第百五十一話 ソードボーイ&ガンガール
第百五十一話 ソードボーイ&ガンガール
『ヂッ』
まがい物の聖女。それが、独特の構えをとった。
八双の構えに似た、しかしやや高すぎる柄の位置。左手はそっと添えるだけで、肘は空間に縫い付けられた様に動きを止めている。
ああ、やはり。それを使うか……!
『ェエ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛────ッ!!』
咆哮が、否。猿叫が轟く。口どころか貌のない聖女擬きのその声が、崖上まで揺さぶった。
自身もまた、知っていたが故に魔力で鼓膜を守らなければ、聴覚どころか三半規管が壊されていただろう。
だが、真の攻撃は別にある。
猿叫と共に放たれる、全霊が籠められた一太刀。左足を前に出した、爪先を斬る可能性を度外視した斬撃が繰り出された。
避けられたのは、『本物』の太刀を見た事があったから。そして、あの時と違い世界の後押しがあったからに他ならない。
全力で横に跳んで回避した自分が、先ほどまでいた場所。そこから遥か後方までが、爆散でもしたかの様に暴風と土煙をまき散らす。
「ぐ、ぅぅ……!」
袈裟懸けに斬られた傷口から血を溢れさせながら、衝撃波を耐える。地面どころか崖までをも斬り裂いた刃。その破壊力は、剣を受け継いだあの時に見たものとなんら遜色ない。
ただ────何か、違和感があった気がした。
その正体を考察する時間は、しかし与えられない。
一撃目が外されようと、二の太刀三の太刀は存在する。聖女擬きが大地を蹴りつけ、音速でこちらに迫ってきた。
眼で追う事はできない。ならば、予測しろ……!
振り下ろされるだろう刃に、ほんの半瞬刀身を合わせる。まともに受けようものなら剣は無事でも、己の腕が千切れ飛ぶ。
接触と同時に、手首のスナップだけで刃を翻す。剣腹を通り過ぎる黒の刀身。相手の踏み込みも利用して、すれ違いざまに回したままの剣を頭部へとぶつけた。
確かに刃が聖女擬きの額に直撃した。諸刃の剣は当然ながら、峰などなく前後どちらでも斬る事ができる。
だと、言うのに。
────ギャリィッ!
小さな火花が上がっただけで、薄い黒のベールも、その下の白い髪の一本すらも断ち切れない。
それどころか、ぶつかった衝撃で肩が外れかける。体を横回転させ、腕を振り回しどうにか受け流した。
ぶわり、と汗が噴き出る。
膂力、速度、頑強さ。その全てが、自分が死合った聖女と互角。いかに世界の加護を受けようと、肉体のポテンシャルが違い過ぎる。
崖上からの援護は期待できない。彼らも奴の攻撃で崖の淵へと碌に近づけない上に、自分と接近戦をする聖女擬きにはライフルだろうと当てられまい。
かと言って、この身が逃げれば間違いなく奴は上の者どもを鏖殺した後に、ゆるりと自分を追いかけてきて、殺すだろう。それが直感でもって理解できた。
つまり、一騎打ちをしなければならないのだ。この、怪物と。
「まだだ……!」
折れかけた心を、叱咤する。
「まだだ!」
『ヂィ……』
互いに通り過ぎた相手へ振り返り、剣を振るう。
音を置き去りにした黒の刃に白の刃を置いて合わせ、受け流しながらこめかみへ剣を叩き込む。
怯みすらしない聖女擬きの横薙ぎを、足を前後に出しながら膝と腰を曲げる事で回避。その体勢から、バネの様に全身を使って突き上げる。
喉狙いの一撃を、しかし鱗に覆われた左掌が受け止めた。片手で防がれたあげく、切っ先は鱗一枚貫けない。
あの巨体が人間大にまで圧縮されたせいか、鱗の強度まで増している。その様に考える間もなく、無造作に振るわれた左手で体が木の葉の様に飛ばされた。
岩だらけの地面を転がり、受け身をとって跳ね起きる。斜めに跳んだおかげで、追撃の一閃は避けられた。
そこから放たれる逆袈裟を、こちらの刃を滑らせて上へと逸らす。
ただそれだけで両腕が軋みをあげるも、耐えた。
本物の聖女にすら自分が勝るもの。それは、技量。剣士同士の戦いであるというのなら、今だけは戦える……!
しかし、それは魔力が持つ間のみ。
音速で放たれる連撃に、ひたすら刃を合わせる。速過ぎるあまり見えずとも、音が置き去り故に聞こえずとも、読めはするのだ。防げぬ道理などありはしない。
だが、かまいたちとなった風の刃が身を削る。受け流すだけで骨が軋み、世界の後押しで得た膂力と俊敏さで押し込まれるのを凌ぎ続ける。
大ぶりの袈裟懸けに、こちらも袈裟懸け。そこから刃が触れ合うと同時に、左足を前へ。
黒の斬撃を自分の後ろに流す様にしながら、柄頭を相手の側頭部へと叩き込む、鍔も柄も銀ではないが、刀身から溢れた破邪の力は通っている。
純粋種のヴァンパイアすら砕くそれも、しかし怯ませる事すらできない。
だが、止まるな。
淀みなく鍔で聖女擬きの無貌を殴り飛ばす。反撃と刃を振り上げてきた動きに合わせ、一瞬だけ背中合わせとなる様に左足を軸に横回転。空振りさせて、その無防備な背へと刃を振るう。
すると。
『ヂ、ィィ……!』
ずるり、と。白銀の刃がシスター服を超えて肉の感触を引き裂いた。
噴き出す鮮血。それを浴びながら、身を捻り脇からこちらへ突き出された黒い切っ先を飛び退いて回避する。
自分の方を向き、構えなおす聖女擬き。その足元に、どばり、と血が落ちて溜まっていく。
───先ほどまでの戦いで負った傷が、癒えたわけではないのだ。
聖別済みの銀で出来た砲弾に、教会秘蔵の聖水の霧。それらでこじ開けられた背中の傷は、未だ奴を蝕んでいる。五体満足に見えたのは、表層を取り繕っただけに過ぎなかった。
光明が見えた。斬撃が通じる箇所があるのなら……!
『ヂィッ!!』
奇妙な声と共に突撃してくる聖女擬き。蜻蛉の構えから放たれる袈裟懸けに、刃を合わせる。
背中の傷の影響か、ほんの僅かに先よりも鈍った太刀筋。ならばと、コンマ数秒噛み合った瞬間にバインドをしかける。
切り上げではなく、喉狙いの突き。それは、鱗に包まれた左の拳によるアッパーで刀身が弾き上げられた。
引っ張られる様に足が浮く。逆胴で放たれる黒の刃に、奴の腹を蹴る事で宙返りする様に回避。
空中から重力も上乗せして頭部へと斬撃。しかし、それはやはりベール一枚で防がれる。
そんな事は百も承知。剣をぶつけた衝撃で後ろに跳んで、距離を稼いだ。そのほんの少しの距離で、着地を刈り取る袈裟懸けの一振りに刃を合わせる猶予を作る。
相手の剣を軸にする様に、背後へと回る。そこから身を捻り、遠心力も加えた横薙ぎを浴びせた。
また、血飛沫がこの身にかかる。だが浅い。致命傷には程遠い。
相手が何かをしたわけではなく、単純にこちらの剣が鈍っている。刃を振るう腕が、こんなにも重く感じたのは初めてだった。
「ぐ、ぅぅ……!」
『ヂィィ……!』
体ごとぶつかってくる聖女擬きに、こちらも前へ。腕の内側に滑り込む。
相手の右肘と、左腕に装着した籠手が接触。それだけで半壊していた籠手は砕け散り、その下の前腕も異音を発する。
「ぐ、ぉおおおお!」
全力で後ろに倒れ込みながら、聖女擬きの腹を蹴り上げる。変則的な巴投げ。数メートルほど転がっていった奴を後目に、のろのろと立ち上がった。
両腕が鉄で出来ているかの様に重い。足は泥の中を歩いている様で、息を吐く度に体の中の何かが削れていく。
手数が、否。
人数が、足りない。
聖女擬きと相対し、再び攻防を繰り広げながら、身体に幾つもの傷を作っていく。かすめた刃が皮膚を剥がし、肉を抉り飛ばして骨にまでヒビを入れていった。
じり貧とは正にこれかと言いたくなるあり様だ。気づけば、反撃する余裕すらなくなっている。先ほどの衝突で左腕もまともに動かなくなった。
遠く。視界の端で、崖上の部隊がロープで降下しようとしているのが見える。だが、遅い。飛行魔法を習得できていない彼らでは、この戦いに間に合わない。
よしんば辿り着いたとしても、自分と戦うこの怪物を彼らの弾丸が捉えられるとは思えなかった。
ただの一流では足りない。それこそ、彼女の様な────。
……手段は、ある。
横薙ぎの一閃を後ろに跳んで避け、しかし発生した鎌いたちで腹部が『ばっさり』と斬られる。
腸にまで届いた斬撃。脳が焦げる様な痛みに気合で堪えるも、肉体が限界を迎え始めた。魔力制御による延命も、そう長くもたない。
足りない人数は、一人分。それを、技量でもって補うしかない。
これまでの戦いで得た経験値は全て、三日間の猶予のうちに使い切った。ほんの一欠けだろうと余剰はない。
であれば────人生一つ分。それに加えて、これまでの分全てを注ぎ込めば。
前世も今生も、全ての日常における『経験』さえも燃料にして、技量にくべる。そうすれば、あるいは届くかもしれない。
だがそうなった時────自分はもはや、『シュミット』ではなくなるのだろう。
上段から唐竹割りに振るわれた黒い剣の腹に、横から刃をぶつけて辛うじて逸らす。そして、地面を打った黒剣が撒き散らした石礫と衝撃波でこの身は転がっていった。
数メートル先で、立ち上がろうとして己が流した血に足を滑らせかける。そこに繰り出された突きに、寸での所で左腕をさし込んだ。
衝撃。肩から先の感覚が消え失せ、遅れて腕の付け根『だった』場所から燃える様な痛みが神経を駆け巡る。
歯が歪むほどに食いしばり、意識が落ちるのだけは耐えた。
時間がない。出血で死ぬか、削り切られるか。どちらにせよ、決断の時は迫っている。
────脳裏に、彼女の顔が浮かんだ。
「はっ」
少しだけ笑ってしまった自分に、聖女擬きの動きが止まる。見れば、警戒した様に首近くに剣を構えていた。そして、その奥に一枚だけ逆さに生えた鱗を捉える。
……ああ、違和感の正体はそれか。
納得がいった。なるほど、これは本当に、己の全てを懸ければ届くであろうな。
覚悟はできている。死ぬつもりはない。たとえ、『記憶』が『記録』になってしまったとしても。僕は生きる。
生きて、あの人の所に帰るのだ。
───自己紹介から始める事になるかもしれないのが、少し不安だけれど。
悲しませて、しまうだろうか。悲しんで、くれるだろうか。
小技として繰り出された音速の突きを、鍔で受け流す。それだけで関節は悲鳴をあげた。
さあ、逝くとしよう。己を、己が魂を火にくべろ。
決着を、つける────ッ!!
────ドォォン!!
シュミットという存在を投げ出そうとした、その時。
近い距離で銃声が轟いた。黒色火薬よりも音が間延びしなくて、それでいて濁りのないそれは、公爵家が使っている無煙火薬。
だが、ライフルのものではない。これは───拳銃のもの。
いつの間にか慣れてしまったその音がした方向を、戦闘軌道をとる聖女擬きの背中を撃ち抜いた銃弾の主を、見やる。
強い風がふく谷底で、金色の髪が舞っていた。
「待たせたなぁ、相棒!!」
「───ええ。待っていましたよ、相棒」
白馬に跨るゲレルさんの後ろに乗った、アリサさん。彼女が右手一本で構える拳銃は、微かに硝煙を上げていた。
『ヂィ……!』
聖女擬きの無貌が彼女らへと振り返ろうとする。そこへ、大きく踏み込んだ。
背中の傷目掛けて放った突きに、奴は飛び退いて回避。
やはり……!
「相棒!」
「応とも!」
たったそれだけで通じる意思。
残り少ない魔力を、全て籠める。輝きを増した『龍殺しの剣』に、聖女擬きは再び剣を構えた。
例の、八双に似た蜻蛉の構え。恐らく一撃で自分を仕留め、その後にアリサさんを殺す気なのだろう。
その思考は間違っていない。自分という抑えがいなくなれば、この聖女擬きは単騎で彼女らも公爵軍も一切合切殺し尽くすだろうから。
単純に、相性の問題だ。奴にとって、白魔法の使い手でありこの剣を振るう自分は、厄介極まりないだろう。
だが、この『擬き』は二つ。大きなミスをしでかしている。
一つは、
『ヂィ』
ぐしゃり、と奴の足元にクレーターが生まれ、音速の踏み込みが行われようとした。
それに合わせ、自分も剣を構えた時。
───ダァァン!
『ッ』
奴の背後。跳弾で飛んできた銀の弾丸が、背中を抉った。
視界の端に映る相棒が、ニヒルに笑っている。だがあの顔だと、きっと今ので限界だ。曲芸じみた二発目はない。
しかし、踏み込む瞬間聖女擬きの動きにほんの少し。髪の毛一本分の『迷い』が生まれた。
一つは、僕の相棒を『後回し』で済むと思った事。
そして、二つ目のミスは、
『ェェエ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛────ッ!!!』
爆音と共に駆ける、聖女擬き。その速度はやはり音を超えており、自身の猿叫すら置き去りにしている。
到底目では追えないその刃。人間の反射神経を上回る一閃。そのうえで、山の一つ程度なら易々と両断してしまう破壊力。
真の聖女が振るった刃に、なんら遜色ない。
だが、
お前に、死ぬ覚悟はあるのか?
違和感の正体。それは、『死してなおこちらを殺す』という気概が見えぬ事。
もしもその覚悟が相手にあったのならば、自分はとうに殺されている。一の太刀を避けきれずに、手足の一つも落とされていた事だろう。
それが間違いなどとは言わない。自分も、同じだから。生きる事を、諦める事ができないから。
感情のない端末とは理由こそ違うだろうが、生きる意思だけは互いに同じ。
されど。
「お前には、聖女の剣は振るえない」
正真正銘の狂戦士でなければ、あの太刀は使えない。
もはや意識の外。相手の動きを予測して、ただ剣を置く。
結末を見てから、己が成した事を自覚した。
やった事は、あの時とまるで同じ。柄頭で聖女擬きの刃を受けて、その力を余すことなく利用する。
柄が砕けると共に跳ね上がった白銀の剣。それが奴の腹へと食い込んで、心臓を断ち、喉の『逆鱗』を通って脳天へと振り抜かれる。
両断。自分の真横を通り過ぎた黒の刃が起こした暴風が土煙をあげ、背後では崖がずたずたに破壊されたのであろう事が音でわかった。
そして、目の前の聖女擬きは。龍だった存在は……。
『ヂ、ァァ……』
白銀の輝きが傷口から溢れ、その身体が自重で左右に裂けていった。
列車砲に戦車部隊と、天に届く巨大な龍の戦い。随分派手な始まりだった激闘の幕引きは、何ともあっけない終わり方。
だが……悪くない。
指から剣が滑り落ち、地面に突き立つと共に刀身が砕け散る。どうやら、随分と無茶をさせていたらしい。
両足からも力が抜けて、そのまま後ろへ体が倒れていく。血を流し過ぎたし、傷を負い過ぎた。
踏ん張る事もできずに視界が動いていって、
「ちょ、シュミット君!」
聞き慣れた彼女の声が後ろからして、抱きとめられる。
視界の端で包帯ごと黒い鱗が地面に落ちて、岩に触れるなり灰となって風に飛ばされていった。
「あ、ちょ、うおおおおおお!?」
「ぐぅ……」
かと思ったら、絶叫と共にアリサさんが後ろに倒れる。自分が背中で押しつぶした形だ。
どばり、と傷口から血が溢れる。
「しゅ、シュミット君重い……!いつの間にこんな育ったの……!?」
「何を言っているんですか、このお馬鹿様……むしろ減ってますよ。体重」
血と片腕分ないからな、今。
ああ、頭がくらくらする。本格的に体がやばい。
「……そっか。私、今非力なんだ」
「見た目相応になっただけですよ……」
背中から這い出て、膝にこちらの頭を乗せる彼女。
そして、肩の傷口に剥き出しの白い左手が添えられる。魔力の光が見えるから、治療をしてくれているのだろう。
「ね、シュミット君」
「なんですか、アリサさん」
「こんな時にさ、言う事じゃないと思うんだけどね」
頭上で、きっと顔を赤らめているのだろう彼女。視界がかすんで、どういう顔をしているのかよくわからない。
それでも。
「構いませんよ。僕も、言いたい事がありましたから」
「じゃあ、お互い様って事で。言っちゃおうか」
「ええ」
見えなくても、きっと。
「────。───────」
「───。───、────」
沸き立つ歓声でかき消されてしまう声。至近距離にいる自分達の間だけで聞こえたそれに、小さく笑う。
人類二度目の龍殺し。新たな伝説は、歴史に刻まれた。
そこに、この自分達の会話が書かれる事はない。
何故って?
恥ずかしいからに、決まっているでしょう?
読んでいただきありがとうございます。
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次回、エピローグとなります。どうか最後まで、お付き合い頂ければ。