第五章 エピローグ
先日は休ませて頂きありがとうございました。投稿を再開させて頂きます。
第五章 エピローグ
雨が少しだけ弱まり、濡れた顔を軽く拭う。手には雨水だけでなく返り血までべったりとつき、少しだけ不快感に眉をひそめた。
ウェンディゴが捨てた上着を拾い、彼の死体に被せてからその場を去る。向かう先は列車砲が保管されている倉庫だ。
自分達が依頼されたのはウェンディゴ隊からアレを守る事である。そういうわけで、他の地での戦闘は公爵軍に任せるとしよう。
ピチャピチャと濡れた地面を進んで行けば、その間に各地から聞こえていた銃声や砲声が鳴りを潜めていた。代わりに所々歓声の様なものが聞こえる。
そうしてのんびり向かえば、予想通りの出迎えがあった。
「よっ。随分と濡れ鼠じゃないか」
「ええ。傘をさす余裕はなかったですし、合羽を着ていては動きづらかったので」
「うーん。気の利いた返しの言葉じゃないなぁ。もっと格好の良い返事をしなきゃ」
やれやれと首を振るアリサさんに、軽く肩をすくめる。自分は舞台役者ではなく冒険者兼名誉騎士だ。そういうのを求められても困る。
だいたい、そういう彼女とて言うほど洒落た言葉を言っていないだろうに。人にばかり求めるのは少々不公平ではないか?
と、思うもそれを言うと『じゃあ一緒に劇を見に行って勉強しよう!』とか言い出すので、やめておいた。嫌ではないが、今はそれどころではない。
雨をしのぐため倉庫の軒下に入り、壁に背中を預ける。
「随分と穴だらけになりましたね。中は大丈夫ですか?」
ちらりと壁を見ながら言えば、アリサさんが満面の笑みでブイサインをしてきた。
「流石に機材まで無傷とは言わないけど、元々置きっぱになっているやつだから、そこまで重要な物でもないっしょ。列車砲の方はノーダメだよー」
「それはよかった」
「おいおいぃ。そこはプリティーなアリサちゃんも怪我がないか心配してくれないのぉ?」
「ああ。はい。無事そうですね」
「ざつぅ」
白魔法で自分の怪我を治しながら、一息つく。
疲れた。グールに戦士達、そしてウェンディゴ。そこに加えて単純に街を行ったり来たりで、体力も魔力も底が見えている。
そんな自分に、水筒が差し出された。
「どうも」
「ふふん。これが気の利いた相棒ってものだよ」
ここぞとばかりにドヤ顔するお馬鹿様に若干イラッとするも、ありがたいのは事実。ツッコミはなしで水筒の蓋をあければ、紅茶の良い香りが鼻孔をくすぐった。
水筒の見た目こそ酒でも入っていそうだったので、少しだけ意外に思う。だが、そもそもこの人は一人で酒を飲まないタイプだ。なんせ酔えないので。
呪いの影響かは知らないが、代わりとばかりに『場』に酔うくせがある。しかも悪酔いするタイプだから、酒にも場にもあまり酔えないこちらとしては大変だ。
思考がずれた。せっかくだしと、水筒に口をつける。
中の紅茶は流石に冷めていたのだが、それでもやはり香りが良い。最初に苦みがきて、最後にほんのり甘さが残る。血と泥の臭いが残っていた口の中が、だいぶんマシになった。
「美味しい……」
「でしょー!その茶葉は私のお気に入りでね。冷めても美味しい様に、淹れ方に工夫があるんだよ。シュミット君はどんな茶葉が好き?」
「特に拘りはありませんが、最近は紅茶よりコーヒーが好きです」
「ほほう。じゃあ今度いい豆を扱っているお店を紹介してあげよう」
「そうですね。帝国やドラゴンの事が片付いたらお願いします」
「あー、そうね。それね。うん……」
妙に言いよどむ彼女に、どうしたのかと視線を向ける。
この傍若無人な相棒にしては珍しく困った様に視線を迷わせる姿は、偶に見かけるものの慣れる気がしない。こちらまで落ち着かなくなる。
「どうしたんですか?」
「いや、さ。リリーシャ様に言われてね。ドラゴンが死んで呪いから解放された後、どうするのか今のうちに考えておけって」
「ああ。それもそうですね」
思えば、その辺りの事をまったく考えていなかった。
そもそも彼女に龍殺しの事を安易に口にしてはならないと、自分もアーサーさんも考えていた。確実に殺せると思えるまで、幻想の希望など毒にしかならないと。
だが、もはや事は彼女や公爵家だけの話ではなく、王国の、ひいては世界の存亡に関わる。
龍を討つのは決定事項。それが成功しようが失敗しようが、戦わねばならない事に変わりはない。
であれば、勝った後の事を考える必要がある。失敗すれば、そもそも未来などないのだから。
「何かしたい事とかないんですか?」
「いやー……まったく考えてなかったんだよねぇ。私、死ぬつもりだったし」
「それもそうですね」
水筒から紅茶をもう一口含みながら、少しだけ自分も考える。
「海外旅行とかはどうです。アリサさんってそういうの好きそうですが」
「あー、確かに。でも立場的にそうほいほい行けるかなー」
「別に、事前に準備なり申請なりしておけば良いでしょう。呪いがなくなった後は時間があるんですから」
「そ、そっか。やばいな私。全然想像がつかないぞ……」
両手でこめかみをぐりぐりとしながら、アリサさんが唸る。
子供みたいな仕草の彼女に、気づけば少し笑っていた。
「そうやって悩むのもいいと思いますよ。どこにどうやって行こうか。あるいは行ったら何をしようかと悩むのも、旅行の醍醐味ですから」
「おや。シュミット君にしては珍しい言葉。前世の経験談?」
「そうですね。と言っても、僕は出不精だったので語れるほどの思い出はありませんが」
今思えば、もっと旅行に行っておけば良かったかもしれない。前世には新幹線も飛行機もあったのだ。この世界よりはよほど気楽に遠出できる。
……いや。たとえ前世の自分にこんな事を言っても、『めんどい』の一言で拒否されるな。海外の風景にはそれほど興味ないし、食事や文化なら日本にいたままでもある程度は楽しめる。
困った。本当に語る事がない。
「なら、さ……もしも行くなら、君も一緒にどう?旅行」
何故かほんのりと頬を赤らめて言う彼女に、首を傾げる。
「まあ、行けと言われれば行きますが」
「ほんと!?」
「ええ。断る理由が今の所ありませんし、何よりアリサさんは眼を離すと何をしでかすかわかりませんから」
「にゃに~?その理由は酷くなぁい?こぉんな超絶美少女と旅行に行けるっていうのにさぁ」
唇を尖らせる彼女に、水筒を返す。
「ご馳走さまでした。車が一台こちらに接近しています。恐らく味方ですが、一応警戒を」
「はぁい」
露骨に不満をあらわにしながらも、彼女が水筒を受け取ろうとする。
だが。
「ありゃ?」
「え?」
彼女が伸ばした左腕から、水筒がするりと落ちてしまった。
倉庫の床にぶつかる水筒。蓋はしっかり閉めていたので中身はこぼれなかったが、少しだけ大きな音がした。
「え、あれ……?」
「アリサさん?」
呆然と己の左手を見る彼女に、妙な胸騒ぎがした。
どうしたのかと近づき顔を覗き込めば、元々白かった彼女の顔は血の気が完全に失せた様に青白くなっている。
震える唇で、相棒が呟いた。
「うそ……どうして……」
「アリサさん。状況はわかりませんが、公爵邸に向かいましょう。何か様子が」
そう言って彼女の左肩に触れた、その瞬間。
バネ仕掛けの様にアリサさんの左腕が跳ね、こちらの腹部に裏拳がめり込む。
反射で後ろに跳んだものの、凄まじい衝撃が襲ってきた。内臓をシェイクされたかの様な激痛と眩暈。そして、受け身も無しに床を二度ほどバウンドして背中にも激痛がはしった。
どうにか片膝をついて顔をあげ、アリサさんを確認する。
そこには、やはり顔を真っ青にした彼女がいて。
「なんで……」
左肩から先が、『黒い鱗』に覆われた状態で立っていた。
「─────」
あの鱗を自分は、自分達は知っている。
ヨルゼン子爵の腕が、黒魔法の闇に飲まれた者がアレと同じ鱗を生やしていた。
確かにアリサさんも、左腕に鱗をもっていた。だが、ああも黒々としたものではなかったし、ましてや肩から指先まで覆うほどではない。
何より、腕の大きさ自体が変わっている。元のままの右腕と比較すればその変化は明白で、指先……いいや、鋭い爪の先が地面に届きそうだ。
そんな己の腕とこちらを交互に見ていたアリサさんが、口をパクパクと動かせる。
「ち、ちが、わたし、なんで……こんな……!やっと、やっと私……!」
何かを、彼女に言おうとした。そして、彼女が言おうとしている事を理解しようともした。
だが、それらより先に、倉庫に白色の魔法陣が浮かび上がる。
これは、白魔法の結界!?
術式の癖から、恐らくアリサさん自身が仕掛けたのであろう結界。それが、彼女を襲う。
「が、ぁぁあああ!?」
「アリサさん!」
悲鳴をあげ、左肩を押さえながら絶叫をあげる彼女。咄嗟に剣を床に突き立て、魔法陣に干渉。制御を乗っ取って強制的に停止させる。
慌ててアリサさんを見れば、意識を失った様子でぐらりと体から力が抜ける所だった。
「っ!」
突き立てたままの剣を放置して、頭を床にぶつける前にアリサさんの体を抱きとめる。先ほどの様に左腕がこちらを襲う事はなく、代わりに五体から一切の力を感じる事ができなかった。
「アリサさん!アリサさん!!」
頭が混乱する。必死に彼女の名を呼ぶが、その瞳は閉じられたまま。
習得しているはずの医療に関する技術も、白魔法の知識も何もかもが、脳裏をただぐるぐると回るだけで何も出力できない。
気づけば、自分はただ狂ったように彼女の名を呼ぶ事しかできなかった。
「アリサさん!!目を覚ましてください!───アリサ!!」
外の雨音が止み、代わりに公爵軍の勝鬨と領都民の歓声が聞こえてくる。
混乱したまま、視線を周囲に彷徨わせた。いつの間にかやってきていた一台のトラックから、見覚えのある白スーツの男性が降りてくる。
「アリサ、シュミット!どうし……っ!?」
やってきたアーサーさんに、彼女を抱きかかえたまま顔を向ける。
「アリサさんが……助けて、ください!彼女を……!」
曇天には、割れんばかりの喝采が響く。兵隊の、民衆の、生き残った者達の、今この世界を生きる者達の声が。
自分の声が、天に届く事などありはしなかった。
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