第五章 プロローグ
第五章 プロローグ
サイド なし
ローレシア帝国、首都『モルステッド』。
季節外れの雪が僅かながら降っているその街は、石造りの背の高い建物が多く並んでいる。
ゲイロンド王国の首都であるロンゴミニアドを上回る大きさのそこには、数多くの人間が住んでいた。
だが、そこに亜人種は存在しない。少なくとも目に見える範囲には。
なんせ帝国は未だ奴隷制が盛んな国であると同時に、亜人に対して強い差別意識を持っている国家である。要は『人間至上主義国』だ。
他の国々が奴隷制の撤廃や亜人との融和を図っている中、時代に逆行する様な国政。それができるのも、帝国が大陸でも有数の大国だからである。
その国土は大陸一。なんと大陸の北側を実質支配しているのが帝国である。
だが、国土の大半は人が住むには厳しい土地であり、開墾作業も難しい。だからこそ、奴隷制が必要だったと言える。むしろ、この国は奴隷階級がいなくては現状成り立たない。
そんな帝国の首都。その中でも一際大きな建物である城のバルコニーには一人の男性が立っており、目の前にある広場に集まった帝都市民に対して大声で演説を行っていた。
「諸君!栄光あるローレシア帝国の臣民諸君!!」
大仰に手を広げ、機械や魔法を使わずに広場中に大声を届かせる男。
現皇帝の息子にして皇太子。『ドミートリー・フォン・ローレシア』だ。
「時は来た!凱旋の時は来たのだ!我らの先祖が築き上げた、豊かな土地を取り返す時が!!」
気温は零度を下回っているというのに、広場からは熱狂的な歓声が響く。
そこに集う市民を『見守っている』秘密警察……黒いコートに犬の面をつけた男達もまた、市民と同じように声を上げていた。
「皆も知っていよう!!あのゲイロンド王国を名乗る蛮族どもが、下等な亜人共と共謀し我らの先祖から土地を奪った事を!元は神の怒りにふれ沈んだ島国の猿共が、イナゴの様にこの大陸にやってきた事を!!」
ドミートリーは両腕をそれぞれ大きく動かし、声を張り上げる。
「あの土地は本来、我らのものだった!諸君らの父祖と私の先祖が共に鍬と斧を持って開拓し、実りある大地にしたものだ!それを!奴らが突如奪い去った!!」
その様な事実はない。
現在ゲイロンド王国がある地は当時誰の物でもなかった。それは国際的にも認められている。
そもそも、ゲイロンド王国とローレシア帝国が接触したのは王国が建国し、北側へ魔の森を切り開いていった結果である。ローレシア帝国はその時、南側への開拓すら始めたばかりであった。
この世界なら、当時の事を直接知っている者達とて生きている。千年の時を生きるエルフすらいるのだから。
だが、そんな事は帝国には関係ない。帝国の歴史にはあの土地は自分達のものであり、それが海の向こうからやってきた蛮族に侵略されたとしか書かれていないのだから。
何より、この国において亜人の言葉など幼子の戯言以下の信用しかない。
「諸君らの耳にも届いているだろう!王国に亜竜が現れたと!奴らに与する獣人どもを食い尽くし、破壊の限りを尽くしたと!!」
亜竜の出現。
「そしてこれも知っているはずだ!ゲイザーが!あの魔法殺しの怪物が王国南部で出現した事も!王国貴族どもを焼き払ったと!!」
ゲイザーの出現。
どちらも帝国中で大々的に報じられた事だ。当然帝都市民は知っている。
だが、それが『どれだけの期間で、誰に倒されたのか』までは知らされていない。その事については、どこの新聞社も口を閉ざしペンを置いていた。
彼らが知っているのは、普段耳にする事もない様な恐ろしい怪物が、ごく短期間のうちに二体も王国を襲ったという事だけ。
「これは偶然か!?否!!断じて否!!強大なだけの怪物など我が帝国ほどの大国なら殺せようが、しかし制御はできん!つまり、人為的にこれらの事は起こり得ない!だが、偶然と片付けるには確率が低すぎる!!では何故か!?」
ドミートリーの演説に、誰も彼もが耳を傾けている。
この程度の寒さなど慣れていると、身に纏った厚手のコートや毛皮で冷たい風をしのぎながら、爛々とした目で皇子を見上げているのだ。
今回ばかりは誰に強制されたわけでもない。帝国民が小さい頃から聞かされていた『悲願』が叶おうとする瞬間を一秒たりとも見逃さない為に、両目を皿の様にしてバルコニーを見上げている。
「天が言っているのだ!今こそ奪われた土地を奪い返せと!あの地はお前達のものだと!我らには天の加護がついている!!」
そう言ってドミートリーが振り返れば、一人の老人が出てくる。
好々爺然としたその老人は豪華な装飾を身に纏い、錫杖をつきながら皇太子の隣までやってきた。
そして彼が拡声の魔法を使い、広場に己の声を届ける。
「帝都に住まう皆さん。私は『ローレシア正教』にて総主教をやっているギーレルです」
総主教の登場に、広場の市民達がざわめく。
それに対し総主教を名乗った老人は眼と声に力を籠めながら話を続けた。
「本日は、非常に悲しい報告を皆さんに伝えにきました。……ゲイロンド王国。あそこは既に、ヴァンパイア共の支配下にある」
老人の声は、魔法によって広場の端まで響いた。聞こえてきた内容に広場のざわめきが増す中、彼は胸にさげた陽光十字を握りしめる。
「ダミアン・ドゥ・フィレンツ。ヴァンパイアロードであるあの怪物は、己が隠れ里に大量の銃火器を隠していました。アンデッドが作れる領域を超えた、人の手でなければ作れない物が」
もう一度言うが、帝国は人間至上主義国である。
地上で最も優れた生物は人であり、人にしか作れない物の方がこの世界には溢れていると信じて疑わない。そう、教育されてきた。
故に、皇太子の横で総主教を名乗っている老人がそう言うのであれば、きっと人にしか作れない銃がヴァンパイアの隠れ里にあったのだと信じ込む。
たとえ、総主教の顔など今まで一度も見た事がなかろうとも。
「これは、ゲイロンド王国がヴァンパイアと手を組んだ……いいえ。その傘下に入った事の証明です。決して許されるべきではない蛮行だ。人類への裏切り行為なのです!!」
老人が一際大きな声を上げる。
「あの国は人類を裏切った!亜人と手を組むどころか、ヴァンパイアの下についたのです!!もとより、ヴィーヴルなどという亜人の中でも特におぞましい生物と交易を続けている!!もはや、我ら教会はあの者達を許してはおけない!!」
そこまで言って、老人は激しくせき込んだ。老体で無理な大声を出したせいだろう。
彼の背中を労わる様に優しく撫でた後、ドミートリーが声高に叫ぶ。
「皆も聞いた通り、王国は我ら人類の裏切り者だ!天は、神は彼の者らを罰せよとおっしゃっている!!つまり、我らの行いは神が保証なさって下さるのだ!!」
「おおおおおお!!」
雄叫びと歓声が混ざった声が広場に広がる。
大義がある。神の許しがある。そして、凍る事なき豊かな土地がある。
王国を攻める理由は百を超え、しかし攻め込まない理由など一つたりともありはしない。そう、帝都の者達は吠えた。
「これは正義の為の戦いだ!ゲイロンド王国を、我々が開放する!!人類の手に取り戻すのだ!!そして、奪われたものを取り戻す!!!」
「うおおおおおおおお!!」
「彼の王国を踏破した後は、周辺の亜人共を一掃する!!特にヴィーヴルは根こそぎ殺し尽くさなければならん!!あの害獣どもこそ、ゲイロンド王国とヴァンパイアをつなげた黒幕なのだから!!」
歓声が響く中、ドミートリーは右腕を高々と掲げる。
「もう一度言おう!これは正義の為の戦いだ!!天の加護は我らにあり!!」
彼を称える声が、正義の為の戦いを支持する声が、そして王国への殺意が広場に響き渡る。
帝都市民の大合唱。それを満足気に見下ろしながら、ドミートリーと総主教を名乗る老人は笑みを浮かべていた。
* * *
同刻。モルステッドのとある場所で銃声が響いていた。
「はぁ……はぁ……!」
「大使殿、もう少し……もう少しだけ頑張ってください!」
人気のない路地裏を走る三つの人影。
うち二人は神父服にボルトアクションライフルを装備した屈強な男達で、残る一人は高そうなスーツを着た小太りな初老の男性だった。
彼らが角を曲がった所で再び銃声が複数響く。そして曲がり角の壁に幾つもの弾痕が出来上がった。
「くっ……!」
最後尾にいた金髪の神父が壁に片足を押し付けて体を固定しながら、角から銃口と顔だけ覗かせて発砲。
こちらを追いかけていた秘密警察の一人の足を撃ち抜き、転倒させる。だが、その秘密警察は何事無かったかのように立ち上がった。脛をライフル弾で撃ち抜かれたというのに。
「やはりアンデッドか……!」
犬の仮面をつけた秘密警察がリボルバーピストルから鉛玉を撃ち出し、その神父を殺そうとする。
それに壁を盾にしながら神父は姿勢を落としていき、ボルトを操作。次々と秘密警察の胸を撃ち抜いていく。
もはや容赦など要らないと急所を狙った弾丸は彼らに『二度目』の死を与えたが、しかしその後ろから次々と増援がやってきていた。
「おのれ……!」
「ミゲル!」
大使と呼ばれた男を連れていた茶髪の神父が呼びかければ、ミゲル神父はすぐさま反転して路地を駆ける。
それを追いかけようとする秘密警察に、呼びかけた神父──セルゲイ神父が制圧射撃を行う。
「ひぃ……ひぃ……もう、いい……君達だけでも、逃げてくれ……!」
「いけません大使殿。貴方には生きてもらわなければならないのです」
涙目でそう言ってへたり込もうとする大使の肩を掴み、ミゲル神父が立ち上がらせた。
「生きて、貴方の国に帝国の現状を伝えてください。それが、今最もなすべき事なのです」
ミゲル神父……相方と共に帝国で戦い続けている教会戦士は、魔の森を挟んだ国から来た大使にそう言って背中を叩く。
「さあ、もうひと踏ん張りです。あと少しでゲイロンド王国の密偵と落ち合えるはず……それまで、どうにか走ってください」
「も、もう無理だ、走れない……!」
「……それでも、走ってください。我らが神は見守ってくださっています」
ライフルに弾を込め、ミゲル神父はセルゲイ神父の肩を叩いて交代。秘密警察相手に発砲する。
「大使、こちらへ」
「くぅ……!!」
セルゲイ神父に背中を押されながら、大使がまた走り出す。そして彼らが次の曲がり角に到着し、振り返ってミゲル神父に呼びかけた。
「ミゲル!」
「ふぅ……ふぅ……!」
───この二人の教会戦士もまた、既に疲労困憊であった。
大使館にいた人員で救えたのは一人だけ。アンデッド化した秘密警察を強行突破し、ここまで来たのだ。
故に、地上ばかりを注意して上を見ていなかった。
───ダァァン!!
「かっ……!?」
「ミゲルぅ!!」
ミゲル神父の胸に赤い花が咲き、半瞬遅れて銃声が響いた。
すぐさまセルゲイ神父が角から身を乗り出し、射線から予測した狙撃手の位置めがけて数発発砲。観測役ごと仕留める事に成功するも、既に他の秘密警察達の足音が迫っていた。
「待っていろ、今助けに……!」
駆けだそうとしたセルゲイ神父に、ミゲル神父が片手をあげた。
口から血を溢れさせながら、彼は銃床を地面につけ立ち上がる。
教会戦士は神父服の下に胸甲を仕込むのが通例だ。しかし、それも拳銃の弾を運が良ければ防げる程度。ライフル弾はどうにもならない。
その上、狙撃手は腕の良い兵士だった。教会戦士である彼らには、胸に受けたその傷が致命傷である事が一目でわかる。わかって、しまう。
「………!」
「っ……!」
無言のまま銃剣を取り出すミゲル神父に、セルゲイ神父が歯を食いしばりながら頷いた。
そして自分も銃剣をライフルに装着し、『狂信薬』を服用するなり左手で大使を担ぎ上げた。
体重百キロ近い大使を俵担ぎして、セルゲイ神父が駆けだす。
「ぐわっ、お、おい!彼は!?」
「……行きましょう。貴方だけは、死んでも送り届けます……!」
二人を見送りながら、ミゲル神父も薬を服用する。そして、背負っていたリュックの端から生えていたピンを抜いた。
「っ……っ……!」
声すら出ないまま、一度だけ首からさげた陽光十字を握りしめたミゲル神父。
そして、彼は振り返り様に拳銃を引き抜いて発砲。角から出てきた秘密警察を撃ち抜く。
だが多勢に無勢。撃った先から別の銃口が向けられ、あっという間に彼の身に幾つもの鉛玉が食い込む。
「ぅぅ……ぅぅうオオオオオオオオオオッ!!」
血の混じった唾をまき散らしながら、ミゲル神父は走った。味方のもとではなく、迫る敵集団目がけて。
両腕を交差させて頭を守り、間合いに入るなり勢いそのまま犬の仮面を貫いて銃剣を突き立てる。
続けて薬により強化された腕力で武器を振り回し、次々と秘密警察を薙ぎ払った。
それは、五分だっただろうか。あるいは十分だっただろうか。暴れに暴れ、しかし仮面とコートの下から腐肉を覗かせた秘密警察達のナイフが彼の体に突きたち、四方八方から余すことなく銃口が向けられる。
歪んだライフルを手に、神父は左手を後ろに回しながら笑った。
彼の唇が動くより先に、銃声が響き渡る。組み付きナイフを刺している秘密警察達ごと、他の者達が発砲したのだ。
直後、全ての銃声を飲み込んで轟音と爆炎が辺りを包んだ。
……しかし、その音は広場から聞こえる歓声がかき消して。
立ち上がった黒煙もまた、白い雪に消えていった。
読んで頂きありがとうございます。
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