第百三十五話 隠れ潜む
第百三十五話 隠れ潜む
帝都の地下……らしい道を、ゆっくりと進む。ランタンの明かりを頼りにごつごつとした、碌に手入れされていない通路を歩いていくと、突然金属製の扉にぶつかった。
錆びだらけで変色したそれを、軍曹とジョナサン神父が押し開ける。自分とクリスさんが警戒しながら開かれた先を見るも、特に待ち伏せなどはなかった。
……まさか、ここまでの魔物どもは歩哨ではなく、ただ偶然そこにいただけだと?
だとすると、疑問が浮かぶ。
普通都会であればあるほど、その周辺に魔物はいないものだ。軍隊が積極的に駆除する。そうでなければ経済が回らない。
ここは大陸最大の国家、ローレシア帝国の首都。その周辺を魔物が我が物顔で生息しているというのは、どうにも違和感があった。
それはさておき、周囲を確認する。
石で作られたアーチ型の天井に、中央を通る水。その両脇には細い道があり、自分達の鼻を悪臭が襲っていた。
「この臭い、下水道ですか?」
「ああ。ここから更に進めば、例のギャングがいたスラム街に繋がっているはずだ」
軍曹の先導で進み、梯子を使って地上へ。先頭を行く彼がハッチを開き周囲を確認した後、自分達も外に出た。
ようやく新鮮な空気が吸える。そう思い顔を出せば、冷たい空気が肺に雪崩れ込んできた。
「雪……?」
「そのようだな」
ハッチから出た先は、ボロボロで穴だらけの家屋と思しき場所だった。火事でもあったのか、柱は焼け焦げ、天井はそのほとんどが崩れて穴が開いている。
元は中々に立派な屋敷だったのかもしれないが、今は見るも無残な廃屋となっていた。
腰の剣に手を添えながら、耳を澄ませる。他三人も各々周囲を警戒し、少しだけ散って五感を研ぎ澄ませた。
……周囲に人の気配はない。この廃屋の外をチラホラ歩いていく者がいる程度だ。
軍曹に目配せし、部屋の隅に四人で集る。
「さて、無事に帝都にたどり着けたわけだが」
「ええ。可能なら、公爵家の密偵と接触する予定です」
もっとも、『生きていれば』、だが。
出発前にアーサーさんから預かっていた、帝都の大まかな地図を取り出す。敵国だけあって大雑把な内容しか書かれておらず、特に中央街周辺は道すらあやふやだが、外縁部近くは細かく書きこんであった。
そのうちの一カ所に、密偵達が緊急時に使うセーフハウスがある。そこに行き、彼らの無事を確認するのだ。
「軍曹。この場所まで敵に捕捉されずに移動できますか?」
「わからん。俺も帝都を離れて長い。『秘密警察』とやらもいるし、何よりスラムをお前らが歩くのは、なぁ」
そう言って、軍曹が自分とジョナサン神父を順番に見た。遠回しにスラムでは目立つと言いたいのだろう。
彼の視線にジョナサン神父が力強く頷く。
「なるほど。であれば、変装しかありますまい。三人分の女装衣装は持って来ております」
「待って」
思わず神父さんを止めるが、彼はこちらにも微笑みを浮かべてきた。
「ご安心を。私も昔は女装をして下級ヴァンパイアのアジトに忍びこんだものです」
やはり吸血鬼は眼が悪いのでは?
身長二メートル越えのムキムキマッチョなジョナサン神父を前に、冷や汗が流れる。
「おい、三人ってもしかしてだが、俺まで……?」
「ええ。私と同じサイズの服が使えるかと」
「いや着ねぇよ?」
「!?」
なんだその『嘘でしょう!?』って顔は。
女装したジョナサン神父と軍曹とか、失礼ながら下手な怪物より恐いぞ。逞し過ぎるわ。
そもそもなんで女装だ。変装にしても、ボロを纏うとか現地のギャングに扮するとかあるだろう。
「ふふん、どうやらオレの出番らしいね」
いつの間にか焦げた柱に寄りかかり、気障な仕草でカウボーイハットを指で押し上げると迷惑記者。
ドヤ顔で格好つけるクリスさんの頭上でバキリと音がし、その頭に雪の塊が落ちて来た。
……不安しかない。
* * *
パッドで誤魔化した胸を張り、雪が浅く積もった地面をヒールのついた靴で進む。身に着けた香水の臭いがきつく、五感の一つが封じられている様に不安と不快感が強い。
……どうして僕だけ女装をしなければならんのだ。
長い髪のカツラを鬱陶しく思いながら、ファー付きのコートを翻しスラムを進む。
そんな自分の周囲には、スーツ姿の三人がいた。
「おうおうおう」
「なんだおめぇら。見ねぇ顔だな」
そこに、二人ほどあからさまなチンピラが近寄ってきた。更に隠れていたらしい男が三人、背後を塞ぐように立つ。ナイフと拳銃で武装した彼らが、無遠慮に自分を見つめてきた。
「えれぇ別嬪じゃねぇか」
「お前ら、その女を寄越せよ。そうしたら見逃してやるぜ?」
下卑た顔でそう言い、軍曹達の方へナイフを向けようとした二人。だが、次の瞬間には二人揃って鼻をへし折られて地面に転がる事になる。
軍曹が思いっきり二人の顔面を殴りつけたのだ。
更に、ジョナサン神父が背後のチンピラ三人を素手で制圧している。
あっという間に五人が無力化され、折れた鼻を押さえながら最初に話しかけてきた男が怒鳴り声をあげた。
「て、てめぇら!こ、こんな事をしてタダで済むとおもってんのか!?俺達はなぁ!」
「タダですむ、だぁ?」
自分の傍で旅行鞄を提げていたクリスさんが、じろりと倒れた男を睨みつける。明確に殺意の込められた視線に、男は思わず口を閉じた。
「お前らこそ、誰の道を塞いだと思っていやがる」
「は、はぁ?」
「こんだけの上玉がよぉ、こいつらみたいな護衛つれて歩いている。その意味もわかんねぇのか?」
がすり、と、クリスさんが倒れたままの男の、足の間へと勢いよく踏み込んだ。
「ひっ」
「どけ。その足りねぇ頭で、オレの優しさをよぉく噛み締めろ」
「は、はいぃ!」
みるみるうちに顔を青くして、折れた鼻をそのままに男達が左右に別れお辞儀をしてきた。
鼻から血を流しながら震えているのは、寒さからではあるまい。
「今回だけ見逃してやる。だが、オレ達がここを通ったのは誰にも言うんじゃねぇぞ。さもなきゃ……」
「い、言いやせん!絶対に!」
「……そうかよ。長生きできるよう頑張るんだなぁ。さ、行きやしょう姐さん。兄貴が待ってる」
「………」
無言のまま頷き、できるだけ冷たい視線とやらを維持してまた歩き出す。
背中で冷や汗が流れるも、ばれてはいない様だ。
それから一分ほど歩いて、クリスさんが小声で話しかけてきた。
「な、上手くいっているだろう?」
ニヤリと笑う顔に、拳を叩き込みたくなるのを堪える。
「正直、作戦を聞いた時は危ういと思っていましたが」
「神父さん。こういう場所にいる人間はね、あなた方が思っている以上に教養がなくて、そのうえでとても臆病なんだ。そうじゃなきゃ、生きていけないからね。奴らは今、オレたちをボスや幹部から密命をうけた幹部候補だと思っているよ」
「ですが、彼らが上役……この辺りを縄張りにするギャングの親玉に報告すれば、すぐに嘘だとばれてしまうのでは?」
「いいや、しないよ。あいつらは報告しない。だってそんな事をしたら、自分達が鉄砲玉にされる。何よりオレたちが『縄張りを広げにきた新興ギャング』と考えを改めた場合、尚更抗争の一番槍にならないために黙っているさ」
ケラケラと笑うクリスさんの作戦とは、ようは『相手に勘違いさせる』というものだ。
堂々とこの辺りのボスの女の様に振る舞う事で、目撃した者が『関わってはいけない』と口を閉ざす事を期待している。
そのうえで想像力の足りていない者が突っかかってきたら、拳をお見舞いして暴力により強制的に頭を冷やさせる。
何ともシンプルな作戦だが、どうも上手くいっているらしい。
非常に不本意ながら。こんな即興の変装、見破ってほしい。自分はジョナサン神父達には及ばないが、見ての通りのタフガイだぞ。
「軽ーくだけど、この辺りのチンピラやギャングの幹部連中が使いそうなルートは把握したからねー。それを避ければ、一回の移動ぐらい怪しまれやしないさ」
「しかし、この服どこで用意したんだよ」
己が着ているスーツを眺めながら問いかける軍曹に、クリスさんがニヒルな笑みを返した。
「なに。この辺の御婦人はストレスが溜まっていた。それだけさ」
「……アーサー様がお前を同行させた理由がわかったぜ。このスケコマシ」
「お褒めの言葉と思っておくよ」
小声で喋るクリスさんに、演技ではなく本気で冷たい視線を送る。
「それより、この役はクリスさんで良かったのでは?僕が女装する意味はないでしょう」
「いやいや。かの高名な『剣爛』様の顔が知られている可能性もあるからね。性別から偽っておかなきゃ。何より、この中で一番華があるのはブラザーだからね。いや今はシスターか」
「そうだな。シュミットが女装するのが一番理にかなっている。知名度が高すぎるからな」
「とてもお似合いですよ、ミーアさん」
正論で殴るのはやめてほしい。言い返せないから。
残念ながら、この女装はもうしばらく続ける必要があるらしい。喉まで上がってくる不満を飲み下し、セーフハウスへと向かう。
一見すると、他のスラムに並ぶプレハブ小屋と同じ外観のボロ屋。
だが、その近くで火にあたるふりをしてこちらを観察している男がいた。
側面に穴の開いた一斗缶で暖をとっていた男……恐らく、何らかの訓練を積んでいる。立ち姿が軍曹やジョナサン神父に似ているのだ。
軍曹も彼に気づいた様で、小さくハンドサインを送った。それを見て、男が目を見開く。
アーサーさんから聞いていたサイン。それに反応したという事は……。
男は周囲を警戒する様に視線を巡らせた後、ボロ屋の裏へと回っていく。自分達も大回りで裏手に移動し、彼と合流した。
「狂った鳥は」
「蜥蜴を食べようと地に降り立つ」
先ほどとはまた違う男が唐突に言ってきた『合言葉』に、間を置かずに答える。
すると、彼は目を見開いて自分の方を見てきた。
「……まさか、剣爛殿……!?」
「そういう貴方は、公爵家の方ですね」
そう、目の前の男。無精ひげと服装でだいぶ印章が変わっているが、間違いない。アーサーさんが自分達に『もしかしたら会えるかも』と密偵達の写真を見せていたのだ。
彼は目を輝かせ、こちらに近づく。
「正直、救援が来るとは思っていませんでした。感謝します、剣爛殿……!」
「ええ。こちらこそ、すぐに僕だと気づいてくださって嬉しいですよ」
「はあ……?」
ニッコリとほほ笑む。声だけで女装を見破ってもらえたので、少しだけ気分がいい。
流石はアーサーさんが『合流できれば役に立つ』と断言した凄腕だ。自分の拙い、それはもう似合っていない女装を看破したのだから。
「さ、こちらに。いつ人が来るかもわかりませんので」
そうして、彼に案内されて小屋の中へ。古びた机や椅子がある程度の内装だが、彼が床板の一部をはずせば大きな鉄の扉が現れた。
独特なリズムのノックがされ、内側から鍵の開く音がする。ゆっくりと扉が開かれ、地下へと続く梯子が伸びている。
「どうぞ」
降りた先、地面を掘って作ったのだろう地下空間に、彼らはいた。
「あなた方は……」
困惑した様子でこちらを見る、教会戦士らしき人達に予め聞いていた密偵の人達。
そして。
「なんだ、まさか救援が来てくれたのか……!?」
元は仕立ての良いスーツだったのだろう、ボロボロの衣服を着た中年男性。
帝国にいた外国の大使が、そこにいた。
チラリとジョナサン神父に目配せすれば、頷きが帰ってくる。彼の懐に忍ばせてある、黒魔法を感知する魔道具は無反応。つまり、彼らは紛れもなく本人であり洗脳の呪文も受けていない。
どうやら、運がまわってきた様だ。
死んだかと思い期待できなかった、帝都内部での戦力。加えて、帝国の行いを喧伝してくれる人物。
自然と頬が緩むのを感じながら、彼らとの情報交換を開始した。
読んでいただきありがとうございます。
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