第六十五話 鍛冶師からの依頼
第六十五話 鍛冶師からの依頼
「えっと、どうしたの?シュミット君」
「いえ、別に」
隣を歩くアリサさんにそう答えるが、彼女は眉を八の字にして言葉を続けた。
「いやいや、別にじゃないでしょ。明らかに不機嫌そうじゃん」
「……そんなに分かり易いですか」
眉間に皺でもよっていたかと思って軽くもみほぐす。
「うん。普段完璧なぐらい私の歩幅に合わせてくれるのに、今はコンマ一秒ペースが速いし、こっちに視線を向ける回数も三回少ないもん」
「待ってください」
「なに?」
コテンと首を傾げた彼女から、一歩だけ距離をとる。
「え、なんで離れるの」
「いえ……なんでそこまで僕の事を見ているのですか?」
「面白いから?」
「そ、そうですか」
……命を懸ける仕事をしている身としては、コンビにおける相互理解は重要かもしれない。
なので、彼女に自分の歩くペースや視線を向ける回数を把握されていたとしても問題ないどころかむしろ好都合である。
その、はずだ。
「すみません、正直ひきました」
「なんでぇ!?」
ショックを受けた様な顔をされても困る。これは僕がおかしいのか?この世界ではもしかして普通の事なのだろうか……。
「……あ、違うよ!?言っておくけどこれはスナイパーの癖みたいなものだからね!?」
「と、言いますと?」
「普段一緒に行動している人の動きぐらい完璧に把握していないと、いざって時に連携できないでしょ!そうイオ神父に昔言われた事があるもん!」
あの人かぁ……。
イオ神父の場合、たぶん『一緒に行動する人』ってジョナサン神父だろう。なんだかスナイパーの心得というより別の意味がありそうなのだが。
「というか、あの人スナイパーだったんですか?」
「そうだよ。シュミット君には及ばないけど女装が似合うから潜入任務をよくやっているらしいけど、本来は後方から狙撃するのがお仕事なんだ。ライフルを使わせたら私と同じぐらいの腕だよ」
「それは凄いですね……」
アリサさんはライフルなら三百メートル先の動く標的にも当てられる。そんな彼女と互角となれば、吸血鬼相手でも遠距離から仕留められるはずだ。
「ま、拳銃なら私の方が上だけどね!!」
「はいはい」
ドヤ顔で胸を張る彼女を一瞬凝視してしまい、少し慌てて顔を逸らす。
揺れた。相変わらず大きな胸が揺れた。
「……シュミット君。本当にどうしたの?なんかいつも以上に童貞臭いよ?」
「ナチュラルに言葉の銃弾を撃ち込まないでください」
とっても心が痛い。
「いえ、それが……アーサーさんにイチイバル男爵のお屋敷で会いまして」
「え、お兄様来ていたの!?」
「そこで僕と彼が愛人関係にあるという噂を流されました」
「何やってんだあの愚兄!?」
流石に風俗禁止は言えない。仕事仲間の女性にこんな事言えるものか。
「なんでそんな事に!?」
「恐らくアリサさんの反応を楽しみたいからかと」
「愉快犯!?でもあの愚兄ならやる!!」
この厚い信頼である。僕もそう思う。
本当は蜥蜴狩りを目的とした兵器の開発を誤魔化すためなのだが、アリサさんには秘密だ。たぶん怒るし、成功するかもわからないのに無駄な期待はさせたくない。
というわけでアーサーさんには傍迷惑な愉快犯になってもらう。いやー、こころがいたむなー。
「ちなみに男爵家に呼ばれた理由はアーサーさんが前世の知識が欲しかったそうです」
「なんでそんな面白そうな内容なのに私が呼ばれないのさ」
「後で『お前の相棒は私の虜だ』とか手紙で煽るためだと言っていました」
「畜生あの愚兄!!」
嘘は言っていない。
「ごめんねー、シュミット君。今度なんか奢るから……」
「いえ。代わりに冒険者の階級を上げてもらう事を確約してもらえましたし、公爵家印の身分証明書も貰えましたから」
「買収されてる!?私より男がいいの!?」
「余計に誤解を広めないでください」
ここは街中である。人通りは多くないがそれでも人目はあるのだ。ただでさえ目立つ外見をしているのに、更なる噂が広まってしまう。
ホモ疑惑よりは女好きとかの噂の方が広まってほしい……少なくとも変態に狙われづらくなるから。
なんだ風俗禁止って。一度も行った事がないのにそれはあんまりだろう。
だがアーサーさん……というか公爵家に睨まれるのは絶対に駄目だ。彼の話から公爵家全体がセルエルセス王の下半身事情にキレている。その手の話には本気で怒りを覚えるはずだ。同じ転生者という事で同一視とまではいかずとも、視線が厳しくなるだろう。
というか側室とかお妾さんは良いのか……そこは貴族らしいと言うか、何と言うか。
「というか待って。身分証明書?」
「はい。これです」
そう言ってアーサーさんから貰った封筒を取り出せば、アリサさんが目を見開いた。
「うっわ、その蝋印がされているって事はお爺様公認じゃん。王国内ならどこの貴族の家にもノックすれば入れるよ君」
「え、これそんなに凄い物なんですか?」
「うん。それがあるって事は、『公爵家が管理しているあの術式を守る為に行動している人です』って意味だから。こう言っちゃなんだけど、領地持ちの貴族なみに発言力あるかもよ?」
「ええ……」
手に持っている封筒をまじまじと眺める。
あの術式とはつまり龍の呪いの事だろうから、確かにそれに関する大事が起きれば王国の存亡に関わる。だから理屈ではわかるのだが……。
途端にこの封筒が重い物に思えてきた。イチイバル男爵の態度の急変にも頷ける。
「まあ当然っちゃ当然かもねぇ。君、かなり大活躍しているし。黒魔法使いのトロールにヴァンパイアロードまで倒しているから。私も相棒として鼻が高いよ」
うんうんと頷くアリサさん。胸の下で腕を組まないでほしい。
「は、はぁ……僕一人で勝てたわけではありませんが」
「そのとぉりっ!この天下一の天才美少女アリサちゃんの活躍もあってこそだよな、相棒!!」
「はい、そうですね」
「返しが素っ気ない!?」
「いえ、ならどうリアクションしろと?」
「うーん……『ありがとう、幸運の女神。君と僕は共に飛ぶ翼の様な───』」
「さ、とっととハンナさんのお店に行きましょう」
「あぁん、いけずぅ」
お馬鹿様が馬鹿な事を言い出したので、無視して足を進める。
基本的に大きな仕事を終えたら彼女の店に行くと決めているのだ。最低限の手入れはできるが、やはりハンナさんに見てもらわなければ不安が残る。
この剣は自分にとっての命綱。戦場でこれが折れた時は、たぶん自分も死ぬ。そうでなくとも五体満足では済まないだろう。
ついでに店の裏手にある試し斬りのスペースを貸してもらうつもりだ。聖女の太刀筋を少しでも身に着けたい。決してアーサーさんに関する八つ当たりではない。
暫くして金物屋に到着したのだが……。
「休み?」
店のドアには、『クローズ』の札が提げられていた。
「定休日かな」
「いえ、今日は違うはずですが……」
そう店の前で首を傾げていると、ちょうど探し人の足音が聞こえてくる。
顔をそちらに向ければ、ハンナさんが小走りでこちらに向かってきている所だった。
「………!!」
ダイナミック……!!
純粋な大きさならアリサさんに軍配が上がる。しかし、低身長に搭載された巨乳はギャップにより本来以上の『破壊力』を持っていた。
小走りで移動するだけで、下着をつけているだろうにたゆんたゆん……いいや、『どたぷんどたぷん』と揺れていた。
何という事だ。神は実在した。乳神様は実在したんだ……!
今なら、事あるごとに祈りを捧げていたウォルター神父達を理解できる。
信仰は、ここにあり!!
「相棒」
「はっ」
アリサさんがこちらの肩に手を置き、酷く優しい目で顔をそっと横に振った。
……生きていてごめんなさい。後そう言えば神にはあっていた。転生する時に。
「お前ら……冒険者ギルドにいなかったから探したぞ……!」
「すみません、ちょっとイチイバル男爵のお屋敷に呼ばれていました」
「はぁ……!?」
じろりとこちらを見上げる三白眼。その視線を真っすぐと見返し、気合で上から覗くほんのり汗の浮かんだ谷間を見ない様にした。
何という重力。これが魂を引っ張られるという感覚か。
「ちっ……まあいい。中に入れ」
「はい」
「うん……相棒がごめんなさいね」
「は?」
「誠に申し訳ございません」
アリサさんの言葉に、隣で自分も頭を深く下げる。
何の事だと眉を寄せた後、ハンナさんが舌打ちしながら扉を開けた。
「この前の事なら、そいつがドワーフの文化に無知だっただけだからいい。一職人として受け取ってやる。だが次は殴る」
ああ、そう言えばドワーフ基準でプロポーズまがいの事を言ってしまったのだった。
いや、そちらに関しては別の日に謝罪したいというか。だがここで『今の謝罪は胸元を見ていたからです』と言うのも……。
「あ、ごめんなさい。今の謝罪は相棒が貴女の胸元ガン見していた事についてです」
相棒っっっっ!!
「あ?……ああ、人間の男はそうらしいな。腕以外を見て何が楽しいんだか」
それに対し、ハンナさんまさかの無関心。
なん、だと……!?
「この前の無知な発言に関してはまた別の日に謝罪させるので」
「別にいい。文化の違いだ。それより中に入れ。話がある」
「はーい」
「本当に……本当にごめんなさい……」
肩身がとても狭い。
店の奥、裏庭に続く道の途中でドアが開かれ、応接室に。前に祝勝会でお邪魔した部屋に通される。
応接間と言っても机と椅子しかない部屋だが、窓から入る日の光は和やかだしカーテンの刺繍も素晴らしい出来栄えだ。
「白湯ぐらいなら出す。ちょっと待ってろ」
「あ、はい」
「お構いなくー」
それから数分して、彼女が金属製のお盆にコップを三つ乗せて戻ってきた。
コトリとそれぞれの前に置いてから、彼女が自分達と対面する様に腰かける。
「………まず、シュミット」
「はい」
「見せろ」
「はい」
剣帯から鞘ごとはずし、机に置いてハンナさんに差し出す。
彼女は刃を抜いてじっと眺めた後、眼鏡をかけてもう一度じっくりと刀身を観察しだした。
「……おい」
「なんでしょうか」
「今回は、何を斬った」
「ヴァンパイアロードを」
「………は?」
ハンナさんが思いっきり眉間に皺をよせ、こちらを睨みつけてきた。
「ふざけるな。お前の腕は知っている。そんな化け物を斬ったなら、もっと刃こぼれがしているはずだ」
「途中から使い始めたからかもしれませんが……止めに使ったのは事実です」
「途中から?ならそれまで何を使っていた。いや、それ以前の問題としてこの剣に銀なんぞ……」
ハンナさんが言葉を止めた後、じっとこちらの手を見てくる。
「……掌を見せてみろ」
「は、はい」
言われるがまま右手を差し出せば、思ったよりも強い力で手首を掴まれた。
机に身を乗り出して鼻が付きそうなぐらい至近距離で掌を見てくるものだから、彼女の息が感じられる。何だか変な気分になってきた。
というか、机に胸が乗っている。見ない様にしなくては。
そう思い天井を見上げていると、数分ほどして手首が解放された。
「……お前」
「はい」
「本当に人間か?」
「人間ですが?」
突然なにを言っているんだこの人。
「いくら人間や獣人の成長が速いって言っても、これはおかしい。この前までお前は『一流の剣士』だった。だが、今は一流という枠すら半歩分超えている。アタシの親父だって見た事が無い様な───」
「あのー」
声と一緒に手を上げたアリサさんを、ハンナさんが睨む。
「なんだ」
「私達を探して冒険者ギルドに行っていたんですよね?何か急ぎの依頼があるんじゃないんですか?」
チートに関して誤魔化すためのフォローだろうその言葉に、ハンナさんは口を真一文字に閉ざした。
眼鏡をゆっくりと外し胸元に挿して、数秒。彼女は小さく息を吐き出す。
「………ギルドには、断られた。だからこれは正式な依頼じゃない。ついでに、相場の金は一括だと払えない。そんな依頼だ」
「そうなんですか。しかし、内容次第ですが可能な範囲で受けさせて頂きます。貴女の打った剣にはお世話になっていますので」
「私も同感ですよー。面白そうな依頼ならなお良し!」
両手でブイサインするアリサさんに、彼女は赤銅色の目を伏せて自嘲する様な笑いを浮かべた。
「なら……断られるかもな。面白みなんて微塵もない」
ゆっくりと上げられたその瞳は……最初に会った時の覇気の無いものでも、最近剣を見てもらう時の何かが燃えている様なものでもない。
「とある人物を、殺してほしい。それがアタシの依頼だ」
ほの暗い感情がうずまく、明確な殺意を帯びた瞳だった。
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