第百三十話 乾き
第百三十話 乾き
サイド ──
はたして、私は何者だったのだろう。
『こら、■■■。勝手に馬小屋へ入っては駄目だろう。しょうがないな。明日は後ろに乗せてやるから、今日はちゃんと剣の稽古をやるんだよ』
どこで生まれたのだろう。
『そんな!どうしてうちの子が……!』
『お子さんは名誉にも選ばれました。これは皇帝陛下直轄機関からの命令ですよ?』
なにを、していたのだろう。
『投薬を続けろ。死ねば替えを用意する』
『魔物から移植した筋肉と臓器は正常に機能している。痛覚は残しおくか?』
なにが、したかったのだろう。
『さあ、■■■。次の性能試験だ』
『この男女と、子供を殺せ。それでお前は完成する。一切の情をかけるなよ』
なんの……ために……。
『どれだけの外道に堕ちようと、我らは作り出さねばならないのだ』
『そうだ。セルエルセスに匹敵する怪物を……さもなければ、帝国は滅びる!』
こえが、きこえる。
『嫌だ、死にたくない!』『誰か、誰か!』『どうして!?』『おぎゃー!おぎゃー!』『お母さん!』『うわああああ!?』『ぎゃははははは!』『化け物!』『助けて!』
わたしではない、だれかのこえ。
ちがう。かれらはわたしだ。わたしは……だれだ?
ああ……ああ、そうだ。そうだった。
『皇帝陛下の為にその身命を捧げよ。これより君は、特殊部隊ウェンディゴの隊長だ』
私は、陛下の為に戦い、殺し、壊すモノ。
陛下の盟友たる御方の為に、この世の守り全てを剥がすモノ。
それ以上でもそれ以下でもなく、ただその為の、怪物であればよいのだ。
そうでなければ、いけないのだ。でなければ、この両手は────。
* * *
サイド シュミット
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!』
人ではない、獣の雄叫び。
常人であれば鼓膜と共に精神に異常をきたすのではないかという声を上げ、ウェンディゴが二刀を構え接近する。
振り下ろされる骨の剣。紙一重で、などと欲をかけそうにない。反射的に大きく横へ跳ぶ。
直後、轟音が響いた。鉄槌を打ち付けられた様に地面が爆ぜ、泥と共に石礫が飛び散る。
跳んで避けた自分に奴が握る右のサーベルが振るわれた。その刃に刀身をぶつけ、衝撃をまともに受け止めずに上へと滑らせる。
重い。このウェンディゴの膂力、速度はライカンスロープを遥かに上回るだろう。
続けて、地面を抉りながら脛狙いで振るわれる骨の剣。それをブーツで踏みつけ上に跳んだ。
その瞬間全身にズキリと痛みが走る。駅での戦闘が終わるなりこちらへ直行したが、少々体に無理をさせ過ぎたか。
だが、もう少しだけ付き合ってもらう。いつもの事だ。死んでなければ大抵はどうにかなる。
「しぃ……!」
空中でぐるりと体を回転。踏ん張れない分遠心力を乗せて刃を振るう。狙うはウェンディゴの頭蓋。それを叩き割る為に。
だが、それは奴が首を捻って角をぶつけてきた事で防がれる。枯れ木の様な角だというのに、まるで鉄柱にでもぶつかった様な衝撃を剣腹に受けた。
バランスを崩しながらも、剣を振り上げようとするウェンディゴに対し体を捻り、その頭を蹴り飛ばして距離をとった。
鉄板入りブーツで頭部を蹴るという大抵の生物には十分効果的な攻撃なのだが、効いた様子はない。見た目以上の頑丈さだ。
蹴りの衝撃で近くの木まで跳び、体を反転させて幹に足をつける。そのまま膝をたわめ、バネの様に斜め下の地面へ移動。
自分が一瞬前までいた木の幹に骨の剣が叩き込まれる。そのたった一撃で、生木が木片を散らして砕けた。
地を駆け、すれ違いざまに奴の脇腹を狙う。が、サーベルのナックルガードで受け流され火花を散らすに止まった。
『この気配、白魔法のエンチェントか』
奇襲を仕掛けた時に、既に自身と武装への付与は済ませてある。だが、それだけでは押し切れない。
聖女の剣を使うか……?いいや、アレの魔力消費は激しい。
発動してからウェンディゴが逃げに徹した時、振り切られたらそれ以上追いかけられなくなる。
使うのなら、確実に仕留めきれる瞬間……!
『ぬん!』
骨の剣よる横薙ぎ。それを後退して避ければ、奴の足が地面の泥を巻き上げた。
一瞬だけ塞がれる視界。その中で突きだされた剣の軌道を魔力探知で読み取る。
首狙いの突きを柄で横から押す様にして防いだ。が、かすめた首筋にバックリと傷ができ血が溢れる。
「くっ……!」
突きが横薙ぎに変化し、その力に逆らわず自ら跳ぶ。泥を跳ねながら着地し、左手で首筋を押さえ魔力制御で強引に止血した。白魔法で治癒している暇はない。
あのサーベル、恐らくドワーフ製。それもかなりの名工が作ったのだろう。恐ろしい切れ味だ。
しかし、そう言うならば武器の条件は同じ。自分が使うこの剣もまた、業物と呼んで差し支えない一振りである。
距離ができ、お互い警戒したように動きを止めた。その沈黙が、数秒後にウェンディゴの口元で魔力の流れが変化した事で打ち破られる。
『ボウッ!!』
「っ!?」
奴が吠えたのと、咄嗟に魔力感知に従って剣を胸元へと戻したのがほぼ同時。
金属同士がぶつかった様な甲高くも重い音が響く。その衝撃は剣が押し込まれボディアーマーに触れる程であり、自分の体は否応なしに数歩後退させられた。
風の刃……!?
怯んだこちらの隙を逃さぬと踏み込むウェンディゴ。骨の剣で豪速の突きを放ってくる。
「な、めるなぁ!」
風の衝撃を利用し、体を横回転。遠心力ものせて骨の剣を弾き上げる。
そのまま近づく間合い。サーベルが袈裟懸けにこちらを斬り裂かんと振るわれ、その刃に左の籠手を斜めに合わせた。火花と衝撃だけを残して滑り落ちる刃に、ウェンディゴの瞳が見開かれる。
すれ違いざまに奴の胴へと刀身を当て、刃が食い込んだ瞬間左手も柄を握り両手でもって振り抜いた。
白い毛皮を断ち、肉を裂いて臓物を破いた感覚。意外にも赤かった血が水たまりに飛び散る。
尋常な生物なら致命傷だが……。
『ぬうぅぅ……!』
やはり、一筋縄ではいかないか。
互いに体を反転させ相対しながら、剣を構え直す。
しかしそれでも白魔法を付与された刃で出来た傷は効くらしい。傷口からは血が流れ続け、同時に微かながら白い煙が上がっている。
『……中佐殿も困ったお方だ。二兎を追うから、道中で貴方の様な獅子に遭遇してしまう。列車砲の破壊か、裏切り者の粛清。どちらか一方だけにしてほしかったものだ』
「……そのどちらであったとしても、自分達は妨害していましたよ」
『そうかも、しれないな』
裏切り者の粛清?
内心で疑問符を浮かべるも、今は脳の端に追いやる。他の事を考えながら勝てる相手ではない。
このウェンディゴは、間違いなく強者である。
剣の腕は駅で戦った者達の中でも上位。そこに怪物の身体能力が加わっている。それだけならばルーデウスと同じだが、こいつは怪物としての肉体に順応済みだ。肉体と技量での『ズレ』がほとんどない。
雨で濡れる柄を握り直す。
雷鳴が轟くこの環境で長期戦は厳しい。眼前の怪物と違い、人の身にこの雨風は十分に凶器だ。容赦なく体力と集中力を削ってくる。
「しぃ……!」
右肩に剣を担ぐようにして、吶喊。泥を蹴り飛ばし、左右への細かいフェイントを入れながらウェンディゴへと間合いを詰める。
『ボウッ!』
それに対し、奴は風の斬撃で迎撃。
不可視であろうと、見えている。魔力の流れから軌道を推測し、回避して前へ。
一息に近づいた自分にウェンディゴが左の───否。
骨の剣はフェイント。初手から右のサーベルが振り下ろされる。
脳天をかち割らんとする白刃を、左の籠手で受けた。地面を強く踏みしめ、強引に弾き上げる。
僅かによろめく両者の体。しかし体格と膂力に勝る分ウェンディゴが半瞬早く立て直した。
奴が逆手に持ち替えた骨の剣が、こちらの胴を薙がんと振るわれる。
人の身で受ければ、如何に防具越しだろうと肉も骨も潰れるだろう。必殺と呼んでいい一撃。
だが。
『っ───!?』
遅い。
崩れたのなら、そのまま崩せばいい。
体勢を立て直すのではなく左右の足を前後で大きく開き、強引に重心を下に落とす。結果、骨の剣は頭上を素通りしていく。
その剣を振るう左手へと、こちらの刃を合わせた。
「はぁ!」
相手の膂力も利用して振るった斬撃。前腕の半ばから、白の体毛に覆われた巨腕が斬り飛ばされた。
雨と共に血を浴びながら、ウェンディゴがほぼ反射で放ったであろう膝蹴りを横に転がって回避。
泥にまみれて立ち上がった自分に、間髪入れずにサーベルが振るわれる。その太刀筋に痛みからの乱れはないが、しかし重心そのものにズレがある。
正面からこちらも剣をぶつけた。今度は、噛み合わせない……!
───カァァン!!
名工が打ったであろうサーベルを、へし折る。
『なんと!?』
驚愕の声をあげながらも、武器を失うなり後ろへ跳び退るウェンディゴ。
もはやここからどうやって逃げるのかは知らないが、それでも奴は逃亡を選んだ。木々の中に紛れる様に着地し、牽制の為か口元に魔力を収束させる。
逃がさない。ここで、斬る!
「『サンライト・クロス』……!」
腰だめに構えた剣を、極光が包み込む。
世界から流れ込む魔力の奔流を制御し、そのまま己の加速へと変換。曇天が覆う大地にて、流星と化す。
『ボウッ!ボウッ!!』
獣の叫びの様な声と共に放たれる風の魔弾。しかし、それら全てを斬って捨てる。
一切減速せず、剣の間合いへ。
『───見事』
逆袈裟に振るった刃が、ウェンディゴの身を引き裂く。
余韻の様に残る白の軌跡が薄れていくと共に、ずるりと奴の体がずれた。
『一つ、聞きたい』
だらりと残った右腕を下げたまま、ウェンディゴが口を開いた。
『私は死んだら、墓に入れてもらえるのかね』
「……いいえ。黒魔法に関わった者は、灰にされた後教会で厳重に封印されます」
『そう、か』
猿に似た怪物の顔が、歪む。
それが苦笑だったのか、泣きそうな顔だったのかはわからない。
『仕方がない、か……』
それだけ言い残して、脇腹から肩にかけて切断された肉体が地面に落ちる。少し遅れて、傷口から下も崩れ落ちた。
雨が降りしきり、雷鳴まで轟いているというのに。ウェンディゴの死体は見る間に干からびていく。
白の体毛は全て抜け落ち、筋骨隆々だった肉体はまるで乾物の様に成り果てた。
小さく、小さく、しぼんだ体。その顔には目も鼻も口もなく、のっぺらぼうとなっている。
奇妙な死体を前に、剣についた油と血を拭い去って鞘に納めた。
「……貴方に敬意を払わないと、言いました。だから、これだけ言います」
死者への慰めも、戦士への賞賛も、両手の指では足らない程に人を食ったこいつにはあげられない。
代わりに。
「おやすみなさい」
まるで幼子の様に小さくなった体に、それだけ呟いた。
読んでいただきありがとうございます。
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申し訳ございませんが、明日はリアルの都合で投稿をお休みさせて頂きます。