第二章 エピローグ
第二章エピローグ
「どういう、事ですか……?」
はたして、今自分が発した声は震えていなかっただろうか。
それすらもわからない。己の心臓は五月蠅い程に脈動しているのに、全身の血の気が引いていく。
眩暈すら覚えながらも、臍の下に力を籠めてふらつきそうな体を支えた。
「いやぁ、どこから話したもんか。困りますなぁ」
そんな自分とは反対に、当の本人は冗談めかしに言いながら頭を掻いている。
だがあの手に浮かんでいる鱗は決して特殊メイクの類ではない。アーサーさんに見せてもらった、セルエルセス王の体から生えていた龍のそれに酷似し過ぎている。
「んー……『亜竜化現象』って知っている?シュミット君」
「ありゅう?どういう意味ですか?」
「本来のドラゴンとは違う、まあ劣化版みたいなものになっちゃう現象かな?」
ありゅう……亜竜?
聞いた事のない単語だが、一般的に知られているのだろうか。
「どうしてそういう事が起きるかと言えば、ドラゴンが仲間の体を食べた存在を呪うからなの。セルエルセス王の最期については……たぶん、お兄様から聞いているよね」
「ええ。帝国との戦争後、逆侵攻の為に更なる力を求めたと」
「あー……本当の理由については、今は置いておこうか」
苦笑いを浮かべて彼女は頬を軽く掻く。
「私はあの王様の御遺体は見せてもらえていないんだけどね。セルエルセス王が御隠れになったのは、ドラゴンの肉を食べたから。そして呪われたの」
「そこまでは知っています。ですが、何故それが貴女に……」
「呪いはね、食べた人だけじゃ収まらないんだ」
アリサさんは己の左手をゆっくりと撫でた。
白雪を連想させる肌に浮かんだエメラルド色の鱗が、異様な気配を放っている。
自分の奥底にある本能が……生存本能と言うべきものが強く警報を鳴らしている様な気がした。
たった鱗数枚を見ているだけで、喉が干上がる程のプレッシャーを受けている。その事実に、妙な苛立ちを覚えた。
「その対象に関わる者……親類縁者全てに呪いは降りかかる。セルエルセス王の場合は、肉親全てと王国に所属する貴族たちまで含まれていたんだよ。その子孫も含めてね」
「それは……」
あまりにも多すぎる。そして、完全に国家として致命傷だ。
一斉に統治者がいなくなればどうなるか。ただ他国の食い物にされるだけではない。この世界の自然という物は、前世のそれすら上回る暴力を持っている。なんせ通常の動物以外に『魔物』がいるのだから。
個々の村や街だけでその混乱を治められるとは思えない。そもそも『貴族』の範囲がどこまでなのか。もしも騎士爵家の次男三男までに及べば統治者どころか軍や警察組織と言えるものまで指揮官を失う事になる。
「そして、呪いとして現れるのはさっき言った亜竜化現象。呪われた人は理性もなく暴れる、小さな……それでも十数メートルもある怪物になって見境なく周囲を破壊して回るんだ。その強さは単独で国を傾ける様な被害を出すとさえ言われているよ」
「……しかし、未だ王国は残っている。それはつまり」
「そう。ドルトレス王はセルエルセス王の呪いを解くために、非効率的だとわかっていながら沢山の研究所を作った。そこで得られた研究成果の一つに、『呪いをある程度誘導する』という物があるの」
呑気に『凄いよねー』と言いながら、彼女は笑った。
「セルエルセス王の子供たちの中から、一人を選んでその人にだけ呪いを向けさせる。そして、その人が亜竜になる直前に殺して被害を抑えるの。でも一人だけじゃ終わらない。だから」
「呪いの対象として誘導する先に、その者の子孫を……」
「そういう事。で、察している通りそれが私の御先祖様!」
両手を広げ、アリサさんはクルクルと回りだす。
まるで躍る様にそうしながら、彼女は言葉を続けるのだ。
「呪いを受け継いでいく代わりに公爵という地位と、格別の待遇を約束する。お父様の妹君も、お爺様のお兄様も呪いを引き受けて二十歳になる前に亡くなったんだってさー」
そこまで言って、アリサさんは立ち止まり肩をすくめてみせた。
「ちなみにその呪いの矛先を固定する為に王都にある公爵家の屋敷にセルエルセス王の御遺体が安置されているんだけど……私には見せてくれないんだよねー。万が一にも遺体やその周囲の術式を破壊させない為なんだろうけどさー。信用ないよねー」
同意を求める様な声に、数秒だけ目を閉じる。
「貴女は、納得しているのですか?」
「もちろん」
「この国の貴族で貴女に敬意を払わない者はいないと聞きました。それは、『罪悪感』を『尊敬』という言葉で誤魔化しているだけです」
「そうだねー」
「その事も、納得しているのですか?」
「当たり前だよ、相棒」
彼女の顔を直視できない。だが、それでもアリサさんは笑っているのだとわかった。
いつもの様にチェシャ猫みたいな笑みを浮かべて、こちらを見ているのだ。
「貴族として産まれた以上、何かしらの形で役目を果たす義務がある。私のそれは、産まれた時に終わっているんだから楽な方だよ」
『生まれの理不尽さをシュミットは知っているのだと確認しておきたかった』
……アーサーさん。貴方は話の長い人でしたが、一番気にしていたのはそこでしたね。
ようやく彼が言いたかった事の意味を理解する。
妹であるアリサさんが置かれた状況を、僕が『ただそういうもの』とだけ見るのかどうかを探りたかったのか。
兄妹揃って、妙な所で不器用な人達だよ。本当に。
「産まれた時に役目を終えたんだから、後は自由時間!二十年近く好きにしていい時間があるなんて、かなり恵まれた事じゃない?歴代の人達も、割と楽しい人生を歩んだらしいよ」
……二十年近くの命を自由に、か。
確かにそれは贅沢な事かもしれない。開拓村では十歳にもならない内に死ぬ者も少なくないのだ。
前世の世界でだって、探せばもっと悲惨な人生を送っている者もいただろう。
「初代はセルエルセス王から時々前の世界の物語を聞かせてもらっていたんだってさー。高貴な家柄のお爺さんが、身分を偽って少ないお供と一緒に国内の悪漢たちを成敗していくって話が特に好きだったみたい!その話を纏めた本が残っているんだけど、私も好きでねー」
「……それは、僕も聞き覚えのある話ですね」
「やっぱりぃ!?今度シュミット君が知っているのも教えてよ!なんせ私が冒険者になったのもアレに影響されてなんだもの!」
「……ええ。構いませんよ」
だからどうした。
見下ろせばそこに他の誰かがいたら、その者は己を幸福だと思わなければならないのか?
それは違う。断じて違う。何故違うかなど説明できないが、理屈など知った事か。
ただ単純に、『冒険者のシュミット』はそれを納得できない。
「いくつか、質問をさせてください」
「何かな、シュミット君」
「ドラゴンを殺せば呪いは解かれるのですね?」
アリサさんの口が笑みを形作ったまま一瞬止まり、また動き出す。
「理論上はね。でも机上の空論だよ」
「可能性の話です。他のドラゴンがまた呪いを引き継ぐ。あるいは別の形で呪いをかける場合はありますか?」
「……ドルトレス王の残した研究資料では、そうはならないそうだよ。二体目のドラゴンを倒した段階で、呪いの流れは止まる。でもね、シュミット君」
アリサさんは小さく首を振って、まるで子供を諭す様にこちらの瞳を見つめてくる。
「ドラゴンは倒せない。何万の軍勢を揃えても、勝利は不可能だって言われているんだ」
「当時の軍隊でしょう?」
「今まで王国がその考えを持たなかったと思う?」
「っ……」
言葉に詰まる。
「この呪いは王国の貴族全員にとっての爆弾なんだ。万が一他国にこの事を知られてしまった場合。そうでなくとも公爵家が途絶えてしまった場合。色んな破滅の可能性がある。それを無くすため、根本的に解決しようと考えるのが当たり前だよ」
「……試したのですか?」
「ヴィーヴルの集落。そこに残っているドラゴンの死体に、何度か新型兵器の試し撃ちをしてきたそうだよ。そして、有効な攻撃は未だ見つかっていない」
「では、その集落にあるドラゴンの死体はどうやって作られたのですか?」
少なくとも一体は龍が死んでいるのだ。そうでなければそもそもセルエルセス王がその肉を得られていない。
殺せる生き物なのだろう、龍とは……!
「……それは私にもわからない。ヴィーヴル達は、王国の事が好きじゃないからね。セルエルセス王がやった事を考えれば、当然だけど。生きていく為に多少の協力はしてくれるだけ」
「そう、ですか」
ヴィーヴル。
エルフやドワーフなどの亜人と違い色々と謎の多い種族。その名前を、しかと記憶に刻み付ける。
「それにね、シュミット君。私は私の為に君がドラゴンに挑むと言うのなら、全力で止めるよ」
「……それは、何故?」
「私を理由に死なれたら嫌だから」
真っすぐと、碧眼がこちらを射貫く。
「危ない所に君を連れていくし、きな臭い事にも巻き込むよ。でもね、それはあくまでシュミット君が、『自分の為に』やるかどうかを選んでほしい。最後に伸るか反るかを選ぶのは、君じゃないと私は納得できない」
「貴女に死んでほしくないと僕が望んでも?」
「私は、道連れなんてほしくない。ドラゴンに勝てるわけないんだよ」
彼女の瞳を見返して、睨み合う様に見つめ合う事十数秒。
先に目を伏せたのは、自分だった。
「……わかりました。貴女の為にドラゴンと戦う事はありません」
「絶対に?」
「ええ、絶対に。僕だって死にたくありません」
長い……たぶん、これまで生きてきて一番長いため息を吐き出す。
「残り三年ですか……冒険者の寿命としては、悪くない数字ですね」
「でしょう?一度にたくさん魔力を使う様な事をしたら更に縮まっちゃうけど、そうじゃなければ呪いの進行は遅いってさ」
「亜竜とやらになりそうになったら、教えてください」
今は腰に剣を提げていないので、それが置いてある部屋の机に視線を向ける。
「どうして?」
「僕が貴女を殺します。痛みをできるだけ感じさせずに、首を皮一枚残して斬りますよ」
「……アハッ」
彼女は何が可笑しいのか噴き出して、そのまま腹を抱えて笑いだす。
「あははははは!いいね、それは。私って痛いの結構苦手なんだ」
「苦手じゃない人なんていませんよ。……まあ一部の変態は例外として」
「ああ、うん。船のアレね……クク。そっかそっか」
ひとしきり笑った後、アリサさんは右手を差し出してくる。
握手ではなく、握り拳を。
「そん時は頼むぜ、相棒」
「ええ。責任もって貴女を殺しますよ、相棒」
自分も右の拳を差し出して、こつりと当てる。
月光だけが見ているその約束。違えるつもりなどない。その時がきたのなら、是が非でもこの手で彼女を殺そう。
できるだけ苦痛のない様に、綺麗にその命を断ってみせるとも。
「あー、色々喋れたらスッキリしたー!あと、最期は自分で死ななきゃいけないと思っていたからその辺りも気が楽になったよ」
「そうですか。まあ、まだ先の話ですけどね」
「そうそう!まだ三年近くあるんだからさ!楽しい事いっぱいしようぜ!」
ケラケラと笑いながら、彼女は軽やかな足取りでバルコニーの端に向かっていく。
「じゃ、私はこの辺で失礼するよ!明日は早くからお城に行って、リリーシャ様がどうしているか見てくるんだー。そんで時間がありそうだったら三人で王都観光しようねシュミット君!」
「お姫様と公爵令嬢とですか……?胃がいくつあっても足りなさそうですね」
「嫌そうな顔すんなよあいぼぉう。両手に華だぜぇ?」
そう言って笑う彼女は穴の開いた壁を通り抜け、ヒラヒラと手を振ってきた。
「また明日ね、シュミット君!」
「はい。おやすみなさい」
こちらも手を小さく振り返して、壁が閉まりアリサさんの姿が見えなくなってから白く塗られた木製の柵に背中を預ける。
王都の夜景を背後に、肺の中の空気を全て出すつもりで息を吐いた。
「ふぅ……よし」
意気込む様に声を出したが、寝るだけである。
体を壊すわけにはいかない。『戦える身体』である必要が、また一つ増えてしまったのだから。
しっかり眠って、しっかり食べよう。とりあえず今の自分にできる事は、それだけなのだから。
* * *
「………」
「おはよう、シュミット」
ベッドの上に寝そべり、シャツの胸元を開けたアーサーさんを見下ろす。
「朝から何の御用でしょうか、アーサー様」
「酷いなシュミット……昨夜の事を忘れたのかい?」
「失礼ながら、自分と御身の間で記憶の齟齬がある様に思えます」
僕の記憶が確かなら、早めに目が覚めて身支度を済ませていたら彼が部屋を訪ねて来たのである。
そのまま指を唇にあてるジェスチャーをした後、流れる様に靴をぬいでベッドに倒れ込んだのだ。
そして今に至る。
「ふっ……ちなみに神聖なる教会では『男女の交際は性欲の混じった不純なものだが、同性での恋愛は純粋で素晴らしいものである』とされている」
「そうですか」
「そして私は二刀流だ」
「そうですか。僕は一刀流です」
「どっちの?」
「恋愛対象は女性です」
「そうか……新たな門を開く気は?」
「ありません」
あんた確か辺境伯の家から嫁貰って子供もいただろ。
そもそもこれまで遭遇した変態共とは視線が違うので、どう考えてもふざけての発言だ。朝っぱらから茶番に巻き込まないでほしい。
「……アリサさんから例の話は聞きましたよ」
「そうか。ちなみに我が妹にはなんと?」
「時が来たら僕が殺しますと伝えました」
「ふむ……」
じっと、彼の碧眼がこちらを見つめる。
それに対し自分も真っすぐと視線を合わせれば、先に逸らしたのはアーサーさんだった。
「頼りにしているよ、妹の相棒君」
「ええ。しっかり殺します」
そんな会話をしていたら、バルコニーの方から気配が。
「あー!?なんでお兄様がシュミット君の部屋にぃ!?」
案の定アリサさんである。
お嬢様らしい薄緑色のドレス姿だが、何故か手にはショットガンを持っていた。
「遅かったな愚妹よ。貴様の大事な相棒は私の尻の虜だぞ!!」
「違います」
「嘘だ!シュミット君は私の胸やお尻ばかりガン見しているもん!」
「猛省します」
え、ガン見してた……?精々チラ見に留めていると思っていたのだが……。
自分を信用できなくなってきた。あれか、男のチラ見は女のガン見というやつか?
「というかお兄様のせいで私の『キラキラ☆サンサン!おはよう相棒大作戦』が失敗したじゃん!空砲用意したのに!」
「相変わらずネーミングセンスが終わっているな妹よ。あとそもそも準備に手間取っている間に彼は普通に起きていたぞ」
「くぅ、シュミット君!二度寝して二度寝!子守唄歌ってあげるから!」
「この流れで眠れるとでも?」
「眠ってやれシュミット。私も今の王太子殿下にやって、彼も辺境伯の御子息に同じ事をしたのだ。貴族の間ではちょっとしたブームだぞ」
「ヤバいですねこの国」
この家だけじゃなく王国貴族だいたいこんなのとかは流石にないよね?
……たぶん違う。純粋に『おはようバズーカ』が劇物過ぎただけだ。前世日本の娯楽は刺激が強すぎたのである。
どうせセルエルセスのアホが絡んでいるのだろう。あの世で猛省しろ変態王め。
───コンコン。
「皆さま、朝食のご用意ができましたよー」
「「はーい」」
「はい、今向かいます」
扉越しに聞こえて来たセバスさんに答えながら、一瞬だけアーサーさんと目配せする。
昨日会ったばかりの人だが、たぶん通じるだろう。なんせ相棒のお兄さんだし。
昨夜の約束は違えない。だが、それは『その時が来たら』という話。
彼女が龍に挑むなと言ったのは僕が負けて死ぬのが嫌だったからだ。そこの所は同感である。アリサさんの後を追って死のうとか、そういう気は全くない。死ぬのなら一人で死ね。
だが……『勝てる』のなら挑んでも良いのだろう?だって、駄目な理由が先の通りなのだから。
龍とて生き物である。死んだ個体がいるのだから、間違いない。
であれば殺せるはずだ。なら殺せばいい。
「シュミット君シュミット君。王都で行きたい所とかある?」
「そうですね……どこかケーキが美味しいお店があれば」
「まっかせなさーい!このアリサさんが案内してあげよう!朝食の後にね!」
朗らかに笑う彼女に頷いて返し、部屋を出る。
貴女は浪漫だなんだと普段言いますが……そうであるのなら言わせて頂きたい。
龍殺しほど浪漫溢れるものがありますか?
……言わないけど。今はまだ。
死ぬ覚悟を決めている者に、それが揺らぐ様な事を言いたくない。殺せる手段が確立して、僕自身も実行に移す決心がついたらの話だ。
正直、それができない可能性の方が高い。セルエルセスにもできなかったのだから。
故に、彼女を僕が殺す方がありえる未来なのだろう。
その日がくるまでは……いつも通りに過ごすとも。
こっそり執念深い蜥蜴の殺し方を探しながら、だが。
「アーサー様も行きましょう」
「ああ。それと、もっと気安く私の事を呼んでもいいのだぞ?シュミットよ。私と君の仲なのだから」
「いーやダメだね。シュミット君は私の相棒だもの」
諦めの悪いお馬鹿様も、一人いるわけだし。
「甘いぞ愚妹。彼と私は一夜を共にした仲だ!!」
「その様な事実はございません」
そのネタは諦めろ。
読んで頂きありがとうございます。
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