第四十三話 雄叫び
第四十三話 雄叫び
嵐の夜は明け、一転して穏やかな海の上をティターン号は進む。
船内はどこか弛緩した空気が広がっており、海賊の襲撃という荒波を超えた事で乗客達はどこか気の抜けた様子を見せていた。
ただし、船員たちはそれどころではない。船の応急修理や遅れてしまった航海予定。更に負傷者の治療や死者の扱い等もあるが、一番問題なのはこの後だ。
今は乗客達も大人しいが、港についてからは別だろう。今回の対応力不足について船長達や船を運営している会社が責められるのは間違いない。場合によっては裁判沙汰もありえる。この船に乗っているのは王国の富裕層ばかりなのだから。
あげく船会社の大手取引先の商人が海賊に情報を流していたというスキャンダル。正直言って、ご愁傷様としか言いようがない。
……まあその商人が内通者になっていた原因はリリーシャ様を狙う謎の法衣貴族なのだが。その辺りはただの雇われ護衛である自分に口出しする権利も義務もないので悪しからず。
それよりも、自分達もまだ他の乗客の様にのんびりできない理由があった。
「……本当にやるの、シュミット君」
「ええ。やります。必要な事ですから」
海賊へ航路を伝え襲撃を手助けしていたビップ。彼は『あるお方』から頼まれて仕方なくやったとリリーシャ様に言ったそうだ。
十中八九その『あるお方』が裏切り者の法衣貴族。ここで名前を聞きだす事ができれば今後の襲撃に対処しやすくなるし、援軍も呼べるだろう。
問題は……。
「リリーシャ様。彼の発言に嘘は……」
「なかったよ。本心からシュミットの事が好きみたい」
「そうですか……」
超ド級の変態……しかもメンヘラな事だ。
存在しない記憶をメモ帳に短時間で何十ページも書きなぐり、あげくの果てに無理心中未遂。はっきり言おう。自分は今これまで経験してきたものとは別種の恐怖を感じている。
開けたくない……この扉を開けるのが凄く恐い……。
「人間の文化を私はまだ勉強不足だったんだね。ああいう人がいて、それぞれの愛情表現がある。ちょっと理解し難いけど、エルフの姫としてこの経験は糧にしていくよ!」
「しないでください。こんなレアケースはなんの参考にもなりません」
「私からも、こんなの人間国家の恥部でしかないから糧にはしないでほしいなって……」
どこか遠い目をする自称王都に店を構える商家の放蕩娘。お偉いさんも大変ですね。
「では、行きます。少々手荒な『尋問』になりますので、お二人は中を見ない様に」
「本当に大丈夫なのシュミット君。相手は相当な変態だよ?」
「たとえ変態でも人間です。痛みに勝てる人間などおりません」
そう、人は痛みに勝てない。耐える事はできても、生物としての本能が敗北してしまうのだ。
その事は開拓村で散々実感した。痛覚の許容範囲を上げようが、それでも限界はある。
いかに心を強くもとうと、人は痛みには抗えずなんだってする様になるのだ。
「入ります」
もはや敵であるため、ノックも無しにドアを開ける。
「待っていたよ愛しの君よぉ!!さあ、何をするんだい?指を折る?爪を剥がす?ああ、もしや噂に聞く『ピー』を片方ずつ潰すやつかな!?大丈夫。私は君のどんな性癖にも答えてみせよう!むしろ興奮する!!さあ、存分に私を───」
バタリとドアを閉めた。
数秒の沈黙。止まりそうな心肺をどうにか深呼吸で動かし、リリーシャ様に視線を向けた。
「すみません、彼の発言の嘘がなかったかお聞きしても?」
「内容はよくわからなかったけど、全部本気で言っていたよ?」
「そうですか……そう、ですか……」
がっくりと、膝を床についた。
「痛みに勝てる人間が、いたとは……!!」
「アレを勝利と言っていいのか凄く疑問なんだけど」
アリサさんがそっと背中を撫でてくれる。
いけない。拷も……尋問する側が既に心で負けている。だが、自分では彼に勝てる気がしない。与える痛みが快楽へと変換されるのなら、どれだけ肉体を痛めつけても効果は薄い。
なるほど、件の法衣貴族はこの性癖を見抜いて人選を……なんて危険な奴なんだ。とんでもないド変態に違いない。
こうなれば、やはり港で保安官の協力を得て聞き出すしかないか?時間さえかければ、彼の実家と繋がる法衣貴族を調査して裏切り者を見つけられるだろう。だが、どこに敵がいるのかわからない。時間は相手にとって味方かもしれないのだ。
そんな事を考えていると、アリサさんが何か思いついた様に手を叩いた。
「そうか。肉体の痛みを快感に変えられるのなら、心の痛みなら……」
「アリサさん。確かに精神的に傷つける事で相手から情報を引き出す拷問もありますが、それは専門の知識とある程度の時間が必要になりますよ?」
「君とうとう取り繕うのをやめたね?」
「はて、何のことやら」
僕がやるのは尋問。あくまで尋問です。なんならお話を聞くだけの井戸端会議みたいなもんですよ。開拓村式の。
「私に考えがある。三人で中に入ろう」
「お待ちください。リリーシャ様にあまり酷い光景を見せるわけには……」
エルフのお姫様に見せていいものと悪いものもあるだろう。散々死体を見せておいてなんだが。
「これには私と相棒が揃っている必要があるんだ。リリーシャ様を一人にはしておけないし、一緒に来てもらわないと」
「私は大丈夫だよ、シュミット。アリサちゃんがこう言うって事は、必要な事なんだ」
「……わかりました」
普段はお馬鹿様なこの人だが、決める時は決めてくれる人だ。信用しよう。
もう一度深呼吸をして、ドアを開けて中に入った。
さあ、今度こそ奴から情報を吐かせてやる。
「んふぅぅ……焦らすだなんて、そういう趣味もあったんだね。シュミットぉ」
あ、やばい。吐きそう。
喉元まで胃の中身がせり上がってきた。ついでに背筋にぞわぞわと鳥肌が立つ。辛い。耐えられない。泣きそう。
変態にはこれまで何度も遭遇してきたが、この人は『格』が違う。相対するだけで己の中で何かがゴリゴリと削れている気がした。
「……貴方に、今回の事を命令した人物について教えてもらいに来ました」
精神的な苦痛に耐えられずアリサさんより先に口を開いてしまう。
ビップは自称弟子達にボコボコにされ最低限の応急処置を受けた体だと言うのに、背筋をピンと伸ばした余裕の様子でこちらの体を舐めまわす様に見ていた。
「うぅん。それはいかに恋人である君の願いでも簡単には話せないね。そこはほら、私も喋る大義名分が必要なんだよ。商人たるもの、クライアントとの信頼を裏切るわけにはいかないんだ」
海賊と繋がっておいて何を言っているんだこいつ。
本心ではそんな事を微塵も考えておらず、ただ僕に暴行をさせる事を目的とした発言。これでは、どれだけ痛めつけても快楽ほしさに口を割らない可能性がある。
というか既に僕の方が限界寸前なのだが。吐きそうです。情報じゃない別のものを。
「ふぅ……よし!」
アリサさんが覚悟を決めた様に、両手で頬を叩く。
まさか、彼女が僕の代わりにあの変態を殴るのか?正直この人の腕力だと加減を間違えて殺しかねないからやらせたくないのだが……。
「相棒。ちょっとだけ屈んで」
「え゛」
まさか僕が殴られるパターン?
……手段としては悪くない。奴よりは頑丈な自分が彼女に殴られ、その光景を見せて口を割らせる。人質作戦だ。
本音を言えば嫌だが、仕方がない。それはそれとして護衛の料金にはかなりボーナスをつけてもらうぞ。
覚悟を決めながら、腰を屈める。
「……流石に私も恥ずかしいんだからね」
「はい?」
どういう意味かと問おうとしたその時だった。
チュ……。
「ん……」
「え?」
「わお」
「─────────」
頬に柔らかく、それでいて少し湿った感触。
いったい何が起きたのかと視線を向ければ、アリサさんの顔が近い位置にある。彼女は耳まで顔を真っ赤にさせて、潤んだ瞳でこちらを睨んできた。
「その人への質問は、君がやって。私は、その、精神的にそれどころじゃないから」
「え、あ、は、ひゃい……」
動揺を隠しきれない。
この人、やはり馬鹿なんじゃないか。こんな、その……外国からの要人を守る為とは言え、頬にき、キスって……。
おち、落ち着け自分。いかに前世も今生も女性経験が皆無とは言え、た、たかがほっぺにキスぐらいで心がこうも乱れる様では情けないにもほどがあるぞ。
すぅ……ふう。頬にキスならば挨拶の国もあるのだ。男をみせろ、シュミット。
ムニュウ。
どうも、今世紀一情けない男です。
右肩に乳が押し付けられている。衣服とブラジャー越しでさえ感じる温もりと柔らかさ。先ほどよりも屈んだ自分に、彼女はあろう事か肩にその爆乳を乗せてきた。
そのまま、逃がさんとばかりに顎にその白い指を添えてまたキスをしてくるアリサさん。今度は頬ではなくこめかみ。
白魔法で治してもらった傷口に、柔らかい唇が触れる。
「わー、アリサちゃんだいたーん」
「そういう事言わないでねリリーシャ様……!」
彼女もかなり精神的にいっぱいいっぱいなのか、声が震えている。
そうだ、相棒がこの様な事までしているのだ。自分も仕事を完遂しなければ。集中しなければ!!
しかしこれであの変態が口を割るかどうか……。
「あ、あひ、嘘、嘘だぁ……シュミット。シュミット君。きみ、きみは、そんな雌の顔で……私以外の誰かにキスをされて……」
めっちゃ効いていた。だが誰が雌の顔か。
先ほどまで余裕の態度だったビップは、ガチガチと歯を鳴らさせ目じりに涙さえ浮かべていた。
なるほど、そう言う事かアリサさん。
彼の性癖は『被虐願望』。ナイフで強引に僕を襲おうとしたが、その本質は『SM』の『M』。
更には僕への強い執着からくる『心中』。つまりは、ここから更に『NTR趣味』まではないと踏んだのだな。
肉体へのダメージは効かないのなら、脳を破壊する。
凄まじいな、王都で育った人間というのは。もしや都会ではこれが常識なのか?恐ろしい……生きていける気がしない。
「ちゅ……今、失礼な事考えたでしょ」
「っ……!?」
耳元で囁かれ、その吐息に肩を跳ねさせる。そうすれば右肩に感じる重みも跳ね、自分は動けなくなった。
「し、質問を、開始します」
「やめて……やめてくれぇ……なんでも話す。だから、だから彼を私から盗らないで……奪わないで……」
「ちゅ……」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!やめろぉ、彼を、彼を汚すなぁ!!」
部屋の片隅で自分達を見ていたリリーシャ様が、ぼそり呟いた。
「これが、人間の国……!!」
やはりこの人に見せたのは色々とまずかったのでは???
* * *
自分にとっては天国とも地獄ともとれる時間は十分ほど続き、終わった瞬間すぐさまトイレへと走る事になった。
強化魔法は精神的動揺により使えなかったが、しかしこれまでで最速記録をあの走りでは出せたと思う。
少しして、とってある部屋でアリサさん達と合流する。
「あの、あのキスとか、その、色々については……」
「言うな相棒。私も知識だけでああいうの初めてだったんだが……生まれ的に、国の為に必要だと思ったのならやらなきゃ女が廃ったのさ」
彼女を直視できないまま問いかければ、アリサさんは気障な笑みを浮かべてウインクまでしてきた。
くっ、前世の年齢では年上の身として、精神的な余裕というものを見せられると立つ瀬がない。
「シュミットあのね。アリサちゃんもさっきまで甲板で海に向かって意味のない大声を出していたよ。けど嫌だったわけじゃ」
「よぉし仕事の話をしようかシュミットくぅん!!!」
大声で他国のお姫様の声をかき消すアリサさん。
そうか、嫌ではなかったのか……そうか……。
落ち着け、自分。この人は相棒だ。仕事仲間であり、鉄火場で命を預ける存在なのだ。それを色恋だの色欲だのの混じった目で見ていたら、寿命を縮める。
何より今は仕事中だ。思考を切り替えろ。今の僕はかつてないほど冷静だ。
「彼の話では、『レイヤル』男爵という人物から依頼されたらしいですが」
「聞き覚えのある名前が出ちゃったねぇ……」
「そうなんですか?」
法衣貴族と言えば『一代貴族』とも呼ばれる存在だ。
古くから続く家というわけではなく、領地の管理等はしていない。王家に雇われた官僚が政府で働くために便宜上貴族扱いとなっているだけである。
無論、自分の様な平民からしたら十分お偉いさんだ。しかしアリサさんが聞き覚えがあるというのは少し意外である。
「法衣貴族は一代限りの雇われの身だけど、王家側も仕事を任せられる相手ってのは大事だからねー。給料も結構いいから、法衣貴族は子供をちゃんとした学校に入れるとかして、後継者に育て上げるの。だから、実質的には世襲と言ってもいいんだ」
「へぇ……」
「そしてレイヤル家はもう七代ぐらい王都で外交関係の要職についている家でね。法衣貴族の中では結構な名家でもあるんだ。一時期は長年の貢献から正式な貴族にしようって話もでたぐらい」
「一時期は?」
「うん。結構派手な汚職が発覚して、それを理由に色んな貴族から反対があって正式な貴族になるって話はなくなったらしいよ。だいたい二十年前かな?私も詳しくは知らないけど、それでもレイヤル家は未だ要職について働いているね」
汚職云々の真偽は別として、外交関係の法衣貴族。なおかつ一度は貴族になりかけるも結果的には上げて落とすをされた家、と。
「一応お聞きしますが、王国って帝国とも外交のパイプはまだあるのですか?」
「勿論。と言っても、教会を通じてだったり他の国の仲介をお願いしたりで直接というのはほとんどないけど。でも、国境沿いの領主が裏で簡単なお話はしていると思うよ」
「それでも繋がりは存在するのなら……」
「レイヤル家ならお話できるだろうねー」
ここまで真っ黒だと逆に疑いそうになるが、アリサさんはチェシャ猫の様な笑みを浮かべていた。
「はんはん……にゃるほどね~。レイヤル家が絡んでいるのならビトーレ家も、後はコルバカヤン家も怪しいかなぁ……そう言えばあそこは……そっかそっかー」
笑顔だが、眼が据わっていた。
王都の事情に詳しく、なおかつ彼女の御実家的に色々と政府のアレコレにも知識があるのだろう。確信を得るだけの材料があるらしい。
何にせよ、裏切り者がわかったのなら援護も期待できるはずだ。王都でそのレイヤル家とやらを押さえてもらい、安全の確保されたルートで目的地に向かえばいい。
「港についたらすぐに王都へ知らせた方がいいですね」
「だねぇ。流石に商人から聞き出しただけの証拠じゃ逮捕とかまではいけないけど、援護も求めやすくなるはずだよ」
「なら、もう怖い人達に襲われる心配はないんだね!」
笑顔を浮かべるリリーシャ様に、努めて真剣な顔で忠告する。
「あまり油断はなされぬ様に。相手はあらかじめ何枚もの手札を伏せさせているはずですから」
「はーい」
「ま、レイヤル家も馬鹿じゃないから二の矢が外れても三の矢ぐらいは用意しているでしょうけど。それでももうこれ以上やばいのはないでしょ!せいぜいそこらのチンピラぐらいじゃないかな!」
カラカラと笑うアリサさん。
そんな彼女の笑顔が凍り付くのは、港について少しした後だった。
* * *
サイド なし
ティターン号が目的の港に到着した日。
とある街のとある新聞社。そこに一人の青年が大慌てて駆けこんでいった。
「編集長!大変です!大ニュースです!!」
「どうした騒がしい。こっちは『ソードマン・キラー』の特集記事をどうするかで頭を悩ませているんだぞ」
「『アイスハートのクロウド』!そして『山女のボニータ』が討ち取られました!!」
「あぁん?……ああ、たしかウィンターファミリーとかいう海賊がいたな。百セル越えの賞金首が二人いるから無名の海賊じゃないが、『ソードマン』や『皆殺しのサム』ほどの知名度はないぞ」
デスクと書類と睨めっこしていた編集長が面倒そうに顔を上げる。
「インパクトがないんだよインパクトが。ソードマン・キラーみたいな華がな」
「そのソードマン・キラーがヤったんですよ!ウィンターファミリーを!」
「なにぃ!?」
ガタリと編集長が立ち上がり、他の職員達も手を止めて青年へと視線を向ける。
「それは本当か!」
「今朝港についたティターン号の乗組員に友達がいるんです!確かな情報ですよ!」
「でかしたぁ!」
編集長が大きく手を叩く。
「いいぞいいぞぉ、民衆はそういう話に飢えていたんだ……お前ら、記事の差し替えだ!急げ、他の新聞社に負けるなぁ!」
「はい!」
「にしても、まさかこんな短期間で賞金首をねぇ……これは、新しい『二つ名』が必要だな」
ボニータとクロウドの死体は海へと沈んだため証拠となる物はないが、ティターン号という豪華客船に乗っていた金持ちたちの証言という下手な写真よりも証明には十分なものがあった。
そのため、彼の海賊団と戦ったとある冒険者コンビには後に賞金が政府から支払われるだろう。
だが、政府としてはあまり表に名と顔を出したくない少女の分、黒髪の剣士の顔が売れる事となった。
表と、裏で。
「よぅし!『剣爛』だ!剣爛にしよう!剣に豪華絢爛の爛!鉄火場に現れる剣にして輝かしい美貌の剣士!たしかそいつはシュミットって名前だったよな?なら『剣爛のシュミット』だ!」
本人の預かり知れぬ所で新しい二つ名をつけられた。だがそのネーミングについて黒髪の剣士が何かを言う前に、その名前と顔は王国中に広まる事となる。
「ついこの間、他の新聞社にビックニュースを先に取られちまったからなぁ……巻き返すぞぉ!」
そして、彼の新しい二つ名が広まる少し前。とあるニュースが『ソードマン・キラー』という前の二つ名をかき消す勢いで王国を騒がせていた。
海にいた彼らには知りえない、とんでもない大事件。
『新種のモンスターか!?謎の生物による被害多数。複数の村と連絡不能に』
血に濡れた怪物の唸り声が、王都のすぐ近くで響いていた。
その首から伸びる、長い鎖を引きずりながら。
読んで頂きありがとうございます。
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