第百十四話 戦場の華
第百十四話 戦場の華
この戦場に来て一夜が明け、翌日。
今にも一雨きそうな曇り空は、ある意味戦場に相応しいものに見えた。
「きつく、きつくだ」
「しっかりと巻け。斬らねば解けぬほどに」
背後から、胸甲と兜姿の男達の声。ガシャガシャと金属音を鳴らし、小声ながらもその喜悦を隠しきれぬ様子でお互いの胴に巻いた縄を確認している。
対して、少し離れた位置に見える兵士達の顔は死にそうな程真っ青だった。
時折こちらを見ては、慌てて視線を前に戻す。銃を持つ手が白くなるほど、強く握っている様子だった。
背後の高揚と周囲の緊張感で酔ってしまいそうになる。何ともまあ、対照的なものだ。どちらが戦場に相応しいかと問われれば、後者に思える。
だが、自分の後ろにいる者達は紛れもなく勇者達だ。そして、愚者共である。
そう思えば、どちらもこの場に相応しいのだろう。自分を含めて。
一歩踏み出すのも億劫な気分になりながら、もう一度兵士達の様子を見る。
改めて思うが、この世界の兵士は軽装過ぎる気がした。なんせ軍服に軍帽、背嚢程度で、防具と呼べる物がない。
防弾チョッキとは言わずとも、鉄製のヘルメットぐらいはあった方がいいだろうに。弾は防げずとも爆弾や砲弾の破片は防げるはずだ。
生きて帰る事ができたら、准将閣下に進言してみよう。
「へい相棒」
こつりと肩を叩かれて、兵士達とは反対側に視線を向ける。
わざわざ用意したのか、その豊満な肢体にフィットする軍服姿の彼女。アリサさんは、揶揄う様に笑みを浮かべる。
「初陣に緊張しちゃってるのかい?」
「していない、と言えば嘘になります」
殺し合いの経験は多い。たくさん殺したし、殺されかけた。死ぬ寸前までいった事も何度かある。
だが、それと『戦争』は別だろうと、何となく思っている。
個々人の主義思想を飛び越えて、国という大きな群れ同士による壮絶な殺し合い。
その真っ只中に立つ事と、これまでの殺し合いは別種に思える。どちらが上等かという話ではない。純粋に、空気が違うのだ。
ただ、まあ。
「武者震いも、していますが」
「はっ」
相棒は笑って、もう一度こちらの肩をこつりと叩いた。
「いいね、私もだよ。国の存亡をかけた戦いだって言うのにね。軽蔑するかな?」
「今更しませんよ。お馬鹿様」
こちらも笑うが、『顔が見えない』ので伝わっているかどうか。
そんな会話をしていると、砲声が轟いた。
無数と言っていい程の腹に響く轟音。それを置き去りにして空を飛んでいった砲弾が、敵塹壕の周囲に降り注いだ。
応戦する様に放たれた敵砲弾が王国の塹壕にも多数飛来し、土煙をまき散らす。自分の体にも土と小石。そして砲弾の破片らしき物が降ってきた。
「……っ!」
「…………、…………!」
兵士達のあげたであろう悲鳴が、砲声に飲まれて消えていく。
生きているのか、死んでいるのか。それを確認する術もないし、何より今すべき事は彼らを救う事ではない。そんな権利も義務も自分にはないのだ。
己が今やるべき事は───。
全身に漲らせた魔力で強化した肉体でもって、両腕を塹壕の前につまれた土嚢にかける。
───相棒が出す合図を、絶対に逃さぬ事だ。
狭い視界故に彼女の姿を見る事はできない。それでも、すぐ近くで准将閣下から借りてきたボルトアクションライフルを構えている事だけはわかった。
親子でセンスが似ているのか、彼女愛用のレバーアクションライフルそっくりの白地に金の装飾が施された銃。ドワーフが丹精込めて手作りしたそれをアリサさんが使うのなら、絶対に外れない。
───ダァァン!!
黒色火薬とは明らかに違う音。すぐ近くで響いたそれに、四肢の力を限界まで引き出す。
矢の様に放たれた自分の腰に巻いた縄が、ギシリと鎧越しに音をたてた。
「『チャージ』、『アクセル』、『プロテクション』……!」
再度自身の肉体に強化魔法をかけ直す。
「『チャージ』、『アクセル』、『プロテクション』……!」
そうすれば、同じく魔法を発動させる四人の男達の声。
瞬間、自分に見知らぬ魔力が流れ込んでくる。
───強化魔法は、自己と他者を強化する魔法だ。
しかし基本的に自分自身にしか使われない。それは、受け手側にも……否。むしろ受け手側にこそ高度な魔力制御を要求するからである。
もしもこれが容易に他者へかけられる物であったのなら、騎兵の時代はまだ続いていただろう。自分と愛馬にライフルでも貫けぬ鎧を着せ、吶喊を仕掛けられるのだから。
魔力の調整を少しでも失敗すれば、全身の神経が無遠慮に流れ込む他人の魔力でズタズタにされる。そんなリスクと技術が要求される故に、滅多に使われる事のない手法。
だが、今の自分ならば。
「っ……!」
流れ込む魔力を使い、普段以上に強化された肉体で地面を駆ける。
顔と胴を護る様に掲げた腕に、硬質な音が断続的に響いた。銃弾を受けているのだと遅れて気づく。
現在、自分は帝国兵にとって非常に目立つ敵だろう。
両腕にはブリュースター卿達が持ち込んだ鎧を叩き切って盾にした物を何枚も重ね、胴体の胸甲にも鉄板を張りつけているのだ。頭もすっぽりと兜で覆い隠し、前が碌に見えない。
足回りも当然の様に重装甲であり、総重量は二百キロを軽く超える。普段の自分なら魔法込みでも駆け足がやっとだ。そのうえ今は後ろを走る者達を牽引までしているのだから、総重量はどれほどか。
それでも、彼らの魔力も使う事で普段通りに走る事ができる。
水冷式の機関銃が、視界の端でこちらに向けられるのが見えた。あと数歩で川に入ると言う所である。
───ダァァン!
だが、その銃口から弾が吐き出されるより先に射手の頭が大きく仰け反った。
ほんと、良い腕をしている……!
兜の下で笑いながら、更に加速。縄がギシリと音をたて、背後のブリュースター卿達を引っ張った。
時速百キロを超える疾走。たった五百五十メートルなど、瞬く間に踏破できる。だが、その最中には死の風が待っていた。
絶え間なくぶつけられる鉛の雨粒。新しく機関銃のグリップを握ろうとする者には相棒の弾丸が届けられるものの、他の歩兵達は容赦なくライフルで自分達を狙っていた。
下手な鉄砲も数撃てば当たる。全身に衝撃を受けながら、しかし速度は落とさない。骨が異音を発した気がしても、銃声砲声の聞き違いだと言い聞かせた。
川をもうすぐ超える。その時、狭い視界の中でこちらを向いた大口を目にする。
ライフル砲。余程勘の良い士官がいたか、あるいは偶然か。何にせよ、大砲がこちらに狙いを定めている。
「────!!」
背後で悲鳴が聞こえた気がした。だが、それで砲弾が止まるわけもない。
砲口が火を噴いた。
───回避は、不可能。あちらにも腕の良い奴がいた様で、正確に砲弾はこちらに放たれた。
───直撃には耐えられない。二十センチを超える装甲を纏おうが、自分は人間だ。弾き飛ばされ、骨が砕ける。
ならば、
「雄々々ッ!!」
殴り飛ばす!!
魔力を表面に這わせた右の盾で砲弾を受け、横に振るう。
重い。人体など容易く食い破れる鉛で出来た雷撃の様な物。それを殴り飛ばそうとした愚か者の頭に浮かんだのは、清らかな笑みを浮かべる聖女の姿。
────あの一太刀に比べれば、なんと軽い事か!!
右の盾は砕け散り、肩からは軋むような音が響いた。
されど、ぐちゃぐちゃになった『鉄塊』が盾の残骸と共にどこかへと飛んでいく。
左手の盾で残る距離で飛来する弾丸を防ぎ切り、積み上げられた土嚢を具足に包まれた足で蹴り飛ばして。
「なっ──」
こちらを塹壕の中から呆然と見上げる帝国兵の頭に、盾を思いっきり叩き込んで着地した。
二メートルほどの深さをもった塹壕の中。王国と同じく帝国側も元々あった塹壕は広く作ってある様で、その幅は四メートルほどもあった。
つまり、剣を振るえる。よろしい。非常によろしい。
自分から半瞬遅れて、雪崩れ込む様に塹壕へと落ちた四人の男達。そんな自分達に、帝国兵が銃を向ける。
「ば、化け物!!」
彼らの放つ弾丸を左手の盾で受けながら、肩の紐を右手で思いっきり引っ張る。
そうすれば重苦しい装甲がパージされ、ただの胸甲と薄い兜だけが残った。
そして、軽くなった体で吶喊。ボルトを動かして排莢した敵兵めがけて踏み込み、柄頭で思いっきり腹を打つ。
続けて左手でその者の首を掴んで他の兵達から放たれる銃撃の盾とし、ゆっくりと剣を鞘から引き抜いた。
「───各々方、よろしいか」
「応っ!」
「かかっ!かかかっ!」
「よもやこんな体験ができるとは!」
「良い土産話ができたぞ、剣爛殿!!」
全員還暦間近だというのに、随分と元気な声が返ってくる。
それに苦笑を浮かべ、踏み込んだ。
「突撃ぃぃ!!」
「オオオオオオオオオオ!!」
盾にしていた死体を放り捨て、必死にボルトを動かす敵兵を斬り捨てる。
一人を縦に両断し、二人目を逆袈裟に斬り捨てた。
三人目は後ろに任せて放置し、四人目の首を刎ねる。
曲がりくねった塹壕の中をひたすらに駆けた。
「な、なんだ!?」
「誰だこいつっ」
「ま、待って!」
慌てた様子でライフルをこちらに向けようとする兵士達。だが、遅い。
塹壕は爆発物の爆風の被害を広げぬ為、何度も角を付けジグザグに掘られる。そのうえこの砲声弾雨の中。すぐ傍に近寄る剣士の姿などそう気づけるものではない。
そして、ライフルをこちらに向ける頃には既に剣を振り終えている。
「この怪物がぁ!」
それでも対応する者はいる。
大柄の男が塹壕を掘る為のスコップを振り上げ殴りかかってきた。その腕ごと相手の頭を横に両断すれば、彼の死体の横を潜り抜けて銃剣を突き刺しにくる兵士がいる。
それに対し柄頭で刃をへし折り、続けて首を刎ねた。
「わあああああ!!」
悲鳴のような声をあげて、拳銃を向けてくる兵士がそれに続く。
事実悲鳴であり、眼の端に恐怖で涙を浮かべながらも彼は引き金を引いた。三発の銃声。うち一発は外れるも、二発は直撃コース。
だが、見切った。左手の籠手で二発とも防ぎきる。
そして、三発目が放たれるより先にその兵士の眉間にピックが突き刺さり脳を破壊した。
「かあ、さ」
倒れた兵士の声を踏み越えて、先へ。
彼らとて、被害者だ。
国だの世界だのなんて知らない。ただ命じられて、どこかの農村から引っ張ってこられただけの者達だ。
それを無慈悲に斬り捨てていくこの行為に、正しさなどない。ただ目の前に立ちふさがったから殺している。
……嫌なものだな、戦争というものは。
たとえこの思考が傲慢であり、余計なものだったとしても。
きっと胸の内に留め、後生大事に抱えておくべきものなのだろう。獣ではなく、『人間』でいる為に。
着剣済みのライフルが突き出され、それを左手で払いのけながら敵兵の胴を薙ぐ。
その時、塹壕の上から火のついたダイナマイトが投げ込まれた。恐らく、帝国の物。
咄嗟にピックで導火線を狙うかと考えるも、実行するより先に後ろの剣士がサーベルでダイナマイトを両断した。
「ぬぅん!」
更に、自分が放置した兵士の膝を蹴り砕き籠手に包まれた腕で下がった顔面を粉砕している。
それを成したブリュースター卿と目が合った。
「儂もまだ捨てたもんじゃあるまい」
「お見事」
戦場だと言うのに笑い合いながら、しかし足は止めない。腕は刃を振るい続ける。
帝国の掘った一つ目の塹壕。そこにいた兵士達を、尽く蹂躙していく。逃げ出した敵兵には容赦なく味方の銃撃が突き刺さり、気づいた時には自分達以外塹壕の中に誰もいなくなっていた。
「ふぅぅぅ……」
滝の様に流れる汗を手で拭おうとして、血と泥まみれな事に気が付く。
ようやく自分の姿を見下ろす余裕ができて、軽く全身を確認。あっちこっち関節や骨が軋むも、外傷はなし。軽く白魔法で治療しただけで全快した。
後ろの彼らはどうだと振り返れば、四人揃って剣を杖にしたりその場にへたり込んだりして動けなくなっている。
誰も彼もボロボロで、死ぬほどではないが傷だらけだ。鼻や指は欠けている者もいる。
だが、笑っていた。
「はははっ!いやぁ、愉快愉快!」
「儂は勝ったぞ!銃を向けてくる敵兵に勝った!」
「剣の時代だ!剣の時代はここにあった!」
誰もが十代の少年の様に笑い、互いに健闘をたたえ合う。ここが戦場で血と臓物が足元に散らばっていなければ、あるいは微笑ましい光景だったかもしれない。
「……ああ。剣の時代はここにあった。そして、これが最後となるだろう」
ブリュースター卿の呟きに、他の者達も頷く。
この様な手が通じるのは今日だけだ。次からはこの狂った突撃には砲弾の雨が対応するだろう。
何よりポンプアクション式のショットガンやサブマシンガンが開発されれば、塹壕の王者は変わる。剣が戦場の華となるのは、今日までだ。
「へい相棒!お待たせぇ!」
そんな中、土嚢を飛び越えて塹壕にやってきた五人の人影。
それぞれ鉄塊を背負いやってきたアリサさんと残りの四人。彼女と彼らは、自分に笑いかける。
「まだいけるかい?」
「───無論です」
そう、今日までだ。
この日だけは、剣こそが戦場に咲く華となる。鎧兜を纏った騎士たちが、刃を振るって敵陣を食い破るのだ。
狭い塹壕の中だけで咲く、血と泥まみれの鉄の華。そんな狂った華は、今日だけの特別なもの。
その咲き誇る様を見る為に、残り四人も笑みを浮かべて鎧を纏ってやってきた。
アリサさんやブリュースター卿達に自分も装甲をつけてもらい、腰の縄を一瞥する。
「準備は良いですか?」
「応とも!!」
「いつでも良いぞ、剣爛殿!」
遠足に向かう子供の様に吠える時代に置いていかれた者達に、こちらも兜の下で笑う。
今は動けないブリュースター卿達も、この次の突撃には参加してやろうと各々応急処置をしながら自分達に笑っていた。
「合図を頼みます、相棒」
「まっかせなさぁい。位置についてぇ……」
塹壕の淵に、指をかける。そして爪先を土の壁に軽く食い込ませた。
「よぉい……!」
────ダァァン!!
銃声と共に、風となった。
────剣が華となったその日。
帝国は東部戦線において第一、第二、第三の塹壕を喪失。新たに作った第四、第五の塹壕まで押し込まれた。
失った兵は五万を超え、うち一万は斬殺されたものである。対して王国の被害は三ケタを超えた程度。
血と泥にまみれた、この世の地獄である塹壕戦。短期決戦などありえないはずの戦場で、しかし王国軍は大きな一歩を踏み出した。それも、ありえない程に少ない犠牲で。
歴史の一ページに、確かにこの戦いは刻まれる。
『剣の時代の終わりであり、剣の時代でもっとも輝いた一戦』と。
読んで頂きありがとうございます。
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