第百十三話 たとえ仇花を咲かす事になったとしても
第百十三話 たとえ仇花を咲かす事になったとしても
「……流石に、この場でいい案は浮かばないか」
「……申し訳ございません」
黙り込んでいた自分達に、准将閣下が語りかける。
「いや、いい。アリサ、シュミット。君達は一度直接前線の様子を見てくるといい。塹壕線より前に出なければ、相手も撃ってはこないだろう。軽く見て回って何も浮かばない様なら、公爵領に向かいなさい」
「……はっ」
「もう一度言うが、責める気はない。何か出れば儲けもの程度の話だ。君の活躍する場所は他にある。そちらを期待するとも」
そうして、准将閣下の部屋を後にした。
建物を出て馬車に乗り、ため息を吐く。
「かなりへこんでるね、シュミット君」
「それはまあ。状況の切迫性は理解しているつもりです」
隣に座るアリサさんに答え、馬車の窓から外を眺める。
戦場だと言うのに銃声も砲声も碌に聞こえず、兵士達の雰囲気はどこか和やかでさえあった。
八十人以上が死んでいる戦場ながら、万単位の軍隊が集まってその被害はやはり少ないのだろう。
死ぬかもしれないと顔面蒼白にしていた者達も、これには気が抜けてしまったらしい。
「どうしたもんかねぇ」
「本当に……そうですね」
アリサさんに答えながら思考を巡らせる。
いっそ、今ある殺しの経験を戦術等の技能に割り振るか。そうすれば自分はたちどころに諸葛孔明やナポレオンの様な戦上手になれるだろう。
だが、そもそも指揮権がない。
この身はただの名誉騎士であり、士官学校すら出ていないのだ。自分の兵士と呼べる存在などいない。
准将閣下を説得して兵隊を借りられたとしても、それは彼の率いている者のみ。
公爵領の常備兵はおよそ五千人。そのうち四千をこの戦場に連れてきているとの事だが、相手は二十万だ。それこそ、孔明だってこの戦力差を覆すのは無理だろう。
他の貴族の兵を借りるのは無理だ。この世界において兵士とは貴族の財産である。階級が上の准将が大佐や少佐に命令しても、『素人の指揮に従え』などと聞くはずがない。
ではどうする。単身剣を振り回して斬り込むか?それでどうにかなるのは聖女やセルエルセス王だけだ。
「……アリサさん、何か思いつきませんか?」
「さっぱり。私も軍事に関する教育は受けていないからねぇ」
そりゃそうである。
「いっそ、マジで公爵領に行く?ここにいるよりは出来る事もあるかもしれないけど」
「……前線の様子を見てから、考えましょう」
そう答えるものの、自分の天秤はその選択肢にかなり傾いていた。
戦場に行くのだとハンナさんやアーサーさんに言っておいて、我ながら格好の悪い話である。
何より、この世界の危機に何もできない状況というのが歯がゆくて仕方がない。
「時に相棒」
「なんです?」
「お父様と話していた『例の兵器』ってなにさ。私、知らないんだけど?」
「公爵家の中でも機密事項らしいので、僕の独断では喋れません」
「私は公爵令嬢なんだが?」
「王都に店を構える商家の家出娘じゃありませんでしか?」
「ぐぅ」
そんな馬鹿な会話をしながら、馬車は前線へとたどり着く。
流石にこの辺りはピリピリとした空気と強い硝煙の臭いが立ち込め、泥に紛れて血の臭いまで漂っていた。
こちらに兵達の注目が集まるも、下士官と思しき人間の怒声ですぐに彼らは視線を前に。帝国側に向ける。
准将のいた建物から出る時に借りた双眼鏡で、川の向こう側を見る。
やはりというか、川が広い。水深はそこまでではないが、膝あたりまではある。人間を押し流すには十分な深さだ。
集団で進めば流されずに済むかもしれないが、川から百五十メートルほど離れた位置に敵の塹壕が見える。
そこにはガトリングガンと機関銃が混ぜこぜで配備されており、積み上げられた土嚢越しに王国側へと銃口が向けられていた。
他にも大砲まで見えている。川の幅はこの位置だと二百五十メートル。川から塹壕までの距離も帝国側と同じぐらい。
ならば約五百五十メートル。その間、遮蔽物などない。そんな空間を駆けて敵陣に斬り込むなど自殺行為だ。
……飛行魔法を使うか?
しかし、十中八九落とされる。
帝国はヴィーヴルの存在を警戒していたはずだ。あのゲイザーはあの国の黒魔法使いが関わっていると考えた方がいい。
であれば、飛行戦力に対する警戒をしているだろう。どれ程の武装があるのかは知らないが、テスト飛行もしていない自分に回避しきれるとは思えない。
そう、テスト飛行もまだなのだ。里から帰って、その時間すらも取れていない。故に夜間飛行も厳しいだろう。こんな事ならヴィーヴルの里で練習しておくべきだった。
考えれば考える程、自分に出来る事が思いつかない。
そんな事を考えていると、少し遠くから何か言い争う様な声が聞こえてきた。
いったいどうしたのかとそちらに視線を向け……そっと、自分の眉間を揉んだ。
「アリサさん」
「何かな、相棒」
「なんか……奇怪な格好をした人達が見えるのですが……」
「奇遇だね、私もだよ。どうやら幻覚ではなさそうだ」
遠目にもわかる奇妙な『鎧』を着た集団。彼らは士官相手に食って掛かっている様だ。
「じゃから!儂らに突撃させろと言っている!」
「だから!無謀だからやめろと言っているのです!!」
士官の方は肩の装飾から見て大尉といった所か。軍帽にコート姿の、普通の恰好である。
彼と相対する人達は……何と表現すればいいのか。体中に『盾をくっつけている』とでも言えばいいのか?
分厚い盾を胴体の前面に括りつけ、顔面も同じような盾を兜の前につけている。更に甲殻類の様な籠手と具足までつけており、腰にはサーベルを下げていた。
そうして見ていると、胴体の盾に貴族の紋章らしき物が書いてある事に気づく。
「父上。貴方ももう隠居した身。その様な『ふざけた格好で』戦場に出ないでください」
「なにをぉう!?年寄扱いするでない!」
「そうじゃそうじゃ!」
「まだ『剣の時代』は終わっとらん!!」
辟易とした様子の大尉に、盾の集団が怒鳴り声をあげていた。
「これを見よ!ブリュースター家専属鍛冶師に作らせた特別製の鎧だ!ライフルの弾さえ弾き、拳銃程度では傷一つつかぬ優れものよぉ!」
「然り!これを着た我らを阻める者などおらん!」
「そもそも我らは貴族!戦場で散るのは誉である!」
「故に、出撃許可を出せ!帝国の弱兵どもに目に物見せてくれる!!」
そう吠える彼らに、大尉は無言で先頭の御仁を突き飛ばした。
不意打ちだったから……だけではあるまい。あの兜では前が碌に見えていなかったのだろう。
肩を強く押され、謎の集団はドミノ倒しの様に地面へと転がった。
「ぐぉぉ!?」
「き、貴様、何をする!」
「どけ!潰れる!」
「……父上。それにご友人の方々。寝言を言いたいのならそのまま寝ていてください」
冷たい目で謎の集団を見下ろしながら、大尉は続ける。
「剣の時代など、とうの昔に終わったのです」
「ぬぅ………」
「鎧で銃弾を防ぐ事はもう出来ません。少なくとも、強化魔法を使ったとしても人間に着て動ける程度の鎧ではね」
軍帽を被り直し、大尉が手を差し伸べる。
「貴族が真っ先に死ねば士気に関わります。何より、私としても親が『無謀な突撃』で死ぬのは見たくない。どうか、後方にて助けとなって下さいませんか?経験豊富な方々に、兵站の管理などをお願いしたいのです」
柔らかい声でそう懇願する大尉に、謎の集団は数秒ほど沈黙する。
そして、かなり重そうにしながらも自力で立ち上がった。
「一人で立てるわい」
「若造めが……儂らとて……」
「やめよ。兵達が見ておる」
明確に肩を落とした様子で、どこかへと去っていく謎の集団。その背中を見送り、アリサさんに尋ねる。
「あの、彼らは?」
「家紋からしてブリュースター男爵家かな。特にこれと言った特産物はないけど、昔は騎兵突撃で有名だったらしいよ」
「騎兵突撃、ですか」
「うん。ただ、鉄砲の発達でどうしてもね。それでも武門の家だけあって、優秀な軍人を何人も排出している家だって聞いたよ」
「なるほど……」
言い方は悪いが、『過去の栄光』という事か。
確かにあれだけ分厚い盾……鎧ならライフル弾でも多少は防げるかもしれないが、衝撃まではどうしよもない。鎧が無事でも装着者が戦えなくなるのなら意味がないだろう。
何より、あんな目立つ格好の奴がいたらガトリングガンや機関銃を向けられるのは確実だ。そうなればひとたまりも無い。
だが……『剣の時代など、とうの昔に終わった』、か。
腰の剣を撫で、小さくため息をつく。
やはり、自分に出来る事などこの戦場にはないのかもしれない。
そう思い踵を返した時、塹壕の様子が見て取れた。
元々あった塹壕。一本目から三本目までは意外なほど幅が広かった。新しく作られた四本目の塹壕などは幅一メートルちょっとなのに対し、三、四メートルはある。
小競り合いだけだった頃に掘ったものだから、兵や物の移動のし易さを考えて太くしてあるのかもしれない。
だからどうしたという話なのだが、妙に気になった。
「……あっ」
「シュミット君?」
数カ月前。アリサさんと出会ってまだ間もなかった頃に、一度だけ『この世界の戦場で自分が戦うとしたら』と考えた事がある。
その際に、とある奇策を……いいや。
奇策と呼ぶのも憚られる、狂策を考えたのだ。ただし、あまりにもリスクが高かった上に当時は戦場に立つなど考えていなかったので、すぐに忘れ去ってしまった。
それを、今になって思い出す。
「……アリサさん。あのブリュースター男爵家と公爵家の関係は?」
「関係って、お爺様が街の管理を任せている貴族の一つだけど……」
「つまり、ある程度は話を通せるのですね?」
「そりゃあ勿論。何か思いついたの?」
悪戯を考える子供様に笑う彼女に、苦笑を浮かべながら頷く。
「我ながら、馬鹿の極みの様な作戦ですが」
とりあえず───准将閣下に、話を通すとしよう。
* * *
サイド なし
「はぁ……」
何度目かになるため息が室内に響く。
貴族用の宿舎の一室。戦場からほど近い位置にあるその建物で、鎧を脱いだ初老の男達がお通夜の様な空気を漂わせていた。
この部屋に集まった八人の男達は、皆武門の出である。馬術、剣術、槍術。そして兵の指揮等、戦場に関するあらゆる技術と知識を骨身にしみ込ませてきた。
だが、ここ十数年。いいやもっと前から、戦場というものは変わってしまっていた。
マスケット銃が実戦で使われる様になり、既存のプレートアーマーはただの的になり下がった。
それでもと分厚い胸甲と兜を身に着ける事で騎士たちも対抗したし、何より魔法がある。
強化魔法で引き上げた筋力で、これまでより重い鎧を纏い銃弾を弾き飛ばす事もできた。
───ライフルが出来るまでは。
ライフルの弾を前にしては、一個人が使える強化魔法の出力で支えられる鎧など紙同然。赤子の手をひねる様な簡単さで、武器など持った事もない農民が優れた騎士を殺す。
最近は『機関銃』まで実戦投入される様になった。
騎士が槍と剣を手に突撃する時代は、とうの昔に終わっている。
「……やはり、剣では銃に勝てんのか」
ぼそりと誰かが呟き、それに誰も言い返さない。
彼らとてそんな事はわかっている。だが、それでも諦めたくなかった。
自分達が何十年も磨いてきた技術は、何の意味もなさないなどと。先祖が築いた武の技はもはやただの『文化』でしかないなどと。
そんな事、認められるはずがない。
だが同時に彼らは戦争の専門家でもある。感情は認められなくとも、頭の方は冷静に理解してしまっていた。
「ソードマン……」
また、誰かがぼそりと呟く。
『ソードマン』
本名はジョセフ・フォン・イエーガー。イエーガー騎士爵家の三男坊であり、元保安官。
サーベル一本とダイナマイト数本で、銃を持った荒くれだろうと容赦なく斬り捨てた『生きた伝説』である。
犯罪者であり、王国貴族の恥さらしである彼の事を表立って称える事はできない。だが、彼らの様な時代に乗り遅れた者達にとってあの男は希望だったのだ。
鉄砲が何するものぞ。サーベルを持った達人ならば、如何に銃を構えた者が立ちはだかろうとも瞬く間に斬り伏せられるのだ。
そう、己を慰めては日課の剣の稽古をする。子や孫が銃の訓練をする、その横で。
そんな伝説の男も、既にこの世にはいない。
この場にいる誰もが、どうせ死ぬのなら剣を振るって死にたいと思っている者ばかりだった。
ベッドの上で、家族に見守られながら安らかに逝く事も幸せなのだろう。
だが、騎兵突撃で名を上げた家の者にとって。先祖たちの武勇伝を聞きながら育ち将来は立派な戦士になる事を夢見た彼らには───。
その思考を、ノックの音が遮る。
『失礼します。私は』
「いい、入れ」
聞き慣れない声だったが、この場でノックをするという事はどこかの士官だろう。
そう判断して名前も聞かずに答えれば、ゆっくりと扉が開いた。
何の用だと視線を向けた彼らの目に、この世のものとは思えない程美しい顔が映る。
女神が己の髪や肉を使って手ずから作り上げた芸術の様なその人物を、彼らは知っていた。
「『剣爛』……!」
ソードマンを殺した男。ソードマンを、斬った剣士。
中性的な顔立ちの彼は、しかし全身に覇気を纏わせて立っていた。
「お初にお目にかかります。シュミットと申します」
「……初めましてだな、シュミット卿。私はベンジャミン・フォン・ブリュースターだ。いったい何の用だね」
シュミットが名誉騎士に内定し、事実上公爵家の騎士である事は全員知っている。
何より、たててきた功績が功績だ。同格以上に扱う事に迷いはなかった。
「時間もありませんので、失礼ながら端的に言わせて頂きます。───私と突撃する覚悟はおありですか?」
「!?」
彼が発した言葉に、部屋にいた八人は眼を剥いた。
この男はなんと言った?突撃と言ったぞ。そう視線で互いに確認しながらブリュースターはゆっくりと問いかける。
「どういう事だね。まさか、剣を手に銃撃の中を走るという事ではあるまいな」
「まさにその通りです。ブリュースター卿。私はこれより、ライフルとガトリングガンが火を噴く中を走り、敵陣へと刃を叩き込みに行くのです」
キッパリと答えたシュミットに、ブリュースターを始め八人は訳が分からんと首を傾げた。
「その突撃に際しまして、皆さまの鎧をお譲り頂きたい。公爵領より連れて来たドワーフ達に、私に合う形に整えてもらいます」
「いや……だがあの鎧ではガトリングガンに」
「できます」
ブリュースターの言葉を遮って告げた彼の言葉に、沈黙が訪れた。
どれだけ功績を上げていようが、平民の小僧。それが隠居したとは言え男爵の言葉を遮る。
その事に、不思議と彼らは怒りを覚えなかった。
代わりに、ごくりと唾を飲む音が響く。
「……出来るのか?」
「出来ないかもしれません」
かと思えばあっさりと手の平を返され、拍子抜けした様子で八人は頬を引き攣らせた。
それを見ながら、シュミットの真剣な表情は崩れない。
「確実とはとても言えない話です。狂気の沙汰と言ってもいい。無駄死になるかもしれません。成功したとしても後に続く者がいるとも思えない、砲煙弾雨の突撃となるでしょう」
それでも。
「たとえ仇花を咲かす事になったとしても……剣を振るって死ぬ覚悟がある方は、どうか力を貸して頂きたい」
そう続けて、頭を下げる『剣爛』。
ソードマンを斬り伏せ、竜を狩った新たなる伝説。
その姿に彼らは互いの顔を見合わせた後、こう尋ねた。
「何をすればいい」
彼らの瞳には、爛々とした輝きが戻っていた。
読んで頂きありがとうございます。
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