第百四十五話 帰還
第百四十五話 帰還
帝都からの帰路。その道程は、行きと比べてかなり穏やかかつ快適なものだった。
その理由は二つ。一つは公爵家の密偵達がエスコートしてくれた事。『蛇の道は蛇』……と言うのは少し違うが、彼らは安全かつ素早く移動できるルートを知っている。
もう一つ。これが一番大きいのだが、帝都とゲイロンド王国との間にあった要塞がシュナイゼル准将率いる部隊により攻略された事だ。
おかげで山を越える必要もなく、それどころか車での出迎えまで。
……そう、車での出迎えが来てしまったのだ。
「ねえ……あのさ」
公爵家の密偵の人達と共に、彼らの協力者がいるという村の外れにて車を待っている。
の、だが。クリスさんが向かってくる車を見て珍しく歯切れを悪くさせていた。
そして、それはジョナサン神父や軍曹も同じだった。全員、移動中にある程度魔力が回復した自分が全快させたのだが、沈痛な面持ちをしている。
なお、恐らく僕も同じ顔をしている。
女神様。どうか……どうか、運転席にいるのが見知らぬ人物でありますように……!
目の前で停まった車から、一人の男性が降りてくる。
「お待たせしました。わたくし、シュナイゼル子爵より皆様の送迎を───」
「やったああああああ!!」
「しゃぁああああああ!!」
「ありがとう……ありがとう……!!」
「え、ええ……?」
両手を天につき上げるクリスさん。右手で陽光十字を握りながら左手でガッツポーズをするジョナサン神父。漢泣きをする軍曹。
その様子に困惑する、運転席から降りてきた見知らぬ初老の運転手さん。視線を彷徨わせる彼に、軽く頭を下げる。
「すみません、お騒がせして」
「しゅ、シュミット卿!いえ、その様な」
「それはそうと」
「は、はい」
じっと、彼の瞳を見つめる。
一切の噓偽りは許さない。
「この車、ターボエンジンとか積んでいませんよね」
「……はい?」
本気で意味が分からないという様子に、自分もガッツポーズをきめた。
女神様。今回だけは本気で感謝します。
* * *
無事に王国へ帰還し、そのまま公爵領へ。
「よく帰って来てくれたね、皆」
こっそりと入った公爵邸。その一室、アーサーさんが彼の執務室で両手を広げて出迎えてくれた。
「君達の活躍に心から感謝している。これは私個人だけでなく、公爵家からの感謝だと思ってくれ。残念だが、公的文書には残せないがね」
アーサーさんが形のいい眉を八の字にする。
「本来なら、大々的に凱旋式の一つもしたい所なんだが……。すまない。代わりと言ってはなんだが、公的にして問題ない功績を『作って』おいた。それに関する報酬を用意してある」
そう言ってアーサーさんが差し出した目録。それぞれ受け取り、内容に目を通す。
……わぁお。
「ひゅぅ!さっすが公爵家!」
「ありがとうございます。これで教会戦士は今後も戦える」
「……感謝しやすよ、ほんと」
各自納得のいく報酬だったらしい。自分は自分で、頷いて目録を懐へしまう。
皇帝の暗殺作戦なんぞ、下手をすれば成功しても口封じされるなんてよくある話。こうしてリスクにあった金銭その他を貰えるだけ、ありがたい話だ。凱旋式とか、されても困る。
普段なら小躍りしたくなる様な内容だったが、それよりも優先すべき事がある。
「感謝します、アーサー様。ただ、今は」
「わかっている。他三名はゆっくり休んでくれ。うちに泊まっていってもいいし、街で宿をとってもいい。部屋の前に執事がいるから、彼に相談するといいだろう」
「はいはーい」
「クリスさん。アーサー殿にその様な口のきき方を……」
「構わないよ、ジョナサン神父。元よりこの場での会話は記録に残せない」
「はっ。では、我らは失礼いたします」
ジョナサン神父達が部屋を出た後、アーサーさんが引き出しから書類を取り出した。
「まず、こちらから話そうか。その後、質問をしてくれ」
「はい」
「まず、ドラゴンは既に王国近くまで来ている。ここまで飛行と停止を繰り返していたせいで正確な到達日時はわかっていなかったが、今は『三日後』と確定した」
三日後……。
ずいぶんと早い。だが、元よりそれほど時間がない事はわかっていたのだ。
覚悟はできている。
「ドラゴンの軌道から、最初に到達するのは公爵領だ。キルゾーンは用意してある。そこへの誘導は『龍殺しの剣』で行ってもらう。必要な物は全て現地に設置済みだ」
そう言って、アーサーさんが先ほど取り出した書類をこちらに渡してきた。
「奴を誘導してからの流れはそこに書いてある通り。君への負担がかなり大きい作戦になるが……」
「はっ」
そう答え、渡された書類を確認する。
……大まかな手順は、かつて彼と話した通り。確かに改めて確認すれば、命がいくつあっても足りない作戦だ。
しかし、自分が問うべきは一つしかない。
「アーサーさん」
「なんだね」
「───万事は尽くしたのですね?」
「───無論だ」
こちらの問いに、間髪入れずに答えた彼。
ならば、疑う理由などない。
「了解。三日後に備え、自分は休ませて頂きます」
「ああ。……それと」
先ほどまでの神妙な表情から一転、アーサーさんはチェシャ猫の様な笑みを浮かべて指を『パチリ』と鳴らした。
「私は婚前交渉というものに寛容な方だよ。具体的に言うと君があのドワーフの女性とかリリーシャ様とそういう事をしても、何も見なかった事に」
「失礼します!!」
大きめの足音をたてながら部屋を出て、勢いよく扉を閉める。マジでいっぺんぶん殴るぞお馬鹿様三号!!
こめかみに青筋が浮かんでいる事を自覚しながら、屋敷の中を歩く。向かう先は、この前泊めてもらった部屋。
一瞬、ハンナさんやリリーシャ様に無事戻って来られたと報告しに行くかと考えたものの、アーサーさんの先の発言のせいでまともに喋れない気がする。昼寝でもしてからにしよう。
そう言えば、ジョナサン神父達は既にそれぞれ行ってしまったらしい。何の気なしに窓の外を見れば、軍曹が部下の人達と抱き合っているのが見えた。
大仕事を終えて帰ってきたのだから、夜に四人で祝杯の一つもと思ったのだが……いや。
それは、『本番』を終えてからか。
亜竜は確かに強力な怪物であった。帝国に巣くう悪魔の手先達は多勢であった。
しかし、龍を討たねば何も解決しない。それがまだ終わっていないどころか、すぐ傍までやってきている。
気を抜き過ぎる時間などない。全てが終わったら、改めてあの人達とも酒の一つも酌み交わすとしよう。
そう思い直し歩いていくと、誰かが近付いてくる足音が聞こえた。
楚々とした、上流階級の女性らしい歩き方。それでいて重心がしっかりしており、格闘戦でもかなりの腕前とわかるこれは……。
「お久しぶりです、ゲレルさん」
「ええ。再びこうしてお会いする事ができて、嬉しく思います。シュミット様」
自分の部屋のすぐ近くで、牛獣人氏族長の孫娘、ドルジ・ゲレルさんだった。
絹の様に滑らかな銀髪を窓から入る日の光で照らし、その中で天をつく黒い牛の角が存在感を主張している。角につけられた金飾りが、小さく揺れた。
金色の切れ長な瞳をした神秘的な美貌の彼女は、こちらを見て柔らかく微笑む。
牛獣人らしく長身であり、ゲレルさんの顔の位置は自分より高い。
故に、目の前に彼女の爆乳がきてしまったのは不可抗力である。本当です。信じて。
「シュミット様が成し遂げた数々の武功。私どもの耳にも届いております。なんでも、剣と鎧で塹壕を攻略したとか。氏族長達も諸手をあげて喜んでおりました」
「ありがとうございます。自分一人では成し得なかった武功ですので、少し背中がむず痒くなってしまいますが」
「それでも、シュミット様が成した事は紛れもない伝説です。特に、我ら獣人にとっては」
くすり、と、ゲレルさんが笑う。
獣人にとっては、か。なるほど。火薬が上手く扱えない彼ら彼女らにとって、剣という自分達も扱える武器で塹壕という現代戦争の代表の様なものを打ち破ったのは、こちらが思う以上の『意味』があるのかもしれない。
もっとも、真似をしてほしくはないが。十中八九失敗するので。自分とて、二度はできない。
「共に駆け抜けてくれた、ブリュースター卿達には感謝するばかりです」
「ええ。彼らの一族に関しても、我ら以外の氏族から幾つも縁談話がいっているかと。シュミット様に関しては、公爵家から『牛獣人以外の氏族からまで嫁を迎えさせる事はできない。人数を考えてほしい』と発表がありましたので」
待ってそれは聞いてない。
いや、まあ別にいいのだが。自分とて男なので、異性からモテるのは嬉しい。だが数が多すぎてそれが全員婚姻を望んでいるとなると、困る。
なので公爵家が壁になってくれるのはありがたい。
しかし、その言い方だと。
「あの、もしや」
「はい。私とシュミット様との間で、婚姻が約束されました。正式な書類が出来上がるのは、もう一カ月はかかるでしょうが」
あっさりとした答えに、何となく気恥ずかしくて頬が赤くなる。
こういう時、なんと言えばいいのか。それがわからなくて、視線を彷徨わせながら口を開く。
「そ、それは、その……おめでとうございます?」
いや、何を言っているんだ自分は?
案の定、ゲレルさんが面白そうに小さく笑う。
「困惑するのもわかります。ご自分の婚約話が不在の中行われるのは貴人の常とは言え、簡単に受け入れられる事ではありませんから」
「あ、いえ、貴女に不満があるとかでは決して」
「ええ。わかっています。少なくとも嫌われてはいないのだと、確信がもてていますから」
柔らかく笑う彼女に、どうにも困ってしまう。
なんというか、自分とは前世含めても縁のなかったタイプの女性だ。いや、そもそも前世では異性自体ろくに……いや、よそう。
とにかく、前世の年齢で見ればこちらが年上なのだが、どうにもペースが掴めない。
それでいて嫌な気分はしないのは、ゲレルさんの雰囲気なのか、それとも自分がそもそも異性とまともに話す事に慣れていないからか。
「ですが、そうですね。少し、歩きませんか?」
「はあ……わかりました」
貸し与えられた部屋で昼寝でもするつもりだったが、肉体的には特に疲労はない。
移動時間を休憩時間と考えるのは嫌だが、車と汽車で帰りは問題なかった分、体力に余裕はある。
多少、彼女と公爵邸を歩いても問題はない。
しかし、だ。
「その……」
「はい、なんでしょうか」
「あまり、エスコートの経験はないので、上手くできるかはわかりませんが」
そう言って躊躇いがちに手を差し出した自分に、ゲレルさんは少しだけ驚いた顔をした後。
「ええ。私もエスコートされ慣れてはいないので、よろしくお願いしますね」
柔らかく笑いながら、彼女の手が重ねられた。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。本当に励みになっております。どうか、今後ともよろしくお願いいたします。
気温の変化が激しい昨今。どうか皆さまも体調にお気をつけください。
特に本編とは関係のない情報
Q.皇帝はそもそも、なんであんなに黒魔法にどっぷり浸かっちゃったの?
A.一言でいうと、セルエルセス王への恐怖ですね。
魔物の力を使い、それでいて人間の自我を保てた成功例。それが帝国を逆侵攻する勢いで大暴れしたので、二百年前の皇帝以降は彼の様な兵士を作るのに躍起になりました。
帝国のスローガンというか……文化的に『我ら人類ならやれる!制御できる!』がモットーですし。
そのうえで、黒魔法の危険性も代々の正教会の人達から聞かされていて慎重にはなっていたのですが、それでも悪魔の毒はゆっくりと広がってはいました。
結果、イワノフ皇帝の代で爆発。親や祖父からの洗脳じみた教育もあり、あんな事に。
ギーレルも黒魔法に堕ちたイワノフによって道を踏み外させられたので、正教会は少数の教会戦士を残し飲み込まれてしまい、止められる者はいなくなりました。
Q.悪魔側についたら生き残れるの?
A.まず、悪魔が約束を守るかですが……魔法と悪魔の専門家、ソ▢モンさんが残した伝説でですね。
ソ▢モン王
「悪魔に嘘をつかせないなんて簡単ですよ!天使様からもらった指輪と正しい知識!そして魔三角陣と魔円陣を使いこなせれば楽勝です!!」
……はい。
なお、悪魔の力から身を護る魔円陣がないとわりとあっさり洗脳されるから、注意しようね!思考力とか奪われちゃうぞ!!
……まあ、そもそもソ▢モン王の悪魔と今作の悪魔、普通に別物なのですが、その辺は割愛。