第百八話 あなたの道に幸多からん事を
第百八話 あなたの道に幸多からん事を
正眼に構えたこちらに対し、聖女は八双に似た構えを取る。通常のそれよりやや上段気味の構えは、一見隙が多く見えた。
だと言うのに、自分の目には巨大な山が立ちはだかっている様にしか見えない。
相手は不死者でも黒魔法使いでもなく、世界からのバックアップは途絶えていた。それは聖女も同じ事。今自分には通常の強化魔法のみがかかっていた。
同時に、刀身に纏わせた魔力だけは維持している。
最初斬りかかった時、彼女の細首に糸一本分の傷もつける事はできなかった。それは偏に自分の力不足故である。この刃になんら不足などありはしない。故に今度は速度ではなく、全力を出す。
魔力操作も技の内。卑怯などとは言わせない。
ただ……それでも、足りないだろう。
あの時振るった時の感覚で、自分一人の力だけでは彼女の皮膚に傷一つつける事はできない事は明白。それこそ、世界のバックアップを受けたとしても実現不可能ではないだろうか。
故に、こちらがやるべき事は決まっている。
こちらの思考を遮る様に、聖女が一歩踏み出した。
「ヂッ」
彼女の桜色の唇から、信じられない程に重く低い音が出る。
───来る。
「ェェェェ■゛■゛■゛■゛■゛■゛■゛■゛■゛!!!!」
文字通りに、地が揺れ、天が割れる。地震でも起きたのかという程に地面が振動し、その声に天を覆う雲に裂け目が入った。
自分の鼓膜が破れるのを感じ取る。全身の傷口が広がり、骨のヒビが増えた。
それでも、倒れない。ただ真っ直ぐに彼女を見据える。
踏み込んだ足が、地割れを引き起こし。
一歩駆けただけで、音を置き去りにする。
耳が使い物にならなくとも、衝撃だけは伝わってきた。しかし、繰り出されるその一刀を眼で追う事はできない。
───薩摩者の初太刀は必ず外せ。
彼の近藤勇が残した言葉。それが事実なのか創作なのかは不明ながら、示現流の初の太刀が強力無比である事は記録としてハッキリ残っている。
そこには二の太刀、三の太刀も存在するが……彼女の場合、関係ないのだろう。
聖女の肉体が全てのリミッターを外して放った一撃を受けられる者がいるのなら、そこから始まるのは神話の再現だ。人間の剣技など、どれ程役に立つのか。
そして、自分はその攻撃を受けられない。
防御は、不可能。
回避も、できない。
圧倒的なまでの膂力と速度の差。それでもと、柄頭を振り下ろされる刃に合わせた。合わせてみせた。
眼で追えずとも、直前の呼吸と構えから読めばいい。そんな事は銃弾を避けた時からやっている。
問題は、その破壊力。
勝敗をわけるのは、一瞬にも満たない刹那の斬撃。
はたして、その結末は──────。
豪ッ!!!
───こちらの、敗北にて終わる。
ずるりと落ちた右腕。ぐらつく視界の中、自分の後方数十メートル先まで亀裂が走っているのが見えた。
もはや笑えてくる。ここまでの差があろうとは。
舞い上がった土煙のせいか、よく見えない。いや、これは斬られた衝撃と出血のし過ぎか。あるいは内臓がとうとう限界を迎えたのかもしれない。心当たりがあり過ぎて、逆に原因がわからなかった。
前のめりに倒れる自分を、何かが支える。
「──ッ!───ッ!!」
叫んでいる……のだろうか。振動でそれだけはわかるが、内容までは聞こえない。
瞼が落ちていく。意識が、消えて……。
「『エクス・ヒール』」
「かはっ!!」
突如動きを再開した肺が、新しく入ってきた空気に変な動きをした。ついでに口から血が飛び出した。
それを正面からシスター服に浴びているのに、目の前の相手は気にした様子もない。
「よか!!!」
「っ……」
また鼓膜が破れかけた。どうにか耳は使えるものの、鼓膜どころかあまりの大声に頭が痛い。
「よかへこじゃ!こげん太刀初めて見たぞ!お前おいの家臣ばなれい!!」
「あの……聖女様……?」
「はっ!?」
ハッとした様子で『片目』を瞬かせ、聖女が小さく咳払いをする。
そんな彼女がこちらの両肩を掴んだまま話を続けた。いつの間にかこちらの腕は両方とも揃っており、それどころか全身の傷が癒えている。
血とボロボロの衣服はそのままな辺り、白魔法で治療されたのだろう。
「失礼。少々取り乱しました。何分私は見ての通りか弱い乙女。『片目を斬られれば』動揺の一つもしてしまうもの」
この前アリサさんに鏡貰ったから、貸しましょうか?聖女様。
少なくとも自分は貴女の様な『か弱い乙女』を知らない。異世界語だろうか?それとも鹿児島弁?
「ええ……ええ。本当に驚きました」
動揺しているのだけは本当なのだろう。とてもいい笑顔で自分の右目に走る傷を撫でている。
───自分は、しくじったのだ。
防御も、回避もできない、彼女の一撃。そして、死力を尽くした斬撃だろうとあの白い肌を裂けない己の非力。
であれば、『彼女に斬らせればいい』。
振り下ろされる刃を柄頭で受け、その力を逃さずこちらの剣の振りに使用する。それを狙い斬撃に柄を合わせたものの、即興でやった曲芸など上手くいくはずもなかった。
柄頭は打ち砕かれ、僅かにそれた聖女の剣は右肩から先を切り落とした。
対して、こちらが放った頭を縦に割るはずだった刃は右目を引き裂くに終わる。脳には、切っ先が届いたか否か微妙なところ。
彼我の戦力差を考えれば大金星と言えるかもしれない。だが、負けは負けだ。善戦したとて、負けて死ぬのなら意味はない。
殺す前に傷を治すとは、何とも悪趣味な人だ。
「殺すのなら、一思いにやってください」
「はい?」
「生憎と切腹という文化は僕の頃にはなくなっていたので、やるつもりはありませんよ」
そう言いながら、左手で握ったままの剣の状態を確認する。
如何な気まぐれかは不明ながら、傷を治されたのは僥倖。誰が潔い死など受け入れるか。
どうにかして、不意を突いてこの女を殺す。死にたくない。生きて帰るのだ。
その為にも、聖女を殺す。
柄頭は砕けても、柄の大半と刀身は無事だ。戦える。殺してみせる……!
「いえ、もう終わりですが?」
「……?」
「私は今から消えますし」
「えっ」
「えっ」
心底不思議そうに首を傾げる聖女に、こちらこそ首を傾げる。
奇しくも同じ顔だけあって、鏡でも見ている気分になった。
「えっと、私、一度でも『貴方を殺す』とか『鍛える』とか言いましたっけ?」
「……いえ。『鍛えるつもりはない』とおっしゃっていましたが」
「ですよね。確かに殺しちゃったらそれまでだなと、本気ではありましたが……。どうして貴方をわざわざ死なせないといけないのでしょうか?」
「……ここまでの戦い。本気で死ぬところだったのでしたが」
「はい。殺す気でいきましたし」
……どうしよう、会話が成立しない。
そもそも『殺す』と『鍛える』を同列に扱うなとか、死なせる気がないのに殺す気で敵を差し向けるなとか、言いたい事は山ほどある。だが、何を言っても通じる気がしない。
この人、言動からしてたぶん大昔の薩摩の人だ。これがジェネレーションギャップだと言うのか……?
いや、この人が特別おかしいだけだろう。そうであってほしい。
「私は世界を救うために成仏せずに残っていました。そして、貴方と出会って思ったのです。貴方に私の力の一部を授ける事で、助けになろうと」
「それが、あの連戦であったと?」
「だって、貴方は強敵を殺せば殺しただけ強くなる異能を持っているのでしょう?」
クスクスと笑いながら言う彼女に、頬が引きつった。
「何故それを」
「一太刀受ければわかります。まあ殺す以外でも強くなれそうでしたが……他の方法を私は知りませんし、何より龍と戦うのなら戦闘経験は無駄にはなりませんから!」
……この人、恐い。
話が噛み合っていないのを察して説明はしてくれているが、何というか……色々不気味だ。
「おや、そろそろ時間でしょうか」
突然聖女がそう言って、己の手を眺める。つられて自分も彼女の手を見れば、白い粒子が綿毛の様にゆっくりと舞い上がっていく所だった。
それに比例する様に、聖女の体が透けていく。
「残念ですが、あまりお話する時間はなさそうですね。では最後に、餞別の一つも残していくとしましょう」
言うや否や、こちらの手を彼女が取る。
瞬間、体がふわりと浮いた。
「なっ……!?」
「飛行魔法。貴方の魔力量でも出来るはずです。そう言う風に作りましたから」
瞬く間に高度が上がっていき、雲の近くまでやってくる。
聖女の猿叫で裂けた雲の割れ目が広がっていき、自分達を陽光が照らし出した。
「作ったって……」
「今作った、と言えたら格好良かったのですが……事前に作っておいたものの一つです。なんせ三百年間暇でしたから。後の人に託せるものを用意できないかと、せっせと作っておりました」
照れたように、隻眼のまま笑う聖女。
日の光に溶ける様に、その身体が消えていく。同時に、この空間もまた終わりを迎えようとしていた。
「そんな……貴女は……」
正気の沙汰ではない。
いつ来るかも確信がない相手に遺すため、三百年の苦行の中新しい魔法を編み出し続けたと?
魔法とは一朝一夕で編み出せる物ではない。一流の魔法使いが一生かけてようやく一つという物だ。それもひと一人の魔力で使える飛行魔法など、前人未到の領域である。
口ぶりからしてこの魔法一つではない。誰が来るかもわからないから、色んなパターンの魔法を作り続けていたのだ。
そして、こうして発動する事で自分にも習得できる様にしている。
やはり狂って……いいや。
「───感謝します。聖女様」
それが聖人……という奴なのかもしれない。
形はどうであれ、他者の為に利害を超えた献身をする人の事を、そう言うのだろう。
「いいえ。シュミット。私の後輩。私達の第二の故郷であるこの世界を、よろしく頼みますね?」
腰から下まで消えた状態でも、聖女は笑顔を浮かべたままだった。
三百年間現世に残る為に続けていた魔力制御が、自分の刃で途切れてしまったのだ。
その事を恨むどころか祝福する様に、彼女は続ける。
「貴方がこの世界で何を見て、何を経験したのかは知りません。辛い事も、きっとたくさんあったのでしょう」
そっと、こちらの頬を撫でる手。
「ですが、良い出会いもあったのでしょうね。だって、『死にたくない』だけじゃなくって、『生きたい』と願えているのだから」
その手もまた、ふわりと消えていく。
宙に残されたのは自分一人。そして、この仮初の世界も綿毛の様に散っていく。
『貴方の道に幸多からん事を───』
そんな言葉だけを置いていって、そして。
自分は意識を取り戻す。
* * *
「っ……!」
「目が覚めたか、シュミット」
ガバリと立ち上がり、周囲を見回す。
そこはヴィーヴルの里地下にある聖女の霊廟であり、傍らにはルベウス様が立っていた。彼女の紅い宝石眼が、こちらをじっと見つめる。
「床に崩れ落ちたかと思えば、数秒程で目を覚ました。貴様……聖女に会ったのか?」
「……はい」
棺に横たえられた聖女に視線を向ける。
そこには、薄っすらと笑みを浮かべて眠っているあの人の顔があった。
「貴女に、『どうか満足のいく一生を』と。伝言を承りました」
「……そうか」
そっと、ルベウス様が棺の淵を撫でる。
「もう、貴様を思い続けるのは許してくれないのだな。ジェーン……」
彼女らの間に何があったのかを、自分は知らない。
だが、邪魔をしてはならないという事だけは理解できた。無言のまま、ルベウス様を待つ。
「……すまぬ。吾の事は気にするな。聖女が認めし勇者よ」
ルベウス様がこちらを振り返る。目隠しに、相変わらず最低限しか動かない口元。やはりその感情は読み取れない。
ただ、その宝石眼の煌めきは……語るべきではないのだろう。
「この剣は持って行け。彼女の魂が消えた今、吾にとってはただの鉄くずだ」
「……ありがとうございます。ルベウス様」
「よい。貴様には、これを持つ資格がある」
ルベウス様が蓋を閉じ、『龍殺しの剣』が納められた箱を持ち上げる。
それに対し、自分は彼女の前に跪いて首を垂れた。
「シュミット。名誉騎士シュミット。貴公の武勇を認め、聖女の剣を授ける」
「はっ」
「その道行に……幸多からん事を祈っておるぞ」
恭しく剣の納められた箱を受け取る。
中身など砕けた剣と破片だけだと言うのに、酷く重く思えるその箱を。
確かに、自分が貰い受けた。
龍を討ち、今自分が生きるこの世界を護る為に。
読んで頂きありがとうございます。
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※『よかへこじゃ!こげん太刀初めて見たぞ!お前おいの家臣ばなれい!」
意『良い青年です!こんな太刀筋は初めて見ました!貴方、私の家臣になりなさい!」
作者は薩摩エアプなので違っていたらすみません。