第四十九話 アーサー
第四十九話 アーサー
名乗り終えても未だ撒かれている花びら。それを前に、必死に脳みそを回転させる。
たとえどれだけ……そう。どれだけ『さてはこいつ頭脳の出来に関わらず馬鹿だな?』と思おうとも、相手は公爵のお孫様。それもアリサさんのお兄さんとなれば、十中八九次期当主であるシュナイゼル子爵の御嫡男。
下手な対応をすれば今後の人生が決まると言ってもいい。
あの籠の中に残った花びらが決断までの時間を知らせる砂時計。それが今も無造作にばら撒かれていっている。
さあ、言え!シュミット!こういう時は無言が一番いけない!
「ほんじゅつっ……」
本日は。そう言おうとした舌べろを、己の口は盛大に噛んでしまった。
ふぅ……。
すまない、相棒。どうやら僕はここまでの様だ。
ピタリと止まった花びら。口でドラムロールを始めたセバスさん。彼に籠を渡した後、アーサーさんは数秒の溜めをいれた後に真顔でサムズアップをしてきた。
「ビックリする程すべっていたが、ナイスガッツだったぞ!少年!」
「お願いですから忘れてください……!」
「え、もしかして今の素だったの?」
アーサーさんが両手で口元を覆って目を見開く。
「あ、あざとい。これで性別が女の子だったら私はハニトラを疑っていたぞ。その上で間違いなく堕ちていた」
うっっっっっっっっぜ。
「だが待ってほしい。セルエルセス王が残した手記には『お姫様になれるのは女の子だけの特権ではない』とあった。つまり君もなれるんじゃないか?お姫様に」
「それはもう王族軽視と言っていいのでは……?」
リアルお姫様がいる世界でそのセリフはねぇよ。なんつう概念持ち込んでんだセルエルセス王。
「おっとそうだったな。今のは忘れてくれ。私も君が盛大に噛んだ事は忘れよう」
優雅なターンを決めて部屋の奥にある椅子に戻り、彼は自然な様子で着席して長い足を組む。
「それはそれとして日記には『シュミット少年、あざとい』と書いておくがなぁ!」
やはり間違いない。このお馬鹿様はアリサさんの兄だ。とっても殴りたい顔をしている。
「まあ冗談はこれぐらいにして。楽にしてくれたまえ」
「はっ」
数歩進んでアーサーさんに近づき、ぴっしりと背筋を伸ばして立つ。
「……いや。普通に椅子にでも座ってくれていいのだが?」
「はっ。ありがとうございます」
そう答え、部屋にあったソファーに座る。無論腰かける前に彼への一礼は忘れない。
おぉう……凄いなこれは。もっと硬いのを想像していたが、程良い柔らかさだ。皮張りながら丁度いい反発のソファーに少し感動する。
将来成り上がったらこれと同じのを買おう。絶対に。
「さて……」
チラリとアーサーさんがセバスさんに視線を向ければ、彼はその意図を察して静かに退出していく。
なるほど、場を和ませるジョークはここまでというわけか。
よかった。いくら何でもあの花びらをばら撒くアホ丸出しの挨拶がこの人の素ではなくって。王国の未来を思わず案じたほどである。
「それにしても今日の花びらは良かったな……庭師のジョンを後で褒めておこう」
王国の未来は暗い。
妖怪花びら男に驚愕しつつ、彼の言葉を待つ。
「まずは無事リリーシャ様を王都に送り届けてくれた事、感謝しよう。よくやってくれた」
「はっ。恐縮であります」
「事前に提示した通り日当十セル。二十日間の任務期間ゆえ二百セルとなる。だがそれだけでは足りない程に君は多大な活躍をしてくれた。更にもう二百セル支払おう」
「ありがとうございます」
「これは感謝の印であると同時に、『剣爛のシュミット』との縁を今後も持っていたいという意思表示でもある。お爺様も君を高く評価していたよ。今後とも良い関係でいたいものだな」
「自分の様な平民にそこまでの評価をして頂けるとは。このシュミット、ラインバレル公爵家の方々への感謝を終生忘れる事はありません」
座りながらだが、頭を深く下げる。
合計で四百セル。大工の年収を軽く上回る大金だ。
これだけあれば暫くは遊んで暮らせる額だが、武器や防具の修理や新調も考えれば残るのは百から百五十セルぐらいか。
しかし報酬について不満はない。それでも十分に大金であるし、『皆殺しのサム』『ソードマン』『ウィンターファミリー』の賞金もある。貯金にはかなりの余裕ができるはずだ。
……それはそれとしてなんだ『剣爛』って。知らんぞ。
「これが『直接的な金銭面』での報酬だ。これだけの功労者に、ただ金を渡しただけでは公爵家の名に傷がつく」
「……?」
「その辺りはイチイバルに帰還してからのお楽しみとしておいてくれ」
ニッコリとほほ笑むアーサーさん。あの笑い方はアリサさんのそれによく似ている。サプライズとか言って、碌に内容を話してくれない時のものだ。
「ああ、それと。後日冒険者ギルド経由でも構わないから今回の依頼について報告書を提出してくれた場合、内容を問わず追加で百セルを出そう。それだけの価値がある物だからね」
「はっ」
報告書か。どういった書式がいいかは帰りにセバスさんに聞くか……いや。アリサさんに聞いた方が楽かもしれない。
身分の差は実感したが、それはそれ。彼女は仕事仲間である。
「以上が今回の依頼についてだ。さて、シュミット。少々プライベートな質問をしてもいいかな?」
「自分に答えられる事でしたら、なんなりと」
意外な程あっさりと終わった依頼についての話。そこから出された世間話の様な言葉に、特に考えず頷く。
「それでは早速聞かせてもらおう。妹の手紙は家族でよく読むのだが、最近は君の話題でもちきりでね。色々と気になっていたんだ。今はどこに住んでいるんだい?」
「住んでいる……と言える家はありませんが、普段いるのはイチイバルの宿屋です」
「付き合っている女の子とかいるのかい?」
「いません」
「付き合っている男の子は?」
「いません」
「ちなみに性別は?」
「僕は男です」
「好きなタイプは?」
「……問いかけても怒らない人、でしょうか」
「逆に嫌いなタイプは?」
「敵以外にもすぐに暴力を振るう人ですね」
「もう一度聞くけど性別は?」
「男です」
「好きな本とか劇はある?」
「無学な身ですので、そもそもあまり詳しくありません」
「今までの恋愛経験とかどんな感じ?」
「特にありません」
「男同士ってどう思う?」
「本人同士が良いのなら勝手にどうぞとしか。巻き込まれたら別ですが」
「度々悪いけど君の性別は?」
「男です」
「転生者という言葉に聞き覚えは?」
「……は?」
矢継ぎ早に出された意味のない質問。それの最後に、あまりにも自然な口調で紡がれた問いかけ。
チェシャ猫の様な笑みを浮かべながら、彼は続ける。
「君の事は調べさせてもらったよ。気分を悪くさせたならすまないが、こちらも大事な妹の『相棒』の事だ。簡単な身辺調査程度はするとも。もっとも、君の周囲を直接探るのはすぐに気づかれるから無理だと配下の者達が言っていたがね」
軽く肩をすくめ、アーサーさんは背もたれに体を預ける。
「開拓村の出身で農家の三男坊。村での交友関係は希薄で、イチイバルに出た後は故郷に対して何らかのアクションをした事はない。そこまでは普通だが……ここにどこで身につけたのか分からない類稀なる剣術に、農家の出とは思えない言葉遣いや立ち振る舞いが加わるとね」
アリサさんにも言われた事だな、それは。
確かに転生者でもなければ自分の様にはなるまい。開拓村から成り上がるというのは、普通なら考える事もできない事だ。あそこは、そういう環境である。
しかし身辺調査をされていたのは予想外である。周囲に自分を探る様な気配はなかった。確かに街を歩けば視線を感じたが、それは容姿や帯剣している事に起因している事が多い。
だが、よく考えればアリサさんに近づく存在を公爵家が黙って見過ごすはずもない、か。彼女自身から家族仲は良好だと聞いているし。
完全に自分の油断であるが、正直これを防げる気がしない。気づかれたのは仕方がなかったと思おう。
「安心してくれ。私に、そして公爵家に転生者だからと危害を加える気はないよ。ドルトレス王に誓ってもいい」
右手を上げてみせ、彼はクスクスと笑う。
「むしろ心が躍ったよ。君と言う存在は、もしかしたら良い風をこの国に吹かせてくれるかもしれないからね」
「風、ですか……?」
「ああ。でも詳しくは語らないよ。だってそれじゃあ面白くないじゃないか」
王国にとって良い風?普通に考えればセルエルセス王の様な活躍を期待されているという事だが……妙な違和感がある。
この人は今、『ドルトレス王に誓って』と言った。
セルエルセス王ではないのか?言語化できない、本当に些細な違和感。それを深堀しようかとも思うが、さっぱりわからない。
ついでに言えば、アーサーさんからは本当に敵意の類を感じられないのである。
単に腹芸で彼に圧倒されているだけかもしれないが、それならそれでこれ以上考えても仕方がない。
何より公爵家の方を前にして話半分にその言葉を聞いているわけにもいかん。一度思考を止めて切り替える。
「……うん。妹の手紙にあったとおり、君は良い奴だな」
眼を細め、アーサーさんが続ける。
「これが最後の質問だ。開拓村の出身である君から見て、『生まれ』とはなんだ」
これまでになく真剣な面持ちの彼に、考える。
その場しのぎの言葉など許さんとばかりに、こちらの奥底まで覗き込む様な碧眼。それに飲み込まれそうになりながらも、口を動かした。
「己ではどうしようのないもの。そうとしか、言えません」
生まれを自分で選ぶ事などできない。もしもそれができるのなら、自分は開拓村ではなくどこかの貴族の家で産声を上げていただろう。あるいは、もっと前世に近い時代に産まれていた。
配られたカードで人は戦わなければならないと、前世で時折聞いたものだ。それはその通りだが、思う所がないわけではない。
どうして自分がこんな目にと、あの村で暮らしていて思わなかった日などあるものか。他の次男三男……いいや、村長でさえもあの村での暮らしに対して疑問すら抱けないようだったけど。
前世の分あそこ以外の暮らしを知っている己には、ひたすらに疑問であり、怒りを覚えるものであり、悲しみに暮れる環境だった。
奴隷の様な生活。言葉にすればたったそれだけの暮らしを十五年間。人が当たり前の様に死んでいき、獲物も狩れず飢えて死にそうな時は草や土を食って空腹を紛らわそうとした。
……他の次男や三男が、仲間の亡骸で飢えをしのごうとして病気になり死んだのも見た事がある。
こんな問を、『開拓村のシュミット』に『公爵家のアーサーさん』がしてどんな意味があると言うのか。
嫉妬の感情がないと言えば嘘になる。だがそれを極力表に出さぬようにして、彼を見つめ返した。
「酷な質問をしたというのは理解している。私の様な身分のものが君に言う事ではない。ただ、それでも生まれの理不尽さをシュミットは知っているのだと確認しておきたかった」
そんな瞳を、彼は真っすぐと見返してくる。
こちらに対する嘲りも同情もない。ただひたすらに向き合おうという視線に、思わず腰が引けた。
……何というか。本当に変わった人だな。
「生まれでその後の人生が決まるというのは、幸せな時もあれば不幸な時もある。国全体が豊かになり、そこに住まう者全員が天寿を全うできる事が理想なのだろうがね。そうならばそもそもこんな疑問は浮かばない」
「はぁ……」
「まあ、そんな事は絵空事だ。全員平等というのは『全員で死ぬ』のと同義であり、そして私自身も『代わりの犠牲』になどなりたくないただの俗人に過ぎない。理想を目指しはするが、実現できるとは思っていないよ」
そう語りながらも、彼の目は爛々と輝いていた。
自分は知っている。あの目は、『諦めていない者の目』だ。
ヘンリーが、ボニータが、あの海で戦った海賊達がしていた瞳。目の前の難敵を何としてでも凌駕するという、決意の輝き。
今、アーサーさんの瞳は目の前の自分ではない何かに向けられている。
「……少々、話が逸れすぎたな」
こちらの疑問を孕んだ視線に対し、アーサーさんはニッコリと笑みを浮かべる。
「ヘタレな妹への援護はここまでとしよう。私としては、君がセルエルセス王の残した手記にあった『革命』や『民主化』を望むあまり軽挙妄動をせぬ事を祈っているよ」
「はい」
……今の刺された釘は、わざとらしいな。いや、あえてわざとらしくしたのか。
そしてアリサさんへの援護、ね。
……やはり、考えても答えは出ないな。アリサさんが『不幸な人生を決定づけられた』とも浮かんだが、あの人が大人しくそれを受け入れるとは思えない。
何より、もしもそうなら公爵家や他の貴族がああも勝手に出歩く事を許していないはずだ。どんな未来が彼女に待ち受けているにしろ、知らない所でぽっくり逝く可能性もあるのだから。
本人に直接聞く……というのは、最終手段だな。
相棒が喋りたくないのなら、無理には聴かない。こちらに胸の内を開きたくなったら己から口に出すだろう。
自分達はそういう関係だ。それ以上でもそれ以下でもない。
「さて。私の唐突な自分語りはこの辺にしておいて、転生者である君には見てもらいたいものがあるんだ」
「何をでしょうか……自分は前世でもただの平民でしたので、特に目新しい知識などは持ち合わせておりませんが」
「構わないよ。そういうものではないしね」
アーサーさんが立ちあがるのに合わせ、自分もソファーから腰をあげる。
「ついて来てくれ。妹にも見せていない……公爵家が代々守っているモノを君には知っておいてほしいんだ」
* * *
案内された先。屋敷の地下へと続く階段を、ランタンを持つアーサーさんに続いて降りていく。
「……君は、セルエルセス王の最期を知っているかね」
「はっ。たしか、『嵐の中に消えていった』と聞きました」
「それがどういう意味か、わかるかい?」
「それは……」
為政者の死が後世に残された資料で濁されている場合、その理由の大抵が不名誉な死であるからだ。
当時呪いの様に扱われていた病気だったり、暗殺されたり。そういった場合に用いられる事が多い。
あるいは、その為政者を神聖化する為という事もあるが……。
「また言いづらい質問をしてしまったね。すまない。だが、『不名誉な死を遂げた』という事は察しているのだろう」
長い階段がようやく終わり、冬の様に冷たい空間にたどり着く。
ランタンを持った彼は壁に右手を添わせ、小さく呪文を唱えた。すると、瞬く間にこの空間が照らし出される。
青く輝く魔法陣。それが壁と天井、床に大きく刻まれて中央にいる存在を露わにした。
「なっ……」
その姿を見て、思わず息をのむ。
両膝をついているだろうに、頭が自分の倍はあろう高さにある。顔の大きさは普通なのに、首から下の体が不自然に大きい。
だが異様なのはそれだけではない。
───龍の頭が、背中の右側から生えて腕を飲み込む様に伸びている。
更には左手が鱗の様な物に覆われ、腰から下はいくつもの触手で構成されていた。頭からも捻じれた角が生え、僅かに覗いている口元の犬歯は異様に長い。
人をベースに幾つもの怪物を混ぜた様な存在。それが、この部屋の中央に鎮座している。
……死んでいる、はずだ。
魔力の流れを感じず、呼吸もない。そもそも胸には大穴が空き心臓があるべき箇所には空洞しかないのだ。
だと言うのに、異常なまでの威圧感を覚える。己の本能が告げているのだ。目の前の『怪物』は、これまで戦ってきた全ての敵と……そこに自分自身を加え様とも万に一つの勝ち目もない存在であると。
これまでの話の流れから、この遺体の正体には見当がついていた。だが、これまで聞いてきた『伝説』とあまりにも違い過ぎる。
彼は、人のまま怪物の力を手に入れたはずだ。しかし、これでは……。
「セルエルセス・フォン・ゲイロンド王。彼の遺体は、我ら公爵家が代々管理している」
いつの間にか隣に来ていたアーサーさんが、王の遺体を見上げながら口を開く。
「伝説の通り彼は魔物の肉を食らいその力を得ていた。人のまま、人を超える事ができていた。だが、その超越的な力は彼を次第に傲慢な怪物に変えていってしまった。そして、遂には手を出してはいけない力までも己の物にしようとしたのだ」
彼の手が、王の右手を飲み込む龍の頭に触れる。
「愚かな王について、『ほんの一部だけ』君に教えよう。セルエルセス王と同じ、異なる世界から来た者よ」
こちらの姿を映し出す碧眼。
凪いだ海の様な瞳をもった青年が、朗々と彼の王の最期について語りだす。
読んで頂きありがとうございます。
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