第三十二話 剣士
第三十二話 剣士
剣を握る手を、傷口から流れた血が濡らしていく。
ぽたり、ぽたりと滴る音が聞こえるが、それは意識の外へ。痛みには慣れているし、何より許容範囲も上げてある。
「ふぅぅぅ……」
「シュミット……?」
リリーシャ様の震えた声が聞こえてくるが、振り返る余裕がない。
痛みを無視しようが出血と負傷の事実は変わらない。まだ戦えるが、『ソードマン』を相手にするならば正直厳しいだろう。
だが、満身創痍なのは向こうも同じ。表情にこそ出していないが、見てわかる程に奴も大小様々な傷を負っている。薬学の知識があるおかげで多少なら人体についてわかるが、アレはもう生命活動さえ危険域にあるはずだ。立っている事すらおかしい。
それでも現にこうして剣を手に相対しているのだから、つくづくこの男は化け物じみている。
「シュミット、その怪我───」
「この、化け物がぁ!」
「ぶっ殺せぇ!」
「うおおおお!」
背後からの声をかき消すように、ソードマンの周囲にいる盗賊達が吠えた。数は三。それぞれがピストルをこちらに向けようとする。
だが、うち二人の脳天に風穴があいて遅れて銃声が響いた。誰がやったかは見ずともわかるし、なんなら自分も既に行動している。
左手で引き抜きざまに放ったピックが残り一人の眉間に突き刺さり、仰け反ったそいつが反射でトリガーを引いて天井に穴を作った。
それが、合図。
「しぃ……!」
「おぉ……!」
同時に通路を走り出し、真っすぐに向かってくるソードマン。それに対し座席の肘掛けから反対の背もたれへと跳んで上から斬りかかる。
ソードマンが屈む様にしながらサーベルでそれを受け流しながら駆け抜け、半瞬だけお互いに背中を晒す。だが奴がリリーシャ様達の方へと行くとは思わない。そうしたのなら無防備な背を裂くだけだ。
振り向きざまの斬撃。それもまた同時に放ち、噛み合う。
「っ……!」
ぐるりと剣が回る。だが、同じ手など食らってやるか。
膂力で勝るのならと片手を柄から離し、左手のフックで相手の顔面を殴り飛ばす。サーベルが回り切るよりも速く拳は振りぬかれ、頬骨にヒビをいれた感触が返ってきた。
座席に倒れ込んだソードマン目掛けて剣を振り下ろすが、それは刀身で防がれて巴投げを受ける。
壁に向かって放られるも体を反転させ、木製のそれを蹴り飛ばし突貫。奴がいた場所へと剣を叩き込む。
砕かれた座席の破片が舞う中を転がる様に飛び退いたソードマンへと再度切り込み、視線を奴に向けたまま背後に叫んだ。
「アリサさん、彼女を!」
「OK!ついでに前の方をなんとかしとく!」
「お願いします!」
「ちょ、待ってアリサちゃん!」
背後から二人の声が聞こえる。
「シュミットの怪我、見たでしょ!あのままじゃ死んじゃうよ!?」
「───大丈夫!でしょ、相棒!」
「いいから速く行ってくださいお馬鹿様!」
「あいあーい!」
そう吠える様に返しながら、一合、二合と火花を散らして剣閃をぶつける。
三合目で鍔競り合うも、押しきれない。力んだ瞬間二の腕から派手に血が噴き出し、踏ん張った足はミシミシと異音を発する。先ほどの様に片手を柄から離す等という余裕が、ほんの数秒で失われていた。
なるほど。確かに心配されるだけあってこの身は限界が近い。だが、
「ふぅ……!」
「なっ」
あの人には、『大丈夫』だと見抜かれてしまったな。
鍔迫り合う状態。相手がこちらの刀身を絡めとろうとするのに対し、自分が先に刃を『回した』。
「ぐぅ……!?」
驚愕するソードマンのサーベルの刀身を『バインド』で滑り落とさせながら、こちらの切っ先を跳ね上げて奴の左目を奪う。
そのまま横薙ぎの一閃で胸を浅く引き裂いた。
自分に足りないのは『剣士と戦った経験』。ならば、逆を言えばそれにさえ慣れれば良いのだ。
剣の術理は既に頭の中に入っている。後はそれを実践に移すだけ。幸いな事に、この肉体は女神様の特別製だ。武芸全てへの才能は、腐るほどにある。
咄嗟に後退したソードマンへと踏み込み、ナックルガードを左手で押さえながら剣を奴の裏腿へ。刀身の背で引き裂き、バランスを崩した眼の前の顔が歪む。
左手の押さえを振り払って逆袈裟に放たれたサーベルに対し、左足を軸に回転して回避。そのまま剣を横一閃。
片足がまともに動かない分ソードマンの体が大きく傾いた。奴が開けたのであろう、車両の大穴へと押し込む。
「く、ぅぅ!」
「はぁぁ!」
踏みとどまった彼へ、左右にフェイントを一瞬だけかけながら接近。死角である左目側から踏み込むと見せかけ、蹴りを奴の右膝へと叩き込んだ。
体術は修めていないが、それでも片足で落下を防いだ体には響いたらしい。ソードマンの憎悪以外の感情が抜け落ちた様な顔がまた、痛苦に歪んだ。
「ぐぅ!?」
そこへ間髪入れずに剣を叩き込むが、それは受けられた。
ギチギチと刃同士が音を出しながら、至近距離で睨み合う。奴を列車から落そうと踏み込むが、下手に足を出せば受け流されて自分が落下しかねない。
ガタゴトと揺れる車内。森を抜けたのか、眩い陽光と外の景色が視界に跳び込んできた。
切り立った崖に出た汽車。線路が直線になったのかその速度は時速百キロ近くあり、ここから落下すればただでは済むまい。
互いに組み合った刃の支配権を奪い合いながら、突然奴が刀身に入れる力を引いた。
こちらをすかさせる気か。だが───!?
「づぅ!?」
磨き抜かれたサーベルの刀身。それが日の光を反射し、こちらの瞳を焼く。
視界が白に染め上げられた一瞬。咄嗟に飛び退こうとした所に衝撃が走る。遅れて左肩に激痛が走り、そして背中が汽車の壁へと叩きつけられた。
どうにか瞳を開ければ、血走った目で剣を突きだし、自分の左肩を穿ったソードマンの顔。
ぐるりと相手の剣が捻られ、ぶちぶちと言う異音が傷口から聞こえた。その激痛に眉をよせながらも、すぐさま左手で奴の右腕を掴む。
横に動かされようとするサーベルを止め、己の右腕を跳ねる様に動かした。
狙うは奴のうなじ。そこに剣の背で引き裂こうとする。
だがソードマンもまた左手でこちらの右腕を封じてきた。一瞬の硬直が起きるも、この体勢で力比べなどしていられない。足を折りたたむ様に両者の間にいれ、思いっきり奴の腹を蹴り飛ばした。
「はぁ!」
「かはっ」
勢いよくサーベルが引き抜かれ大量の血が流れるも、左腕がまだ動く事を確認。ならば、良い!
よろめいた奴へと再び斬りかかり、それを回避されようとも剣を振りかぶる。
だが、その眼前に『待っていた』とばかりに切っ先が置いてあった。
「っぅ!」
反応できたのは半分近く運。それをこちらの刃で弾いた直後、凄まじい引きでサーベルが戻り、続けて繰り出される喉目掛けての刺突を柄頭で。更に繰り出された胸への三撃目を真下に切り払う様に剣を回して迎撃。
直後に逆袈裟に振るわれたサーベルを刃で受け止め、相手の刀身を滑らせるように間合いを詰める。勢いそのまま鍔同士をぶつけ、ソードマンに体当たりをしかけた。
「ぬぅ!」
「おぉ!」
至近距離で腰の捻りで刃を振るえば、奴も同じく回り込む様にして剣を振りかぶっていた。
同時に放たれた斬撃は、まったく同時に互いの身を傷つける。
だがその度合いは、防具の分こちらの方が浅い。ボディアーマーの肩紐部分で受けられ、右の鎖骨を断つ事なく奴のサーベルは振りぬかれた。対して、自分の剣は確かにソードマンの腹を横一文字に引き裂き腸を露出させる。
「オオオオオオオオオオオ!」
だと言うのに、この男はまだ吠えた。
左手の掌底をこちらの左肩に打ち込み、強引に距離を取らせる。
「いっ……!」
こいつ、不死身か!?
怯んだこちらに振り上げられたサーベル。それを振り下ろさせまいと肘を左手で押さえ、今度は背骨を断つつもりで剣を振るおうとする。
だが、それは奴の左腕に肘を押さえられて止められた。奇しくも、似た様な構図。
血の臭いが混ざった息が届くほどの距離に奴の顔がある。
隻眼になった男の瞳は、相変わらず酷く淀んでいた。
「あぁ……やはりか。やはり私を殺すのは剣士だと思っていた」
「この……!」
押し込もうとするも、列車に散らばった血液で足が滑って上手く力が入らない。それどころか奴の肘を押さえる左腕は、肩から流れる出血で力が失われていっている。
その状態で、暗い瞳のままソードマンの口元は笑みを浮かべようとしているかの様に歪んでいた。
だが、閉じられた左目側。涙の様に血が流れるそちら側にこそ、何かしらの感情が宿っていた気がした。
「そうだ。銃は守ってくれない。己の最も大切なものを救わず、倒すべき敵を撃ち抜かない。だからこそ、私の首を落とすのは……!」
「……あいにくと、僕は銃を信じています」
左手をソードマンの右腕から離し、奴の首元に。
胸倉を掴んで、力一杯に頭を叩きつけた。互いの額が重い音をたて、完全に密着する。
「ぐぅ!?」
「つぅ!!」
痛い。だが、これで完全に動きは封じた。両者ともに回避は不可能。汽車の揺れは未だ激しいが……。
貴女なら外さないでしょう?『相棒』。
「この世に一丁しかない銃ですけどね」
───タァァン!
銃声が響き、ソードマンの体が揺れた。一発の弾丸が、確かに男の心臓を撃ち抜いたのだ。
間違いなく致命傷。しかし、それでもこの剣士が止まれない事を自分は知っている。
「っ、おおおおおお!」
胸を撃ち抜かれたとは思えない程に、轟く咆哮。
奴は力任せにこちらを突き飛ばし、サーベルを振りかぶる。
されどその動きに今までの精細さが見受けられないとなれば……勝敗は、決したも同然だった。
すれ違いざまに、互いの刃を振るう。
そして、血飛沫が舞ったのは片方だけ。
「………なんだ」
カラリと、両断されたサーベルが床に転がる。
「当てられる奴も、いるんじゃないか……」
血だまりに重い物が転がる音がして、振り返る。
そこには何やら安心した様な笑みを浮かべて倒れている剣士と……汽車の壁にもたれかかりながらウインクしてくる彼女がいた。
それに小さくため息をつきながら、近くの背もたれに手をつく。だが、もたれかかろうとしたら左肩が痛んだのでやめた。
これ……よく重要な神経が無事だったな、本当に。
「やあ、相棒。さっき何か言っていなかった?」
「いいえ」
「この世に一丁しかない銃とかさぁ、信じているとかさぁ」
「いいえ」
「なんだよぉ。照れてるのぉ?照れちゃってるのかぁい、あいぼぉう」
「護衛対象の所に戻りますよ、お馬鹿様」
「あー!またそれ言った!ちょくちょく言っているその『お馬鹿様』ってなんなのさぁ!私ほど知的でクールな美少女はいないよぉ!?」
「すみません。どうやら都会における知的とクールの意味が僕の知るものとは違うようです」
「酷くない!?」
「酷くないです」
のろのろと歩み寄れば、やはり完全にソードマンの息の根が止まっている事がわかる。心臓の音も止まっている事が、立ったままでもわかった。
屈んで剣士の瞳を閉じさせ、自分も刃を鞘に納める。
「犯罪者なので尊敬はしませんが。……強かったですよ、ソードマン」
……それはそうと血を流し過ぎたかもしれない。ちょっと歩くのがきつくなってきた。
そう思っていると、いつの間に近づいたのかアリサさんに肩を支えられる。
「大丈夫、シュミット君?一応前の車両にいた奴を三人ぐらい生け捕りにしてあるけど、尋問は後で私がやっとこうか?」
「いえ。まだ動けます。まずは護衛対象の安全確保が優先です」
彼女に支えられながら、意識を己の肉体に集中する。
どの傷も直ちには命に別状はない。出血も止血さえすれば耐えられるはずだ。我ながらつくづく頑丈な体である。
「……わかった。けどダメだと思ったら殴ってでも止めるからね?というか顔の傷やばいよシュミット君。せっかく綺麗な顔してるのに」
「……いっそ、この傷は残しましょうかね」
そっとソードマンにバインドされた時の頬の傷に触れる。かなり深く入っているが、普通に治療したら痕が残るだろうな。
むしろ丁度いいかもしれない。いい加減女性に間違われるのは辟易していたのだ。
「駄目。絶対に駄目。私が後で必ず魔法で治す。痕も残さない」
だと言うのに、アリサさんが若干座った目でこちらを睨み上げてきた。
「いいじゃないですか。これがあれば性別を間違えられる事も減りますよ」
「私が嫌なのー!そんなに綺麗な顔が傷ついたままなんて世界の損失だよ損失!!」
「そんな大げさな……」
「大げさじゃなぁーい!」
えっちらおっちらと歩きながら、彼女の騒がしい声を聞く。
だいぶ混乱の治まった車内。乗客や用心棒たちがこちらを見てはすぐに左右に分かれて道を開けてきた。どうにも、その視線には恐怖と敬意が混じっている様に思える。
……まあ、どうでもいいか。前の方に向かえば、座席に座っている白いフードが見えてくる。
その傍に立てば、ようやくこちらに気づいたらしい。ばっと慌てて顔が上げられた。
「シュミット……!アリサちゃん……!」
「どーもー、おっ待たせー!」
「お怪我はありませんか?リリ……お嬢様」
能天気に手を上げるお馬鹿様の横で、周囲に人がいるのに名前を呼ぶのはまずいかと誤魔化す。
青ざめた顔でこちらを見ていたリリーシャ様が、突然立ち上がって跳び込んできた。
「よかったよぉ~!二人とも~!」
「ちょ、リ……お嬢様、フードが脱げそう!?」
「あの……これ、後で僕不敬罪に問われたりしませんよね?」
あいにくとボディアーマーのせいで抱き着かれても感触が感じられないのだが。あ、けど良い匂いがする。
……いや、それより傷が痛いわ。
「生きてる~!二人とも生きてるよぉぉぉ……!」
「あの、お嬢様。申し訳ありませんが、手を緩めて頂けると……」
「あぁ、そうだった!?お嬢様、シュミット君の顔が凄い事に!めっちゃ青くなってます!!」
「う゛わ゛ぁぁぁん!!無茶し過ぎなんだよぉ、君達ぃいいい!」
「うっそでしょその耳で聞こえてないんですか!?」
……あ、やばい。流石に落ちそう。意識が。
「シュミット君!死ぬなシュミットくぅううううん!!」
読んで頂きありがとうございます。
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