第百一話 見下ろす瞳
第百一話 見下ろす瞳
『ゲイザー』
この眼玉の怪物を端的に表すなら、『魔法使いの天敵』だ。
物理法則を無視するこの世の奇跡である魔法を、あの中央にある巨大な眼球は強制的に解除してしまう。あの目で見られた者も物も、例外なく魔力を乱されてしまう故に。
その上、でかいは強いを体現した様な戦闘能力に十本の触手全てに『魔眼』が備わっている。
つまり──。
「逃げろぉ!!」
遭遇戦で勝てる相手ではない。
この銃が発達してきた時代でさえゲイザーの討伐例は数少ないのだ。魔法無しでこいつと戦うのは自殺行為である。
三人とも馬車から跳び下り、奴がいる方とは反対の森へと走る。直後、自分達が乗っていた馬車に触手が殺到した。
一本一本が太さ一メートル半はあるだろう触手は、人間など容易く丸のみにする。見た目通りかそれ以上の筋力を備えているらしく、馬車は牽いていた馬ごと持ち上げられてしまった。
『ヒヒィィィィィィンン!?』
馬達の断末魔と、肉が潰れ骨が砕ける音。そして、咀嚼音。
バラバラと馬車の残骸が道に落ちていくのを後目に、全力で走る。
馬二頭を食らったというのに、まだ腹が空いているらしい。木々の上を浮遊していたゲイザーは高度を下げ、高さ二メートルほどまで降りて来た。
そして、その中央の巨大な瞳をこちらに向けている。品定めでもする様に、十本の触手も他二人を捕捉していた。
「……戦いながら引きます!」
「なんと!?」
走りながら驚きの声をあげるウォルター神父と、無言でライフルのレバーを動かして頷くアリサさん。
「あの速度では追いつかれます。なら、国境の守備隊が応援に来てくれる可能性に賭けましょう」
奴と戦うのは自殺行為。されど、死中にこそ活あり。
馬車を襲った触手の速さに、木々が折れた音が聞こえてから接敵までの時間を考えれば相手が本気でこちらを追いかけた場合、真っ当な手段ではどうしようもあるまい。
ならば、あの巨体に守備隊が気づいてくれるまで背を見せ続けるのは愚策……!
「……他に選択肢はなさそうですな。ヴィーヴルの援軍さえ来てくれれば、勝機はあります」
「幸いアレは幼体だ!中央の目玉以外、魔眼はまだ発動しない!」
「はい……!」
気合を入れ直しながら、アリサさんに答える。
あの大きさでまだ幼体であるという事には驚きだが、石化や金属崩壊の能力がないのは不幸中の幸いだ。
剣を抜き、距離を取りながら首だけ振り返る。
ちょうど、向こうも動き出した所だった。あるいは、あの口元の嘲笑に見える形は獲物の悪あがきを楽しんでいるからだとでもいうのか。あの怪物にも知性と感情があるとでも。
『■■■■■■■■ッ!!!』
哄笑にも似た叫び声と共に、触手が一斉に放たれる。
自分とウォルター神父に三本ずつ、そしてアリサさんに四本。進行方向にある木々を破壊しながら伸びてくる。
木の破片を飛び散らせながら、急速に接近する目玉と大口。それに対しアリサさんとウォルター神父は銃で、自分はピックで迎撃を試みた。
抜き打ち様に引き抜いた鉄の杭が、剥き出しの眼球に直撃する。だが、刺さらない。それでも多少の痛みはあった様で、一本は軌道が逸れた。
しかし、残り二本はこちらに迫ってくる。一本は正面から、もう一本は弧を描いて側面から食い殺さんと人に似た歯をぎらつかせて。
「ふぅ……!」
大きく息を吐きながら、木を蹴って反転。ほとんど減速せずに直線的な起動で向かってくる触手へと突っ込む。
衝突の寸前、ガチリと大きな音と共に閉じられた口を回避しながらスライディング。勢いそのまま触手へと刃を振るった。
鋼の様な硬さを持った分厚い皮膚に、みっちりと詰まった肉の感触。それを、筋繊維に沿う様にして刃を動かした。
『■■■■■■ッ!?』
ぶしゃりと血飛沫が舞い、あの哄笑めいた声に僅かながら動揺が現れた。
スライディングから通常の走りに切り替え、近くの木を『駆け上がる』。
あいにくと、山や森なら自分のフィールドだ。地の利はこちらにある……!
ほんの僅かな木の窪みと樹皮の凹凸を蹴り、一息に己の背より高い位置にある枝へ。一蹴りで折れてしまう細さだろうが構わず足場にし、森の中を疾走する。
一瞬だけこちらを見失ったもう一本へと強襲。すれ違いざまに目玉へと刃を袈裟がけに振り抜いた。
斬撃は確かに入ったものの、眼球を潰せた感覚がない。僅かに引っかいただけだ。アレを破壊するには、全体重をかけて剣を押し込む必要がある。
純粋に膂力が足りない。技量でカバーしきれない程に、彼我の身体能力に差があり過ぎる。
『■■■■■■ッ!!』
一瞬だけ悶える様に動き、すぐに先端をこちらに向けた触手。そこに、ピックで軌道がそれていたものも合流した。
それだけではない。浅かったのか、血を流している個体も平然とこちらに目玉を向けている。
やはり、一筋縄ではいかないか……!
「お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!」
視界の端で、噛みつきにきたゲイザーの触手を義手で殴り飛ばし眼球にライフルを撃ち込むウォルター神父の姿が映る。
だがライフルでも角膜は貫けず、触手が横薙ぎに振るわれ彼の体が宙を舞った。
それでも流石の頑強さと言うべきか、数秒の浮遊の後綺麗な受け身で着地するなり神父は淀みなく戦闘を再開する。
一方、アリサさんの方は驚く事に正面から触手の一本を受け止めていた。
「このっ……!」
左手で上顎を、足で下顎を抑え、口内目掛けて至近距離から発砲。出血をさせていた。
痛みに怯んだその触手を蹴り飛ばして距離をとった所に、左右から別の触手が襲い掛かる。
だが彼女はそれぞれにライフルと拳銃の銃口を向けて間髪入れずに発砲。それぞれが僅かに怯んだ事でうまれた隙間に飛び込み攻撃をしのぐ。
二人もまだ戦えている。これだけの巨体だ。守備隊も異変に気づいているはずだが……はたして、救援はいつになるか。
この怪物は頭がいい。触手同士で絡まらないかと木々をジグザグに疾走しているものの、三本の触手は巧みに互いの体を回避していた。
ニタニタと笑う触手の一本が突如軌道を変更。それに嫌な予感を覚えれば、勢いつけてそいつが横薙ぎに振るわれる。
最初に聞こえた、『邪魔だからへし折られた』と思しき生木の音を思い出す。
「っ……!」
まるで雑草でも薙ぎ払う様に木々を轢き潰して振るわれる触手。それに枝から地面へと跳びこむ事で回避。肩から背中に回る様にして受け身を取って、減速せずに走った。
だが、それでも狙いやすくはなったのだろう。先回りしていた触手の一本がこちらに伸びていた。
低く地を這うような動きから先の様な回避はできない。咄嗟に体を横に倒して地面に転がって凌げば、続いて背後から木を押し倒して別の触手が迫る。
ほとんど反射で前転と側転で回避。周囲に木々がなくなり開けた視界に、再度触手が迫ってきているのが見えた。
「しぃ……!」
それに対し、こちらも吶喊。半ばで折れた木の幹を足場に、三角飛びの要領で襲い来る触手の上を取る。
そのまま、相手の勢いも利用して斬撃を放つ。背後に血の赤を散らせながら、触手の上を走った。刃をゲイザーの肉に突き立てたままに。
数メートル駆けた所で、左右から別の触手が食い殺さんと迫ってくる。刃を上へと振り抜き、走った勢いそのまま跳躍。まだ無事な木へと飛び移り、また枝を蹴って疾走する。
「はぁ……はぁ……!」
交戦からまだそれほど経っていないと言うのに、もう息が上がってきた。これほどの強敵相手に強化魔法無しというのは、あまりにも厳しい。素の身体能力でどこまでやれるか。
これだけ斬ったと言うのに、痛みの悲鳴こそ触手はあげるものの動きに鈍りは見られない。裂かれた傷は周囲の肉が盛り上がり出血を止めてしまう。
……たとえ無茶でも、本体に攻撃を仕掛けるしかないか。
森の中を疾走しながら、視線を未だ動かない本体へと向ける。
自分が知る限り、ゲイザーの討伐報告は『本体に砲弾を撃ち込んだ』というものばかり。
傷は出血がすぐに止まるだけで、再生しているわけではないのだ。であれば、本体に大ダメージをいれれば……!
アリサさんはともかく、ウォルター神父は限界が近い。何やら薬の様な物を飲んで動きをよくしていたが、それでも焼け石に水だ。
彼が死ねば、相手にしている三本がこちらの加勢にくる。そうなれば捌き切れない。
また放たれた横薙ぎで足場の木々を失いながら、地面に着地。そして疾走。休む間もなく触手を相手に動き続ける。
何より、自分の体力もあとどれ程もつか。十分二十分とこれを続けられるとも思えない。
賭けに出る……!
乾坤一擲。その決意で突撃を敢行しようとした、その時だった。
自分達に猛攻を仕掛けていた触手が、一斉に上を向く。
何事かと自分も警戒し、剣を構えたまま視線を上にあげた。
───何かが、降ってくる。
そう認識した次の瞬間には、光の雨が降り注いだ。
『■■■■■■■■■■■■───ッ!!』
絶叫と嗤い声が混ざった様な、ゲイザーの叫び。
それをかき消す様な轟音が森に響き渡る。
「槍……?」
衝撃波から腕で顔を庇いながら、今しがた降ってきた物に視線を向ける。
光で構成された槍が、ゲイザーの体に何十本も突き刺さっていた。あの頑強な皮膚も肉も貫いて、深々とその身を抉っている。
ゲイザー本体の視線が動く度に槍は消滅した事から、魔法で形作られた物だと推察できた。だが、一体誰が……それ以前にこの威力はいったい。
直後、また天が瞬いた。それに対しゲイザー本体の瞳がすぐさま向けられ、迫る光の雨を凝視する。
ゾンッ、と空気が突如失われた様な異音。それと共に一瞬だけ奴の巨眼が暗い色の光を発する。
そうすれば降り注ぐ槍は残らず砕け散り、四散。奴に届く前にいずれも消滅した。
だが、それは見られていた方のみ。
半瞬遅れて背後から飛んできた槍が、ゲイザーが振り向くより先にその身に届く。日中だと言うのに綺羅星が如く輝くそれらは、やはり奴の頑強な肉体を容易く抉ってみせた。
再び響いた轟音と咆哮。土煙と血が混ざったものを浴びながら、巻き込まれまいと後退する。
他二人も同じ様で、ゲイザーから距離をとり大きな木の幹に身を隠した。
「来てくれた様ですね……!」
息を荒くしながらウォルター神父がそう呟いたので、どういう事だと彼に視線を向ける。
「来てくれたって、誰が……」
「これから、我らが会いに行く相手です」
その答えに合わせる様に降り注ぐ光の雨。姿を見せず多方向から放たれる攻撃に、いつの間にかゲイザーの目玉は全て潰されていた。それどころか、全ての触手がズタズタに引き裂かれその機能を喪失させている。
『■■■■■■………ッ!!』
嗤い声の様なものを上げて、千切れかけの触手を引きずりながら高度を上げ移動しようとする本体。
一番大きかったその眼玉も潰されたゲイザーに、ようやく槍を放っていた者達が姿を現した。
晴天を我が物の様に舞う、『竜の翼』。
それを動かす事もなく広げたまま、彼女らがゲイザーを見下ろす。
乗馬服を背と肩が露出する様に改造した様な衣服を身に纏った、その背と腰から蝙蝠めいた羽と爬虫類の尻尾を生やした若い女性達。
色彩豊かな髪をそれぞれ風になびかせ、額には頭髪と同色の宝石を輝かせている。
目隠しの様な黒い布で目元を覆ったその容貌はどこか神秘的で、桜色の唇は淡々と言葉を紡いだ。
「構え」
彼女らの両手が打ち合わされ、ゆっくりと左右に広げられる。
掌同士の間に出現した光の槍。それを右手で握りくるりと回せば長さが二メートルにまで伸び、引き絞る様に振りかぶられた。
「放て」
中央の女性の号令に合わせ、投擲される光槍。それらは流れ星の様に煌めいて、ゲイザーの体に殺到する。一種幻想的とも言えるそれは、しかし破壊のみを生み出した。
あの細腕から放たれたとは思えない、砲弾が着弾した様な轟音が奴と地面から発せられていく。
三十を超える槍は、遂に強大な怪物を仕留めてしまった。
あまりにも一方的な蹂躙。木の陰から羽ばたく事もなく滞空している彼女らを見上げる。
「あれが、ヴィーヴル……!」
そう呟く自分に、彼女らの宝石が向けられた気がした。
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