第五十四話 難易度
第五十四話 難易度
例の青肌の吸血鬼を先頭に連れ去られた女性達はどこかへと移動させられていた。その中には自分もいる。
……いいや、この言い方には語弊があった。
「名乗るのが遅れていたな。私の名は『ジェイソン・ドゥ・フェレンツ』。フェレンツ家の嫡男である」
青肌の吸血鬼ことジェイソン何某の跨る馬に乗せられているのだ。
毛艶の良い白馬で見栄えはするが、軍馬としても農耕馬としてもこの肉付きではあまり活躍できないだろう。
こういうのは馬に失礼かもしれないが、本当に見た目だけの馬だ。まあ吸血鬼からしたら大量の荷を運ぶ以外で馬の足を頼る事の方が少ないだろうけど。
そんな現実逃避をジェイソンの腕の中でしていた。
「フェレンツ、様……」
「気軽にジェイソン様と呼ぶが良い。お前はこれより数カ月後、私の妻となるのだからな」
ニヤリと傲慢さを隠しもしない笑みを浮かべる奴から、そっと視線を逸らす。嫌悪感を出してはいけない。ここで揉め事を起こせば馬の後ろをついて歩く女性達にまで危害が及びかねないのだ。
こいつが自分を馬の前に抱く様にして乗せているのは、村の者達へのアピールなのだろう。コレは私の獲物だと。
それだけこいつの注意が自分に向いており、なおかつジェイソンのいる場所で他の吸血鬼も下手な事はしない。自分が我慢すれば死人が出る可能性は減る……はず。
それにしても。貴族の様な名乗りもあったし吸血鬼の中でも序列があるのだろうか。アリサさんもその辺り詳しくない様だったので、自分もあまり知らない。
ただわかるのは、この男は強いという事だけ。
正確な力量がわかる程自分は熟達ではないものの、自分を抱いて馬に乗っている様子から非常に高い膂力と体幹を持っているのはわかる。
それに村の吸血鬼の首を刎ねた時の太刀筋。一朝一夕のものではなかった。普段から剣の鍛錬をしている者のソレである。
願わくばソードマンの様な規格外でない事だが、はたして。
「クク……もっと喜べ、ミーアよ。貴様の様な人間、それも爵位を持たぬ娘がヴァンパイアとなり貴族の一員となれるのだからな」
「は、はぁ……」
「まあ、貴様の様な下賤な者にはまだわからぬか」
こいつは僕の事が好きなのか嫌いなのかどっちなのだ?
そう思うも、好かれても困るのでこっちとしても何とも言えない。ちなみに僕は既にこいつが嫌いだ。
「だがヴァンパイアとなれば理解できる様になる。猿から進化できるのだからな」
「そう、ですか……」
そんな会話をしながら、周囲を見回す。あまり派手に首を動かさなければただの『不安を感じてしょうがない街娘』としか思われないはずだ。
村の住民はよほどジェイソンが怖いのか、彼とは視線を合わせようとせずにいる。だが露骨に家の中に戻って不興を買うのもまずいと、元々外に出ていたと思しき者達は道の端で大人しくしていた。
その数は七十から八十ほど。最初から家の中にいた者などを考えれば村にいるのは百人ほどか?
全員男で、街や村で普通に見かける様な服装をしている。ただし、裕福には見えない。
立ち姿にも妙なところはなし。肌の血色が悪い以外は外見で普通の人間と区別がつかないほどだ。
どんどん村を進んで行くと、木製の門らしき物が見えてきた。
「ミーアよ。この村は私達『純粋種』から血を恵んでやった人間どもの住む所だ。しかし、これより先は私と父上。そして妹だけが住む真のヴァンパイアの世界である」
「申し訳ありません、私には、よく……」
「クク、よいよい。無知で愚かな娘よ。貴様はただ私に愛でられていれば良いのだ」
「はい……」
小声だが普通に喋っているのに、ジェイソンの態度が変わる様子がない。まさか本当に僕の声って女性で通じる感じなのか?
念のため男だと見抜かれていて泳がされているだけかもしれないと警戒しているのだが、あまりにも隙だらけだ。
ナイフを抜いて心臓に突き立てるまでなら普通にいけそうである。
だが相手は吸血鬼。一応この世界の彼らについてサンダースまでの汽車でウォルター神父からある程度はその能力について聞いている。
『異常な生命力』『高水準の魔力』『眷属の監視』『怪力』『黒魔法』『変身能力』
黒魔法以外は前世で知る伝説の存在と違いはない。ただ、程度は個体差が激しいのでわからないと聞いた。
純粋種とやらでも弱い個体ならクマより少し強い程度で、銃を持った兵士数人でも銀の武器さえあれば倒せる。
だが強い個体なら一個小隊相当の兵士がいても返り討ちにあう可能性すらあるとウォルター神父は言っていたのだ。
剣士としての技量ならともかく、吸血鬼特有の不可思議な力までは想像がつかない。ジェイソンの実力を推測しきれない一番の原因がそれだ。
とりあえず今は大人しくしているのが吉だろう。そう思い抵抗しないでいれば、門を抜けて橋が一本通った崖に出てきた。
そして、その先にあった物に思わず目を見開く。
「城……!?」
「そうだ。だがこれがヴァンパイアの本来の家だとは思うなよ?この様な薄汚れた城、私達には相応しくないのだ」
ギシリと、手綱を握る奴の手に力が籠るのがわかった。
露骨なほど不機嫌そうになったジェイソンがここで暴れないだろうなと戦々恐々としながら、石造りの橋を超えた。
自分を抱えてジェイソンが馬から降り、ずんずんと城の玄関へ。そうして中に入れば、悲鳴がいくつも聞こえてくる。
後ろの女性達だ。
「ひっ……!?」
「す、スケルトン!?」
そう、古城の中には何体ものスケルトンがいたのである。
『スケルトン』
人間の骨が、肉も筋もなく動く怪物となった存在。それが城の中を徘徊していたのだ。吸血鬼は黒魔法を使うし、前に戦った謎のトロールも使役していた。この城にスケルトンがいる事は不思議ではない。
ただ疑問というか……非常に違和感のある事に全員『メイド服』を着ている。
クラシカルなタイプのそれを纏い作業をする彼ら……彼女ら?は非常に奇妙な存在に思えた。こんな状況でなければ喜劇の一種にさえ思えてしまう光景だ。
だが、薬師としての技能故に気づく。あのスケルトンの骨格は全て『女性』のものだ。ただのスケルトンに冗談でメイド服を着させているのではない。
ウォルター神父の話では既に数十人の女性達が行方不明となっている。であれば、彼女らは……。
「どけ、グズども。私が帰ってきたのがわからんのか」
無造作に近くにいたスケルトンの頭蓋を砕き、ジェイソンが鼻を鳴らす。
「まったく、『エリザベート』の趣味はわからんな。おい、これを片付けておけ。それと馬が外にいる。ちゃんと小屋に戻しておけよ」
『………』
カタカタと近くにいたスケルトンが頷き、指示通りに動き出した。
「ああ、ついでに───」
「あら、お帰りなさいお兄様」
ジェイソンの言葉を遮り、少女の声が城のホールに響く。
同時に、自分の上にある顔が歪んだのに気づいた。
「エリザベート……」
そうジェイソンが呟いた先を見れば、何匹もの蝙蝠が集まっていく所だった。
羽ばたく音もなくそれらは集まり、瞬く間に人型になっていく。爪先から順に女性らしいシルエットが現れていき、最後にふわりと長い髪が広がった。
「新しい贄が来たのね。浴槽が枯れてきていたから嬉しいわぁ」
青い肌の少女が、黒いドレスを纏って現れた。
煽情的な体つきに胸元の大きく開いた服装。紺色の長い髪に美しい顔立ちと、肌の色を気にしないのなら大抵の男は一瞬見惚れる様な容姿をしている。自分も仕事中でなければ思わず胸元と顔を二度見していただろう。
だが、ジェイソンの顔には警戒と嫌悪が浮かんでいた。
それも数瞬の事で奴は取り繕う様に無表情となり、エリザベートと呼んだ少女を睨む。
「そうだ。新しい贄を連れて来た。これより父上のもとへ連れていき、品質を見て頂く」
「へー、でもなんで一匹だけ抱きかかえているのかしら」
そう言ってエリザベートがこちらに顔を寄せてくる。
まずいな、このタイミングで女装がバレるのは厳しい。純粋種と思しき吸血鬼二体を同時に相手どる必要がある。だがこうも覗き込まれては気づかれないはずがない……!
覚悟を決めよう。そっと右手を己のスカートに這わせる。
「なんて美しいの……」
……なるほど、吸血鬼は目が悪い。僕は覚えた。
何やら陶酔した様にじっくりとこちらを見て来たかと思えば、彼女の華奢な指が頬を撫でてくる。
その時、鼻が異臭を嗅ぎ取った。これは……。
「この世にこれ程の美貌があるなんて。なんて素晴らしい、喜ばしい───妬ましい……!」
「っ……」
突然、エリザベートの爪が頬に一筋の傷をつけた。
「エリザベート!」
それに驚いたジェイソンが一歩下がり、彼女から距離をとる。
彼の反応に興味はないとばかりに、エリザベートは爪についた血を舐めとった。
「あぁ……!」
かと思えば、エリザベートは己の身を掻き抱く様にして悶え始める。
嬌声の様に小声をもらし胸元を強調する動きについつい凝視してしまいそうになるが、今は命懸けの仕事をしているのだと自重した。
今はたゆんたゆんと揺れる乳房を見てこぼれ落ちそうだなどと考えている暇はない。傍にあるむさくるしい胸板で思考を冷やすのだ。
「いい、いいわぁ……!これまで飲んできた処女の生き血とは違う、明らかにべつの何か。でも、なんて美味しいの!お腹の中が沸騰しそう!」
処女の生き血と違って当たり前だ。血の味なぞわからないが。
彼女はうっとりとした顔でこちらを見つめ、紫色なのに瑞々しい唇を舐めた。赤い瞳はギラギラと輝き、今にも跳びかかって来そうな気配は冬眠に失敗したクマを連想させる。
「お兄様ぁ、その娘をちょうだぁい。間違いない、その子は生まれる時代と場所を間違えた聖女。その血を手に入れれば、浴びる事ができれば、私は───」
「駄目だ。これ以上贄に手を出す事は許さん」
キッパリと断るジェイソンを、ギロリとエリザベートが睨みつける。
「なぁにぃ、聞こえなかったわぁ。誰が、誰に命令しているのかしらぁ」
その瞳には、明確なまでの殺意が浮かんでいた。
向けられた猛烈な殺意に、ジェイソンは一瞬呼吸を止め顔を引きつらせる。
「っ……ち、父上だ!」
露骨におびえた様子で後退り、自分を取り落とすジェイソン。
だが奴は絞り出す様にそう吠えた後、勝ち誇った様な笑みを浮かべ頬に汗を掻きながらもエリザベートを見返す。
それを床の上から見上げながら、今は様子を観察するかと怯える街娘のふりをする事にした。幸いと言うには不謹慎だが、お手本が奴の背後に何人もいる。
「わ、私ではない。父上の決めた事だ。それに逆らう気か?エリザベート」
「………ふーん」
先ほどまでの表情が嘘の様な無表情になったかと思えば、エリザベートは優雅なカーテーシーをした。
下げられた頭。ジェイソンには見えないだろうが、床に座り込んでいる自分には見えた。
エリザベートの美しい顔が歪み、まるで鬼のような……いいや、言葉そのままに『鬼の形相』と化していたのだ。
思わず、演技ではなく本気で恐怖を覚える。今にも垂れそうな涎を飲み込み、彼女は変わらぬ声音で言葉を続けた。
「それは失礼しました、お兄様。お父様の命令ならば仕方がありませんね」
「そうだ。わかったなら今後は気を付けるがいい」
「ええ。それでは私は『湯浴み』をしてきますので」
そう言ってまた蝙蝠となり、顔を上げる事なく姿を消したエリザベート。それを見送った後、ジェイソンは大きく息を吐いた。
その後、ハッとした顔で床に座り込んでいる自分と後ろの女性達を見る。
「そ、その眼はなんだ!私は高貴なる夜の一族だぞ!見くびるな!」
無論、この場の誰もこいつを『情けない奴』などと思っていない。単純に状況がわからないだけだ。
しかしジェイソンにはそう思えなかった様で、後ろの女性達のうち一番近い人の首を掴む。
「かっ、ひぃ……!?」
「ふざけるな……ふざけるな……ふざけるなっ!私は嫡男だぞ、フェレンツ家の男なんだぞ……!父上の次に偉いのは私だ!私なんだ!」
これはまずい。このままではあの女性の首が折られる。そう感じ、スカートの中に手を入れナイフに触れようとした時だった。
ざわりと、『嫌な臭い』を感じて腕を止め街娘の演技を続行する。
「ああ、そうそう」
「ひっ」
聞こえてきた少女の声にジェイソンが小さく悲鳴をあげ、女性の首から手を離した。
ぎこちない動きで彼が振り向いた先、ホールにある階段の手すりに寄りかかったエリザベートの姿があった。
彼女は先ほどの形相を消し、面倒くさそうな顔で手すりに豊満な胸を乗せてジェイソンを見下ろす。
「お父様は今忙しいから、贄を見せに行くのなら後にした方がいいですよぉ」
「な、なに?」
「領地を囲う結界の一部に違和感があるんですってぇ。どうせいつもの気のせいでしょうけどぉ」
言いたい事は言ったとばかりに、エリザベートはまた蝙蝠となって消え失せた。
それを呆然と見上げた後、ジェイソンは先ほどまで首を絞められ小さくせき込んでいる女性を無視し歩き出す。
「……全員ついてこい。ミーアもだ。まずは地下牢に入っていろ。父上が御帰りになりしだい、選別を始める」
ずんずんと進むジェイソンの背を見た後、せき込んでいる女性に視線を向ける。
そこでは栗色の髪をした少女がハスキーな声で彼女を慰め、肩を貸して立ち上がらせている所だった。
その少女と一瞬目が合い、小さく微笑まれる。
……一応それに軽く会釈してから、自分もジェイソンの後を追った。
これは、後でウォルター神父に文句の一つも言わなければな。
複数いる純粋種と思しき者達に、下級とやらに分類される百近くの吸血鬼。聞いていた仕事の難易度と違うのだから。
今の所一番危険なのはエリザベート。次点でそんな彼女に警戒されている『お父様』とやら。三番目のジェイソンも無視はできない。
城の地下へと向かっているのか、階段を下りながら内心でため息を吐く。
兎にも角にも、ヒールのついた靴で階段は辛い。とっととこんな服を脱いで、ただ剣を振るえばいい状況になってほしいものだ。
読んで頂きありがとうございます。
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