第九十五話 限度を考えろ
第九十五話 限度を考えろ
「さて……まず危ないから馬車で正座はやめなさいシュミット。そして愚妹は彼の胸元をはだけさせ様とするな。効かないから。今回はそういうノリ効かないから。座れ、二人とも」
アーサーさんに言われ、はだけたシャツを戻しながら着席する。ついで人の胸元開けてきたお馬鹿様の頭ははたいておいた。
「うん。ちゃんと座ったね。じゃあ、お話しようか」
いつもの白スーツ姿の彼が、長い脚を組みなおす。
「結論から言おう。お前達が今回やった事は、『怒るに怒れない』。なんなら、後で正式に褒めないといけなくなった」
「しゃぁっ!!」
「OK。お兄ちゃん我慢するけど次ガッツポーズしたら貴様の前歯へし折るからな愚妹?」
「はい!!」
背筋をピシッと伸ばして座り直すお馬鹿様一号。
その様子にアーサーさんは笑みを浮かべたままだ。というか、遭遇からずっとチェシャ猫みたいな笑みで顔面が固定されている。
僕でもわかる。これは、やばい。
「……平時なら、お前達がやった事は越権行為だ。如何に公爵家が身分を保証した身とは言え、シュミットが独断で教会や他家の貴族相手に私の名前を使う事は許されない。愚妹。貴様もだ。公爵家の名前を使い過ぎだ。それだけやるなら、もっと実家に顔を出せ」
「申し訳ありませんでした」
「ごめんなさい」
「通常ならシュミットは名誉騎士内定の取り消し。アリサは実家に送って謹慎処分。これでもかなり……それはもうかなり甘く見積もった場合の処分だ。これはわかるな?」
「はい」
アーサーさんは自分の金髪を弄りながら言葉を続けた。
「だが、だ。今回は状況が特殊過ぎる」
彼の大きなため息が馬車に響いた。
「帝国が始めた大規模な戦争準備と、亜竜の出現が重なる。この二百年間で今回の様な事態を想定していた者など、一握りだろう。そして、想定したからと言って完璧な対応ができる話でもない。精々が、即応できる部隊を密かに作っておくぐらいだ」
そう言って、アーサーさんの視線が自分に向く。
「君に私の言いたい事がわかるかな?」
「その……まさかその即応できる部隊に」
「そうだ。シュミットを組み込みたいと考えていた。だが、私の使いが到着する頃には二人揃って牛獣人の領域に向かっていたらしい。『無線電話』なる物の必要性を今回ほど痛感した事はないよ」
「も、申し訳ありません」
「だが、だ。私が君に声をかけて、そこから秘密部隊と合流。事に当たる頃には、亜竜は更に成長しついでに牛獣人の氏族も全滅。亜人からの王国への信用が失われ、来たる帝国との戦争では内応される可能性もあった」
もう一度、アーサーさんが盛大なため息を吐く。
「結果的に。そう、『結果的に見れば』お前達の行動はファインプレーだったと言える。随分と牛獣人の氏族に好かれていた様だが、そこもまあ、やり様はある。今回の支援部隊の指揮は私の『友人』だ。彼ならどうにかするだろう。君の名前をかなり使う事になるが、お互い様だと諦めろよ?」
「はい。寛大な御裁可、本当にありがとうございます」
これはつまり、僕の名前を牛獣人に使うからそれでアーサーさんの名前を使いまくった事についてはチャラだという事だろう。
正直、名誉騎士に内定しているだけの自分と、将来公爵家を継ぐ彼では名前の価値が天と地ほどあるが、それで許してくれるのだから感謝しかない。
「シュミット。今後君の事は『亜竜殺しの英雄』として扱う。帝国の事があるからすぐには無理だが、国王陛下から正式な褒美もあるだろう。この意味、ちゃんと考えてくれ」
「はい」
「いやぁ、よかったねシュミット君。色々大変だろうけど、私も手伝うから」
「何を勘違いしている愚妹」
「ひょ?」
「お前への話は終わっていないぞ」
「えぇ!?」
眼がとび出んばかりに驚く彼女に、アーサーさんがこめかみをピクピクと動かした。
「お前は自分から家出をした。そしてそれを母上以外の一族全員が認めた。家の名を多少なら使っても構わん。こちらもお前を一族の一員として扱うからな。だが、限度はある。そう思わないか?」
「お、仰る通りです」
「そうだな。別に、お前が私の名を使ったとしても怒りはしない。何なら屋敷が買えるような借金を私の名義で行おうと、可愛い妹への小遣いだと許してやろう。今回の一件で私の名前が出過ぎて、抜け駆けしたと他の貴族から恨まれた事もただのお茶目と流すとも」
いや、そこは怒った方がいいと思う。僕も勝手にアーサーさんの名前を使った下手人の一人だが。
薄々思っていたが、この人かなりのシスコンだな?
「それらの事は、私と公爵家ならいくらでもカバーができる。だがな……」
アーサーさんが大きく息を吸い込んだ。
「獣人の領域へ勝手に行って戦闘行動はやり過ぎだろう!?実質他国だぞ!?」
「ごめんなさーい!!」
「お前、これ下手したら、というか失敗していたらそのまま国際問題だったからな!?成功したからいいじゃんで済ませられる範囲じゃないぞ!?方々への説明とか誰がすると思っているんだ!父上と私だぞ!私はいいが、父上には本気で謝れよ!?」
「本当に、本当に反省しております!」
「それとなぁ!帝国関連で軍が動けなかったから、潰した面子はほとんどない!だが相手にも立場がある!彼らだって振り上げたくない拳を上げないといけないし、その下ろす先にも冷や汗流して考えあぐねているんだぞ!?」
「はい!その通りです!」
「そっちも私の『友人達』で抑えが効いたが、本当に今回だけだぞ!?次はマジでどうにもならんからな!?若い頃の人脈貯金なかったら、お前の残りの寿命全部母上の膝の上にしていたからな!?」
「それだけは、それだけはご勘弁を!冒険が私を呼んでいるんです!」
「やかましいわ!」
「ひぇー!!??」
遂に手が出た様でアリサさんの頭にアイアンクロウが炸裂。ミシミシと骨が軋む音がする。
凄い。あの人かなり頑丈なのに……って、それどころではなかった。
「あの、アーサー様。今回の件は自分が言いだした事でして」
「あぁん!?我が妹が君の意見に何でも従う阿呆だとでも?君を止める事もできない弱者だとでも?そう言いたいのかね、んん!?」
「いえ、頼れる相棒です」
「ならこ・い・つ・が!止めるどころか一緒に走り出したのが問題だ!!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!??」
出力が上がったらしく、アリサさんがアーサーさんの腕にタップをする。
「ギブ!ギブですお兄様!!」
「前世は知らんが今生を開拓村で育ったシュミットと、公爵家で育った愚妹では知っているものが違う。シュミットには数年後に地獄のレッスンを科すとして、この愚か者にはなんと言えば良いのか……!」
待って。今さらっと僕の将来に地獄を設置しませんでしたか?
いや、必用なのはわかっていますけども。今のままではいけない事もわかっているし、むしろ教えてもらえるのなら感謝すべきなんですけども。
この流れだと誇張ではなく地獄が待っている様にしか思えないのですが?アーサーさん?アーサー様?
「この、この愚妹……!」
「ちょ、マジやばい!何か頭蓋骨が出しちゃいけない音出し始めたよ!?お兄様さては事前に強化魔法全力でかけてたな!?ヘルプ!相棒、ヘルプ!!私の天下一プリティーな顔がピンチだ!!」
「この、この……!」
「ぬおおおおおお!?このままではもっと小顔になっちゃううううう!?」
「愚妹が……」
するりと、彼の手から力が抜けた。
「お、おう……?」
「あまり、無茶をするなとは言えない。歴代を考えれば、己の命を軽く見てしまうのもわかる。私も、お前達に危険な仕事を任せる時だってある。だがな」
アイアンクロウをしていた手が、今は優しく彼女の頭を撫でていた。
「残り数年の寿命だと言ってもな……その数年が、心の整理をさせてくれる時間なのだ。どうか、残される側の気持ちもわかってくれ……」
「その……ごめんなさい」
申し訳なさそうに目を伏せる彼女に、アーサーさんが三度目のため息を吐いた。
「シュミット」
「はい!」
「この愚妹を止めろとは言わない。だが、命を投げ出す様な行動をしたら君が斬れ。どこの馬の骨とも知らん輩に殺されるぐらいなら、妹が選んだ相棒に終わらせてほしい」
「……承知しました」
「まったく」
どかりと椅子に座り、彼は背もたれへと体を預けた。
「こっちはこれから大変だぞ。どうしてくれる」
くしゃりと前髪をかき乱してから、アーサーさんが顔を上げた。
「それで?これから面倒な書類と会談ばかりの私に胸のすく様な武勇伝は聞かせてくれないのかね?言っておくが、こっちには報告書の作成という大義名分があるのだ。朝から晩まで聞かせてもらうし、根掘り葉掘り質問するぞ」
張りつけた様なそれではない、普段通りのチェシャ猫みたいな笑顔。
そんな彼に相棒を顔を見合わせた後、自分達は亜竜討伐の経緯を話し始めた。
* * *
サイド なし
『亜竜殺し、現る』
王国、教会、そして牛獣人の氏族から発表されたこの一報に、多くの者は首を傾げた。
そもそも亜竜とは何ぞやと。そして、それが如何なる怪物かを聞き、誰もが口を揃えて『そんな怪物が誰に倒された』と問いかけた。
その問いに、各広報担当はこう答える。
『剣爛のシュミットが、亜竜を十数個の肉塊になるまで切り刻んだ』
───曰く、『早撃ちヘンリー』を銃弾ごと斬り伏せた。
───曰く、『皆殺しのサム』一味を皆殺しにした。
───曰く、『ウィンターファミリー』という海賊を海の底に沈めた。
───曰く、ヴァンパイアロードの討伐に関わっている。
───曰く、黒魔法に堕ちた貴族を斬り伏せた。
───曰く、最強無敗の剣士、『ソードマン』に剣で勝った。
冒険者となってまだ半年も経っていない若者。それが、既にこれだけの武功をあげている。
その偉業に驚愕する者、尊敬する者、疑う者、嫉妬する者。反応はそれぞれながら、もはや王国に彼の名を知らぬ者はいない。あるいは、他国ですら情報通と呼べる者はシュミットの顔と名前を知っていた。
銃の時代に現れた、あの『ソードマン』すら超える美貌の剣士。彼と共に鉄火場を駆けたという記者は、これまでの功績全てが真実であると記事を書いた。
街々の酒場では飲んだくれの激論が飛び交い、事の真偽が話し合われては結論が出ず、酒瓶と財布だけが空になる。
そして裏側。王国に潜む指名手配犯達は、少なくとも今回の亜竜の一件以外は全て真実だと知っていた。
ある者は王国から逃げる準備をし、ある者は狙われぬ様経歴を綺麗なものへと変え、ある者は討ち取って名を上げようと画策し、そしてある者は彼の刃で死にたいのだと挑む準備を始めている。
裏社会の者達は誰もが新たに現れた、神代の英雄じみた存在に注目していた。
それは、王国以外の裏の住民も同じ事。
「……亜竜が討たれたか」
とある国。とある建物。
青い炎の灯った燭台が並べられた、豪華さと優美さを兼ね備えた一室に彼らはいた。
玉座の様にしつらえられた椅子に、宝石と金細工の施された黒いローブで全身を覆い隠した男が慣れた様子で座っている。彼の前には、比較的質素なローブ姿の男達が跪いていた。
「やはり、エリザベートでは駄目だったか。ダミアンめ。息子どころか、娘の教育すらまともに出来ていなかったらしい。それとも、我がヴァンパイアという存在を過大評価していたのか?」
男の呟きに、誰も答えない。答える許可を貰っていない。
その尊顔を拝する事さえ不敬であると、跪いたまま面を上げる事すら出来ないのだから。
「あるいは……聖女が本当に再誕したか?それこそあり得ぬ。もしも奴がもう一度現れたのであれば、我らは既に纏めて鏖殺されているはずだ」
男がローブからぬるりと黒い鱗に覆われた腕を伸ばしたかと思えば、その手首から先が消え失せる。
断面は見えない。黒い霧の様な何かが突如現れ、そこに彼は腕を入れたのだ。
数秒して、一冊の本と共に男は霧から腕を抜いた。
革で装丁されたその本は、どこか異様な雰囲気を放っている。見た者に否応なく嫌悪感と怖気を走らせるだろう本。
だが、そもそもこれを『目にする』事が出来る者はほんの一握り。何故ならば、この世に実在はしていないのだから。
無いはずの本。世界の外にある深淵を知る者のみが触れられるそれを開き、男はゆっくりと丁寧にページをめくる。
「……亜竜が死んだ場所で、聖女の力が使われた残滓があるな。しかし、あまりにも微弱。ただの模倣、いや劣化版か。教会め、あの女の血族でも隠していたか?」
そう呟いて本を閉じ、男は背もたれに体を預ける。
「まあ、よい。あの娘も最低限の役目は果たした」
亜竜を草原に放ったこの男は、それが討たれた事を何ら危険視していない。
何故なら、彼女を王国の方へと放った理由は破壊ではないのだから。
「『剣爛』……所詮人の子。女神の代行者だったあの女とは比べる程でもない。無論警戒は必要だ。しかし、あの女の様な力は、ない。人間の兵士だけで十分に対応できる」
断言し、男は本を黒い霧の中へと戻す。
かつて、ヨルゼン子爵が大事に持っていた物と、同じ装丁のそれを。
「あの男に、真の龍は殺せない。聖女の出来損ないに、邪魔などされるものか」
男がひらひらと手を振れば、跪いていた者達が音もなく退出していく。
真の龍。亜竜の先にいる存在。ドラゴン。この世界で最も強力な怪物。───この世界の外で作られた、『錨にして幼体』。
「我らの悲願はようやく叶う。そうだろう、我が友人よ」
虚空にそう呼びかけて、男は笑った。
「王国に破滅を。大陸の統一を。世界の天地全てを我が手中に。そして、親愛なる友人よ。貴方に全てを捧げよう」
ローブで隠れたその顔。薄い肉が辛うじて残る骨と皮だけの口元が弧を描く。
正気など欠片も感じ取れない、歪な笑みを。
「願いが叶う。先祖代々の願いが、我の願いが……貴方の願いが」
誰もいない空間で笑い続ける男。しかし、彼には己の傍に立つ友人の姿がはっきりと見えていた。
『■■■■■■……』
黒い靄で作られた、底知れぬ怪物の姿が。
読んで頂きありがとうございます。
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