第百十七話 シュミット准尉
第百十七話 シュミット准尉
翌日。アリサさんと二人准将閣下の部屋へと呼ばれた。
「おはよう、二人とも。昨夜はよく眠れたかな?」
「はっ!」
「ええ、『准将閣下』。誇りある王国軍に外を守られた環境ですもの。とても安心して眠る事ができました」
緊張しながら答えた自分の横で、アリサさんがニッコリと答える。
「……その、アリサ」
「はい。なんでしょうか、准将閣下」
「お前は軍属ではない。そう硬い呼び方をしなくてもいいのだぞ?」
「いいえ、准将閣下。ここは後方とはいえ戦場。恐れながら、立場は明確にしておくべきかと」
「そうか。しかし私を准将と敬うのなら、私の言う通り呼び方を戻してほしいのだが」
「そんな、准将閣下。私の様な女には准将閣下を馴れ馴れしく呼ぶなど恐れ多くて……」
「ふっ……」
わざとらしいぐらい怯えた顔をするアリサさんに、准将閣下は小さく笑った。
「パパ、寂しい……」
そして顔を覆って泣いてしまった。若干嗚咽までもれている。
えぇ……。
「アリサ、アリサ……謝ったじゃないか。許してくれないか……?」
「謝られましても、私は怒ってなどおりませんよ?」
そんなシュナイゼル准将に、しかしアリサさんはニッコリと笑みを浮かべながら答える。
だが、その瞳はまっっったく笑っていない。
「私は先ほど准将閣下が仰った様に、軍属でもなければ爵位も持っていないただの女。軍機に関わる内容を教えて頂けなくても、それは当然の事なのです。その前の作戦は最前線で手伝わされているのに、などと欠片も思っておりません」
「そ、それはそこのシュミット卿から、君にしか援護は任せられないと言われて」
このオッサンこっちに飛び火させやがった!?
「……この話はこれぐらいにしておきましょうか、『お父様』。私も少々大人げなかったと自覚しております」
アリサさんが仏頂面になり、軽くこちらの脇腹を肘でついてきた。
いた……くはない。本当に軽くだったので。
……え、なんで今こっちに肘が?しかも攻撃の類と呼ぶにはあまりにも力が込められていない。逆に恐いんですけど?どういう感情なの、それは。
そんな彼女に、准将閣下がニヒルに笑う。
「大人げないなどと言うものか。私の中ではアリサはまだ八歳の頃から変わっていない。可愛い我が子だとも」
「それはそれでどうかと思いますが……」
流石に八歳児扱いはムカついたのか、アリサさんの目が冷たくなる。
それに気づいたのか、准将閣下は小さく咳ばらいをした。
「では、本題に入ろう。まずシュミット卿。君には私の独断で『准尉』の階級で軍に登録してもらう。元々名誉騎士であったから、書類的にはそれほど問題ない」
「はっ」
「えっ」
名誉騎士は内定ではなく既にその扱いなのかと思っていながら、差し出された封筒を恭しく受け取る。だが、その隣でアリサさんが驚いた様子で声をあげた。
「アリサが驚くのも無理はない。異例な事だからな。だが、そもそも彼の活躍の方こそ異例過ぎる。本来なら大尉相当の階級を与えたい所だが、士官学校を出ていないシュミット卿には私の権限だとこれが限界だ」
「……なるほど。尉官ならば事実上他の貴族からの命令を拒否できるという事ですね?」
「そうだ」
何やらラインバレル親子が話し始める。
ああ、これはしっかり聞いておかないと後で泣きを見るなと、無知なりに二人の会話に集中した。
「シュミット卿の戦果は大きすぎた。『あの夜』の作戦行動を抜きにしても、塹壕を三つ奪うというのは凄まじい事なのだよ」
「そして、彼の力を見せ過ぎたという事でもある」
「その通り。立場が人を作る。それは悪い場合もあるのだ。シュミット卿という『強すぎる個人』……武力でも、影響力でも力を持ちすぎている個人が己の指示で動くというのは、ある種の麻薬だよ」
シュナイゼル准将の言葉を、どうにか咀嚼していく。
なるほど、何となくはわかってきた。
「最初のうちは彼の扱いに困るかもしれない。だが、慣れてくれば気が大きくなる事も、逆に彼に対する怯えの感情を強める場合もあるだろう」
「かと言って、扱いに困ったままの者がシュミット君の指揮権を握っていても使いこなせない」
「だったらいっそ、彼には尉官として一人の小隊扱いで動いてもらった方がマシだ。まあ、どちらかと言えば『専門職』扱いに近いのだがね」
……何やら過大評価されている気がする。
確かに自分は、一個小隊以上の働きをした。だが、正面から戦ったら小隊規模の相手に勝てるかわからない。塹壕の中だったり、指揮所を警備している所へ不意打ちするなどの特殊な状況のみである。
基本的に、銃を一斉に向けられて引き金を引かれたら死ぬのだ。十人までなら問題ないが、二十、三十となると避けきれない。相手が訓練を積んだ軍人となると、なおの事。
そんな自分を一人で小隊扱いというのは過剰である。アリサさんも含めれば、確かに二個小隊相手でも戦える気はするが。
しかし、この話は単純な戦闘力の問題ではないのだろう。そう察して、口を挟まなかった。
というか、軍隊の階級とかよくわからん。
「無論、これだけで解決とは思っていない。他の貴族から変な横槍を避ける為、二人には一度この戦場から離れた場所で仕事をしてもらう」
「こことは別の、ですか?」
アリサさんが首を傾げる。
「そうだ」
「……お言葉ながら、帝都に向かう道の途中には敵の要塞が残っております。それを我らで突破してからでも」
「アリサ。その心配は正しい。帝国軍は未だこちら以上の戦力を持っている。敵の後詰だけで、東部戦線の王国軍を上回る人数だろう。だが、物事には順序と優先順位があるのだ」
不安気なアリサさんに、准将閣下が首を横に振った。
「───『ウェンディゴ』が動いたと、報告があった」
「っ!?」
「……?」
聞き慣れない言葉に内心で首を傾げる。
ウェンディゴ……前世で聞いたのは、確かゲームだったか。人食いの巨人だったか精霊だったかと記憶している。
だが、この世界ではどういう存在なのかは知らない。
「シュミット君。ウェンディゴって名前の怪物はいるけど、今回は人間の集団だよ。帝国の特殊部隊の一つだ」
「そう。それも、戦闘と破壊工作に特化した部隊でもある」
表情に出ていたのか、ラインバレル親子が説明をしてくれた。
「ローレシア帝国のウェンディゴ隊は、貴族の次男三男で構成されている。全員が専門の教育を受けた優秀な戦士であり魔法使いだ。君程ではないが、それでも一人一人が間違いなく強者である。連携されれば、いかにシュミット卿でも危ういだろう」
「その様な部隊が……」
「私が聞いた話だと、一部では黒魔法に関わっている人間も混ざっているって聞いたよ」
「黒魔法に?」
「そうだ。死者の顔を剥ぎ取り、己に張りつけて変装していたという報告もかつて受けた事がある。他にも幻術や催眠を使うとも、ね。手段を選ばない、危険な連中だよ」
「勿論そんな噂のある部隊だから教会から調査されているんだけど……」
「ローレシア正教会……ローレシア帝国の教会は、彼らを問題ないと判断した。その事について王国の教会から何度も苦情が出ていたのだが、全て無視されてね。今回の事もあって、正教会も既に向こう側だと確定したよ」
親子そろって肩をすくめる二人。仲良しだな。
それはさておき、なるほど。確かに不気味かつ厄介そうな相手だ。
問題は、それをわざわざ准将閣下自らこの身に説明している事である。何なら先ほど『シュミット卿でも危ういだろう』と例に使われた。
話の流れ的に……。
「そんな危険な部隊が、公爵領に向かっていると情報を得た。君達二人には、その迎撃に向かってほしい」
やっぱりかぁ。
正直、強い相手と戦いたくない。何なら命懸けで戦う事自体好きではないのだが。
自分はどこぞの聖女様みたいに、戦う事と生きる事がイコールで繋がってはいないのである。だって死にたくないし。
しかし、断る事もできないだろう。
「公爵家に向かっているという事は……」
「ああ。十中八九、『アレ』の破壊が狙いだろう」
「で、ありますよね」
……阻止しないわけにはいかないな、それでは。
「アレ?」
「……王国に向かっているドラゴンを討つ為の兵器。それ以上はたとえ愛娘であろうとも言えないよ、アリサ」
「承知しました、お父様」
若干不満そうだが、アリサさんはすぐに頷き深くは聞かなかった。
直前に親子そろって私情丸出しの会話をしていて、大人げなかったと自覚していたからだろう。
「シュミット卿。本来君には王都に凱旋してもらいパレードへの出席。その後には国王陛下から勲章と爵位の授与。そして国中で士気高揚の為に演説でもしてもらいたい所だが、君ほどの実力者を遊ばせておく余裕はない」
「はっ。承知しております」
准将閣下の言葉に、王国式の礼をしながら答える。
「公爵家に仕える名誉騎士として、役目を果たしてみせます」
「騎士としては、既に十分以上に働いてもらったが……やる気があるのは良い事だ。あの突撃と、例の夜に関する報酬は私のポケットマネーから君の口座に入れておいたよ。もっとも、金銭のみの支払いで『それ以外』の報酬は後になるが」
「ありがとうございます。閣下」
──なお、後で己の口座を確認してゼロの多さに呼吸困難になりかけたのは別の話である。公爵家と自分の金銭感覚の差を、まだ甘く見ていた。
「ではシュミット准尉。王国軍東部戦線指揮官、シュナイゼル准将として君に命じる。ただちにラインバレル公爵家の領地へ向かい、帝国特殊部隊『ウェンディゴ』の迎撃。及び討伐にあたれ」
「はっ!」
「無論、私も行きますよ。お父様」
「ああ。ただし、無駄死にだけはしないように」
「はい」
親バカ全開だった顔はどこへやら。冷徹な指揮官であり貴族の顔で頷く彼に、アリサさんがお辞儀をして答えた。
准将閣下の部屋から出て、彼女がこちらの胸に軽く拳をあてる。
「命を懸けるのなら、私にも懸けさせろよ?相棒」
チェシャ猫の様に笑う彼女に、深く頷いた。
「ええ。貴女以上に背中を任せられる相手を、僕は知りません」
「あったぼぉよぉ。でぇ?『あの夜』とやらに君が何をしていたか、頼れる相棒への報告はないのかぁい?」
ニヤニヤと笑うアリサさんに、周囲を軽く見回して人がいない事を確認してからため息を吐いた。
「僕が喋れる範囲でなら、移動中の汽車の中でお話しします」
「そうこなくっちゃぁ!あ、内容次第では追加で怒るからね?」
「……やっぱ喋るのやめとこうかな」
「その場合は今までで一番怒る」
「えぇ……」
げんなりとする自分の背中を、何が楽しいのかバンバン叩く相棒を横目で見る。
何ともまあ、無駄にいい笑顔だ。ついでに顔とスタイルも無駄にいい。
「とにかく、さっさと支度して出発しましょう」
「OK。頼りにしてるぜぇ、シュミット准尉!」
「こちらこそ頼りにしていますよ、相棒」
「その返しは卑怯くない?」
「どこがですか」
相変わらずのお馬鹿様と馬鹿な会話をしながら、自分達は戦場を後にする。
次の戦いの場へ、向かう為に。
読んでいただきありがとうございます。
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Q.准尉って階級低すぎない?
A.シュミット君、士官学校出ていないので……。たぶん、諸々が終わっても生きていたら確実に放り込まれると思います。きちんと卒業できたら、もっと上の階級がもらえるかと。なお、そしたら今度は佐官用の教育と試験が……。しかも貴族教育と並行して。
Q.シュナイゼル准将、娘を八歳児扱いしたり『無駄死にはするな』とかどっちなん?
A.彼的には両立している価値観です。アリサさんが己の命を諦めたのは八歳の頃。彼の中で娘の時間は止まったままです。
しかし、貴族としての思考のもと勝算があったり必要と判断したら娘だからこそ、容赦なく命を懸けさせます。
公爵家の人達、愛情は深いし重いですが、その辺の割り切りはハッキリしている感じです。