第五十話 呪い
第五十話 呪い
「セルエルセス王の最期について……ですか?」
「ああ」
アーサーさんが、ゆっくりと語りだした。
───セルエルセス・フォン・ゲイロンド
ゲイロンド王国の十一代目国王。彼が王となった二年後にローレシア帝国が侵攻を始めた。
その頃ゲイロンド王国はまだ大国と呼ぶには何もかも足らず、逆にローレシア帝国は大陸中に名が轟く大国である。
戦況は圧倒的にローレシア帝国が優勢であった。しかしセルエルセス王の圧倒的武力とその嫡子であるドルトレス宰相の活躍でドワーフ、エルフ、獣人との同盟を組み戦線を持ち返す。
セルエルセス王は国中から魔物の肉を集め、更にその力を強めた。これにより天秤は王国に傾き遂には帝国を領土から追い出す事に成功する。
……ここまでは、彼の輝かしい武勇伝である。
勝利に湧く王国であったが、防衛戦では得る物などない。賠償金や捕虜の身代金も押し返したとは言え大国であるローレシア帝国相手では碌に取れなかったのもある。
当然王国の貴族たちは不満を持ったが、一番これに反応したのはセルエルセス王だった。
他の貴族たちはせいぜいが『十分な賠償金を払わないのならもう一戦するのもやむなし』程度。しかしセルエルセス王だけが『このまま帝国を征服してくれる』と逆侵攻を強く提唱していたのである。
王国にこれ以上戦争を続ける力は残っていない。それでも彼が戦おうと言い出したのは、とある野望があったからである。
……いいや。野望と言うにはあまりにも俗であり、下衆なものだった。
これが『帝国の脅威から王国を守る為』だとか、『王国の経済を回復させる為新たな領土が必要』等ならばまだ周囲も納得できただろう。
『大陸を征服しあらゆる美姫を娶る』
誰もが耳を疑うそれを、彼は本気で考えていたのである。
最初の目的はローレシア帝国の皇女。次にローレシア帝国を通る事で『魔の森』を迂回し西の国々に。
あまりにも馬鹿らしい考えに貴族たちは反対するも、既に王は一個人で王国の軍事力に匹敵する。息子達ですらも止める事ができない。
だがローレシア帝国の真骨頂は防衛戦。王国の戦力が実質二倍になろうが、容易く防いでみせたのである。
攻めあぐねるセルエルセス王は、とある魔物の肉について情報を得た。
『龍の肉』
災害の具現化。国を滅ぼすもの。世界を焼く巨悪。人類の天敵。
数々の悪名をもつ最強最悪の魔物である龍……ドラゴン。強大な力を得たセルエルセス王でさえ戦えば勝ち目のない存在である。
その死体が『ヴィーヴル』という亜人の集落に存在する事を知り、強引にドラゴンの一部を強奪。食らったのである。
これまで以上の力を得たセルエルセス王は帝国への侵攻を決意。だが、これ以上の戦争は王国が干上がると判断したドルトレス宰相が文字通り命を懸けた説得をし、ようやく矛を納めさせた。
そして彼がヴィーヴルへの対応という名の土下座行脚や、消耗した王国の経済の回復に努めている間にセルエルセス王は徐々に狂っていく。
元々性欲狂いの問題だらけな王だったが、その見境が更になくなっていった。
あまりの行いに誰もが驚愕し、しかし面と向かって止める事もできず数年が経った頃。ようやく彼の体に目に見える変化が現れる。
今まで制御できていた魔物の力が暴走。性欲だけでなく食欲……そして破壊欲求まで人並み外れたものへと変わってしまった。
ドラゴンの呪いがその身を侵したのだ。
ドルトレス宰相の説得によりセルエルセス王は王位を彼に譲り、王宮の奥へと籠る事になる。そしてドルトレス王は、国の総力を挙げて呪いを解くために魔法の研究に力を注いだ。
これが当時魔法の研究所が王国内に乱立した原因である。万が一にも帝国に、そして国内の限られた者以外に王の呪いを知られてはいけない。
その為ダミーを大量に作り、統合的な研究所も作らない事で真相を誰にも知られない様にした。
だが、結局わかったのは『セルエルセス王が食べたドラゴンの親類とされる個体から向けられた呪いであり、解呪にはそのドラゴンの討伐しか方法はない』という事。
龍の力を得たセルエルセス王ですら、生きている龍に勝つ事はできない。なんせ彼が食らったそれよりも、今も生きている個体の方が遥かに大きく強いのだから。
このまま呪いにより彼が暴走する前に死んでもらうしかない。そんな結論が、度重なる会議の末に出される。
そして、ドルトレス王が一年に及ぶ説得の末セルエルセス王を自害させたのだ。
敵には誰よりも冷酷であり、身内には誰よりも甘いと言われていた王。そんな彼が最初に殺した親族は、実の父親であった。
「……以上が、セルエルセス王の最期だよ。どうだね、世間では英雄と謳われる彼だが、功績だけではなくとんでもない罪も犯していたのさ」
「それは……」
何というか、情報が多い。
アーサーさんも随分と語り口に力が入っており、浮かべられた笑みもセルエルセス王への怒りと蔑みを隠しきれていないほどだ。
纏めると、『セルエルセス王は欲をかいてドラゴンの肉を食べた結果、その呪いで暴走しかけて堕ちきる前にドルトレス王の説得で自害した』という事か?
……まあ、うん。王国を帝国から守る為ならともかく、私欲で逆侵攻を仕掛ける為にそんな結末を招いたのなら擁護のしようのない愚か者ではある。
「そんな最期を迎えた王の遺体を、我らの家はずっと守っている。その理由は我が妹に聞いてくれ」
セルエルセス王を睨みつけていた瞳を閉じ、再び開いてこちらに向けるアーサーさん。
その眼は元の穏やかなものに戻っており、笑みもチェシャ猫の様なそれになっていた。
「君達転生者は『ちーと』なる凄い力があるが、一歩間違えれば周囲を盛大に巻き込んで自滅する事もあるのだ。どうかその事を覚えておいてほしい」
「肝に銘じておきます」
……わりと洒落にならない話であった。
その生まれや与えられたチートは羨ましいとセルエルセス王の伝説を聞いて思っていたものの、最期は『実の息子に自害を迫られた』とは。
チラリとセルエルセス王の亡骸に視線を向ける。
当然その口が何かを語る事も、瞳に感情が映る事もない。不思議と腐る事もなく保たれているその身体は、しかし紛れもなく死んでいるのだ。
だが、死に際の表情だけは未だ残っている。絶望に染まった、最期の顔が。
「さ、長話に付き合わせてしまったね。今日は泊っていくといい。セバスに部屋へ案内させよう」
「え、いえ。そんな事までして頂くわけには」
「そう遠慮するなシュミット。君とはまだまだ話したいし、どうせ妹も今日はここに泊まる。宿代が浮くと思って寛ぐといい」
決定事項とばかりにそう言って階段を上り始めるアーサーさん。彼が離れた事で部屋に刻まれた魔法陣も光を失い、元の暗闇に戻ってしまう。
少し早足でアーサーさんの後ろを続いて、地上へと戻ってきた。
「そうだ。部屋に案内する前に敷地の中を軽く案内しよう。特に庭が素晴らしいぞ。撒きがいのある華が沢山ある!!」
「は、はぁ……」
そんな事を言いながら彼が玄関を出た所で、こちらに向かってくる気配に気づく。
「……さまー」
大声で呼びかけながら駆け寄ってくる一人の少女。アリサさんである。
長い金髪を後ろで結いあげ、お嬢様らしい深紅のドレスを纏った彼女。普段とは違うその装いに、思わず胸が高鳴る。
そして彼女の胸も躍っていた。物理的に。
たゆんたゆんと、ドレスと下着で固定されているだろうに質量の暴力でもって揺れる爆乳。それに視線が固定されかけた。
気合でそこから目を引っぺがし、頭の中に変態どもの姿を思い浮かべて自制心を保つ。
「お兄様ー!」
「妹ー!」
太陽の様な笑みを浮かべて手を振りながら駆けてくるアリサさんに、迎える様に両手を広げて歩み寄るアーサーさん。
家族仲が良いとは聞いていたが、ここまでとは。二人とも美男美女だからかなり絵になるな。
「お兄様ー!」
「妹ー!」
「お兄様ー!!」
「妹ー!!」
「お兄様ー!!!」
「妹ー!!!」
「死ねぇええええええ!!」
「甘いわぁ!!」
突如繰り出された彼女の細腕からは想像もできない速度の拳。そしてそれを華麗に受け流すアーサーさん。
………???
「こぉんの馬鹿兄様!私の相棒に絶対なにか変な事を吹き込んだでしょ!!そのニヤケ面を見ればわかるんだからな!?」
「はーはっは!!遅かったな愚かな妹よ!貴様の大切なシュミットは既に私の手中にあーる!」
「お、のぉれぇええぃ!!」
「ぬるい!ぬるいぞ愚妹!その程度で『ゲイロンドの狂鳥』と呼ばれた私を捉えられると思うてか!!」
とりあえずその二つ名は褒めていないと思う。
ファイティングポーズから次々と拳を繰り出すアリサさん。空気を引き裂く音からして直撃すれば人間の骨など容易く砕くラッシュがアーサーさん目掛けて放たれる。
しかしそれを前にして彼は冷静に強化魔法を発動。短い詠唱で身体能力を底上げすると、まるで宙を舞う木の葉の様にヒラリヒラリと彼女の猛攻を受け流していた。
……いや何やってんですか?
「ふふふ……相変わらずですな、あのお二人は」
「セバス様……」
「様など必要ありませんよ、シュミット様」
ニコニコと笑いながらやってきたセバスさんが、お馬鹿様二名の戦闘に目を細める。
「まったく。小さく頃からやんちゃな方々です。しかし、ああして元気な姿を見ていると心が温まりますな」
え、まさか同意を求められている?
このお爺さん。口でドラムロールし始めた辺りでもしやと思っていたが、やはりやべぇ奴だな?
だが……確かに、二人とも本気でやり合っているわけではないのだろう。
「そうそう。例の帝国の密偵共の死体、やはり足跡を辿れる物は何もなかったぞ。一人ぐらいは生け捕りにできなかったのか愚妹よ」
「はーん?リリーシャ様の護衛を優先させただけだい!そっちこそ王都で謎の火災が起きて守備隊の指揮系統が混乱していたらしいじゃん?何やってたんですかー?」
「ふふん。私に軍の指揮権はないのでその辺りは知らんな。むしろ貴様らが来るより前に友人達に話を通して正常に軍が機能する手助けをしただけでも褒められるべきだが?」
「越権行為じゃんかバーカ!」
「しょうがなかったんだわかれド阿呆!」
アリサさんは速度こそ速いが分かり易い程の大ぶりばかりで、アーサーさんは完璧に受け流しているのに反撃に移らない。あの二人にとってコレはただのじゃれ合いなのだろう。
……え、骨を砕ける拳でも手加減している状態なの?クマかな?
「そう言えばお爺様はどうした愚妹」
「仕事をさぼっているのがバレて秘書の人に引きずられていったよ愚兄」
「なるほど、いつもの事か」
大丈夫かうちの国。
「そんな事より相棒に何を話したぁ!!」
「貴様には秘密だブゥァカメ!」
「なんだとぉぅ!」
「見よシュミットの顔を!貴様の醜態に呆れているぞ!」
いえ、両方に呆れています。
だが、そうして彼女を煽る為にこちらへ視線を向けたのがまずかったのだろう。
「「「あっ」」」
「ご──────」
アーサーさんの細い顎にアリサさんのアッパーがクリーンヒットした。
樽に剣を突き刺していく玩具の様に打ち上げられ、空中でグルグルと回転するアーサーさん。
「ぎゃふん」
そして彼はそのまま石畳の地面へと落下した。
玄関近くの庭に沈黙が流れ、アリサさんが冷や汗をダラダラと流しながら横ピースをしながらウインクをこちらに向けてきた。
「や、ヤッちゃったぜ☆」
「このお馬鹿様ぁああああ!?」
暴言が出たが、もうしょうがないと思う。
慌ててアーサーさんの元へと駆け寄り、顔を覗き込んで肩を叩く。
「大丈夫ですか!?意識はありますか!?」
「ふっ……すまないシュミット。どうやら油断してしまったらしい。最期に、抱きしめていてくれないか……?」
「あ、意外と大丈夫そうですね」
「待ってシュミット。もうちょっと心配してくれ。こう、愚妹に見える様に抱きかかえて大事そうにするとかしてくれるとありがたい。絶対面白い反応するから」
本当に大概にせぇよお馬鹿様ども。
よく思い出せば殴られる瞬間顎を逸らして先に跳んでいたし、落下した時も足からいって転がる様に着地していたな。
……公爵家の長男はここまで体術を鍛えさせられるのか。凄まじいな。
「あ、お兄様無事なんだ。じゃあいっか」
「待ちなさい妹よ。人を殴り飛ばしておいて『じゃあいっか』はなんだ。そんな子に育てた覚えはないぞ」
「安心してお兄様。私がこんな事をするの……お兄様とシュミット君だけなんだからね!」
「セルエルセス王の残した『ツンデレ』なる態度をとっても騙されんぞ」
「待ってくださいなんで僕も含んだんですか?」
死にたくありませんよ?
胸の下で腕を組んで顔をぷいっとさせるお馬鹿様一号。可愛いし胸が強調されてエッチだがそれはそれ、これはこれ。唐突な殺害宣言は本当に待って欲しい。
「さあさ、お二人とも。もう暗くなりますし、夕食の前に着替えてきてください」
「「はーい」」
セバスさんの言葉に子供の様な返事をする公爵家の御令嬢と御曹司。マジかこいつら。
「ほら行こ、シュミット君。君が泊る部屋に案内してあげよう」
「あ、泊るのは確定なんですね……」
「アリサ」
こちらの手を引いて歩き出した彼女に、アーサーさんが座り込んだまま話しかける。
お互いに背を向けているので表情は見えないまま、彼は言葉を続けた。
「誤魔化すのも程々にしておけ。言いづらいのなら私から伝えるが?」
「……ありがとう。でも誤魔化しているわけでもないし、大きなお世話だよ。お兄様」
「そうか」
短いその会話で満足したのか、アーサーさんが立ちあがって歩き出す。
「行こ」
「……はい」
そしてアリサさんも歩き出し、自分はその手に引かれるまま続いた。
……語りたくないなら、無理に喋らなくてもいいのだがな。
そう思うも、どうやら黙ったままというわけにはいかないらしい。
無言でこちらの手を引っ張る彼女の背を見ながら、妙な胸騒ぎがするのを止める事ができなかった。
* * *
夜、宛がわれた部屋のバルコニーから空を眺める。
夕食は豪勢で美味しかったが、何故かアリサさんとアーサーさんと同じテーブルで食べさせられたのは肝が冷えた。せっかくの料理だったので味はしっかり堪能したが、それはそれとして食事中も喧しい二人であったな。
テーブルマナーは凄く綺麗だったのに口だけが本当に残念な人達である。
屋敷にあった大浴場も素晴らしかったし、この部屋も驚くほど豪華だ。正直、自分の様な平民にとって恐れ多すぎる空間である。
だがまあ、慣れないふかふかのベッドでも寝ようと思えば快眠できるのが今生の自分だ。それでも横にならずにバルコニーで景色を眺めているのは、王都の夜の姿を見てみたいと思ったから。
やや高い位置に建てられた屋敷であり、この部屋も五階にある。街の夜景をよく見る事ができた。
電灯が道を照らし、色んな建物に未だ明かりがついている。イチイバルでもなかった光景だ。あそこでも、せいぜい夜の店とガス灯ぐらいしか明かりはなかったのに。
夜になっても明るい街など、前世では珍しくない。だが、この世界で見る事になるとは開拓村にいた時は夢にも思わなかったな……。
我ながら随分と遠い所まで来た。それが、どこか夢の様に思えるほど現実味がない。
そうして少しボウっとしていると、バルコニーの端にある壁に違和感を覚えた。
なんだろうと眺めていれば、突如一部が横にずれたではないか。
「お、シュミット君起きていたんだ」
「……何をしているんですか、アリサさん」
そこから現れた彼女の姿に目を丸くする。
白いシルクのナイトドレスは肌の露出こそ少なかったが、いつもと比べて生地がかなり薄い。アリサさんの煽情的すぎる肢体が浮き上がり、こちらの耳が赤くなるのが自覚できる。
凝視しそうなのを堪え、どうにか目を逸らした。
「お兄様がいらない気を回して隣の部屋にしてくれたみたいでねー……あ、この通り道はいざって時の通路だよ。公爵家の人間だけ通れるんだ」
「それは、また。他の貴族様に知られたら宿泊を警戒されそうな仕組みですね」
「大丈夫。お父様が昔泊りに来た当時の王太子殿下にこの通路を使って『おはようございまーす!』って枕元で叫びながら空砲をぶっ放した事で有名だから」
「どの辺に大丈夫な要素ありました?」
本当に大丈夫かこの国。
「まあまあまあ、その話は今どうでもいいんだよ相棒」
「ええ……」
そんなあっさり流してしまっていい話なのか、今の。
ヒラヒラと笑顔で手を振る彼女に、小さく肩をすくめる。
「それではいったい何の用ですか、アリサさん」
「あー……えっと、別に用がなくっても君に会いたくなる時もあるじゃん?」
「同意を求められても困ります。……アーサー様に言われた件ですか?」
「………」
困った様な笑みを浮かべて黙り込む彼女に、少し考えてから言葉を続ける。
「別に、喋りたくないのなら僕は構いませんよ。何やら事情があるようですが、無理に聞き出そうとは思いませんし」
「……いや、言うよ。本当は最初に言わないといけなかった事を、ズルズルとここまで引き延ばしちゃったんだもの」
気合を入れる様に彼女は両手で頬を叩き、胸の前で拳を握る。
「よし、言うぞぉ!」
そんな掛け声までした後、アリサさんはナイトドレスの左袖をゆっくりとめくっていく。
普段厚着をしていて見えない彼女の白く細い腕。それが、月光の下にさらされる。
その腕を見て、自分は絶句した。
目を見開いて固まる自分に、アリサさんは左手を胸に抱きながらはにかむ。
まるで愛の告白でもする様な表情で、彼女は告げたのだ。
「実は私、長くてもあと三年ぐらいしか生きられないんだよねー……なんて」
己の、余命を。
月の光が、彼女の左腕に浮かんだ『数枚の鱗』を照らす。
エメラルド色のそれが、怪しく煌めいた。
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