第百三十一話 旅立ち
第百三十一話 旅立ち
アリサさんが眠っている部屋を出て、公爵閣下の執務室へ。
そこに、丁度帝都へ同行するという教会戦士がやってきたと、執事さんから報告が入る。
すぐにこの部屋に呼ばれたその人物もまた、自分の知る人物だった。
「お久しぶりです、シュミット卿」
「ジョナサン神父!?」
肉食獣の様に逆立った金髪と鋭い眼光。幾つもの傷痕が刻まれた顔の中でも、特に額から顎にかけての傷と、鼻を横断する傷で出来上がった十文字が印象に残る神父さん。
第一エクソシスト、ジョナサン神父。あのソードマンの弟でもある。
二メートルを軽く超え筋骨隆々の肉体をカソックの下に押し込んだ彼は、ニコリと穏やかな笑みを浮かべた。
「貴方の聖人認定がやっと本格的に協議される様になりました。上層部の思惑を私は知りませんが、聖人としてシュミット卿の名が刻まれるのは近いでしょう。おめでとうございます」
「は、はぁ」
正直自分が聖人と言われてもピンとこないが、それはさておき。
「貴方が一緒に来て下さるのですか?心強くはありますが……」
「ローレシア正教は、既に黒魔法使いの手に堕ちたというのが王国にいる教会戦士達の意見です。上層部は未だ断言を避けていますが、我らが女神に仕える身として彼らの堕落は見過ごせません。あのギーレルを名乗る男を裁き、上層部に帝国の信徒達を救う決断を迫るため同行を願いました」
「ギーレル……?」
聞いた事がある様な無い様な。
「ローレシア正教の総主教。ようは帝国で一番偉い神官だよ、ブラザー」
「なるほど」
「おや、貴方は?」
不思議そうにするジョナサン神父に、クリスさんが優雅にお辞儀をする。
「初めまして、ジョナサン神父。オレはクリス。この前教会に入り、妻と結婚をしたしがない新聞記者です」
「おお、それはおめでとうございます。純粋な『愛』によるご結婚。心より祝福させて頂きます」
陽光十字を手に心底嬉しそうに微笑むジョナサン神父。
うん、なんというか。やはりこの辺の価値観だけが、やけに進んでいる事にとても違和感を覚えてしまう。
和やかな雰囲気の二人に、アーサーさんが軽く咳払いをした。
「失礼、ジョナサン神父。早速で申し訳ないのですが、作戦の説明をしても?」
「ええ。よろしくお願いします、アーサー殿」
アーサーさんが大きな机の上に帝国と王国の地図を広げる。
「まず、シュミット、軍曹、クリス、ジョナサン神父の四名には東部戦線へ向かってもらい、そこから山を通って帝都近くにまで侵入してもらう」
彼がゆっくりとルートを指で示していく。
「この山での活動は主にシュミット、君に先導してもらう。いけるか?」
「後でその山の大まかな情報を教えていただければ、必ず」
「よろしい。出発後に道中で読める様に纏めておこう。では、その後の話だ。この山の近くには廃坑となった名残で帝都のスラムに続く地下通路が存在すると、そこの軍曹から証言を得ている」
視線が軍曹へと集まれば、彼は深く頷いた。
「ええ。俺達はその地下通路を通って帝都から脱出したんでね。もっとも、今も残っているかはわかりやせんが」
「塞がっていた場合はプランB。我が家の密偵が使っていたルートを使ってもらう。だが、彼らとの連絡がつかない以上、あまり使いたい道ではない。ちなみに、帰りも今いったルートを使ってもらう予定だ」
アーサーさんの指が、帝都の内側に入る。
「帝都に侵入した後は、可能なら密偵を探してくれ。彼らが生きていれば力になってくれるだろう。だが、基本的には君達の判断で皇帝の首を狙ってもらう。はっきり言って、かなり厳しい作戦だ。なんなら、作戦と呼ぶのもおこがましい」
そう言って、彼が自分達を順番に見ていく。
「もしもこの作戦から降りると言っても、私は責めない。軍曹とクリスには別の仕事をしてもらう事になるが、今回のよりは命の危険が少ないと約束しよう」
「僕はおりませんよ」
「私もです。アーサー殿」
即答で自分とジョナサン神父が告げれば、残り二人も一秒遅れて続く。
「何度も言いますが、ブラザーとアリサ様には借りがあるのでね。やらせて頂きますよ」
「命を代価に報酬を得るのは、いつもの事です。今更断りません」
四人の言葉に、アーサーさんが数秒だけ目を強く瞑った。
「……感謝する。戦争中ゆえ、当家からの支援は少ない。せめて装備だけでも充実させるが、大人数を動かすわけにもいかないのだ。諸君らの健闘を祈る」
王国式の敬礼をする彼に、自分と軍曹が返礼しジョナサン神父は陽光十字を握ってお辞儀を。そしてクリスさんは気障ったらしい仕草で一礼をした。
既に日も暮れており、明朝出発であるため誰かと何かを話す時間もない。
その場は解散となり、一応剣の調子をみてもらおうと工房に向かった。
だが、作業中の為入る事はできなかった。中から鉄を叩く音が響いており、とりあえず護衛兼世話役の使用人さんにハンナさん宛ての剣と言伝を預けて、自分は公爵邸の一室を借りて眠りにつく。
正直、色々と急展開で実感がわかない事だらけだ。
しかし、思い返せば開拓村を出てからずっとそうだったかもしれない。
アリサさんに出会って、相棒になって、それから色んな依頼を受けて、何度も死にかけて。
気が付けば、開拓村の三男坊が名誉騎士となり、それ以上の爵位も約束された立場になっていた。あの村にいた頃は、こんなフカフカのベッドで眠れる日を何度夢見た事か。
自分が望んでいたものが、手に入っていっている。我ながら、幸運な男だ。
もっとも、産まれに関してだけは不幸と言えるけれども。
しかし、何故だろう。
色んな戦いを経験して、これから今までで一番危険かもしれない仕事に挑むと言うのに、自分の頭は過去の経験から今回に使えそうな知識を引っ張ってくる事をしなかった。
代わりに、彼女の顔ばかりが浮かぶ。
「……相棒ですよ、僕らは」
そう、こんな気持ちを抱いてはいけない。
自分は名誉騎士であり、平民の出だ。何より、仕事仲間にこんな気持ちを抱くのは寿命を縮める。
だから、頭の中に浮かんだ言葉を飲み下した。割り切るのだ。死なないために。生きるために。
そして、瞳も口も閉じて、深い眠りについた。
* * *
翌朝、閣下の許可を貰い、アリサさんの部屋に入る。未だ瞳を閉じたままの彼女の顔を覗き込み、遺書の一つも置いていこうかと考えて、やめた。
「行ってきます、相棒」
「………」
眠りについたままの彼女からの返事はなく、その枕元に言葉だけを残していく。
そうして部屋を出れば、リリーシャ様が廊下に立っていた。
「おはようございます、リリーシャ様」
「やっほぅ。入ってから出てくるまで随分早かったけど、何してたの?」
「特には。ただ、『行ってきます』と言っておいただけです」
「それだけぇ?」
何故かその形の良い眉をしかめ、エルフのお姫様は唇を尖らせた。
「それだけと言われましても、寝ていましたし」
「乙女の寝所に入ったんだよぉ?家族公認でさぁ。そこはキッス!の一つもしたらどうだね」
「暴漢になった覚えはありません。恋人でもない相手の寝込みを襲うなんて、そんな事するわけないでしょう……」
何を言っているんだこのお馬鹿様二号は。
そう思い呆れた視線を向ける自分に、何故か彼女はニンマリと笑った。
「おやおやぁん?キスしたかった事については否定しないんだ」
「……揚げ足をとるにも程がありますよ」
ため息をついて、リリーシャ様の横を通ろうとする。
「まあ、アリサさんは見た目だけなら完璧ですから、そういう感情が無かったとは全否定しませんけど。それでも僕は」
「ヘイ、シュミット」
通り抜けようとした自分の前に、リリーシャ様が立ちふさがる。
かと思えば、首に手を回してきた。ぐいっと、緊張した面持ちの彼女の顔が近付いてくる。このお姫様のやろうとしている事に気づいてしまって、驚きのあまりただ目を見開く事しかできなかった。
「え、ちょ───」
「ん……」
唇に柔らかくも湿った感触。
ぷるりとした反発をもった彼女の唇が、自分の口に押し当てられたのだ。
歯がぶつかりそうな程に押し付けられて、かと思えば飛び退く様にリリーシャ様が距離を取ってくる。
「ね、寝ている相手にしちゃダメなのは事実だからね!代わりに、私が君におまじないさ!」
長い耳の先まで赤くしながら、リリーシャ様が腰に手を当てて胸を反らす。
「お、おまじない?」
「そう!こういう時、キスで送り出すものだってうちの教育係が言っていたからね!帰ってきてもう一回したいのなら、絶対に生きのびろって事さ!」
ドヤ顔で言っているが、若干涙目になるぐらいてんぱっているのは伝わった。
こちらも顔が真っ赤な自覚はあるが、自分よりパニックになっている人がいると少しだけ落ち着く。
「そういう、ものですか」
「そういうものだよ!それにだよ、シュミット!」
びしり、と、リリーシャ様の白い指がこちらに向けてくる。
「帰ってきたら、あれだ!アリサちゃんも目を覚まして、私達二人でしてやるからな!覚悟しろよ!」
「か、覚悟ですか」
「そうだよ!なんならあのドワーフと、牛獣人のお嬢さんもだからな!首を洗って待っていろ!」
「いや、首を洗うというのは」
「じゃ!これで勝ったと思うなよ!!覚えてろぉぉお!!」
最後のほうは訳の分からない事だけ一方的に言って、エルフのお姫様は全力疾走で廊下を駆け抜けていった。
が、曲がり角でモノクルをつけた女性エルフにラリアットを受けて回収されるのが見えた。
「なんだったんだ……いったい……」
そう呟きながら、己の唇に触れる。
まだ、リリーシャ様の唇の感触が残っている気がして、また耳が熱くなるのを自覚した。
「……そもそも、なんでアリサさんの名前が出てくるんですか」
そうぼやきながら歩きだし、道中忙しそうに動く使用人さん達にやたら顔を見られながら、工房へ。
「ハンナさん、いますか?」
「おう」
顔を出すと、丁度といった様子で赤毛の彼女が現れた。
「お前の剣なら軽く見ておいたぞ。簡単な研ぎも済ませておいた」
そう言って、寝る前に使用人さんに頼んで預けておいた剣がハンナさんから手渡された。
受け取り、軽く鞘から抜いて刀身を確かめ、おさめる。相変わらず素晴らしい仕事ぶりだ。
「ありがとうございます。お代は」
「帰ってからでいい。いや、『龍殺しの剣』が完成したら、纏めて払え」
ハンナさんが、いつも通りの三白眼でこちらを見上げながら続ける。
「だから……持ち逃げは許さんからな」
「それは……」
「きつい仕事なのは知っている。でも、ちゃんと代金は払いにこい。ドワーフ族はそういった契約を破る奴を、地獄の果てまで追いかけて脳天をかち割る決まりがある。アタシは、まだ地獄にいくのはごめんだ」
「……ええ」
膝を曲げ、彼女の赤銅色の瞳に視線を合わせながら答える。
「必ず戻ってきます。僕が貴女の剣を信じている様に、どうか貴女も僕の腕を信じてください」
「っ……!」
火でもついた様に顔を真っ赤にした彼女の後ろから、下手糞な口笛が聞こえてきた。
「ひゅーひゅー」
「お熱いのう」
「若いのぉ。いや片方若すぎるが」
「変態でも青春しているのに、うちの孫は……」
「おたくの孫もか?実はうちの孫も出会いが全然でなぁ。里の少子化は」
「うるせぇぞじじい共!!」
ハンナさんの怒鳴り声に、蜘蛛の子を散らす様に工房の奥へと逃げていく親方達。
それに顔を真っ赤にしたまま睨みつけた後、彼女がこちらに振り返る。
「生意気だぞ、ガキ」
「本心を言っただけですが」
「こ、この……!」
何かを言おうとして、しかし言葉にできなかった様で唇をただ動かすだけのハンナさん。
その姿にくすりと笑ってから、鞘を剣帯に固定する。
「では、行ってきます」
「……おう。行ってこい」
ぷいっと顔を背けた彼女にもう一度笑って、正門へと向かう。
そこには既にアーサーさんと他のメンバーが揃っていた。予定時刻より五分前なのだが、どうやら自分が最後らしい。
「すいません、お待たせしました」
「いいえ、私達が早くついてしまっただけですから」
ニコリとジョナサン神父が笑う。
「……ここに俺達が別れを告げたい相手もいなかったからな。言える相手がいるのなら、言っておくにこした事はねぇ」
「おいおい縁起が悪いね、軍曹殿」
仏頂面で言う軍曹の横で、やれやれとクリスさんが肩をすくめながら首を横に振る。
「むしろ早く来すぎだよブラザー。もっとじっくりぬっぷり恋人達に『行ってきます』をしてくるべきじゃないのかね」
「アホなんですかこの迷惑記者」
「おいシュミット。この色ボケは本当に戦力になるのか。さっきメイドをナンパしてビンタされていたんだが」
「HAHAHA!あんなのは朝の挨拶だとも!」
本当だ。よく見たら迷惑記者の頬に紅葉がある。ざまぁ。
「まあ、腕は確かですよ。腕は」
「おいおいなんだねそんな含みのある言い方はぁ」
「クリスさん。奥方がいるのにナンパは感心しませんよ」
「すみません、神父」
「後でアメリアさんと彼女のお父さんに伝えておきますね」
「それだけは勘弁して下さい剣爛殿……!」
帽子をとって腰を九十度に曲げる迷惑記者。
何というか、力が抜ける。硬い表情だった軍曹も、呆れ顔をしていた。少しだけ雰囲気がイチイバルにいた頃の彼に戻った気がする。
……まさか、これを見越して?
「しょうがなかったんだ……!気品のあるメイドさんって、とてもエッチだったから……!」
いや、ただの色ボケだわ。
「諸君」
アーサーさんの声に、姿勢を正す。
「見送りが私だけですまない。そして、この場ではウィットに富んだ長話より、この言葉だけを送らせてもらおう」
今日も白スーツの彼が、チェシャ猫の様に笑う。
「世界征服だの世界を滅ぼすだの言っている皇帝に、現実というものを教えてやれ。奴の細い首を刎ね飛ばしてやってこい!」
「はっ!」
彼の言葉に見送られ、停まっていた大型の車へと乗り込む。
昨夜の激戦が嘘のように賑わっている領都。いいや、むしろ昨夜の戦いがあったからか、その興奮でより騒がしくなった街。
終わってみれば、公爵邸の一部が壊れたのと駅が破壊された程度。街そのものの被害は軽微である。
それでも、人は死んだ。少なくない人間が、敵味方で散ったのだ。
歓喜と興奮、そして悼む声の響く街を、一瞬だけ見つめる。
彼女が育った街。彼女が今いる街。どうか、ここが───。
「皆様、隣街の駅までの道のりはお任せください」
運転席から振り返った人物の顔に、すっと血の気が引く。
アリサさん。我が相棒。貴女に伝えたい事があったのを、今思い出しました。
「今回は急ぎの任務だとか。私もリミッターを外して頑張らせて頂きます」
「ええ、よろしくお願いします」
「フルスロットルで頼むよ」
「事故らない範囲で、急いでくれ」
「かしこまりました」
事情を知らない他三人の言葉に、運転手が笑みを深める。
「では───ぶっ飛ばしていくぜぇえええええええ!!」
「「「えっ」」」
「記憶に刻みなぁ、俺のドラテクをぉぅ!!」
爆音を奏でるエンジンに、そっと、瞳を閉じる。
───運転手の人選、間違えていませんか?
その言葉が、眠っている相棒の耳に届く事はなかった。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。いつも励みになっております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。
※登場がだいぶ前なので忘れているかもしれない方用。
ジョナサン神父
教会戦士。アリサさんの師匠。ソードマンの弟で、幼少期から教会で過ごしている。二丁拳銃の使い手な筋肉モリモリマッチョマン。アンデットと黒魔法使い死すべし。
恋人にイオ神父という男性がいる。
クリス
ヨルゼンの街で記者をやっていた女性。黒いカウボーイハットに着崩したスーツ姿。孤児。ゴシップ記事から爆弾まで作れる。趣味・特技は女性限定のナンパ。
恋人にアメリアという女性がいる。
軍曹
筋肉モリモリマッチョマンその2。本名はジャック……だったが、それも偽名かも?王国に来てイチイバルのライラさんにド嵌りしていた先輩冒険者。
性癖は褐色巨乳美女。独身。