第五十五話 潜入した先
第五十五話 潜入した先
自分達が通された先は、恐らく昔は食糧庫か武器庫として使われていたであろう地下室だった。
だが、後者はともかく前者なら今も同じなのかもしれない。なんせ使っているのが吸血鬼なのだから。
「父上がお帰りになるまでお前達はここにいろ。今はまだ人間であるミーアもだ。人間の臭いが城の中にこびりついては困る」
スケルトンメイドを連れたジェイソンがそう言い、こちらを見下ろしてくる。
低めとは言えヒールを履いた自分が首を上に傾けないといけないあたり、身長はおよそ二メートルと言った所か。前世日本ならそうそう見ないほど長身だが、今生では最近見慣れてきている。
こちらの視線をどうとったのか、ジェイソンはふっと笑った。
「そう心配するなミーアよ。貴様の血は私達ヴァンパイアの高貴な血に入れ替えられる」
「血を、入れ替える……?」
「そうだ」
自信満々な様子でジェイソンは続けた。
「数度に渡り吸血を繰り返し、血を抜いていく。そしてその都度に私か父上の血を流し込んでやろう。そうすれば貴様は数カ月後には純粋種の仲間入りだ」
そんな方法で純粋種が増えていたのか……普通の『交配』以外の手段はウォルター神父から聞いていない。思わぬ形で役に立つのかわからない情報を手に入れてしまったな。
「無論、誰にでもできる事ではない。受け手となる者にも相応の魔力が必要だ。さもなければ人間の脆弱な肉体では耐え切れず、心臓が爆ぜてしまうからな」
……なるほど。そう言えば吸血鬼は『高貴な身分の者を狙う事がある』と聞いた事がある。
わざわざ危険を冒してでも警備の厚い者を襲っておいて、その人物に国の内側から吸血鬼に有利な動きをさせるでもなく連れて行ってしまうのはそういう理由だったわけだ。
先の情報も合わせてウォルター神父に、いいや教会に売れないか考える。
だが、背後にいる女性達の気配ですぐに諦めた。それは無理だな、と。
しかし、脱出の難易度を少しでも下げる為ジェイソンの会話を続ける事にした。非常に不愉快だが、致し方ない。
「ジェイソン様……」
そっと、奴の胸にもたれかかる。
こちらの偽乳を押し付けて女装がバレるわけにはいかないので、両手をジェイソンの胸板との間に挟んでから額を押し当てた。
「み、ミーア?」
狼狽えた声。ああ、うん。客観視できるからわかる。自分も異性に突然距離を詰められたらこういう声を出しているのだろうな。
その事に若干のメンタルダメージを受けながら、しかし演技は続ける。
「ヴァンパイアの方々が、素晴らしい力を持っている事は、わかりました……」
「う、うむ。そうであろうそうであろう!」
イメージするのは『必死に媚びを売ろうとしつつもそれを気づかせない様に強がっているが、恐怖までは隠しきれていない街娘』。
それぐらいで丁度いい。相手とてこちらの足元が見えた方が話しやすいだろう。自分が圧倒的有利であり、決定権を持っているのだと思えれば安心してくれる。
そこをつくのだ。必要経費として付け焼刃程度だが『舞台役者』に関する技能をいくつか習得する。
自分の内側で何かが作り変えられる感覚がして気持ち悪いが、恐怖で血の気が引いていると思わせられるのだから好都合だ。
「ただ……ただ、恐いのです」
「ほう、何が恐い。よもや人間でなくなる事がなどと言うまいな」
口調こそ厳しいが、ジェイソンはこちらの背に手を回し、ゆっくりと下にさげていく。
その行動に、びくりと小さく反応してやった。生娘らしい反応をしつつ、それでも従順に。たぶんこういう奴はそういうリアクションが好きだろうから。
「いいえ……私が恐いのは、エリザベート様です」
「う、うむ。妹か」
びくりと、ジェイソンの肩が跳ねた。
「貴方様と恐れ多くも結婚できたとして、彼女が私の義妹となる……のですよね?ヴァンパイアの方々のしきたりには詳しくないのですが……」
「ああ、その認識で問題ない」
「ですが、その……あの方の目が、どうしても恐いのです。あの時ジェイソン様が守って下さらなければ、どうなっていた事か……」
ここの部分は本音なので、特に意識せずに言う。
もっとも、『それはそれとして貴様が嫌いだ』などと胸中の全ては語っていないが。
「そ、そうだ!私が守ってやったのだ!」
「ですが、もしもジェイソン様がいない時にエリザベート様に狙われたら……貴方様の傍に身を置かせて頂くのは無理なのでしょう?」
「う、うむ。そうだな……私の妹は少々変わった趣味をしているのだ」
ぎこちない手でこちらの尻をジェイソンが撫でる。
奴の胸元にあてた手に少しだけ力を籠めた。しかしそれは街娘相応のもの。加減を間違えてはならない。
「処女の生き血が好きなのはヴァンパイア共通なのだが、あいつは飲む量よりバスタブに溜めて体をつける量の方が多いのだ」
あっさりと、ジェイソンがとんでもない事を言ってきた。後ろの方から硬い唾を飲み込む音が聞こえる。
どこのカーミラ夫人だと言いたいが、そう言えばあの人も吸血鬼伝説で有名だったな。嫌な因果もあったものである。
ついでに───あの少女の姿をした怪物から異様に放たれていた血の臭いにも納得がいった。
ジェイソンからも血の臭いがするが、エリザベートは異常である。蝙蝠どもは音もなく飛んでいたが、臭いまでは消えていなかった。
「なんと『もったいない』事をするのだと思い父上に幾度も叱ってくださる様にお頼みしたが、父親というものは娘に甘い。それだからあそこまで生意気にもつけ上がるのだ」
最初はぎこちなかった手が、探る様に段々と大きく動いていく。
尻に感じるそれを不快に思いながら、演技を続けた。ここからが重要である。
「私は、ヴァンパイアの方々の一員になりたいです……」
「ほう」
「そうすれば、色々な恐怖から解放されます。怪我も、病も……老いからも」
小鼻をひくつかせニヤケ面を晒すジェイソンの目が、嘲笑う様にこちらを見下ろした。
恐らく『なんと浅ましい』とでも思ったのだろう。ウォルター神父から過去には不老の力ほしさに吸血鬼に自ら協力を申し出た貴族もいたと聞いた。この言葉はそう違和感のあるものではないはず。
特に、『どうにかジェイソンに取り入って少しでも身の安全を確保しようとしている、無知な街娘が必死に売っている媚び』となればなおの事。こう言った言葉が出ても不自然ではあるまい。
無論、普通に疑われる可能性もある。そこは……不本意ながら、奴がご執心の尻で誤魔化そう。
「ヴァンパイアになるまで死ねません。ですから、ですから……」
潤んだ瞳で、ジェイソンを見上げた。
涙などいくらでも出せる。過去を思い出すだけで一晩中泣けるのだから。
「このお城からの、逃げ方を教えてください。ジェイソン様がいらっしゃらない時、エリザベート様に殺されない為に……もちろん、貴方様がおられるのならすぐに戻りますから……!」
「………」
すっと、ジェイソンの目が細められた。
「ミーア。愚かな娘よ。我が妃よ」
尻を掴む手に力がこめられ、お互いの体が更に密着する。
「その様な色仕掛けで、私が貴様を逃すと思うか?」
「いいえ、いいえ、違うのです……!」
「違うものか。私を馬鹿にしているのだろう、『お前も』」
うん、それはそう。
「決してその様な事はございません……!わ、私はただ……」
「私を侮る事など許さん。私は高貴なる夜の一族だ。フィレンツ家の嫡男なのだ」
至近距離で赤い瞳がこちらを覗き込む。
そこには本心から恐怖を覚えるほど、様々な感情の炎が燃えていた。怒り、羞恥、妬み。その他諸々。
ああ、やはり。こいつはコンプレックスの塊だ。
ことあるごとに吸血鬼という『カテゴリ』は素晴らしいものだと言って、それに属する己を賛美する。
それでいて格上と思しきエリザベートには露骨に恐怖心を露にし、しかしその姿を他者に見られて恥と思う心はある。
なるほど、吸血鬼は人とは異なる価値観と生態を持つ怪物だ。
だが、人に似た姿で人と同じ言語を使うのなら全く違うなどという事はない。
決して自分は他者の機微に聡い方ではないが、今のジェイソンの心理状態はおおよそわかる。こいつは今、直前にエリザベートという脅威に相対して興奮状態にあるのだ。アンデッド故か心音はこの距離でも聞こえないが、発汗や目の動きからそれは察せられる。
そして追い詰められた人間は、獣と同じく視野は狭まり短絡的な選択を本能のままにしてしまうのだ。
人同士の腹の探り合いならともかく───それが『狩り』の状態にまでなったのなら、負けない。
「絶対に貴様は逃がさん。せいぜい夫婦生活が穏やかなものであると祈るのだな!」
一際強く尻を掴んだ後、こちらの体を突き飛ばす。
受け身を取りそうになる体を理性で抑え、スカートの中が見えない程度に転んでみせた。
「きゃっ……!」
「いいか、よく覚えておけ。私達ヴァンパイアは人間どもよりも遥かに優れた存在だ!逃げ場などないぞ!」
踵を返して地上へと上り始めるジェイソン。彼の背に縋る様に手を伸ばし、掠れた声で弁解の言葉を届けようとする自分。
だが、無情にもスケルトンの手で扉は閉められ、ガチャリと鍵がかけられる音がした。
完全に、ジェイソンの慈悲に縋る作戦は失敗した───よね?
我ながら己の演技力が不安でしかない。そもそもこういった駆け引きは苦手なのだ。剣の読み合いとは勝手が違い過ぎる。狩りに例えてそれにそって行動したものの、絶対の自信は抱けない。
これで『布石』がつめたと良いのだが……。
室内は暗闇に包まれるも、すぐに『しゅぼっ』という音がしてマッチの火が僅かながらも明かりをくれた。
マッチの主に視線を向けようとすると、突然肩を掴まれる。
「あ、あんた何てことをしてくれたのよ!」
見れば、囚われた女性の一人が涙を目じりに溜めて怒鳴ってきた。
「あんたは気に入られたみたいだから助かるかもしれないけど、わた、私達はどうなるのよ!もっと媚び売ってくれなきゃ困るじゃない!!」
そんな身勝手な、などとは思わない。
この人は被害者だ。心身ともに限界は近く、この様な態度をとってしまってもしょうがない。何より、先ほど自分は『私だけは助かりたいの』的なムーブをしたばかりだし。
ただ、申し訳ないが先に話をしないといけない人がいる。
「どうすれば、どうすればいいのよ……!私、来月には結婚するのよ!?それなのに、それなのにこんな、こんな事って……!」
「まあまあ、落ち着いてください」
嗚咽をもらし始めた女性に、マッチの火を持った人物が話しかける。
この状況にそぐわない、落ち着いた声。僅かな明かりが照らすその表情も穏やかな笑みが浮かべられている。
そんな人物に、涙を流す女性は強く睨みつけた。
「なによ、あんたも美人だからって自分は大丈夫って思ってんの!?勘違いすんじゃないわよ!ヴァンパイアっていうのは恐ろしい存在なのよ!?街の神父さんが───」
「ヴァンパイアの恐ろしさなら、この場の誰よりも知っていると自負しております」
キッパリと告げたマッチの少女に、思わず女性は言葉を詰まらせた。
呼吸の読み方が上手い。恐らく半狂乱になってしまった相手への対応に慣れているのだろう。
「ご安心ください。貴女達は助かります。助けてみせます」
女性にしてはやや低い、それでいて自然と胸に響く声。
見た目の年齢不相応に落ち着いた少女は、どこかからある物を取り出した。
「最初に、自己紹介をしましょうか」
それは陽光を背負った銀十字。
美しい顔立ちの、儚げな印象を受ける栗色の髪をした少女。否。
女装をした線の細い美少年が、ニッコリと人懐っこそうな笑みを浮かべてみせた。
「僕は『第一エクソシスト』のイオと申します。以後、お見知りおきを」
囚われた女性達を安心させる様に、彼は名乗りを上げた。
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