第百五話 私がやるべき事は、貴方を鍛える事ではありませんから
第百五話 私がやるべき事は、貴方を鍛える事ではありませんから
自分の前で礼をしたままの聖女・ジェーンに、こちらも姿勢を正す。
「お初にお目にかかります。シュミットと申します」
「ええ。それで、今日はどの様なご用件でいらっしゃったのでしょう」
顔をあげコテリと首を傾げる聖女。これまで聞いていた人柄と違い過ぎて、妙な違和感がある。
「それは───」
「ああ、いけません!私とした事が、せっかくのお客様をずっと立たせておくわけにはいきませんね」
ぽんと手を叩いてそんな事を言う聖女に、顔が引きつりそうになる。
マイペースというか、何とも調子が狂う。わざとなのか素なのかはわからないが、どうにも噛み合わない。
「よいしょっと」
彼女がそう言ってもう一度手を叩く。
かと思えば、次の瞬間周囲がまったく別のものへと変わっていた。
「っ!?」
先ほどまで教会にいたはずなのに、今は木製の椅子に座らされている。
目の前にはテーブルと、湯気の立ったコーヒー。それらを挟んで聖女が座っていた。
建物自体もどこか落ち着いた喫茶店の個室の様に変わっており、右手側には窓まであった。そこからは日の光と青々と茂った平原が見えている。
「驚きましたか?ここは私の魂の中。色々と融通が利くのです。例えば」
聖女がもう一度手を合わせる。次の瞬間、テーブルの中央にクッキーが乗った皿まで現れた。
「こういう風に、ね」
どこか茶目っ気さえこめて笑う聖女に、自分は背に汗が伝うのを感じた。
己の魂の中だから融通が利く?これはそんな簡単な話ではない。この技は体内のものを自分の意思で動かしたり形を変えるに等しい行為だ。それこそ、胃の位置を意識して変える様なもの。
魔法使いとして格が違う。かなりの経験値を白魔法に注ぎ込んであるが、それでも彼女は自分の数段上をいっている。
「うーん。やはり味までは上手くいきませんね……」
コーヒーを飲んで眉をしかめる彼女を前に、一瞬だけ舌で乾いた唇を湿らせた。
「聖女様」
「はい、なんでしょうか」
「ヴィーヴルの里長、モニカ・ルベウス様より言伝を承っております。最初に、そちらをお伝えしたく思います」
これは、後回しにしたら頭から抜け落ちるなと思い最初に伝言を伝える事にした。
ぴくりと、コーヒーカップを持っていた聖女の指が震えた。
「……彼女は、なんと?」
「───『貴女との日々はこの世のどんな宝石よりも美しかった』。と」
「………」
カチャリと、聖女がコーヒーソーサーにカップを置く。
彼女は数秒ほど目を閉じると、ゆっくりとその赤みがかった瞳を開いた。
「感謝します、シュミット。貴方のおかげで、少しだけ胸が軽くなりました」
「恐縮です」
「それと、私からも彼女に言伝をお願いします。『どうか満足のいく一生を』と、ここから生きて帰る事ができたのなら、伝えてください」
「……わかりました」
生きて帰る事ができたら、か。
覚悟はしていたが、今も穏やかな気配を纏う彼女からそう言われると違和感さえ覚える。
あまりにも自然体過ぎるのだ。先ほどの発言でさえ、気負った様子が一切ない。まるで天気の話でもしているかの様だ。
益々もって、事前に聞いていた人柄と今目の前にいる人物が一致しない。
ヴァンパイアロードであるダミアンは、聖女に怯えていた。第一エクソシストであるジョナサン神父は、聖女の勇ましさを称えていた。
そしてルベウス様は、聖女の破天荒さと恐ろしさを語っていた。
そのどれとも目の前の女性は合致しない。貞淑でありながら凛とした、シスターの見本とさえ言える人だ。ある意味では、『聖女らしい』とも評せる。
だと言うのに、何故だろうか。
自分の本能は、五月蠅い程に『今すぐここから逃げろ』と叫んでいた。
「さて」
クッキーを一つ食べ、コーヒーで流し込んで。
聖女は、こちらをジッと見つめてくる。
「そろそろ、本題に入るとしましょう。貴方は何故、私の元にいらっしゃったのですか?」
思考を切り替え、聖女の瞳を見返す。
つくづく変な気分だ。自分とまったく同じ顔が、別個の人間として目の前にいるのは。
「はい。私は、貴女の使っていた剣をお譲りして頂きたく参った次第です」
「私の剣を、ですか」
そう言って、聖女が己の腰にある剣の柄頭を一撫でする。
「これを求めるという事は、龍と戦うのですね?」
「はい。このままでは、世界が滅びてしまう。故に、どうかその剣をお譲り頂きたい」
そう言って、深く頭をさげる。
「お願いします」
机に額が付きそうなほど首を垂れた自分の肩に、そっと聖女の手が触れる。
「どうか顔をお上げください。世界の危機とあれば、教会戦士の末席を汚していた身として力を貸すのは当然の事です。ましてや、相手が龍となれば」
優しく肩を押され、それに逆らわず顔をあげる。
視線を戻せば、聖女が慈母の様に穏やかな笑みを浮かべていた。
「シュミット。貴方は、龍がどの様な存在かご存じですか?」
「……いえ。恥ずかしながら、ひたすらに強力な怪物という事しか」
「そうですか……その辺りの資料も、どこかで失われてしまったのですね」
少しだけ悲しそうに言って、聖女が続ける。
「私がかつて龍と戦う前、ある神託を受けました」
「神託、ですか?」
「ええ」
恐らく牛獣人の里でゲレルさんが使っていた物。その元祖と言った所か。
「それで見たのです。成長しきった龍の背から、現れた存在を」
「背から、現れた存在?」
何かの比喩だろうか。
まるでそんな、『蛹から蝶が出てきた』とでも言う様な表現は。
「ええ。言葉通りです。巨大な龍の背を割り開いて、姿を現した本当の怪物。真に世界を壊すもの……いいえ。世界を奪い去るもの」
彼女の言葉に、自分の表情が硬くなるのを自覚する。
亜竜でさえ、自分一人には手に負えない怪物であった。その遥か上をいくであろう龍さえ上回る怪物がいる。
聖女が戯言を言っているとも思えない。ならば……。
「『悪魔』。そうとしか表現できない災厄が、育ちきった龍から這い出てくるのです」
「それは……」
「貴方も、この世界に転生する際に女神様から聞かされたのではないですか?『世界を狙う存在がいる』と」
「……ええ」
確かに聞かされた。そして、それに対する免疫をつける為に転生者を送り込んでいるとも。
世界に異物を放り込み、世界そのものに外なる者を既知の存在とする。その為に自分達は転生させられたのだ。
「悪魔は、この世界を女神から奪う為に現れます。その際に既存の生物は根こそぎ『栄養』として食い尽くされるでしょう。龍は、彼らが放った錨の様な物。世界に悪魔の力が十分に広がった時、その錨めがけて進軍する。それが、悪魔という存在です」
「……悪魔の力が広がるというのは、もしや黒魔法とアンデッドの事ですか?」
「ええ。黒魔法は他の魔法とは起源を別にしています。悪魔が龍を媒介に世界へと干渉し、どこからともなく人々を誘惑するのです。死者を蘇らせたくはないか、他者を蹂躙する絶対的な力が欲しくはないか、と。そして、その誘惑に抗えなかった者達が黒魔法使いとなるのです」
「ではアンデッドは」
「アレらは龍の欠片が疑似的な意識をもち活動している存在です。長い時を経て力をつければ、新たな龍となるでしょう。もっとも、それは『純粋種』と呼ばれる様な吸血鬼を始めとした一部の不死者で、世に蔓延る大半のアンデッドは二次的に生み出されたか、あるいは龍の影響で出来た世界の歪みでそうなったかですが」
聖女がコーヒーで喉を潤す姿を見ながら、頭痛を堪える。
とんでもなく重要な情報が、常識であるかの様に喋られるのだ。色んな意味で頭が痛い。
どうしてそんな大事な話が残っていないのかとも思うし、新しい情報に混乱もしている。
だが、『悪魔』という存在に関してだけは不思議と受け入れている自分がいた。その事が、余計に頭痛を引き起こす。
「これらの事は書物に遺したのですが……教会には現存していないのですね?」
「ええ。現代の第一エクソシストの方も、龍とアンデッドの因果関係を疑っている程度でした。貴女の死後、聖女様に関する物を生き残りの吸血鬼や黒魔法使いが破壊してまわったらしく……」
「そうですか……」
聖女が、悲し気に目を伏せる。
「ぎばいじょがねで、いかんなぁ……」
「え?」
一瞬別人が発したのかと思うほど低い声。そのうえ上手く聞き取れなかった事もあり聞き返そうとするが、聖女は気にした様子もなく首を横に振った。
「私が死んだ後、思った以上に教会戦士は弱くなってしまったのですね。嘆かわしい限りです」
「は、はぁ……」
「ですが、私も既に死んだ身。現世の事をとやかく言う資格もありません」
自嘲する様に笑う彼女は、ここまで話をしていた姿そのままだ。
先程の低い声は気のせいだったのかと錯覚しそうになるが、前評判を考えればあちらが素なのかもしれない。
まあ、猫を被ってくれるのならその方がいいが。空を人力で飛ばされるのはごめんである。
「そう、私は既に死んだ身。本来なら潔く成仏するのが正道です。しかし、恥を忍んで現世にしがみ付いた甲斐もあったと言うもの。世界を救うための龍殺し。協力を惜しみはしません。元より、その為にこうして留まっていたのですから」
「おお……!」
ニコリとほほ笑む聖女に、思わず声が漏れる。
散々ぶっそうな試練が待ち受けていると脅されていた事もあり、こうあっさりと協力を約束してもらえるのは拍子抜けな反面、嬉しくもある。
ここから突然掌を返される事などないだろう。なんせ、『小指の甘皮ほども殺意を感じられない』。
殺意どころか敵意すらもなかった。暴力でしか語れないと言っていたルーデウスさえ、攻撃の意思などはあったのだ。
つまり、彼女は無私の心で剣を譲ってくれる。ヴィーヴルの里に来た意味はあったのだ。
これで材料全ての目途がたつ。後は剣を持って帰るだけ……の、はずなのだが。
「……」
「おや」
椅子から跳ねるように立ち上がろうとした体を理性で抑えた自分に、聖女が不思議そうに首を傾げる。
「どうしたのですか、シュミット」
「あ、いえ」
「何故立ち上がらないのですか?だって───」
彼女はコーヒーカップを口元に近づけながら、続ける。
「それで、正しいのですよ?」
「っ──!?」
椅子を吹き飛ばす勢いで立ち上がりながら抜剣。相手の左手側に跳びこむ。
聖女は腰に剣を下げたまま。あの刃渡りと腕の長さなら、彼女が抜くより先に首を刎ねられる。
不思議と一切の躊躇が頭から抜け落ちていた。本能と理性。その両方がこの女をここで殺せと叫んでいる。
本来殺さなくていい存在に、全身全霊の一振りを叩き込んだ。
「判断は及第点。技量は申し分なし。ですが」
「───えっ」
聖女の首目掛けて放った斬撃が、止まっている。
自分の意思で止めたわけでも、
「力も速さも足りていませんね」
彼女が何かしたわけでもない。
殺すつもりで放った刃は、ピタリと聖女の首で止まっている。
皮一枚裂けず、衝撃で相手の体がぐらつく事もない。シスター服のベールが風圧で揺れたぐらいで、何の変化も起きなかった。
相手は魔力など使っていない。単純な肉体の強度のみで、こちらの斬撃を防いだのだ。
「女神様がお与えになった力の種類が、私とは違うのですね。そう言えばセルエルセスと名乗っていた『小童』も、妙な力を使っていました」
ことりと、ソーサーにカップが置かれる。
「まあ、良いでしょう。私がやるべき事は、貴方を鍛える事ではありませんから。ただ、力を与えるだけです」
刃を押し込む事もできないと一歩引き、間髪入れずに眼球目掛けて刺突を放つ。
それは、彼女が片目を閉じただけで防がれた。瞼で白刃取りめいた事をされている。
ここまでくると、もはや笑えてくるな。
剣を引き、それほど広くない個室ながら距離をとって正眼で構える。そんな自分に対し聖女は立ち上がりながら、拍手を送ってきた。
「素晴らしい。これから私がやろうとしている事がわかっているのですね。本能に任せきりではない所も、大変よろしい。貴方の様な戦士が生前に、いいえ前世でも欲しかったほどです」
「……恐縮です」
心からの称賛なのだろうが、素直に喜べない。
一切の油断なく構え相手の全身を視界に収めながら、周囲の魔力の流れを探る。
何が飛んでくるのか想像もつかない。身体能力では天と地ほどの差があり、魔法使いとしても負けている。
だが何より恐ろしいのが、事ここに至ってなお、一切の敵意を感じられない事だ。
視線の動きも、呼吸も、立ち姿も。全てが親しい友人に向けるそれだ。なんの『起こり』も見えない。
だと言うのに確信があった。このまま何もしなければ、一方的に殺されるだけだと。
ふざけている。この女、それこそ愛する肉親だろうが必要と判断したら、瞬きしている間に斬り殺す類の精神をしているぞ。何の躊躇もなく、それでいて愛情をもったまま。
開拓村でもいなかったタイプの狂人だ。どちらか片方だけなら何人かいたが、両方あわせ持っている輩は初めて見る。
甘くみていた。前評判と合致しない?ああ、そうだろうとも。
「ではシュミット」
前評判で聞かされた内容など、この狂人を評するにはあまりにも『美化』されたものだったのだから。
「ちょっと、頑張ってみましょうか」
聖女が無造作に、それこそいい事を思いついたとばかりに手を合わせる。
たったそれだけで周囲の景色が切り替わる事に、もう驚かない。
「貴方にはこれから、私を含め三人……三体と戦って頂きます」
今いるのは鬱蒼とした森の中。臭いまでも再現されたそこは、細かな点こそ違うものの見覚えがある場所だった。
「一体目は、貴方が戦ってきた中で最も印象に残っている相手。二体目は、龍以外で私の印象に強く残っている敵。そして、三体目はこの私。死人と戦うのですから、『体』と言っていいでしょう」
たらりと、自分の頬に汗が伝う。
「安心してください。ここでは死んでも死ぬだけです。魂や肉体を黒魔法使いや吸血鬼に弄ばれる事はありません」
心からの笑顔でそう言い切る聖女。彼女の姿は次の瞬間には消え失せ、代わり『木々をなぎ倒す音』が聞こえてくる。
自分の中で一番印象に残っている相手だと?
そんなもの、時間的に見て『あいつ』に決まっている。その姿を鮮明に思い出せる程に、遭遇して間もないのだから。
振り返った先。そこにあった宙を浮く巨大な眼球と、目が合った。
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Q.『ぎばいじょがねで、いかんなぁ』ってどういう意味ですか?
A.鹿児島の方言で『根性が足りていない人ばかりで、いけませんね』という意味らしいです。
作者は鹿児島県民ではないので、もしかしたら間違えているかもしれません。その時は申し訳ございません。
間違っていた場合、聖女様はきっと薩摩武士とは関係ないお淑やかなシスターなのでしょう。