第四十話 人と獣
第四十話 人と獣
「二人とも心配したよぉおおおおおお!!」
船の中に入るなりアリサさんが抱き着いてきた。
もう一度言う。アリサさんが抱き着いてきた。
リリーシャ様と二人纏めて抱きしめる様に腕を回されたのだが、彼女が女性にしては長身な方と言ってもボニータの様な規格外ではない。僕の肩に額がつくぐらいだ。
何が言いたいかと言えば、それは酷く単純な話。
おっっっぱい。
「おーよしよし。泣かないでー、アリサちゃん」
「子ども扱いしないでー!本当に心配したんだからねぇ!?」
「ごめんねー。あの時は人の波とかで色々あってねー」
ローブごと抱きしめられているリリーシャ様と、眼に涙を浮かべているアリサさん。きっと感動的な光景なのだろう。
しかしその辺の事を考える余裕が現在ない。
ボディアーマーは仕事中のため装着している。だが、左腕の防具は籠手のみ。肩から二の腕は布の服だ。なんなら肩は破れている。
そこにアリサさんの巨乳が……いいや爆乳が押し付けられていた。シャツとブラジャーごしに感じる温もりと重量感。そしてその奥にある柔らかさ。ついでに彼女自身からも良い匂いがする気がする。
今まで戦ってきた強敵達よ……どうやら、貴方達の姿を思い浮かべても効果がない時もあるようです。というか、浮かべようとしても『おっぱい』という単語しか出てきません。
ひとしきり再会を喜んだのか、アリサさんが体を離した。それに名残惜しさを感じつつ、すぐさまその場に片膝をつく。
「え、ちょ、シュミット君?」
「護衛の身でありながら失態をおかし、誠に申し訳ございません」
そう、自分は護衛である。それも平民だ。片や王国の由緒正しい家柄であるアリサさん。片や同盟国の姫であるリリーシャ様。
この身とは命の価値が違う。最も命をはるべきは己であり、助けられる立場ではない。
その事を態度としてしめさなければ。
「……相棒」
「はい」
「……もしかして私達、暫く君を一人にさせた方がいい?」
「……お願いします」
「うん、わかった」
ふっ、流石アリサさん。この程度の誤魔化しは看破してきますか。
死にたい……。
「え、アリサちゃんなんで?シュミット、酷い怪我をしていたんだよ?私が一応治したけど、あくまで応急処置だからアリサちゃんに診てもらいたいんだけど……」
「前言撤回だ相棒。医務室……は今無理だからその辺の部屋に面貸せや」
「まっ、今は。今はお待ちください。現在必死に『村長と偽村長が全裸で迫ってきている姿』を想像しているんです!!」
「なにその呪いみたいな光景」
「精神を犠牲にしても守らなければならないものもある、って、力強い!!」
「いいから部屋入れおらぁ!服脱げぇ!!」
ボディアーマーの右肩部分を掴まれてアリサさんに引きずられる。くっ、強化魔法無しでは出力が……!
だが魔法の発動には集中力が不可欠。戦闘中強引に使うにはかなりの覚悟がいる。それと同じように、乳の余韻とあの島で見たリリーシャ様の全裸の記憶がある今、碌に詠唱ができない。
おぼつかない足取りながら、腹を抱える様にして全力で股間を隠しながら引きずられる。
「大丈夫シュミット!?お腹痛いの!?」
「違うんです……違うんです……僕は元気なんです……」
「そうだねー。お腹というか下腹部は元気だねー。けどそれ以外が普通にやばい可能性があるのが君だよな相棒てめぇ。怪我しているのなら最初に言いなさい」
優しさが……優しさが辛い……。
* * *
「さて。お馬鹿こと相棒の治療も終わったし色々とお話しようか」
「お馬鹿様に馬鹿と言われた……!?」
「まず第一声で負傷の度合いを報告しなかった奴をお馬鹿以外に何と呼べと?」
元々取っていた部屋。そのベッドに腰かけたままそっと視線を逸らす。
いや、だって直ちに命の心配がある様な傷はもうリリーシャ様が治してくださっていたし。なんなら自前の傷薬でどうとでもなる状態だったのからいいと思うのだが。正直いつ次の襲撃があるかもわからないのに魔力を使ってほしくないし。
傷痕が多少残るぐらい別に良くない?僕男ですよ?
「さて、と。まず、昨晩の襲撃でこの船の用心棒が多数死亡してね。百人いたのが今は四十二人。それも負傷者を引いたら三十人をきる」
「それはまた……百人ほど用意したと乗船時に聞いていましたが」
「うん。でも、全員まともに戦った事もない人達らしくって……殴り合いの喧嘩がせいぜいで、刃物を相手にした事があるのも数人だけってあり様だった。一応、訓練で銃を撃った事はあるらしいけど」
「えぇ……」
前世の日本ならともかく、この世界でそれは戦いを生業とする者としてどうなんだ。
街の外に行けばモンスターなり盗賊なり普通にいる世の中だぞ。それはもうただの村人と同じだ。それも辺境の村ではなく、比較的街に近い村の人。
「ただ、海賊も半分以上が討ち取られたはず。こっちの方が数で勝っていたし、武器の質も良かったから」
「それは朗報ですね。一番良いのは、このまま何事もなく港に到着できる事ですが」
「そうだね……一応機関室は無事だし、ブリッジも何とか運用できるらしいよ。ただ問題は……」
そう言ってアリサさんが窓の外へと視線を向ける。
「航海士の人から聞いたけど、どうにも嵐がもう一回近づいてきているらしいんだ」
「それは……奴らがまた来るかもしれませんね」
「やっぱりそう思う?」
苦笑を浮かべるアリサさんに深く頷く。
「普通に考えれば、奴らとて深手を負ったのだから二度も襲撃をかけてくる可能性は低いでしょう。割に合いませんから。ただ、そんな常識的な考えをするならそもそも嵐の夜に帆船で襲ってなど来ません」
「だよねー」
特に『山女のボニータ』と『アイスハートのクロウド』は危険だ。
嵐を我が物の様に扱うあの女は凄まじく狂暴だし、狙撃手のドワーフも自分とボニータが組み合っている状況で冷静に狙ってくるあたりまともな神経はしていない。
少なくともボニータは獣の類だ。獣人の血が入っているからではない。気性の問題として、奴は一度目を付けた獲物を見逃すなどありえないのだ。その執念深さはクマ以上である。
この海にいる間、安全地帯などありはしない。
「えっと、つまりまたあの人達が来るって事?」
「そうなりますね」
不安そうなリリーシャ様に頷いて返す。
「大丈夫だよ、リリーシャ様。貴女は絶対に私達が守るから。……昨夜は、失敗しちゃったけど」
「本当にすみません」
「ふ、二人とも謝らないで!」
護衛対象に助けられる護衛ってなんだよ……。と、我ながら自責の念にかられる。
「アリサちゃんにも、シュミットにも、凄く助けられてる。本当に感謝しているからね」
「……寛大なお言葉、ありがとうございます」
「もーう」
頭を下げようとすると、眼の前にリリーシャ様の白い指が突き出された。
どういう事かと視線を彼女に向ければ、そこには幼子でも叱る様に頬を膨らませたお姫様がいる。
「シュミットは畏まりすぎ。もうちょっとフランクに接してよ」
「いえ、そういうわけには……」
「いいじゃーん。人間の国には『裸の付き合い』?って言葉があるんでしょ?だったらもう友達でしょー」
「あ、いや、それは」
「おう相棒。ちょっと私と二人っきりで話さない」
がっしりとアリサさんの手がこちらの肩を掴む。令嬢らしい華奢な手だが、その握力は今まで相対したどの敵よりも強く感じる。
それに冷や汗を流しながら、言葉を捻りだした。
「今は、海賊の襲撃に備えるのが優先されるかと……」
「そうだねー。じゃあ後でゆっっっくりお話しよっか!」
ニッコリと笑みを浮かべるアリサさん。相変わらず顔の良い事で。
それはそれとして後が怖い。断言できるが、これは前世で見たラブコメとかの嫉妬ではない。間違いなく政治的なアレコレについての『お話』だ。
たぶんこの人の事だから大ごとにはしないでくれるだろう。それはそれとして『私だけお腹痛くなるのは許さんからな』という強い意思を感じるのは気のせいではあるまい。
「えー、二人で内緒話ー?お姉ちゃんも混ぜてほしいなー」
「そういうのじゃないので、ほんと……」
「ややこしくなるのでご遠慮ください……」
二人そろって天井を見上げる。豪華客船の客室だけあって、綺麗な天井がそこにあった。
* * *
轟々と風の鳴る海に、雷鳴が響く。
航海士の言った通り再び嵐がティターン号を襲った。海の天気というのは本当に変わりやすいもので、青い空が瞬く間に黒く染まったかと思えば強風と大雨。そして雷が周囲を覆う。
「おい、木材もってこい!」
「その机を運ぶんだ!高級でもなんでも、この船と乗客よりは安い!」
「誰か手伝ってくれ!こいつを穴の開いた部屋に持っていく!」
船員たちと一部の乗客が走り回り、ボロボロの船をどうにか補修していく。特に捕鯨銛を撃ち込まれた箇所が酷いらしい。
手伝おうかと思ったが、自称弟子達に阻まれた。『先生は海賊の襲撃に備えていてください』と。
確かに彼らの言う通りではある。その前に船が沈んだら困るから自分も何かしようと思ったのだが、機関室から出て来たドワーフが大声で指示を飛ばしまくっているし大丈夫だろう。
彼らの言葉に甘え、リリーシャ様達と部屋で待機しながら己の剣を改めて確認した。
刀身はあれだけの無茶をさせ続けたというのに、多少の刃こぼれがあっただけで歪みすらない。鍔は……街に帰ったら交換が必要だろうが。
購入時は高過ぎると嘆いたものの、今ではむしろ良い買い物だったと思う。今度ハンナさんに酒か何か送ろう。前に祝勝会でお邪魔した時、アリサさんがやたら高そうなワインを渡したらラッパ飲みしていたので酒は好きなはずだ。
研ぎは彼女に言われた通りの手法でやった。剣を鞘に戻し、気を静める。
───次は確実にあの首を落とす。二度同じミスはおかさない。
あの時仕留めきれなかったのは、戦闘前に強化魔法を使わなかった事が大きいだろう。であれば、次は初手から全力で殺しにいくべきだ。
甘さは不要。ただ『獣同士』殺し合う。護衛対象と仲間以外の誰が死のうと心を乱される事無く、ひたすらに敵の首だけを狙えばいい。
開拓村で散々やってきた『狩り』だ。敵は殺せ。村(群れ)を守れ。その為なら心などいらない。でなければ、生き残れないのだから。
そう考えていると、アリサさんが何かを差し出してきた。
「これは?」
「船の乗客から差し入れ。君のファンボーイじゃないよ?『お姉ちゃん達頑張って』って小さなレディからさ」
そうキザったらしく言ってウインクしてくる彼女の手にある、黒いお菓子を見る。
これは……チョコレート?そう言えば最初にこの人と行ったケーキの店にもあった気がした。コンソメといいプリンといい、思ったよりも食文化が進んでいる世界である。
そんな事を考えていると、白い指がチョコを口にねじ込んできた。
硝煙の臭いが僅かにするのに、綺麗な指。それが一瞬だけ唇に触れたかと思えば、口の中にミルクでマイルドにされたカカオの味と砂糖の甘味が広がる。
「おいしい?」
「……はい」
「でっしょー?」
ニンマリと笑う彼女から、少しだけ目を逸らす。
やはり、調子が狂うな。
……これは、きっと毒だ。
己は恐らく弱くなった。装備も体調も、技能も全てが村にいた頃と比べ格段に向上している。街に出る前の自分と一騎打ちすれば、百戦やって百回今のこの身が勝つ。
だが、手段を選ばぬ戦いならどうなるのだろうか。結果は、わからない。内面以外のアドバンテージを覆す程に、精神が温くなっているのだ。
しかし、それでも……。
「実は王都に美味しいお菓子屋さんがあるんだー。この仕事終わったら行こうよ」
「えー、アリサちゃんそれ私聞いてない。一緒に連れてって?」
「駄目でーす。リリーシャ様は王都についたらお仕事の時間なので」
「ちょ、それを言うのはずるいよアリサちゃーん」
この相棒は、そんな戦いの時も横からしゃしゃり出てくるのだろうな。
自分同士などと言うありえない想定に、ただの『願望』。戦いの前だと言うのに、我ながら無駄な事を考えるものだ。
……ただ、まあ。
獣を狩るつもりで戦うのであれば、こちらまで獣に堕ちるのは面白くない。狩人であり剣士として、あの海賊と相対するもいいだろう。
何より、もしも自分が獣としての戦いをすればこのお馬鹿様は後ろから撃ってきそうだし。
「シュミット君も行きたいっしょお菓子屋さん。君実は甘い物好きでしょ。初めてあった時もケーキを凄く美味しそうに食べてたし」
「……ええ。そうですね。リリーシャ様も仕事が終わった後なら良いのではないですか?」
「さっすがシュミット!君は本当に良い奴だよ!」
「しょうがないにゃー、その時は三人で行こっかー」
お馬鹿様二人を見て、自分も少しだけ笑う。食べきったチョコレートの余韻を口に残して、椅子から立ち上がり窓の外を覗いた。
それとほぼ同時に、鐘の音が船内に響く。
海賊だ。また、あの海賊達が来た。
嵐の中を異様な速度で進むガレオン船。先の襲撃の時、撤退時に船員たちが与えたと言う砲撃の傷を受け、幽霊船じみた姿となったその船は、相変わらず帆に一杯の風を受けて高速でこちらに向かってきていた。
その船首に、見覚えのある顔がある。
荒れ狂う波など気にした様子もなく、悠然と立つ一人の賞金首。
失った左手には金属でできたフックがつけられ、右足にはカットラスが装着されていた。あれで義手と義足のつもりならば正気を疑うが、奴らは狂っているので本気であれを新しい手足と考えているのだろう。
雨で崩れる道化のメイク。黒い眼帯で右目を覆い、左耳まで裂けた口で嗤う海賊。
視線がかち合ったのを感じながら、自分はそっと鞘に指を這わせた。
読んで頂きありがとうございます。
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