第九十六話 視線に追われて
第九十六話 視線に追われて
「ああ、もう着いてしまったしまったか」
イチイバルの駅で、アーサーさんが窓の外を眺め呟く。
汽車が停車しホームに降り立った自分達。それに対し彼は窓を開けて会話を続けた。
「残念だが、私はこのまま王都に向かわないといけない。シュミットと愚妹はイチイバル男爵に挨拶を……いや。そっちはやはり私から連絡を入れておく」
「え、お兄様私達への信用なくない?」
「その信用を投げ捨てた奴が言うか?」
「ぐぅ」
「本当にすみませんでした」
意地でもぐうの音だけは出したアリサさんの横で、頭を下げる。いやほんと、謝罪するしかない。
「ああ、もう怒ってはいないよ。結果的にだが、今回は全て王国にとって利となった。本当に結果的にだが。それとな」
そう言って、アーサーさんが窓から身を乗り出してこちらに手を伸ばす。
「シュミット。本当にありがとう。公爵家を代表して、君に感謝を」
「……いいえ。僕は僕の為に戦っているだけです」
彼の手を握りながら、首を横に振る。
謙遜でも照れ隠しでもない。本心から、自分は自分の為に戦うと決めている。
それが相棒の望んでいる事であり、何より僕自身がそうしたいと願った。それが偶然誰かの目的と合致したに過ぎない。
「それでもだ、友よ」
「……薄々は察していたけどさぁ」
アーサーさんをアリサさんが睨み上げる。
「お兄様。それとお爺様達もまさかとは思うけどドラゴンにいど」
───ポォォ!!
「おっと、汽車が出発してしまうな。ではな二人とも!」
「おぉい!待てや愚兄!!」
「ふーはっはっは!また会おう!我が友シュミット!ついでに愚妹!!」
「ちょっと面貸せやわれぇえええええええ!!」
「聞こえんなぁ!はっはっはっはげほ、ごほっ!?」
高笑いをしていたら汽車の窓から入った煙でせき込む公爵家の御曹司と、チンピラみたいな怒声を吐く公爵令嬢。
うん。やはりお馬鹿様一号と三号である。
「それはさておき……」
視線が、凄い。
駅のホームにいる人達がこちらを見て何やらひそひそと話しており、少し遠くにはカメラを担いだ記者らしき人物が走ってきているのも見える。
亜竜討伐。その一件の影響か。
「アリサさん、移動しましょう」
「ぐるるる……しょうがないね。騒ぎになる前に行こうか」
唸り声を上げていたアリサさんも周囲の視線に気づいた様で、記者たちとは反対方向に移動を始める。
王国の都合で英雄扱いされるのは受け入れるが、突撃取材に付き合う義理はない。
そんなわけでさっさと駅から出て、街を歩いているのだが……。
「見られていますね」
「いつも以上にねぇ」
二人揃って元々目立つ容姿だが、それでも今回は異常だ。誰もが僕の顔と、そして腰に提げた剣を交互に見比べている。
アーサーさん、いったいどれだけ噂を広めたんだ。まだそれほど時間が経っていないのにこれでは、もう一週間もしたら外出すら出来なくなるぞ。
「あ、あの!」
「……うん。何かな」
身なりの良い子供が駆け寄って来たので、しゃがんで視線を合わせる。
その少年はキラキラとした瞳でこちらを見つめてきた。
「亜竜って怪物を倒したって、本当ですか!?」
彼の質問に、街を歩いていた他の通行人も耳を傾けているのがわかる。
本音を言えばしらばっくれたい。だが、アーサーさんからの命令もある。
引きつりそうな頬を気合で制御して、子供相手だし極力優しい笑顔を浮かべた。
「うん。そうだよ。僕とそこにいるお姉さんが、牛獣人の人達と亜竜を倒したんだ」
「ほぁぁぁ……!!」
頬を赤らめて尊敬の視線を向けてくる少年。そして、この子との問答を聞いていた街の住民が一斉にこちらへ群がって来た。
一応予想は出来ていたから、ギリギリで少年が押し潰されない様に腕で庇う。
「ドラゴンを剣で殺したって本当なんですか!?」
「ドラゴンと亜竜は厳密には違いますが、事実です」
「牛獣人を傘下に加えたって言うのは!?」
「誤報ですね。彼らとは対等な関係ですから」
「サインください!!」
「その婚姻届け以外の物にでしたら」
「ぬわぁぁぁぁぁぁぁ!」
「アリサさん!?」
人の波に押し流されている相棒にギョッとするも、少年を庇っている上に周囲の圧が強すぎて身動きが取れない。
でぇい、なんだこの状況は!流石に想定外だぞ!?
「剣爛様……」
というか、大丈夫かこの子。咄嗟に自分の体に押し付ける様に庇ったが、やはりこの密集状態は体に良くないのか顔が妙に赤い。
親はどこだ、親は。
「剣爛のシュミットさん!取材を!取材をお願いします!」
「俺を弟子にしてください!!」
「どこで剣を習ったんですか!?銃より剣が強いって本当ですか!?」
「銃弾を斬ったって話聞かせてください!!」
「パンツください!!!!!!」
舐めていた。都会人の、この世界の都会人の『娯楽への飢え』を……!
* * *
「疲れた……」
あれから、とりあえず最初に質問してきた少年をどうにか親御さんに返した後ひたすら街の中を逃げ回る事になった。
現在は冒険者ギルドに逃げ込み、空いていた席に座って机に突っ伏している。
「いやぁ、災難だったねぇ」
「自分だけちゃっかり離脱しやがりました癖に、よく言いますねこのお馬鹿様……」
恨みがましく見てやれば、彼女は下手な口笛を吹きながら視線を逸らしてきた。
このお馬鹿様、波に流された後合流を図るでもなく遠目に屋台で買った串焼きと飲み物を手に自分が四苦八苦する様を観戦していたのである。
「いやぁ、これもシュミット君に都会というものを知ってもらおうと思ってだね」
「ええ、嫌という程わからされましたよ。都会人の知的好奇心を」
もしくは野次馬根性とも言う。
この世界、娯楽と言ったら演劇と本。そして新聞に祭り。テレビどころかラジオもなく、偶にだが吟遊詩人みたいなのが酒場や村々を回る事もあるとか。
結果、自分の様に話題性を持ってしまったらこうも追い回されるわけだ。今更ながら名前が広まり過ぎる事の弊害を実感している。
少し前までは『成り上がるには名声が必要』と考えむしろ取材などがあったら積極的に答えるつもりであったが、今は公爵家に名誉騎士として内定しているのだ。変な受け答えをしてしまってやらかすリスクを考えると、絡まれるのは避けたい。
流石に冒険者ギルド付近はチンピラみたいな冒険者が出入りする事もあって、街の者達もあまり近づかないから助かった。
「お二人とも、お疲れ様でした」
「ライラさん」
ニコニコと笑みを浮かべながら、ダークエルフの受付嬢兼このギルドの副ギルドマスターである彼女がやってきた。
「こちらはサービスです」
「ありがとうございます」
「頂きます」
出されたコーヒーを一口啜り、ほっと息を吐く。
それをニコニコと見ていたライラさんが、何故か自分の隣に座ってきた。
「外は凄い騒ぎの様ですね」
「ええ、まあ。御迷惑をおかけしてすみません」
「いえいえ。亜竜を討伐したあなた方を称える事はあっても、非難する事などありえません。何より、シュミットさんから話を聞きたいというのは私も同じですから」
はて。ライラさんの自分の名を呼ぶ声が妙に甘い様な?
心なしか距離も詰められ、彼女の豊満な胸が少しだけ二の腕に触れる。衣服とブラジャーのワイヤー越しながら、それでも感じる柔らかさと熱に目を見開く。
「ら、ライラさん?」
「服の上からは細く見えるのに、こうして触れると逞しい腕……ふふっ。年甲斐もなく、胸が高鳴ってしまいますね」
彼女の細い指が自分の腕を撫でていき、それがゆっくりと先端に。
手の甲までやってきた指先が、円を書き始めた。
「どうでしょう。英雄色を好むと言いますし、奥の部屋にいきませんか?時間外ではありますが、今回だけ特別です」
「い、いえ。すみませんが、そういう事は公爵家から禁止されておりまして」
「良いではないですか。アリサさんは寛容なお方。今回ぐらいはきっと見逃してくださいますよ」
「あー、ごめん。ライラさん。今回だからこそ、見逃せないわ」
アリサさんに流し目を送ったライラさんだが、否定されて首を傾げた。
「あら。何か心変わりがあったのですか?遂に独占欲に目覚めたとか」
「私と相棒はそんなんじゃないよ。ただ今回はお兄様に色々と迷惑をかけちゃったからねー。それを見過ごすのは寝覚めが悪いんだよ」
「それは残念。では、お預けという事で」
本当に残念な様子で体を離すライラさん。やばい、心臓が耳元で鳴っているんじゃないかってぐらい高鳴っている。
何となく椅子ごと移動して距離をとり、アリサさんの隣に。
「はぁ……こんな事ならもっと前にベッドへ連れ込んで滅茶苦茶にしておくべきだったでしょうか。あの頃から既にとても美味しそうでしたし」
「もうちょっと種族特性というか、そういうの抑えてねライラさん」
「ええ、勿論。他のダークエルフにも言い聞かせおきましょう。男女問わず」
思わず受付の方に目を向けたら、書類の整理をしていたダークエルフ達が一斉に目を逸らした。
誇張ではなく男女問わず。人間の職員だけ我関せずと言った様子で作業を続けている。
え、何あれ恐い。何で男まで……?
「シュミット君。ダークエルフの人達はね、『戦士を心身ともに弄ぶ事』が好きなんだ。一応、節度は護ってくれるけどね」
「そうでなければ、人間社会と付き合っていけなくなってしまいますからね。若く戦士の多いあなた方人間のいない生活など、我らには考えられませんから」
ニッコリと笑みを浮かべるライラさん。
今、前にハンナさんが『ダークエルフの変態ども』と言っていた理由が少しだけわかった。
「げっ」
そこで、ギルドのドアを開けた人物がこちらを見て声をあげた。
「あ、軍曹」
何だと思いそちらに顔を向ければ軍曹がおり、彼は自分とアリサさんを凝視して固まっていた。
かと思えば、そのまま後退してドアを閉じようとする。
「え、どこ行くんですか軍曹」
「やめろ、放せ嬢ちゃん。俺はお前らの事は知らねぇ。知らねぇから」
だがそんな『如何にも何かあります』って態度をされたらうちのお馬鹿様が反応しないはずもなく。
玩具に駆け寄る猫みたいに走っていって扉を掴み軍曹を中に引きずり込んだ。
「何やってんですか、アリサさん」
「うおぅ!?待て!俺に近寄るなシュミット!」
「え、何故ですか」
全力で逃れようとする軍曹だが、手首をアリサさんに捕まれていて動けないらしい。
彼が全力で顔をこちらから顔を背ける。
「お、俺はジミー。名前の通り地味な奴さ。軍曹?知らない。別人だ」
「いやいや。無理がありますよ軍曹。なに?どうしたの?面白い事!?」
「面白くない面白くない」
「その反応は絶対に何か面白い話だ!!」
「助けてぇ!?」
様子はおかしいが、本気で嫌がっている様だ。
とりあえずお馬鹿様の頭に全力で手刀を叩き込む。やたら頑丈な人だが、腕を剣に見立てて振るえば多少は効くだろう。
「いったぁ!?何するのさ相棒!」
「それはたぶん軍曹の台詞です」
頭を両手で押さえるアリサさんに、ようやく解放された軍曹が後ずさりする。
「と、とにかくだ。今は俺にあまり近づくな。こっちにだって事情があるんだよ」
「はあ。……何か厄介ごとですか?もし良ければ手伝いますが」
彼には初めてこのギルドに来た時、ギルド内のルールを教えてもらった恩がある。
それに何かと周囲の冒険者を気にかけてくれる人だ。そんな軍曹が困っているのなら、自分も協力したいのだが。
「……その気持ちだけ受け取っておく。お前が悪いわけじゃないんだが───」
───パシャリ!
突然聞こえて来たシャッター音。視線を外に向ければ、道端ででかいカメラを四脚に乗せた記者が一人いた。
「剣爛のシュミットさん!良ければお話を」
「てめぇ!」
その記者が言い終わる前に軍曹が駆け出し、彼のカメラを殴り倒した。
「ああっ!?」
悲鳴をあげる記者を無視して、軍曹はそのままカメラを踏み砕く。
かなり大柄な上に勢いも良かったせいか、カメラは一撃でバラバラになった。
「舐めた真似してんじゃねぇぞ……死にてぇのか……!」
「ひっ……!?」
流れる様に記者の胸倉を掴んだ軍曹がドスの効いた声を出せば、一瞬彼を睨みつけた記者も喉を引き攣らせて冷や汗を流す。
「なんだなんだ……」
「軍曹、そいつ何かしたんすか?」
「文屋にカチコミっすか?」
そこに通りがかったらしい冒険者達が集まり始めた。
完璧なアウェーに命の危機を感じたようで、記者の顔が蒼白になる。
「ゆ、許して、許してくださ……!」
「……ちっ」
乱暴に記者を投げ捨て、軍曹が舌打ちする。
「二度とここに近寄るんじゃねぇ。その面をもう一度見たら、俺は自分でも何するかわかんねぇぞ」
「ひ、ひいいいいい!?」
慌てて逃げていく記者の背中を睨みつけた後、軍曹がバツの悪そうな顔でギルドに戻ってきた。
「軍曹。今回はギルドの外でしたので見逃しますが」
「わかってるよ、ライラさん。俺も冷静じゃなかった」
神妙な面持ちのライラさんに頭を下げた後、軍曹がこちらに向き直る。
「すまんな、お前ら。俺はまあ……色々あるんだ。今シュミットは国中で注目されている。それで俺まで写真を撮られんのは、ちっとまずいんだ」
「……理由は、聞かない方が良いでしょうか」
「いいや。前に言っただろう。気に入らない上官を殴って軍を辞めたって。その時のごたごたを追求されそうでな。目立ちたくねぇのさ」
どう考えても彼の先ほどの様子はその程度の話ではないと思うが……。
しかし、苦笑いを浮かべる軍曹にこれ以上追及するのも無粋だろう。冒険者になる様な奴は、大なり小なり事情を抱えているものだ。
「わかりました。もし必要でしたら、ギルドに足を運ぶ時間も決めた方がいいですかね」
「そこまではせんでいい。ただ、緊急の時以外は俺と部下達には話しかけないでくれ。本当に、すまん」
「いいえ。こちらこそお騒がせしてすみませんでした」
ちょうど出入り口にいる事だし、自分達はギルドを出るとしよう。
「それでは、また」
「ああ。お前さんの話題がおさまった頃にな。もっとも、いつになるかわかんねぇが」
「はい。僕も既に辟易としていますが、どうにか慣れる様に努力してみます」
「おう。頑張れ。嬢ちゃんもな」
「はーい」
ヒラヒラと手を振ってギルドのカウンターに向かう彼と、一礼してそれに続くライラさん。
二人に軽く会釈をしてから、自分達もギルドを出た。
「軍曹、何かあるのかねぇ」
「さあ。ですが、こちらに何か被害があるのならともかく、そうでないのなら詮索はしない方がいいでしょう」
「それもそうだ。冒険者はそういうものだからね」
カラカラと笑うアリサさんに肩をすくめて答え、のんびりと歩く。
この辺の人達は視線こそ自分達に向けるが、近寄って来て何かを聞くという事はない。
それもまた、『冒険者だから』だ。僕もまたそのルールに守られているのだから、積極的に破りはしないとも。
「これからどこ行く?」
「ハンナさんの所へ。……その前に銀行でお金をおろしておかないと」
剣の柄を軽く撫でて、鞄の中に入っているボディアーマーにため息をつく。
亜竜との戦闘で負った怪我は全て治ったが、装備まではどうにもならない。魔法も無機物の修復までは難しいのだ。不可能ではないが、割に合わない。
「少し、憂鬱です」
「まあまあ。怒られたら一緒に謝るからさ、相棒」
「はぁ……」
それに、側室だの何だのの件もある。
ハンナさんの金物屋へ向かう足は、どうしても重くなっていた。
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