないらしい。もっとも、アタシは父親が死んだ時街で留守番していたからな。顔も知らなかったさ」
くしゃりと、彼女が己の前髪を押さえる。
「こんな世の中だ。野盗に家族が殺されるぐらい日常茶飯事。割り切っていた……つもりだった。木っ端な野盗ならなおさら、仇を取る前に死んでいる可能性の方が高い。だが……」
「怒りと憎しみが、こみ上げてきましたか」
「ああ……我ながら、遅いよな。本当に」
開拓村でこの世の治安の悪さは学んだつもりだ。都会に上がっても事件には事欠かなかった。
人死になどそこら中で起きている。だが、それで何も感じないわけではない。それが、人という生き物だ。
「新聞で野盗一味が処刑される時、おかしな事を言っていたって書いてあった」
「それが、ヨルゼン子爵に関するものだったと」
彼女がポケットから取り出した、折りたたまれた新聞記事の切り抜き。何度も読み返されたのだろう、丁寧に畳んであるのにかなり皺がついていた。
それを受け取り、中身を確認する。
『悪所で捕まった野盗一味の最期。斬首台に響くヨルゼン子爵への裏切り者という声。彼との関係は?』
……なるほど。ギルドが依頼を門前払いするわけだ。
「この記事のみで、ヨルゼン子爵を殺せと?」
「馬鹿な奴だって思われてもしょうがない。だが、十年前。その頃に子爵から親父宛てに何度も手紙が来ていたんだ」
「手紙?」
「ああ。全部親父は燃やしていたから、残っていないが……」
手紙……子爵が一鍛冶師にいったい何の用があったのだろう。普通に考えれば、ドワーフの鍛冶師なのだし儀礼用の盾でも注文したと考えるのが妥当だが。
その値段についてトラブルでもあったのか?
「内容をお聞きしても?」
「ああ。手紙には───」
一拍置いて発せられた手紙の内容。それは、あまりにも予想外のものだった。
「『龍殺しの剣について聞かせろ』って」
「なっ」
ガタリと音を立てて立ち上がる。隣でもアリサさんが目を見開いていた。
『龍殺し』
あまりにも予想外過ぎた。灯台下暗しなんて話じゃない。どうしてここに、こんな所でその言葉を聞く事に?
いいや、そんな事は今どうでもいい。まずは続きを聞かなくては。
理性を総動員して座り直す。こちらの様子に少しだけ不思議そうにするものの、ハンナさんは話を続けた。
「眉唾ものの話だ。そんな物知るかって、使者が来た時もつっかえしていた。だが、もしかしたら、それが」
「それが襲撃の理由かもしれないと」
やや食い気味に言ってしまってから、どうにか己を落ち着かせる。
白湯を口に含み、ゆっくりと飲み込んだ。
「失礼しました。続けてください」
「あ、ああ……。確かに、うちには先祖から伝わる指南書が残っている。代々自分の技術を書き加えていく物だ。その一部は金庫に入ったまま、開けられていない。鍵は親父が持っていたはずだ。でも」
「殺してまで奪ったならば、鍵を持ってここへ盗みに入ってもおかしくはない」
「いや、そこは不思議じゃない」
「え?」
「親父は自分の皮膚の下に鍵をしまっていた。それぐらい、あの金庫を大事にしていたんだ。奪おうとして殺しても、男のドワーフの皮膚は厚い。死体を漁ったぐらいじゃわからないはずだ」
皮膚の下にしまう?自分で切り開いて、鍵をねじ込んでから縫い合わせたと言うのか。
それは、麻酔無しでやろうと思えないな。出来なくはないが、かなりの痛みが伴うはず。鍵の大きさはわからないがそれだけ鍵を奪われるのを心配していたという事だ。
……これは、少しだけ信憑性が増してきたな。子爵の動機よりも、『龍殺し』の方が。
「……ちなみに、ご遺体は」
「野盗が持ち去ったらしい。記事にはどこかへ運んでいたとか書いてあったが……」
「そうですか……」
視線を記事の切り抜きに戻し、眼を動かす。
「アタシが不思議なのは、子爵がそこまで『龍殺し』なんておとぎ話に興味をもった事なんだ。それに、そこまで知りたいなら貴族なんだし権力をもっと派手に使えばいいだろう。なんで殺しまでして……そのくせ、この店を襲う事もしない」
「それは……」
チラリと、アリサさんの方を一瞬だけ見る。彼女は真顔のまま眉をピクリとも動かしていない。
もしも貴族が『龍殺しの剣』を手に入れる為派手に動いたとなれば、公爵家が黙っていない。必ず関わろうとするはずだ。あの家がその言葉に反応しないはずがない。黙ってやろうとしても、多くの人員を動かせばイチイバル男爵が気づくはず。彼は公爵家へのゴマすりの為なら全力を出すだろう。
だがアーサーさんはこの鍛冶屋に興味を持っていない様子だった。もしも龍に関する何かがあると思っていたのなら、自分に探りを入れているはず。
……是が非でも、金庫の中身が知りたくなってきた。
「ハンナさん……少々不躾な質問なのですが、金庫の中身をお見せいただく事は可能ですか?」
「いいや。ダイヤルの番号はアタシも知っているが、鍵は一つだけだ。鍵師に頼むのも無駄だぞ。なんせ親父が作った鍵だからな」
眉をひそめながらも答えてくれたハンナさん。だがその答えに、内心で頭を抱える。
吸血鬼の村で稼いだ経験値を鍵開けの技能に割り振るか?いいや、彼女の腕は知っている。その父親となればかなりの職人だ。それが作った鍵となれば、必要とされる経験値は計り知れない。
今後の事を考えれば、こじ開けるのは避けるべきか。
「ついでに言えば、壊すのも無理だ。下手に壊せば中に仕込まれた油に火がつく。どこを叩くと中の仕掛けが作動するのかは、アタシも知らない」
「そこまで厳重な守りが?」
「ドワーフの金庫だぞ?どこの家でもそうだろう」
ドワーフでは常識なのか……。
「はいはーい。なんか脱線している気がするから話を纏めるよー」
パンパンと手を鳴らし、アリサさんが困った様な笑みを浮かべながら視線を集める。
「まずハンナさんとしては、父親の死はヨルゼン子爵が首謀者からもしれないから殺してほしい。でも動機がよくわからない、って事でいいんだね?」
「ああ……話したら少し冷静になってきた。これだけで殺すなんて言うのは、道理に合わないな」
目を伏せ、ハンナさんがため息をつく。
「で、その動機と思われるのが『龍殺しの剣』とやらの情報。そんな『おとぎ話』の為に子爵が事件を起こしたってのが不思議なんだよね」
「ああ。すまない、アタシの早とちりだろう。酒と薬まみれの犯罪者の言葉を信じるなんて、馬鹿な───」
「理由には足りえます」
「……あん?」
ハンナさんがこちらを胡乱な眼で見てくるが、ハッキリと頷き返す。
申し訳ないが、貴女にここで引き下がられては僕が困るのだ。
「とある大きな貴族家が、龍殺しという言葉に並々ならぬ関心を持っています」
「シュミット君」
「また、教会も龍をアンデッドや黒魔法に関するものと判断し討伐対象と見ているのです」
相棒の声を無視し、言葉を続ける。
「故に、取引のカードとしては十分な力を持っている。子爵が罪を犯してでも求めた理由にはなるでしょう」
「シュミット君、だからと言ってその話は飛躍しすぎだ」
「いいえ。そんな事はありません」
この人やアーサーさんの距離感で勘違いしそうになるが、この世界で人類は『貴族』と『それ以外』に分けられる。
人権などという言葉は、まだ存在していない。
「領地を持たない貴族の中では最上位である子爵位を持った人物なら、そんな凶行を犯してもおかしくはない。事実、多少の疑い程度では調査もされなかったでしょう」
もしも処刑された野盗共が述べた名前が平民のものだったのなら、形だけでも保安官たちは調べるはずだ。
だが、それが貴族の名前だったから調べようともしなかった。
この記事にはそう書かれている。中々踏み込んだ文章を書く新聞社だ。『燃やされてなんぼ』という思想がにじみ出ている。
「ハンナさん。冒険者ギルドには子爵の殺害依頼を申し込んだのですか?」
「流石にそこまで理性を失ってはいない。調べてほしいと言っただけだ」
だろうな。もしも『殺してくれ』などと言っていたのなら、数日は拘束されていたはず。
「であれば、僕たちに出す依頼も子爵の殺害ではなく調査という事にしてくれませんか?」
「……受けてくれるのか?」
「少なくとも自分は」
断言する。たとえアリサさんが今回は不参加を表明したとしても、この身は立ち止まらない。
なんならハンナさんが依頼を取り下げようが子爵には話を聞きに行かねばならないのだ。彼女が協力的な方が金庫の中身を見やすいので、依頼主という形で巻き込みたい。
我ながら自己中心的な考えだが、あいにくと育ちが悪いのは自覚している。埋め合わせなら必ずしよう。
真っすぐとハンナさんの瞳を見返す自分の横で、ため息が一つ聞こえた。
「はぁぁ……相棒がどうしてもって言うのなら、私もOKだよ。いきなり殺すならともかく、調査だけならねぇ。私の叔母さんも『名探偵』を名乗ってあちこちの商人や貴族相手に調べ物をしていたらしいし」
「それは、貴女の親戚らしい人ですね」
「あんだとぅ」
不満そうに唇を尖らせるアリサさんだが、実に血の濃さを実感させる話だと自分には思えた。
なんせお馬鹿様と、お馬鹿様三号の叔母様だぞ。
「……すまない」
「いいえ。それと、報酬なのですが」
「ああ。身辺調査の相場は一日につき二セルだと聞いた。だが相手が貴族となれば、十倍近い報酬が必要だろう。一括は無理だが、必ず」
「金は不要です」
「なに?」
ビキリと、ハンナさんの額に青筋が浮かぶ。
「シュミット……まだドワーフの価値観がわからない様だから教えてやる。アタシらの中で、報酬は絶対だ。時間がかかろうが、必ず正当な代価を支払わないといけない。物理的に残る作品に対してだけじゃない。そいつの『腕』が作る結果に対してもだ」
「僕は報酬自体がいらないとは言っていません。金銭以外の形で頂きたい」
「なに……?」
今度こそ本気でわからないとばかりに、ハンナさんが眉間に皺を寄せた。
「どういう事だ……?人間の男は乳が好きだと聞いた事があるが、アタシのよりダークエルフにでも会いに行けばいいだろう。お前ならあいつらも歓迎するぞ」
「シュミット君……流石に人としてどうかと思うよ……?」
「そういう事ではありません」
今真面目な話をしているので、そういうのは後にして頂きたい。
一呼吸置いてから、口を動かす。何かを察したのだろう。横に座る彼女から、動揺する気配が伝わってきた。
「『龍殺しの剣』。それについて貴女の家に伝わる指南書に記載があるのなら、是非教えて頂きたい。なんなら、作成を依頼するかもしれません。その権利を、報酬として要求させてほしいのです」
「相棒」
がっしりと、アリサさんがこちらの肩を掴んでくる。
その力は強く、骨が僅かに軋むほどだ。彼女の瞳には、本気の怒りと焦りが浮かんでいる。
「前に言ったはずだよ」
「ええ。そして、僕もその時に言いました。貴女のために死ぬ気はないと」
睨みつけてくる視線に、努めて冷静を保ちながら返す。
頬を流れそうな冷や汗を、魔力でせき止めてでも動揺を隠さなければならない。さもなければ、彼女は寿命を投げ捨てでもこちらの手足を折りにくる。
その気迫が、アリサさんの瞳にはあった。
「お、おい。お前ら。いったいどうした」
「龍殺し。大いに浪漫溢れる言葉です。僕も男だ。その言葉に心惹かれないと言えば嘘になります。何より、そんな災害じみた存在が今も生きているのなら対策の一つも持っていなければ安心できない」
「………」
「これは、僕個人の将来を考えての事です。貴女の命は関係ない。というかどうでもいい」
嘘は言っていない。事実、自分はアリサさんの命を救うために死ねと彼女や公爵家に言われたら『お前が死ね』と殴り返す所存だ。
ただし。自分のやりたい事の途中で何が関係しようが、そこまで語る理由もない。
「よくわからないが、シュミット。お前その言い方は……」
「なら、いい」
「良いのか……?」
ずっと困惑した様子のハンナさんに、アリサさんがニッコリと笑みを浮かべた。
こちらの肩に食い込んだ指からも力が抜け、普通に置かれているだけのものに変わる。
「龍殺しとやらに興味はないけど、ハンナさんとは知らない仲じゃないからね!調べるぐらいはしようとも!あ、私への報酬も金庫の中身を見せてもらうってもので。一族の残している秘密の指南書なら、仕事分の価値はあるでしょ?」
「……二人とも、すまない」
深く頭を下げる彼女に、こちらも小さく会釈をする。
利用する形になるかもしれない。できるだけお互いに納得できる結果を目指すが、それが叶わない可能性もある。
普通に考えれば、処刑された野盗どもの発言なんぞ無意味であり、『龍殺しの剣』なんて物も存在しないだろう。全てハンナさんの空回りである可能性の方が高い。
だが……だが、何故だろうか。不思議な程に無関係とも思えない。
龍を殺すためのピースが、ありえない速度で揃い始めている。聖女の技が、公爵家の兵器が、教会の思想が。そして、剣が。
無論、誰かが求めた結果そうなった必然の部分もあるだろう。
それでも違和感を拭いきれない。自分に天運を左右するほどの何かがあるとでも?この身は真の英雄足りえない。肉体と技はともかく、精神が凡夫であると自覚している。
なら、まるで『世界』が龍を殺せと告げている様なこの流れは……。
───世界に免疫をつけるため
転生する時に聞いた言葉。この世界を作り、管理しているという女神。
もう十五年も前に聞いた声なのに。不思議と、耳に残り続けていた。
読んで頂きありがとうございます。
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