第百十話 五年先の未来すら想像がつきません
第百十話 五年先の未来すら想像がつきません
ガタゴトと揺れる汽車の中。向けられた銃口と引き金にかけられた指を視界の端におさめながら、彼女の顔を見る。
いつになく神妙な面持ちの相棒。その海とも空とも思える紺碧の瞳が、じっとこちらを見つめていた。
「勝っても負けても不幸になる……ですか。どういう意味ですか、それは」
「……君は、聖女とセルエルセス王の遺体を両方とも見たんだよね」
「ええ」
こちらの質問に答えるでもなく話を続けた彼女に、違和感を覚える。
アリサさんは基本的に会話のキャッチボールを好む。ふざけている時や切羽詰まっている時以外は、質問を質問で返すなどしない。少なくとも、味方には。
今回はどう見ても後者だ。銃を向けられているのは自分の方なのに、彼女の方こそ断崖絶壁に立っている様な雰囲気さえある。
「どうだった、二人の顔は」
「……セルエルセス王は、あまり良い表情ではありませんでした。ですが聖女様の方は、ムカつくぐらい安らかな顔をしていましたよ」
「そこだよ」
アリサさんが、動揺からか僅かに銃口を揺らす。
「どうして、表情なんてわかったの?」
「それは、二人の顔をじっくり見る機会があったから───」
「二人が亡くなったのは、二百年前と、三百年前だよ?」
彼女の声が震える。
「二人とも人間だ。確かに特別な力を持っているかもしれない。でも生物学上は人間だったんだ。それなのに、どうしてその遺体の表情がわかると思う?」
「……魔法で遺体の防腐処理を行っているのではないのですか?」
「私もそう思ったよ。でも、違うんだ」
冷静さを取り戻そうと、アリサさんが深呼吸を挟む。
それに対し、自分は剣を抜くでもなくただ待った。彼女が動揺した様子で銃口を向けてこようが、だからどうしたと言うのか。
だって、彼女は。
「レイベル隊長……ヴィーヴルの国境守備隊の隊長さんがさ、君を待っている間、傍にいてくれたんだ。他のヴィーヴル達の殺気から守る為にね」
「そう、でしたか」
そう言えばそんな事を言っていた気がする。
「その時にね、聞いたんだ。『聖女の御遺体はどう保管なさっているんですか』って。そしたらさ、なんて答えが返ってきたと思う?」
「………」
「物理的な防御結界と、黒魔法の干渉を防止する術式だけしてあるってさ。防腐処理なんて、していないんだ」
少しだけ彼女の言葉に目を見開く。
科学的な防腐処理どころか、そういった類の魔法を使っていない?
あり得るのか、そんな事が。自分が見た聖女の遺体はそれこそ、つい今しがた死んだと言われても納得する状態だった。
「ドラゴンには、色んな伝説がある。そして、その一つにこんなものがあるんだ」
『ドラゴンに関わった者は、不老不死を得る』
……聞いた事が、ないわけではない。前世の事だが。
そして今生だと黒魔法関連かとも思う。だが、それだけではないのだろうな。
「不死身までは得られない。でも、不老なら手に入る。レイベル隊長はそう言っていたよ。彼女は、私を通して公爵家に『龍殺しを果たした後』の君の身の振り方について、ヴィーヴルの里は全面的に協力すると申し出てきたんだ」
「……つまり、貴女が言いたいのはこういう事ですか?」
いつも以上に話の内容がとっちらかっているアリサさんの言葉を、自分なりに纏める。
「貴女は、僕が龍殺しをした後に歳を取れなくなるから、手を引けと」
「……そうだよ」
紺碧の瞳がこちらを睨みつける。
「馬鹿な事を言っていると思うかもしれない。そこになんのデメリットがあるんだって。でもね。『他人と同じ時間を歩けない事』に関して、私は十年近く考えてきた。だから、その結果の孤独も察せられる」
「孤独、ですか」
「そうだよ。それに、デメリットはちゃんと存在する。龍殺しの臭いは、通常の生物にはわからなくても黒魔法に関わる存在には感知されるんだ。そして呼び寄せる。だから、聖女とセルエルセス王の遺体は今も強固に守られているんだ」
「……なるほど」
聖女の話と総合すると、別に龍を殺された事に対して『悪魔』からの報復というわけではないのだろう。
どちらかと言えば、障害物をどかせようとする程度の感覚。だが、世界をどうこうできる存在の行動だ。人間の世界からすれば、途方もない力が動くのだろう。
というか、そっちのデメリットを先に言ってほしいのだが。どれだけ動揺しているんだこの人。それとヴィーヴルもその事を彼女にではなく自分に直接言ってほしいものである。
「他人と同じ時を歩けない。その上で、常に命を狙われ続ける人。そんな人の傍に、いったい誰がいてくれるの?」
「……言いたい事はわかりました」
「わかってない。君はわかっていないんだ!」
癇癪を起こした子供の様に……いや。
この人は、まだ十六歳だったな。普段の言動や知識、容姿に能力と、年齢詐欺にも程がある相棒だった。
その事を思い出し、小さく肩をすくめる。
「では、僕が戦わないでどうやって龍を倒すのですか?やらないと人類は滅びますが」
「……私がやる」
「貴女が?」
「そうだよ。私が、ドラゴンを殺す」
真っ直ぐにこちらを見ながら、彼女は続けた。
「手柄はいらない。君のものだ。そもそも、『龍殺しの剣』を蘇らせたのは君の功績だから当然だよ。ただ、実行だけは私がやる」
「どうやって?剣を溶かして弾丸にでもするのですか?」
「……どうにかするよ。私だって、昔は龍殺しを成し遂げようと考えていたんだ」
「ご自分がどれだけ馬鹿な事を言っているか自覚していますか?お馬鹿様」
「それでも、私がやるしかない……!」
「……龍殺しを成した後、人目のつかない所で死のうとする貴女が?」
「っ……!?」
図星か。普段ならこういう駆け引きで自分に勝ち目などないが、こうも動揺されていれば簡単なカマかけにも引っかかる。
「なんで……」
「だって貴女。『死ぬ覚悟』はあっても『生きる覚悟』はないでしょう?」
この人がその不老の体を手に入れたとして、何をするか。それを少し考えてみたのだが……。十中八九、誰もいない所で死ぬだろうと予測した。
生きる覚悟と死ぬ覚悟。どちらが上等というわけでもないが、そういう所で自分達は正反対である。
僕は、死にたくない。絶対に生き延びたい。生きて、幸せを手に入れる。
彼女は、死ぬ準備をしてきた。二十歳を超えた先の未来など、考えた事もない。
幼子の段階で、『お前は生贄となって死ぬのだ』と定められたアリサさんの心境まではわからない。どんな葛藤が、絶望があったのか。その果てに如何なる決意を固めたのかなど知らない。わからない。
だが少なくともその覚悟には敬意を持っている。自分にはできない事だ。
しかし、それはそれとして。
「今まで百年の人生すら考えた事もなかったのに、殺されるまでは死なない人生なんて想像もつかないでしょうね。そのうえ、黒魔法関連の存在に狙われ続ける。周囲も巻き込んでしまうかもとなれば、耐えられないでしょう。アリサさん、寂しがり屋ですし」
「……だから何さ。君だって、考えた事があるの?終わりのない人生を」
「いいえ、まったく。何なら五年先の未来すら想像がつきません」
キッパリと答えてやる。
自分は仙人でも賢者でもないのだ。開拓村生まれの、現在は冒険者なんてその日暮らしの職業についている。
前世でだって遠い将来の事までは漠然としか考えた事がない。そんな男が、いつ死ぬかもわからない今生でどうやって未来について論じろと言うのか。
呆れたのか驚いたのか、口を半開きにしたままの彼女に続ける。
「ですが、少なくとも今の僕は生きる気満々です。泥水啜っても生きてやりますよ。というか、やりましたし」
「……一人になるのが、恐くないの?」
「たぶん恐いです。ですが、今考えてもしょうがない事なので」
未来の事などわからん。
百年後には、彼女の言う通り孤独で心が病み後悔するかもしれない。あの時相棒の言う事を聞いておくのだったと、嘆くのかもしれない。
だが、意外と平和に暮らしている可能性もある。
「そもそも、不老と言ってもこの世界にはエルフやらヴィーヴルやらとんでもなく長生きな人達がいますし。黒魔法関連に狙われると言っても、これでも名誉騎士に内定済みですよ僕は。龍殺しも成功したら、名誉ではなく本物の貴族の地位も手に入るでしょう。向かってくるなら叩き潰せる力がありますよ」
ついでに言うと、不老というのは夢がある。大概の為政者は求めてきたものだ。
故に黒魔法にまで手を伸ばす人もいるわけだから、良くない感情を龍殺しの後に向けられるかもしれない。
だが、それがどうした。敵は作りたくないが、作っちゃったのなら殴り返すか逃げるぐらいはするぞ。自分はそれほどお行儀の良い人間ではないので。
「今の僕には選択肢がある。開拓村の頃と違って、選べるんです。沢山の事を。だから、どうにかなるでしょう。たぶん」
「たぶんって……どうしてそんな楽観的なのさ」
「普段、根っこはネガティブな癖にやかましいお馬鹿様と一緒にいるせいですが、何か?」
正直、この人には感謝してもしきれない。
イチイバルに出てきて最初に出会ったのがこの人だったから、僕はこうして人に戻れたと思っている。
馬鹿みたいな道楽の為に大金を渡してきて、色んな事を教えてくれて。自分がこうしている切っ掛けは、彼女が与えてくれたものだから。
──それが例え、世界が僕に龍と戦う『理由』を作ろうとしたのだとしても、関係ない。
「僕が龍を殺します。貴女のお兄さんとか、色んな人と協力して。逆鱗をぶち抜いてやりますよ」
だから。
「その時、背中を任せますからそのつもりでいてください。なんなら、龍殺しの後にも色々頼るつもりですので」
僕は僕の為に、貴女を死なせたくない。
我ながら身勝手が過ぎる言葉をのたまって、彼女に手を差し出す。
剣士にとって命とも言える右腕。この手を握りつぶされ、詠唱も出来ない様に舌を引き裂かれたらどうしようもなくなる。少なくとも龍に挑むのは不可能だ。
そんなこちらに、アリサさんはポカンとした顔で硬直している。
差し出された手とこちらの顔を何度も見比べて、ようやく言葉を発した。
「君は……お馬鹿さんなの?」
「その首叩き落としますよお馬鹿様……!」
馬鹿に馬鹿と言われるのは流石に腹が立つ……!
売られた喧嘩を買ってやろうと左手で鯉口を切れば、彼女は慌てた様子で両手を振り回す。
「あ、ちが、そうじゃなくって!馬鹿だとは前から思っていたけど、今はそういうのじゃなくて!!」
「前から?前からと言いましたね?上等ですよ、今回はチェスやポーカーではありません。後で治してあげますから手足の一本は覚悟してください」
「なんで君の方が脅す側になってるの!?だから、今は真面目に聞いて!」
「最初から僕は真面目です。ふざけているのは貴女ですよ終身名誉お馬鹿様」
「その称号のどの辺に名誉が!?」
「『お』」
「一文字!?」
さっきまでの雰囲気はどこへやら。アリサさんがコロコロと表情を変えて馬鹿丸出しの顔になる。
うん。いつものお馬鹿様だ。
「何というか……シュミット君って、中々に変人だよね」
「貴女に言われるのは癪ですが、自覚がないわけではありません」
というか、開拓村で十数年生活していれば感覚など都会人とズレて当たり前だ。
前世の自分から見ても今の自分は頭のおかしい存在である。珍獣一歩手前だ。あの頃の生活で、一回心が壊れてしまったのかもしれない。
「はぁ……何か、色々考えていた自分が馬鹿らしくなってきたよ」
「大きな前進ですね。自覚する事は大事ですよ、お馬鹿様」
「マジで撃ってやろうか……」
「その『弾が込められていない』拳銃でですか?」
呆れながらそう言えば、彼女はパチクリと眼を瞬かせた。
「え、気づいていたの?」
「当たり前です。相棒の様子を普段から見ているのが、貴女だけだと思わないでください」
火薬の臭いがいつもより薄いし、何より銃を構えた時の手首にかかる負荷が少なかった。
銃口を向けられた段階で弾が込められていないのは察しがついた。でなければ、明らかに尋常な様子ではないアリサさんが向ける拳銃にもっと警戒していたものである。
「最初から、撃つつもりはなかったのでしょう?」
「……ああ、そうだよ。撃てるわけないでしょ、相棒を」
拳銃をホルスターにしまい、彼女が唇を尖らせる。
「君が諦めてくれないのなら、最悪色仕掛けでもする気だったさ。絶対弱いもん、シュミット君」
「はぁぁ?弱くありませんが?鋼の理性をもっているのが僕という男ですが?」
「おうヴィーヴルの里での事忘れたんかわれぇ」
「心の底からすみませんでした」
「反省しろ、まじで」
いやぁ……まさか、『舐めまわす様に見ていた』とまで表現されるとは思っていなかった。そんなに見ていたのか、自分は。
彼女らが最初から友好的だったから良かったものの、万一セルエルセス王の同類と判断されていたら即刻帰らされていただろう。
「それはそうと」
「なんだよ、話を変える気かね」
「いえ、戻す気ですが」
無手の右手を軽く動かす。
「返答を聞いていませんよ、相棒」
「……まったく」
白く華奢な手が、こちらの掌におさまる。
「君が孤独に絶望したら後ろから撃ってあげるよ、相棒」
「ええ。そちらこそ、呪いの限界がきたら痛くしない様に首を落としてあげます」
固い握手をして微笑めば、彼女もチェシャ猫の様に笑う。
「さて……」
「ん?」
握手をしている手に、更に力を籠める。
「誰が馬鹿ですかこのお馬鹿様……!」
「それまだ続いていたの!?」
「当たり前です。撤回を要求します。さもなければ離しませんよ」
「どういう脅迫だそれは!?暴漢みたいだよシュミット君!!」
「好きに言って下さい。貴女に……今世紀最悪のお馬鹿様に馬鹿呼ばわりされるのは耐えられません……!やっぱ殺します」
「待って!?左手でナイフ抜こうとしないで!?ガチじゃん!それはガチじゃん!」
「十秒の猶予を与えます。さあ、撤回を」
「はぁん!公爵家の人間は脅しになんて屈しない!そちらこそ自分がお馬鹿さんだと認めたまえ!!」
「あ゛?」
「お゛お゛ん?」
互いにナイフと弾が入っている方の拳銃に手を掛けながら、至近距離で睨みあう。
そのまま口喧嘩は車掌さんが騒ぎを聞きつけドアをノックするまで続き、先に手を離したのはアリサさんなので相棒がお馬鹿様である。
彼女の細いのに柔らかい手を握っていて緊張してしまい、魔力制御で手汗が出ない様に必死の調整をしていたがこちらの粘り勝ちだ。とりあえずドヤっておく。
それはそれとして、車掌さんには二人揃って謝った。
読んで頂きありがとうございます。
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