第五十七話 恐ろしいもの
第五十七話 恐ろしいもの
サイド なし
その日、吸血鬼の村は騒がしいながらも平和だった。
日はとうの昔に沈み夜明けなどまだ何時間も先のこと。雲に隠れて月明りすらぼんやりとしている夜だったが、この村ではこの時間帯こそ作業時間。
そこら中で金属音を鳴らして武器づくりに励む下級吸血鬼達が、近くの仲間にぼやく。
「あーあ、また俺らには『残飯』だけかよ」
「やってらんねーよなぁ。突然ヴァンパイアなんかにしやがった上に奴隷みたいによぉ」
彼らが作るのは槍や剣と言った時代に取り残された物から、旧式のライフルまで多岐にわたる。
およそ効率的とは言い難いその作業風景は、ある程度それらの知識を持つ者からしたら呆れてものも言えないだろう。
だが、こんな粗悪な装備でも彼らには十分なのだ。
クマに匹敵する膂力と頑強さ。軍馬に匹敵する脚力と二足歩行故の小回りの良さ。そして吸血鬼特有の異常な再生能力が加わり、まともな生物では下級吸血鬼相手だろうが勝ち目はない。
そんな彼らが武器を持てば鬼に金棒。いいや『鬼に銃』と言っても良いかもしれない。
「何人生きた状態で村にやってくると思う?」
「二人か三人だろう。この前なんて、エリザベート様が全員『絞って』お湯に変えちまったんだからな」
「あー、もったいね」
物騒な内容だが、粗悪な剣を研ぐ彼らの口調は軽い。
元々いなくなっても問題にならないチンピラや盗賊達が下級吸血鬼にされたというのも理由の一つだが、それ以上に種族の変化が彼らの精神を人から乖離させる。
もはや彼らの思考は人外のそれであり、この変化は不可逆だ。怪物としての価値観でしか行動できはしない。
だが、そんな吸血鬼ですら一瞬人間だった頃の欲望が表に出てくる様な存在が本日村に現れた。
「でもあの黒髪の女は美人だったよなぁ」
「ああ、他の贄の顔を忘れちまったぜ」
気だるそうに作業を続けながら彼らは笑う。どいつもこいつも異次元の色気を放つ少女の顔を思い浮かべ、手元が疎かになっていた。
水車の力で動くグラインダーを使っていた者は指を削り取られ、炉を使っていた者は足先を燃やしてしまうが、痛みを訴える悲鳴が数秒響くだけ。誰も気にしない。
だって彼らは不死身の怪物、ヴァンパイアなのだから。
* * *
そんな村とは別に、城の中ではピリピリとした空気を纏ったジェイソンが不快そうに眉をよせてスケルトン達に命令を下していた。
「裏の勝手口を見張っていろ。お前は東にある隠し通路に行け」
カタカタと骨を鳴らして歩いてく従僕たちに、彼は舌打ちをした。
「ミーアめ、絶対に逃さんぞ……この私を、フェレンツ家の嫡男を馬鹿にしおって……!」
苛立ちを隠す気もない彼だが、すぐにその頬が歪に緩んだ。
「くく……だが、ああ……あの美しい顔が悔しさと恐怖で染まるのは楽しみだな……」
ジェイソンの頭に、妻として迎えるミーアとの初夜が浮かび上がる。
彼は別にシュミットの変装した姿に惚れているわけではない。単純に欲情しているだけだった。
だからこそ、その妄想は彼にとって都合のいい自分勝手なものとなる。
ヴァンパイアになれた事を喜び、ジェイソンに感謝しながら奉仕するミーア。それを寛大にも受け入れ、そして今後己を侮る事など無い様に躾ける自分の姿……といった具合に。
「……絶対に、ぜぇったいに逃がさん……」
ここでシュミット達にとって誤算だったのは、ジェイソンの執着具合だろう。赤い瞳をギラギラと輝かせる彼の顔を見れば、いかに歴戦の戦士だろうと恐怖を抱かずにはいられまい。
だが、その誤算も彼らの作戦には影響しないのだから語る理由も特にない。
「それにしてもまったく……父上にも困ったものだ。まだ隠し通路なんぞ残しておいて。高貴なる夜の一族が、いったい何を怖がるというのか」
ジェイソンの独り言は終わらず、父親への愚痴まで始まった。
普段の癖なのか誰もいない広い廊下を歩きながら、彼は口を動かす。
「無駄に人間どもが逃げてしまうリスクを上げてしまうだけではないか。いっそ独断で封鎖し、フィレンツ家の嫡男に相応しい度胸をお見せするか?」
そうは言った彼の肩に、何者かが青い手を乗せる。
「───ほう、儂の意に背くと」
「ひっ……!?」
底冷えするような声。しわがれたその声にジェイソンは身をすくませ、慌てて振り返りながら片膝をつく。
「こ、これは父上。お戻りになられたのですね」
「ああ。今しがたな」
ジェイソンの眼前に立つ人影。それは片膝をつく息子を見下ろす、彼の父だった。
親子の礼ではない。臣下の礼をするジェイソンと、その行動を当たり前の様に思っている父親。公式な場でもないのにそんな事をする両者の姿が、格の違いを何よりも表していた。
「それで……貴様に儂の意を無視して動く度胸があるとか?」
明らかに苛立ちの混じったその言葉に、ジェイソンは喉を引き攣らせる。
「め、滅相もございません!わ、私は父上の従順なる下僕。逆らう様な真似など」
「なら、良い」
ジェイソンが語り終えるよりも先に興味を失った様で、滝のような汗を青い肌に掻く息子を放置しのそのそと歩き出す父親。
先ほどまでの苛立ちすらも霧散した様子で、重い足取りで廊下を進み階段を目指す。
「後で今日運び込んだ贄を儂の部屋に持ってこい。選別を行う」
「は、はい!そ、それと、その……」
「なんだ」
「贄の中に、一際麗しい娘がおります。それを私のきさ」
「それならエリザベートにやる事にした」
「え?」
思わず顔をあげるジェイソンだが、父親は振り返らない。杖を突き、ゆっくりと階段を上っている。
「先ほど『湯あみ』から上がったエリザベートからせがまれた。選別をする前だが、一匹ぐらいならどうでもよかろう」
「お、お待ちください!アレに目を付けたのは私が先です!私にください!」
胸に手を当て己を示しながら吠えるジェイソンに、しかし父親は何も答えずに階段をのぼって行った。
追いかけようと思えば追いつける。だが、それを彼はしなかった。
そうすれば自分は殺される。そう、理解していたから。
「ぁ……ぁぁ……」
「あれぇ?どうしたのですかぁ、お兄様ぁ」
そんな彼の背後に、新たな存在が現れる。
「エリザベートぉ……!」
振り返ったジェイソンが睨む先には、バスローブを身に纏い長い髪をタオルで纏めた妹の姿があった。
殺意が滲む視線を向けられても、彼女の小馬鹿にした様な笑みは陰らない。
「貴様、お父様に……!」
「あらぁ、私があの時引いたのはお父様の命令だからだもの。ならお父様に直接お頼みするのは当たり前でしょう?」
クスクスと笑う彼女の胸倉をジェイソンが掴む。
豊満な乳房がこぼれ出ようが、この場にそんな事を気にする者などいない。
「ふざけるな!私のだぞ!私が先に手にしたんだ!」
「勝手に言っていただけでしょう?それとも何かしら、名前でも刻んでおいた?だったらごめんなさぁい。許してぇ、お兄様ぁ」
わざとらしく甘い声を出す妹に、ジェイソンの額に血管が浮かび上がった。
「お、お前!お前はまたそうやって私を見下して───」
「見下すぅ?」
「かっ」
次の瞬間、ジェイソンの体は壁に叩きつけられていた。
衝撃で掛けられていた絵画や飾られていた壺が床に落ち大きな音をたてるが、それを気にしている余裕など彼にはない。壁にめり込んだ体を必死に動かし、首元へと両手を伸ばした。
そんなジェイソンの首には細く華奢な青い肌の腕が一本、そえられている。
だが不可思議なのは肘より上が見当たらず、薄い霧が伸びているだけな事だ。その霧の先にはエリザベートが立っており、バスローブの袖をひらひらとさせている。
「下に視ているんじゃなくってぇ、実際下なんでしょう?」
「が、ぎぃ……!」
必死に腕を振りほどこうとするジェイソンだが、びくともしない。吸血鬼故呼吸の要らない体だが痛覚は存在している。
ミシミシと骨を軋ませ肉を潰してくる指に、彼の顔は苦悶で染まっていた。
「まぁ、いいや」
「げ、はぁ……!」
瞬間、幻だった様にジェイソンの首を絞めていた腕は消えエリザベートの肘から先も元通りに戻る。
膝をついてせき込む彼を、エリザベートが笑みを浮かべて見下ろしていた。
「純粋種としては平均的な力しかないお兄様。私と貴方の上下関係は、偏にお兄様が妹より弱いからでしょう」
「ぎ、ぎざ……」
「次生意気な事を言ったら一晩中串刺しにした後、そのまま日の当たる場所に飾ってあげる。良くって?」
「っ………!!」
ジェイソンは答えない。ただ下を向き、歯を食いしばって吐き出しそうな言葉を堪えた。
ここで反論すれば、この妹は本当に自分を殺す。本能的に理解させられたその事実が彼の歯を閉じさせたのだ。
その様子を観察していたエリザベートだが、やはりすぐに興味を失った。そんな事よりも彼女の頭の中にはどうやってあの『聖女になるはずだった少女』を拷問しようかという考えだけが巡っている。
苦痛に叫ぶ姿が見たい。痛みに耐える気高い姿が見たい。そして、最後にはボロ雑巾みたいにギチギチに絞って終わらせたい。
そんな事を考える彼女の口元には笑みが浮かび、軽い足取りで己の部屋に向かおうとした。スケルトンたちに洗わせていた拷問器具がそろそろ使えるはずだからと。
その時だった。
───ドォォォン……!!
轟音が城の窓を揺らし、ジェイソンらも咄嗟に音がした方向へと視線を向ける。
「なんだ……?」
やや慌てて窓の方へと向かった彼の目には、村を囲う柵から黒煙が上がっている様が映った。
「へぇ……」
そして、背後からは興味深げな声が。
先ほどのやり取りに思う所を残したままながら、ジェイソンは振り返る。
「え、エリザベート!すぐに父上へ報告を」
「それはお兄様がやっておいてぇ」
いつの間にか彼女の服装は深紅のドレス姿に変わっており、紫色の口紅が塗られた唇は弧を描いている。
赤い瞳を爛々と輝かせ、エリザベートは兄の横を通りガチャリと窓を開けた。
「感じるわぁ。聖職者でありながらむせる様な死の臭い、間違いない」
長い犬歯をむき出しにしたその笑みに、ジェイソンが後退る。
「え、エリザベ」
「エクソシスト……お母様の仇……!」
瞬間、彼女の体が蝙蝠の群れとなって外へと飛んでいく。その向かう先は、黒煙の上がる村。
呆然とそれを見送った後、ジェイソンは大慌てて父親の部屋へと走り出した。
だが、数秒の逡巡の後に地下室へと向かう。今のうちにミーアだけでも確保しておこうと考えたのだ。
「……は?」
しかし───彼が向かった先は既にもぬけの殻だった。
* * *
「なんだ、事故か!?」
「いや攻撃だ!」
「外に誰かいやがるぞ!」
煙をあげる村を囲う木の柵。その一角へと吸血鬼達の視線が集まる。
謎の爆発でボロボロになるも、それでも三メートルほどの丸太で組まれた柵はきちんと立っていた。
だが、それも一秒後には吹き飛ばされる。
黒焦げになった丸太の柵が、『蹴破られた』のだ。
「こんばんはぁ、哀れなる動く屍諸ぉ君……」
煙の中を歩み出てくる男。彼目掛けて吸血鬼の一体が飛びかかる。
下級とは言え吸血鬼。猫科の獣に匹敵する敏捷さでもって、鋭い爪を振りかぶった。
「何もんだよ、てめっ───」
だが、その言葉は銃声で遮られ、肉体は弾丸でもって押しやられる。
胸に風穴を作った彼は倒れ伏し、他の吸血鬼達は恐怖で一歩後退った。
「な、なぁ……!?」
「眠る前に祈りを捧げなさい。さすれば我らが女神は汝らの罪を許し、今度こそ安らかな眠りを約束してくださるでしょう」
まるで子供にでも言い聞かせる様な優しい口調。だが、その重々しい声の主の顔は神父らしい神父のそれではない。
獣の様に逆立った金色の髪と鷹の様に鋭い瞳。いくつもの向こう傷を刻んだ顔で特に目立つのは、左の額から顎にかけて裂かれた傷と鼻を横断する傷による十文字。
「さあ、早く。早く、はぁやくっ!我らの銀の弾丸が貴様らの心臓を食い破り、アンデッドに落ちぶれたその身を浄化するよりもはぁやぁぁぁくっ!!」
ガチャリと、銃の音が鳴る。
神父の服装をした戦士の背後には、同じくカソックをつけた男達。そして、その鍛え抜かれた肉体も硝煙の香る様もまったく同じ。
第一エクソシスト。生粋の戦士が十人、ボルトアクション式のライフルを手に立っている。男の背後で、殲滅せよという命を待っている。
「祈りを捧げよ……ヴァンパイアよ。今日が諸君らの命日なのだから」
拳銃と呼ぶにはあまりにも武骨なリボルバーを手に、先頭に立つ神父は吸血鬼達に歩み寄る。
彼らの葬儀を行う為に。
* * *
『お父様ー!』
『貴族たるもの大声を出して走るな、ジェイソン』
『まあまあ、いいじゃないですか』
『……カーミラはいつも子に甘い』
『あら、子供相手に焼きもちですか?』
『おぎゃ!おぎゃぁ!』
『よくやった、カーミラ』
『ありがとう、あなた……。ジェイソン、この子が貴方の妹よ。守ってあげてね?』
『はい!わぁ、ちっちゃい……』
『ふふ。貴方も昔はこれぐらいだったのよ』
『お母様ー!見て見て、人間の串焼きー!』
『こーら、食べ物を粗末にしちゃいけません!血が固まっちゃっているでしょ!』
『よいではないか、一匹ぐらい』
『もう、娘には甘いんだから』
『本当ですよ、ぼ、私の時は怒ったのに』
『はぁ……はぁ……く、貴様は、いったい……!』
『あなた!』
『くるなカーミラ!子供らをつれて逃げよ!』
『逃がさない……吸血鬼は、全て殺す』
『おのれ、この化け物がぁ!』
『聖女の名にかけて、貴様らを殲滅する』
───ドォォォン……!
「……来たか」
ゆっくりと、一体の吸血鬼が赤い眼をあける。
『ダミアン・ドゥ・フェレンツ』
この地を統べるヴァンパイアロードであり、ジェイソンとエリザベートの父である存在。
夜。ヴァンパイアにとって最も活動しやすい時間帯にも関わらず、彼は城に帰って早々眠りについていた。
ダミアンは棺を開け、ゆっくり立ち上がる。その動作だけで眉をひそめながら、彼は懐から水晶玉を取り出した。
己の領地であるこの城と村を監視する為のそれを覗き込めば、大柄な男達が村の吸血鬼相手に銃を向けている所が映っている。
その中で先頭に立つ拳銃を持った男に目を止め、ダミアンは苦々しく彼らの名を吐き捨てた。
「エクソシスト……教会戦士か。やはりジェイソンとエリザベートは派手に動き過ぎていたな……我が子らながら、学習しないものだ」
エクソシストは吸血鬼にとっての天敵であり、その平穏を奪う殺戮者。女性の身で異例ながら入隊したとある少女に奥方を殺されたフィレンツ家にとっては仇敵でもある組織。
だが、ダミアンがとった行動は。
「今すぐ逃げなければ。ジェイソンは……城の中か。エリザベートは奴らに向かっている。止めなければ」
本来高貴なる夜の一族である彼がこの様な選択をする事はない。だが、まだ『逆襲』の準備が整っていないのだ。
未だ計画は準備段階。息子と娘を連れ、撤退を考える。
だが彼もただで逃げるつもりはない。この城には大量の爆弾が仕掛けられている。吸血鬼にとっては何の脅威でもないが、城が崩れるほどの爆発は人間に対して過剰な殺傷力を持つ。不用意に城へ突入しようものなら、生き埋めは確実だろう。
そう考えながら仕掛けの確認をしようと水晶玉に意識を向けた、その時だった。
「───」
ギシリと、ダミアンの動きが止まる。
城の正門が開かれ、贄どもが逃げている事はまだいい。だが、見過ごせない存在がそこにいた。
長い黒髪が、地面で落ちた松明の火に照らされて躍る。
舞の様に軽やかな動きでありながら、最速最短で必殺の一撃を入れる太刀筋。種族さえ超越した美貌に冷酷な殺意をのせて、スケルトンに……アンデッド相手に武器を振るう少女。
『逃がさない……吸血鬼は、全て殺す』
「馬鹿な……馬鹿な!?」
大声で吠えながら、水晶玉を落とすダミアン。髭をたくわえ威厳に溢れる顔には滝の様に汗が流れ、手は左胸を押さえて吐き気を堪えている。
数秒ほど沈黙した後、彼は己に言い聞かせた。
あの女が生きているはずがない。なんせ『三百年前』の存在なのだ。何かしらの手段で不老になっていたとしても、それならば逆にこれまであの化け物が大人しくしていたわけがない。どこかで話題になっていたはずだ。
そう心の中で呟き、平静さを取り戻そうとするダミアン。彼はふらつく足で、ゆっくりと部屋を出て行く。
逃げる前に確かめなければならなかった。ありえない事であるが、もしも彼の知る怪物とあの少女が同一人物であった場合、計画そのものを破棄しなければならないのだから。
乱れる呼吸を整えながら、ダミアンは竦みそうな足を強引に動かしていく。
……もしも彼がもう少し冷静で、数秒長く水晶玉を見ていたのなら別の判断をしていただろう。
水晶玉の中では、今まさに己の息子が黒髪の少女―――らしき何かに戦いを挑んでいたのだから。
読んで頂きありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。励みにさせて頂いております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。




