第百四十二話 抱いたものは
第百四十二話 抱いたものは
カツリ、カツリ、と。
無人になった通路を進む。豪華絢爛な城の中だというのに、カーペットの敷かれていない石畳の道。
それを人とグールの血で染め上げて、装飾品の代わりとばかりに設置された銃器や頑強な扉を斬って進む。
もう、これは必要ないだろうと。犬の仮面を外し、その辺に放り捨てた。
「『チャージ』、『アクセル』、『プロテクション』……」
強化魔法を己にかけ直し、無人となった道を更に奥へ進んだ。
そして、目の前に残ったここまで斬り開いた扉達に比べて、随分と豪奢かつ魔力を帯びた扉を『なます』にする。
ガラガラ、と、音をたてて崩れた木片。そして、それに混じった『赤いもの』を避けて、中へ。
「……随分と、無作法な入室もあったものだな」
出迎えるのは、しわがれた声。
「セルエルセスの同類だけはある。礼儀というものを知らん」
蒼い炎が灯された燭台に照らされた、石造りの部屋。大きさは家数軒が丸ごと入るほどか。金で装飾された柱がいくつも並んで天井を支えており、その全てから微かなうめき声が聞こえてくる。
気配から、『中身』は手遅れだと察した。
なんとも悪趣味な部屋であるが、相手の魔法を考えれば趣味ではなく実益を求めてなのかもしれない。気分が悪くなるのは、変わらないが。
「……イワノフ・フォン・ローレシア皇帝。故あって名を名乗れない事を謝罪いたします。御首級、頂戴しに参りました」
「名乗れぬと?ぬかしおる。その顔を我は知っている。剣一本でここまで侵入する『怪物』が、あの女が死んだ今二人といてたまるものか……」
部屋の奥にある、玉座。そこに座っていた黒いローブ姿の男が金の錫杖を手に立ちあがる。
一見隙だらけの動き。だと言うのに、己の本能は最大級の警鐘を鳴らしていた。
その圧力は、亜竜と相対した時に匹敵する。
「我が悲願が成就するその時に、貴様の様な存在と相まみえるとはな。『剣爛』」
立ち上がった老人がフードをとれば、蒼い炎で照らされる男の顔が見えた。
道中の通路にも飾られていたイワノフの肖像画に、一回りほど歳をとらせた様な顔。
しかし、加齢による変化以上に注目すべき箇所がある。
顔の左側から首筋にかけて、爬虫類に近い鱗がびっしりと生えているのだ。黒い、夜の闇を彷彿とさせる鱗が。それを自分は知っている。
彼女の、相棒の左腕と同じ。あれは───竜の鱗だ。
「これも因果か。あるいは女神あたりが何かしたか。どちらだと思う、セルエルセスの同類よ」
「………」
問いかけには答えず、着ていた秘密警察のコートを脱ぎ捨てる。ボディアーマーを晒しながら、後ろに回していた鞘を腰の横に戻した。
そして、剣を腰だめに駆ける。狙うは無論、皇帝の首一つ。
「つくづく、無礼な男よな」
瞬間、部屋中に濃密な魔力が走った。
柱から、天井から、床から。無数の蒼い瞳が浮かび上がる。魔力で構成されたそれらは黒い波動を放ちながら、自分を見つめてきた。
───魔法使いの根城に踏み込むという事は、腹の中へ飛び込むも同義。
瞳一つ一つが、純血種の吸血鬼たるジェイソンに匹敵する魔力を有している。放たれる呪いは、人を千回殺しても余るほどの殺意が籠められていた。
柱の内側から吸い上げられた魔力が、呪詛として開放される。
───想定の内だ。
「『サンライト・クロス』……!」
かつてトロールの黒魔法使いと戦った時、仕込まれた魔法陣も待ち構える骨の兵隊も経験した。こういう出迎えは予想して、この場に来ている。
剣から放たれる極光。聖女の技。その余波だけで室内に展開された魔法陣がかき消され、呪いはこの身に届く前に霧散する。
元の出力から、自分様にデチューンしたものへと即座に調整。その間一切足を緩めることなく、皇帝目掛けて駆け抜けた。
三歩。たったそれだけで剣が届く距離まで接近する。
そして、細首目掛けて刃を───。
「笑止」
魔力で再現された太陽を宿す刃。あのダミアンですらも引き裂いた剣。
それが、老人の首で止められる。
顔と首の左側だけにあったはずの鱗が、いつの間にか皇帝の首から下全体に広がっていた。ローブから出ていた腕までもが覆われており、もはや人の部分が残っているのは顔の右半分のみ。
火花が散り、止められた刀身。それを即座に引き戻し、右目目掛けて平突きを放つ。
だが、今度は触れすらせずに弾かれた。
なにに?
魔力の障壁だ。
瞬時にそれを理解し、直感に従って後ろへ飛び退く。直後、自分のいた場所に黒い棘が床から生えた。
人間ほどもある棘がほつれて、空気に溶けるように消えた後。皇帝の目の前にある黒い魔力の障壁も、切っ先が入れたヒビを中心に割れていき砕け散る。
「……なんだ」
己の首筋を左手で撫でた後、皇帝はつまらなそうにこちらを見やる。
「聖女はおろか、セルエルセスにも及ばん。同類かと思ったが……劣化品か」
まるでこちらを物の様に見る瞳に、剣を構え直す。
最速の斬撃は防がれた。感触からして、あの鱗を断つには速度よりも重さがいる。
正直、あまり相性のいい相手ではない、か。
「まるで聖女やセルエルセス王と会った事がある様な口ぶりですね。そこまでご高齢とは聞いておりませんが」
できるだけ視界を広く意識しながら、思考する時間を稼ごうと口を動かす。
「直接は会っておらんとも。そうであったのなら、我はとうに死んでいる。だが、教えられたのだ」
「教えられた?誰に」
「父祖と、友に」
皇帝が、まるで親しい友人でも紹介する様に左手を横に出す。
だが、そこには誰もいない。ただ暗がりがあるだけだ。
「父祖からは、セルエルセスの脅威を教えられてきた。奴が、あの化け物さえいなければ我が帝国はとうに大陸を制覇していたと。あるいは、世界すらも手中に収めていたとも」
「随分と、誇大な妄想ですね」
「いいや、本来あるべき『歴史』の話だ」
当然の様に答える皇帝。その瞳に、少し納得する。
あの目を自分は知っている。開拓村で、時折見たものだ。
もはや現実と夢想の区別もついていない、あるいは何かを妄信している者の瞳。崖を自ら跳び下りる人の目と、よく似ている。
「そして、聖女の事は我が友から聞いた。その恐ろしさを、強さを。山を裂き、天地を揺るがす聖女とは名ばかりの戦闘狂の話を」
その友とやらが自分には見えないが、踏み込んで尋ねても無駄だろう。
恐らく、不可視なだけでその場にいるとか、そういう話ではない。皇帝の脳内にだけ浮かび上がった影なのだ。
問題は、そちらは妄想の類ではなく『侵食』と言うべき事なのだろう。魔力で脳を侵し、都合の良いように作り変えられているのだ。
つまり、皇帝の言う『友』とは。
「悪魔……」
「それは貴様らの事だろう」
皇帝の視線がこちらを射貫く。
「女神により手引きされ、外の世界より引き入れられた怪物どもめ。貴様らはそうやって、あるべき歴史を捻じ曲げる。あるべき世界を狂わせる。この世界は、我が友のものなのに……!!」
本気の殺意が、皇帝から放たれる。
その瞳は、視線で人が殺せるのなら先の黒魔法以上の破壊力を持っている程だった。
……何故だろうか。
自分の中で、その視線に対し『ざわり』、と、動くものがあった気がする。
「あってはならない存在だ。貴様も、聖女も、セルエルセスも。疾く消えよ。この世界から出ていけ、異物ども」
「……随分とよく回る口だ。皇帝などより、道化の方が似合っている」
自然と、自分の舌が動いていた。
「いいや、道化は頭も回らねばならないはず。ではお前に適しているのは、人形か」
「女神の人形が何を言う」
「言うとも。友と呼ぶ存在に操られ、国諸共世界を滅ぼす木偶人形が。そもそもこの身は女神の人形ではない。なんせ、手綱はこの世に生まれた時に手放されたからな」
『自由に生きろ』
ただそれだけ言われて、この世界に生まれ落ちた。
本当に、色々あった。もしも女神の手引きがあったのなら、そもそもあんな村に生まれていなかっただろう。なんせ、自分がすぐ死んだら困ると『反則』まで授けた程なのだから。
「皇帝を名乗る人形。お前、悪魔が世界を支配した後、己や国はどうするつもりだ。飲まれて消えるのが幸せだとでも、教え込まれたか?」
「知れた事。我が友が世界を飲み込んだ暁には、我も我が民も、彼の下この世界を統べる存在となる。そこには、貴様ら異物も、王国も存在しない。理想郷が生み出されるのだ……」
「それほどまでに、堕ちていたか」
馬鹿らしくなってくるな。
……何に?
そう、自分の言動に疑問が浮かぶ。
何故自分は、ただ作戦を練る為の時間稼ぎで熱くなっているのか。それが不思議だった。目の前の皇帝をいかに言い負かそうか、糾弾しようかと考えてしまっている。
精神に魔法で干渉された……わけでは、ない。
であれば、これは───。
「ああ、そうか」
納得する。我ながら、情けない話もあったものだ。
「……まるで我を狂っているかの様に語る女神の手先よ。貴様こそ、狂っているのではないか?」
突然何かを理解したと頷く自分を、侮蔑する様な皇帝の視線も特に気にならない。
自覚できれば、己の浅ましさもあってそういう目を向けられるのも仕方がないとさえ思える。
……いいや、やはり『こいつ』相手だと納得できないな。理性ではなく、感情で。
「別に。ただ、改めてお前は殺すと決めただけだ」
剣を正眼に構え直し、小さく息を吸って、吐く。
怒っていたのだな。自分は。
相棒の呪いに干渉して、悪化させたこいつを。本来なら今も隣にいるはずだった彼女を、己から遠ざけた皇帝を。
本当に、我ながら浅ましい。この感情は、仕事仲間や命を預ける味方に対するものではないはずだ。
散々、『割り切れ』と己に言い聞かせておいて、大事な仕事の最中にこの始末。自分で自分を殴りたい。
何が一番腹立たしいかと言えば───それは、自分が怒りを覚えている事自体には何の不思議もないと、思ってしまった事だった。
「自称、世界を統べる皇帝様。お前の首は、城門に吊るされるのがお似合いだ」
「───ほざけ、世界の異物が」
するり、と。皇帝が纏っていたローブが床に落ちる。
そこから現れる黒い鱗で覆われた肉体。それは奴が一歩踏み出すごとに更なる変身をしていく。
足は逆関節となり、手足の長さと太さが数倍に膨れ上がった。しなびた胴体は分厚く逞しいものへと変わり、人間だった顔の右半分も黒に染まる。
頭蓋骨の骨格も完全に人外のそれへと変貌し、爬虫類じみたものへ。
『礼儀も道理も知らぬ愚か者よ。改めて名乗ってやろう。感涙にむせび、そして死ね』
金の錫杖は踏みつぶされ、皇帝を名乗る人形は四足歩行の様に床へ手をついた。
ずるり、と。その腰から長い尾が伸びる。
『我は第二十五代ローレシア帝国皇帝。イワノフ・フォン・ローレシア。貴様を食らい、王国を滅ぼし、愛する友と世界を統べる存在である』
捻じれた角の生えた頭を一度左右に揺らし、見上げる程の位置にある大口からその様な事をのたまう、皇帝を名乗る怪物。
沸き上がった怒りが、一瞬だけ浮かんだ憐みを塗りつぶす。そして、怒りは理性でねじ伏せた。
「───斬る」
『潰すっ!!』
爪と刀身がぶつかり合い、激しい衝突音を奏でる。
帝都の騒乱は、まだ、続く。
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