第百四十一話 日の目を見ぬ攻防 下
第百四十一話 日の目を見ぬ攻防 下
サイド なし
帝都中で轟音が響き、それは帝城グレムリンの地下とて例外ではない。
実験体と秘密警察が争う中、壁を砕く破砕音が轟いた。
『ギ、ギギ……』
無表情で、壊れた機械の様な声を吐く少女の上半身。その下半身である牛程もある蜘蛛の体は、黒と黄の体毛で覆われた八本脚を俊敏に動かしている。
だが小回りが利かないのかその強靭な脚を壁に擦り付け、駆けるごとに破砕音を出していた。
「ぐ、ぉぉ……!」
それでも、大きいというのは脅威だった。
軍曹が辛うじて横に避ければ、彼がいた箇所を突撃槍の様な腕の棘が襲う。巨体から繰り出される『ランスチャージ』は、特殊加工された床を容易く砕く。
巨大な爪痕を残しながら駆けていくアラクネの背後で、軍曹が跳び起きながらショットガンを構えた。だが、その引き金が引かれるより先に彼は身を屈める。
直後、彼の頭があった位置近くの壁で紅い火花が散り銃声が届く。ひび割れた床を転がりながら、軍曹は振り返りそちらにショットガンの弾を放った。
それを中佐が、近くにいるグールを盾にして凌ぐ。
「中佐殿はさっきの部屋で休んでいてくれやせんかねぇ!」
「そういうな特務曹長。私なりの退職祝いだ」
「嬉しくねぇなぁ!」
そう吠えながら牽制にもう一発放ちながら、軍曹が近くに部屋に飛び込んだ。その背後をアラクネが疾走していく。
軽く息を乱しながら、軍曹は素早くショットガンを開き次の弾を装填する。
同時に部屋の様子を見れば、黒魔法の研究室だったらしい。水槽に浮かべられた人の脳みそや人造キメラが彼の視界に入ってきた。
床には血の付いた書類が散乱しており、足が滑りそうになる。その事に舌打ちする彼に、アラクネが扉どころか周囲の壁まで破壊しながら突入してきた。
それほど広いとは言えない室内。左右に回避できるスペースがないと見るや、軍曹はアラクネの下をスライディングして通過する。
書類で滑り勢い余るも、体を反転させ通路の壁に背をぶつけて急停止。そのまま狙いを定めずにアラクネへと発砲する。
銀のスラッグ弾が、蜘蛛の後ろ足に着弾。一本を吹き飛ばす。
バランスを崩したアラクネに追撃する間もなく、軍曹は体を横に倒した。やはりと言うべきか、そこに中佐の弾丸が飛んでくる。
「相変わらず図体のわりに俊敏だな、特務曹長」
「今は軍曹でさぁ!」
「……降格したのか?」
「あだ名ですよ!!」
近くに落ちていた秘密警察の拳銃を左手に握り中佐へ応戦しながら、軍曹が後退する。
グール達で身を守る様に体を引っ込めた中佐の代わりに、アラクネが壁を破壊して通路へ戻ってきた。
全弾撃ち切った拳銃を捨て、軍曹がスラッグ弾を発砲。今度は上半身を狙うも、掲げられた棘で防がれてしまう。
弾かれた弾丸が天井に弾痕を作るのを見て、軍曹が冷や汗をたらしながら排莢と装填。
直後、後ろ向きに突入した十字路で一体のグールが彼に掴みかかってきた。
『ァ、ァアア……!』
「このっ」
しがみつき噛みつこうとするグールを肩で受け止めながら、左手で腰のポーチから引き出した聖水瓶をその口に突っ込む軍曹。
続けてグールの腹を蹴り飛ばし、アラクネ側に追いやる。直後、グールが歯が瓶を割り気化した聖水が霧となって通路を包む。
『ギ……!』
僅かに動きが止まるアラクネ。それに軍曹が続けざまにショットガンを二回撃つも、一発は棘に阻まれた。
しかし、もう一発はガードが間に合わなかった前足の一本を破壊する。
更にバランスを崩したアラクネの向こうから飛んでくるライフル弾。中佐の銃口から逃れるように、軍曹は小走りで後退していく。
「はぁ……はぁ……きっついな、おい……!」
五十時間に及ぶほふく前進からの戦闘。いかに元特殊部隊の彼とて、厳しいものがある。
中佐はデスクワーク専門なうえに黒魔法使いの研究員で、直接的な荒事は得意ではない。だが、彼が銃の扱いには長けている事を軍曹は過去の経験から知っていた。肉盾を有する中佐に、遮蔽物の少ない狭い通路で挑むのは厳しい。
ソードオフショットガンを開き、排莢。銀の弾丸を装填して、軍曹は残っている武装を確認する。
「残弾、ショットガン八、拳銃十二。ナイフ一本。聖水瓶、二……」
己の中で整理する為に状況を口に出しながら、軍曹が最低限のクリアリングをしつつ一度中佐たちから距離を取る為地下を移動していった。
ついでに、落ちている武器に素早く視線を走らせて物色。銃口を先ほど通った通路に向け壁を背にしながら、屈んで秘密警察の私物らしいレバーアクション式ライフルを拾い上げる。
彼はショットガンを脇に挟むと、ライフルから弾を排出させた。出てきた弾丸の口径を確認し、自分がもつ拳銃弾と合致すると判断すると銀の弾丸を込めていく。
レバーアクション式ライフルが廃れた理由は複雑な機構から壊れやすいというのがあったが、先端の尖った『ライフル弾』が使えなかったというのもある。
しかし、今だけは弾丸が共有可能という事で軍曹はこの銃を使う事にした。
右手にショットガン。左手にライフル。この様な二丁拳銃スタイルを試そうものなら、常人なら反動で腕が壊れるか、何らかの事故を起こす。
だが、軍曹の筋骨隆々とした両腕はそれを可能にした。
それでも流石に命中精度は低下するものの、屋内の戦闘であり回避は一部の例外的な存在を除けば困難な状況である。精度よりも軍曹は手数を優先した。
両手の銃でそれぞれ別方向を警戒しながら移動を再開した彼は、脳内で中佐とアラクネを討つ方法を模索する。
どちらに対しても銀の弾丸は有効。特にアラクネの方は、脚に当たればショットガン一発でその部位が吹き飛ぶほどだ。
軍曹は『いっそアラクネの機動力を奪い、どうにか中佐との一騎打ちに持ち込んでから止めを刺すか』と考えた。
しかし、その思考は中断される事になる。
───ドォォン!!
背後の壁が、轟音をあげて砕かれたのだ。
「くっそ!」
振り返り様にショットガンを向け、発砲。だがそれはアラクネの腕で阻まれ、もう片方の肘から先に生える棘が床を削りながら振り上げられた。
それをバックステップで回避する軍曹だが、飛び散った床の破片が襲う。
礫を浴びて咄嗟に目を細めた彼に、アラクネが右手の棘を振り下ろしてきた。もはや突撃槍でなく鉄槌の様な扱いだが、質量と腕力が人体を容易く砕く破壊力を発揮する。
「ぬ、ぅうううううう!!」
対するは、両手を交差させた軍曹。身長二メートル十センチ、体重百三十五キログラム。体脂肪率十三パーセントの、戦う事に関して最高クラスの才覚と努力によって構成された肉体。
その彼が、たった一撃の振り下ろしで全身を軋ませた。
振り抜かれた棘に脳を揺さぶられ霞む視界の中、軍曹は自分へ放たれるもう一方の棘を捉える。
心臓を抉らんと迫る棘に対し、彼は右足を軸に体を横回転させ回避。そのまま側面からショットガンでアラクネの腹部を狙う。
直撃。公爵家印の無煙火薬で放たれた銀の弾丸は少女の上半身に食い込んだ。
生身の人間であれば、腹に大穴が開く一撃。しかし、
『ギ、ギギ……!』
止まらない。それどころか傷口が広がる事も厭わずに身を捻り、左の棘を振り回す。
舌打ちしながら転がる様に避けた軍曹が片膝をついて体を起こせば、アラクネの向こう側からやってくる一団に歯を食いしばった。
「随分と大所帯じゃないですか、中佐殿……!」
軍隊や秘密警察ではありえない乱れた足音。それもそのはず。二十近いグールが、中佐を守る様に歩いているのだから。
彼らの中で、中佐が眼鏡の位置を直す。
「貴様は人望があったからな。送別会に出たい者は多かったのだよ」
「あんたは部下から嫌われていたけどな」
「仕事柄、疎まれるのは慣れている」
グールの肩にライフルの銃身を置き、中佐が軍曹へと狙いを定める。
「さらばだ。特務……いいや、軍曹。貴様の死体は有効に活用するとも」
片膝をついた状態からでは避けきれない。軍曹が歯噛みした、その時。
『ギ、ギギギ……!』
「ちっ……」
アラクネが奇怪な声を出しながら、軍曹へ向かっていく。その結果射線が遮られ、中佐が舌打ちをした。
「これだから失敗作は……」
彼の悪態を背後に繰り出される刺突に、軍曹は後転で回避。そのまま跳ねる様に起き上がり、左手のライフルを発砲。
アラクネの右肩を撃ち抜き、レバーに指をかけながら銃を回転させ排莢と装填。続けて三発を叩き込む。
二発目以降は棘で身を守りながら突進するアラクネに、残りの弾を撃ち込みながら軍曹は一瞬だけ背後を確認した。
ライフルに込められた銀の弾丸が尽きたそのタイミングで、アラクネが更に前へ。
それに対し軍曹は───壁を、蹴った。
曲がり角に後退しながら入るなり、弾切れのライフルをアラクネの顔に投げつけながら跳躍。その巨体からは想像もつかない俊敏さで三角飛びにより怪物の背後へと着地する。
「っ!?」
その動きは予想外だったのか、中佐が銃口を向けるのが半瞬遅れた。その隙を彼は見逃さない。
着地と同時に、低い姿勢からアンダースローで聖水瓶を放つ軍曹。それが先頭を行くグールの脛にぶつかり、ガラスが割れる。
瞬間、霧となって広がる聖水。聖人認定が確定している程の術者が作ったそれは、瞬く間にグール達を溶かしていく。更には体の一部を改造している中佐にまでダメージを与えた。
「なっ、まだこれほどの高純度な聖水を……!?」
はっきり言って、軍曹が持ち込んだ聖水の質と量は異常である。そもそもこれほどの聖水を作れる者など、ここ百年遡っても何人いるかわからない。
中佐は勘違いをしていた。『剣爛』の本領は聖女やセルエルセス王と同じ戦闘であると、誤認していたのだ。
何にせよ、中佐の視界は塞がれた上に肉壁は機能停止。その間に、軍曹はアラクネを仕留める為振り返る。
同時に、アラクネもまた壁を蹴って方向転換をしていた。元より蜘蛛の下半身。多少脚が欠けようと、壁を進むのはむしろ彼女こそ得手である。
軍曹がショットガンの銃口を向けたのと、アラクネが右の突きを放ったのもまた、同時。
それでも引き金を引く方が速い。指一本動かすだけで音速の弾丸が放たれる。何よりアラクネは右肩を負傷しているのだ。
軍曹の方が先手をとれる。
その、はずだった。
『ねえ、おじさんはこんなとこでなにしてるの?』
「───」
眼が、あってしまった。
鮮血が舞う。軍曹からこぼれ落ちた血が、通路の床を濡らした。
『……見ての通り、休日の昼間に公園のベンチで優雅に新聞を読んでいるだけだが?』
『ふーん。そうだおじさん。このクッキー買って?孤児院のみんなで作ったの』
『いや、いらねぇよ。見るからにまずそうじゃねぇか』
『おねがーい。誰も買ってくれないと、わたしたちごはん食べられないの!』
『うるせぇ声を落とせ。……しゃあねーなぁ』
その時彼が食べたクッキーは、お世辞にも美味しいとは言えなくて。
『あ、おじさんまたいた!』
『……おじさんじゃねぇ。お兄さんだ』
『えー、どこがー?まあいいや!おじさん!クッキー買って!』
『よくねぇよ。お前も客への口のきき方を学ばねぇと、物が売れねぇぞ』
『そうなの?でもおじさん毎週買ってくれるじゃない!』
なのに、不思議と温かくて。
『このクッキーね!わたしのお母さんが昔焼いてたのをマネしたの!』
『はーん。このまっずいクッキーを』
『むぅ。お母さんのはおいしかったもん。わたしも、もっと練習してうまくなるんだ!』
『さよけ。ほら、金を受け取ったのなら帰った帰った』
『もう、今にわたしだってじぶんのお店をもつんだから!』
血も涙も、彼はとうの昔に凍り付かせたはずなのに。
『この子が最近、特務曹長がお熱の?』
『うるせぇ。誤解される様な事を言うな。俺は褐色巨乳が好きなんだよ』
『お嬢ちゃん、パン食べる?』
『このクッキー、まずいっすけどなんか懐かしいんすよね』
『わかる。昔近所のおばちゃんが食わせてくれたのに似てる気がする』
散々、その両手を他人の血で染めたはずなのに。
『……なあ』
『なに、おじさん。あ、このチョコおいしい!』
『俺の、養子に……子供に、なる気はないか?』
『……ありがと。でも、そうしたら下の子達がさびしがるから。わたしがいてあげないと』
『……そうか』
あの時。もしも。
『特務曹長。次の仕事だ』
『はっ』
『先日とある孤児院を潰して実験台にしたが、上手くいかなかった。処分をしておけ』
『了解しました。どこの……』
『……?どうした、特務曹長。何故地図を前に黙り込んでいる』
違う選択をしたのなら。
『特務曹長。本当に、やるんですね?』
『ああ。別に、今から中佐殿に密告しても恨みはしねぇぞ』
『まさか。この仕事、ずっと辞めたいって思ってましたから』
『そうっすよ。そもそも孤児院時代からの付き合いですぜ、俺ら』
『どこまでもお供します』
何かが変わっていたのかと、彼は自問自答をし続けて。
『……すみません、軍曹。一体逃がしちまった』
『構わん。お前達は十分役目を果たした』
『その、一体なんですが。もしかしたら……』
『……関係ない』
『しかし!』
ついぞ、結論が軍曹の中で出る事はなかった。
『もしも会っちまったら、そん時考えるさ』
今、この時までは。
「すまねぇな……」
アラクネが貫いたのは、軍曹の左腕。掌を破壊し、肩にまで届いている。
千切れかけの親指と棘の間で、ピシリ、と。ガラスの割れる音がした。
「会いに行くのが、遅れちまった」
両者を包む聖水の霧。至近距離で浴びた高純度のそれに絶叫をあげるアラクネの懐へ、軍曹がするりと滑り込む。
突きつけられた銃口は、少女の心臓を捉えていた。
「いつかまた、クッキーを買いに行くよ」
『───』
放たれた銀の弾丸が、華奢な胸を貫通する。
銃声が余韻の様に響く中、アラクネの体がぐらりと軍曹に傾いた。それに彼が少し押されたところへ、背後から銃弾が放たれる。
軍曹の後頭部を狙った弾丸は、偶然アラクネの肩に着弾した。
「……相変わらず、悪運が強い」
僅かに火傷した様な傷を負った中佐が、晴れてきた聖水の霧の中から現れる。
対して、軍曹がもたれかかっていたアラクネから身をずらした。
相対する両者。今握っている得物は、二つとも弾が尽きている。残るのは両者の腰に下げられた、ピストルのみ。
ほんの数秒、沈黙が流れた。
二人の間にこれ以上の会話はない。ただ、真っすぐとお互いを見つめている。
先に動いたのは、どちらだったか。
その手からライフルが、ショットガンが手放され、床に落ちるのと同じくしてピストルが引き抜かれる。
握り込む様に撃鉄をあげ、銃口が相手の心臓に定められ。
───ドドォン!!
被さる様に二つの銃声が響く。
再び訪れた、刹那の沈黙。それを破り、倒れたのは。
「がっ……!」
からり、と。細いフレームの眼鏡が床に落ちる。
遅れて中佐の膝が折れ、うつ伏せに倒れ伏した。彼の懐から小箱が転がり出る。
それを見て、軍曹が銃口を彼に向けたままゆっくりと近づいた。霞む視界では次もこの距離で当てられないと、確実に命中させる場所にいくために。
そして、近づいた事で見えるものがあった。
「………」
「こ、ひゅぅぅ……!!」
血の混じった息を吐きながら、中佐が手を伸ばす先。そこには拳銃ではなく、こぼれ落ち、中身が出てしまった小箱。
そこに入れられていた、誰かの薬指の骨。
何故それが薬指なのかと軍曹にわかるのかは、何てことない。
共に入れられていた、大きさの違う二つの指輪があったからだ。
「……向いてなかったんだよ、俺も、あんたも」
這うように骨と指輪に近づく中佐の頭に、止めの一発が撃ち込まれる。
散々殺した。この身に人の心などないと、非道に。残忍に。それが国の為、あるいは己の為だと。
それでいて自分には大切なものがあったというのは、はたして傲慢なのだろうか。
軍曹が、その答えを出す事はない。
「ごぶっ……」
彼の口から、血の塊があふれ出る。
よろめく足で壁に背を付けると、べったりと紅い線を引きながら座り込んだ。
「ぁー……とに。やっぱ向いてねぇんだよ」
拳銃を取り落とし、彼は代わりに懐から煙草のケースと取り出す。
都市部で流行っている、紙で巻いた煙草。この仕事が終わったのなら、己へのご褒美にと買っていたものだった。
それを一本だけ出して口に咥え、軍曹がライターを取り出そうとする。
しかし、彼の右手はこれ以上力が入らぬと、膝の上に落ちて動かなくなった。
「まいったな……」
苦笑いを浮かべながらそう呟いて、軍曹が顔を上げる。
そこには、返り血まみれのライカンスロープが立っていた。獰猛な口元からぼたぼたと涎が落ち、胸にある人面からは苦悶の声が奏でられている。
そんな怪物を前に、軍曹はまだ少しだけ動く右肩をすくめた。
「なあ、火、持ってねぇか?」
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