第六十一話 長い夜の最後
第六十一話 長い夜の最後
駆けだしたのは、同時。
振り下ろされたバルディッシュを交差させた剣で防御する。瞬間、全身を砕きかねない衝撃が襲ってきた。
このまま受ければガードごと叩き割られる。
───なら、横に流すまで。
交差させた剣で紅い刃を挟みながら、左手側に動かした。レイピアの刀身を滑らせて、右の剣で押し出す。
言うは易く、行うは難い。だが、やる。やれる。
左右の剣を振り払うのと、ダミアンのバルディッシュが橋に叩きつけられたのが同時だった。
飛び散る破片と土煙。その中をもう一歩踏み込み、レイピアを突きだす。
狙うは兜のスリット。放たれた銀閃は、しかし紅い瞳を穿つ直前にダミアンが頭を傾け面頬で受け流す。
だが、その身体が傾いた。
『っ……!』
突きを放つと同時に出したラップショットがダミアンの左膝裏を引き裂いた。
やれる。体が軽い。イメージした通りに剣を振るえる。
何より両手の剣に付与した白魔法によるエネルギーが、身体の強化にまで及んでいた。
とんだじゃじゃ馬で信じられない魔力制御技術を求められるが、二つに分ければ不可能ではない。
バランスを崩した奴へと追撃を仕掛けようとするも、石突きが足元の橋へと叩きつけられる。
飛び散った石礫が打ち付けられるも、何より距離を取られた。
舞い上がった黒紅の騎士甲冑。土煙を剣で斬り払ったこちらを見下ろすダミアンが、左手を掲げた。
『放て!』
撃ち出される六───否、時間差で現れた追加六本の計十二本のジャベリン。
月夜に舞う音速の刃が自分目掛けて殺到する。一撃必殺の意気が込められたそれらを、しかし自分は回避も防御もしない。
ただダミアンの着地地点を予測して駆ける。
僅かに兜越しながら動揺した様子が見て取れるが、奴が知らないのも無理はない。
なんせ、僕の相棒を大して知らないのだから。
───ダダァァンン……!
二発分の銃声。しかし放たれたのは十二発の銀弾。赤雷を纏った深紅の刃全てが撃ち砕かれる。
「やっちまえ、相棒!」
「了解、相棒!」
爆炎を突き破りながら、吠える。天下一の銃に向かって。
初手で全弾使わされたのは想定外だが、それでも十分過ぎる。
理由は定かではないがダミアンに持久力はない。ならば、息をつく間もなく攻め続ければどれだけの技量があろうが防御を崩せるはずだ。
双剣の手数は、それを可能にする───!!
『小癪な!』
奴の足が地面につく直前。鎧の関節各所から赤黒い煙が放出される。
一瞬で十メートル以上背後に後退したダミアンの体。当然、そこは剣の範囲外だ。
空ぶりそうなこの身に、奴が再度左手を向ける。拳銃が弾切れの今彼女がジャベリンを防ぐのは不可能。
ならば、刃を届かせる。
「飛べぇ!」
振り抜く剣に纏わせた魔力を、伸ばす。
白銀の斬撃が切っ先から離れなおも飛んで、それは突き出された吸血鬼の左掌を籠手ごと引き裂いた。
『これは……やはりっ!』
重々しい具足の着地音と、己の出す軽快な疾走音が橋に響く。
一息に詰められる間合い。その最中、一歩踏み出すごとに自分の全身が悲鳴をあげた。
この『剣技』と呼ぶにはあまりにも異質な技は、あまりにもピーキー過ぎる。一瞬でも魔力の調整をしくじれば両腕が弾け、心臓は四散しかねない。
何より『黒魔法に関する存在を殺す時』以外は起動すらしないのだから、考えた奴の狂い具合がわかるというもの。
その殺意を利用させて貰っている身としては、感謝しか言えないが!
「しぃ……!」
首目掛けて突き出したレイピアと、それを左の籠手で受けるダミアン。指を全損した腕は盾として使い潰すつもりか。
それなら、遠慮なく貰い受ける。
レイピアの細い切っ先が手首を貫き、続いて右の剣が肘関節を両断。左腕を完全に破壊する。
『おぉっ!』
それで怯む怪物ではない。右手一本でバルディッシュを巧みに操り、その剛腕で叩きつけてきた。
袈裟懸けに振るわれたそれに、右へと回避。左腕を失った分無防備となった奴の左脇へとレイピアを突き込む。
『見切ったぁ!』
だが、その一撃にダミアンが肩鎧をぶつけてくる。
ただ当たっただけではない。刺突の勢いさえ利用した、甲冑術。
硬質な音と共に、限界を迎えたレイピアが一瞬だけたわんだ後に根元近くからへし折れた。まずい、『彼女』の剣技を再現するのは、剣一本では……!
まだだ!
ぶちぶちと右手から異音が発せられるのを自覚しながら、歯を食いしばる。
爆発寸前、だが、まだ戦える!
「はぁぁ!」
折れて舞う銀の切っ先。その断面に右の剣を合わせる。
杭の様に打ち込んだ一撃が、ダミアンの胸鎧を破壊した。
『ぐ、ぅぅ……!』
露になった老人の胸元。紫に近い青肌には、斜めに刻まれた十字傷があった。それも、深さから人間ならとうに死んでいる心も肺も傷つける斬撃の痕。
───ああ、なるほど。何故吸血鬼である奴に持久力がないのかがわかった。
鎧を直す暇もないと振るわれるバルディッシュを、レイピアのナックルガードで受け流し右の剣を翻す。
元より切れ込みのあったダミアンの左膝裏に、今度こそ致命打を与える一閃。膝から先が、ずるりとズレて地面に残った。
『っ……!』
右足一本で後退するダミアン。その背に一対の翼が展開された。
こちらに体を向けながら低空を飛ぶ吸血鬼の蝙蝠めいた左翼は、半ばから失われている。
奴が聖女を『怪物』呼ばわりするのもわかる。まだまだ遠いな、かの御仁の刃には。
見た事もない誰かの背中には届かない、しかし眼前の敵を殺すには足る剣を手に。駆ける。
問題は残った右足で再度地面を蹴ってでも、あのダミアンが城の中へと戻ろうとしている事。奴がただ怯えて逃げ込むとも思えない。となれば、何かしらの仕掛けがある。
ダミアンが城の中に戻る前に、心臓を穿たねば!
決意と共に動かす両足。彼我の距離を詰めようとした直後、ずぐりと左の肺に痛みが走った。
こんな時に……!?
折れた肋骨があってはならない位置にきた感覚。目を見開き一瞬足がもつれた刹那、たったそれだけの間で黒紅の巨体が遠のいた。
もう橋を抜ける。間に合わな───ッ!?
「ぬぅらぁああああ!」
『なっ!?』
硬く重い音が響く。この声は、
「ウォルター神父……!?」
「ここで動かねば、教会戦士に非ず!」
いつの間に回り込んだと言うのか、ウォルター神父がダミアンを城に入れまいと立ちはだかっている。鎧の背に銀の義手を叩き込み、全身で盾となっていた。
右の義手を左手で押し込む様にして、神父服を内側から筋肉で引きちぎりかねない程に力を籠めながら踏ん張っている。
足首を地面に埋める程の衝撃はどれほどか。黒い衣服の各所で血が滲むも、隻眼の神父は傷だらけの顔に笑みさえ浮かべている。
『この、気狂いがっ!』
翼が振り回され、ウォルター神父の体が木の葉の様に吹き飛ばされた。
それでも、彼が作った一瞬を無駄にはしない。距離が、詰まる!
ぐるりとこちらを向くダミアンの顔。兜で見えないはずなのに、焦りと憤怒が浮かんでいると直感でわかる。
『まだだ、まだ終わらん!』
左腕の傷口を振るい、舞い散らせた黒に近い紫色の血。それが一本のジャベリンとなる。
音速でこちらへ迫る刃に、やはり自分は回避など考えない。
加速で舞い広がったカツラの長髪、その一部を貫いて飛ぶ弾丸があるのだから。
───ダァァン……!
響く銃声と共に、深紅のジャベリンは砕け散る。
爆炎を突き破った先には、バルディッシュを振り上げる吸血鬼の騎士がいた。
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!』
「しゃぁぁぁああああッ!」
交差する刃。互いに必殺必勝の願いと殺意を籠めた斬撃を、放つ。
───勝ったのは、白銀の剣。
黒の柄が切断され、十字傷の入った老人の胸に更にもう一本線が引かれる。
ぶしゃりと血の溢れたそこへ、すかさず左のレイピアを放った。その僅かに残った銀の刀身をねじ込む為に。
数センチあれば、心臓を破壊できる!
『ぐ、ぅぅ……!』
だが、バルディッシュを手放した右腕に止められる。
掌を傷つけられながら、ダミアンが腕を真横に振るった。こちらの手からレイピアの柄が離れる。
続けて振り上げられた拳。籠手に包まれた剛腕から繰り出される一打は、人の頭蓋など容易く砕くだろう。
ヴァンパイアロードの、最期の力を籠めた相討ち覚悟の一撃。その拳圧は呪いの悪化をいとわぬ相棒のそれに匹敵する。
されど、今の自分ならば。
拳を耳の横で素通りさせながら、歩み寄る様な軽さで左手を添えた剣を刺し込む。
胸鎧の傷へと滑り込んだ切っ先が、確かに心臓を穿ち背へと貫通した。刀身に纏わせた白銀の輝きが、奴の内側で広がっていく。
遅れて拳を振り抜いた衝撃が周囲を揺らし、腹に響く轟音をたてた。
崩れ行く吸血鬼の体がこちらにもたれかかってくる。その重量に足元がふらついて視線が自然と上を向き、気づく。
奴の右肩が、僅かに動いた事に。
『キィ』
バタバタとダミアンの体から飛んでいく、一匹の蝙蝠。
「なっ」
咄嗟にそれを追おうとするも、いつの間にか背に回された籠手が拘束してきた。
これまでの剛力とは比べ物にならない程度の圧力。しかし、こちらの出足を遅らせるには十分すぎた。
蝙蝠がそのまま空高くを飛ぼうとして、
「私を忘れてもらっちゃ困るな」
銀の弾丸が撃ち落とした。
『……情報の一つさえ、残せなんだか』
こちらにしがみ付いたままの体が、鎧諸共灰へと変わっていく。
ライフル弾すら防いでいた頑強な右腕が音もなく地に落ち、瞬く間に崩れた。
『だが……義理は果たすぞ、同盟者よ』
「なに……?」
突如、足元が揺れた。遅れて爆音が響き、視線を上げれば城の一部が砕けて火の手が上がっている。
続けていくつもの爆発が起き、ダミアンを見下ろした。しかし吸血鬼の口は何を語る事もなく、灰となって崩れ去る。
舌打ちしたくなるも、そんな暇すらない。
「ウォルター神父!」
呼びかけるも、血まみれの彼は返事をする余裕もないらしい。片膝をついて立ち上がろうとするウォルター神父に駆け寄り、肩を貸す。
「つぅ……!」
瞬間、全身に激痛が走った。限界がきていたのはレイピアだけではない。この身もまた、激戦の代償が各所に出ている。
彼の腕を肩にのせた体勢で立てなくなり、それどころか全身の傷口から思い出した様に血をぼたぼたと流すこちらへ隻眼が動いた。
「わた……置いて、いって……覚悟は……」
「貴方の長話に付き合う暇はないと、言ったはずです……!」
自分では運べない。
だが、頼れる相棒がいる。
「頼みましたよ馬鹿力!」
「頼み方を考えろよ相棒!?」
吠えながら僕とウォルター神父の襟を掴むなり引きずって走るアリサさん。その速度は申し分ないが、地面に擦れる足が凄く痛い。
……いや。それ以前に、全身が痛い。痛覚の許容範囲は広くなっているが、それも超えていたか。少し冷静に考えれば、生きているのは不思議な状態とも言える。
口の中に鉄臭い物を感じるが、吐き出す事も飲み込む事できない。右腕に至っては感覚すらなくなってきた。
薄れゆく意識の中、崩壊する城を見る。
地響きをたてて城門は潰れ、尖塔はへし折れた。いつの間にかあちらこちらから炎が噴き出し、内部を焼いていく。
『義理は果たすぞ、同盟者よ』
ダミアンが呟いた、最期の言葉。
それが胸にしこりとなって残るも、落ちてくる瞼に抗えない。
自分の意識は、そこで途切れた。
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