第九十三話 宴
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第九十三話 宴
夜。白い月が照らす中、天幕が囲う大きな空間には木が積まれてぼうぼうと燃えていた。
立て掛ける様に組まれた焚火が照らす中、牛獣人達が自分が天幕から出てくるのを今か今かと待っている。
「……緊張してきました」
「今更何言ってんのさ、シュミット君」
天幕の中で青い顔をする自分に、アリサさんが呆れた様子で肩をすくめる。
「いや……僕、こうも注目されるのは慣れていなくって」
「えー、街や村で歩く度に視線を独り占めしてるじゃん。この美人さんめ」
「そこはせめて色男と言ってください。今回のは、その、違うじゃないですか。視線の種類が」
街中で向けられるのは好奇というか、『珍しいものを見た』とでも言いたげな視線がほとんど。偶に本気で見惚れている様なリアクションもあるが、大半は眼でこちらの顔を追ってくる程度だ。
だが今回は歩いてすれ違うでもなく、自分を待ち構えている状況である。それも、何か期待するような眼で。コッソリと外を見たが、十にも満たない子供なんかはヒーローショーの寸前みたいに瞳をキラキラとさせている。
敵意でも狂気でもない、純粋な好意の視線。それがこうも集まるのは、前世と今生合わせても未経験のものだ。
正直吐きそうである。お腹痛くなってきた。
「緊張で眩暈がしそうなんですが……今からでも体調不良という事で僕は引っ込んでいてもいいですかね」
「ラインバレル公爵家の娘として言うね?そんな事したら後でお爺様にチクるよ?」
「ぐぅ……」
主家にそう言われれば逆らえる状況ではない。『お前家出娘だろ』という言葉はぐうの音で飲み込んだ。
確かに宴への参加に頷いたのは自分である。しかもアリサさんの配慮を遮る形で。
ならば、腹をくくるしかあるまい。
「すぅ……よし。行きます」
「応、行こうか」
アリサさんに軽く背中を叩かれ、彼女と共に天幕を出る。
瞬間、大音量の歓声が四方八方から飛んできた。
「亜竜殺しのシュミット!」
「我らが英雄!草原の勇者!」
快活に笑いながらそう声を上げる戦士達。
「ありがとう!本当にありがとう!!」
「きゃー!シュミット様ぁー!!」
感謝と黄色い声を上げる女性達。
「うおぉぉ!うおぉぉぉぉおおお!!」
「頼む!一回でいい!俺と、俺と戦ってくれ!斬ってくれ!!」
「ふしゅー……!ふしゅー……!ぶぉお゛お゛……!」
なんかヤベー奴ら。
一部既に酒に酔っている人達のを除いて、向けられる声援に頬が赤くなるのを自覚する。
まだ宴の前なのに酔っているはずがない?黙れ理性。現実を正しく認識するな。
アリサさんにも感謝の声などはあったのだが、彼女は涼しい顔で聞き流し手を振り返すなどもしている。流石は公爵令嬢という事か。
「シュミット殿。アリサ殿」
上げられていた喝采が、ゾリグ様の言葉でピタリと止まる。
彼とその親族が並ぶ場所に自分達がつくと、ゾリグ様はこちらの手をがっしりと握ってきた。
「牛獣人の氏族長として、心からの感謝を述べさせて頂きたい。あなた方のおかげで、我らはこうして今日と言う日を終え、そして明日を迎える事ができます」
「恐縮です、ゾリグ様。しかし、バトバヤルさんを始めとした勇敢な戦士達の助けがあったからこその偉業。私達だけの力ではございません」
こちらも彼の手を両手で握りながら、相棒に書いてもらった台本を必死に思い出す。
ああ、緊張で手汗とか出ていないだろうか。たぶん今、自分は耳まで赤いぞ。
「竜殺しの英雄にそう言って頂き、我らが戦士達も鼻が高いでしょう。王国と我ら。この二つの力を合わせた此度の戦いは、辛く悲しいものでしたが、得る物もあった。そう思えます」
「ええ。我らの絆は、これからも強固なものとして続くでしょう」
「その通り。改めて本当にありがとうございました。最強にして最高の剣士、竜殺しの英雄シュミット殿」
そう言ってこちらから手を離し、今度はアリサさんと握手をするゾリグ様。
「アリサ殿にも心からのお礼を。貴女が来て下さらなければ、今回の戦いには勝てなかった」
「こちらこそありがとうございます、ゾリグ様。そう言って頂き、私も『王国貴族』としての役目を果たせたのだと安心できました」
ニコリとほほ笑みながら、『王国貴族』という部分を強調するアリサさん。
今回自分達は色々と横紙破りというか、他の貴族の面子を潰しかねない動きをした。王家を始めとした面々に睨まれない為にも、その辺りの建前は重要……らしい。
あくまで自分達は『王国からの援軍』。そう振る舞わねばならないのだとか。
「ええ。ゲイロンド王国と我ら牛獣人の氏族はこれからも共に手を取り合って生きていくでしょう」
「そうですね。その様な関係が続く事を、私達も願っております」
勿論。その旨はゾリグ様達にも伝えてある。彼らとしても王国からの支援は必要であり、今後の貿易なども考えれば切っても切れない間柄であるのだ。
貴族とは、思ったより大変なのかもしれない。自分も名誉とは言え騎士身分が内定している。こうやって他人事の様に思えるのは今だけだな。
……まあ、今回の一件が元で内定取り消しの可能性もあるが。
牛獣人達の事もあるから直接ではないだろうが、色々と理由を作られて『騎士に相応しくない』と言われる可能性はあるわけだ。
アーサーさんならそう言う事はしないと思うが、それがあり得るぐらい好き勝手やったという自覚はある。
その辺りは、もう考えても仕方がないが。後悔はないし。
「では諸君!亜竜と戦い勝利した事に!」
自分がそんな事を考えているうちに二人の会話は終わった様で、ゾリグ様が奥方から渡された杯を掲げる。
「失われた命に我らの無事を伝える為に!」
続いて、ドルジさんも杯を掲げる。そして、バトバヤルさんも。
「勇敢に戦った戦士達に!それを支えた者達にも感謝を籠めて!」
自分にはゲレルさんから、そしてアリサさんには巫女の人から杯が渡された。
彼女の顔が笑顔で固定されていて一切動かないので、このお酒の『生産者』が誰なのかを察する。
相棒……一緒に堕ちような?
「乾杯!!」
「「「乾杯!!」」」
ゾリグ様の声に合わせて杯を掲げ、一気に飲み干す。
うん。味はね、少し癖があるだけでまずくはないのだ。甘くない乳酸飲料と思えば、飲めなくはない。
ただゾリグ様の逞しい胸筋が視界の隅にある事が凄まじいノイズになっているだけで。
幸い、人数が人数だから量は少ない。開拓村での生活を思い出し、喉を動かした。
隣ではアリサさんも張りつけた様な笑顔のまま飲み干している。流石は公爵令嬢……!
「さあ、皆今日は騒げ!散っていった者達を心配させぬ為にも、そして未来への希望を忘れぬ為にも!飲んで食って、楽しむのだ!」
ゾリグ様のその言葉に宴が始まり、炎の周りで歌や踊りが始まる。
……踊るのは男衆なのか。そっかぁ……。
「相棒。私達は『王国からの援軍』だからね?君、騎士だからね?」
「はい。その通りですね相棒」
決して『バルンバルン揺れるものが視たかった』とか思っていない。なので抓るのはやめてくださいアリサさん。
「シュミット殿!どうでしたかな、我らの酒の味は!」
やたらいい笑顔で話しかけてくるドルジさん。
「ええ。とても美味しかったです」
「それは良かった!いやぁ、実は今回のは私が出した乳でして……父上の物に劣っていなかったかと心配だったのです」
照れ顔でそんな事を言ってくる、身長二メートルを軽く超えるガチムチの巨漢。牛っぽい耳もピクピクとさせている。
「そんな事はありませんでしたよ、ドルジ殿。お父上にも劣らぬ、素晴らしいお酒でした」
味の違いなぞわからないが、ここはそう言っておく。
そして相棒。自分で『王国からの援軍』と釘を刺した癖にフリーズするんじゃない。僕を一人にしないで。
「おお!貴殿からそう言って頂けると私も自信がもてますな!さ、もう一杯!」
マジで一人にしないで、相棒。
「やめておけよ親父。正直気持ち悪いぞ」
「なにぃ!?」
くわっと目を見開いて振り返るドルジさんの視線の先には、チビチビとお酒を飲んでいるバトバヤルさんの姿が。
アレ、たぶん普通の馬乳酒だ。まさか自分が色合いで識別できる様になるなんてなぁ……。
「何を言うバトバヤル!これは古くから続く我らの伝統だぞ!」
「伝統伝統言うが、男の乳を人に飲ませるとか絵面を考えろよ。愛馬に飲ませるだけで十分だろうに」
バトバヤルさんが凄くまともな事言ってる……!?
「俺達の世代では客に自分の乳を飲ませるとかやらねぇよ。他の獣人からも気味悪がられてるぞ」
「そんなわけあるか!羊獣人みたいに体毛で編んだ布を送る奴らと比べて、我らは文化的だろうが!奴ら自分の毛を剃る所を見せてくるんだぞ!?全身の!」
どっちもどっちだと思う。
「はっ!何にせよ俺はやらんぞ」
「くぅ……!こうして文化は消えていくのか……!?」
消えて良いと思う。こんな文化。
「それよりシュミット殿!向こうに俺の好物がある!一緒に食おう!」
「あ、はい。頂きます」
とりあえずこれ以上おっさんの母乳……父乳?を飲まずに済みそうなので、バトバヤルさんの後に続く。
「これが俺の好物!『タルバガンの丸焼き』だ!!」
そこには、恐らく首を落とされたマーモット系の動物らしき丸焼きがあった。
「既に内臓を取り出して焼いた石と共に火で炙ってある!すぐに食えるぞ!」
巫女の人がナイフでタルバガンとやらを開けば、独特の獣臭が広がってきた。
あ、アリサさんが遠い目をしている。
「ほら、一番いい部位だぞ!」
ニッカリと純粋な笑みを浮かべるバトバヤルさん。フリーズして暫く動けなさそうなアリサさんに変わり、巫女の人が出してくれたお皿を受け取る。
「頂きます。……うん、少し独特な風味ですが、いい油ですね」
「だろう!?」
「………!?」
アリサさん。だから、その眼をやめてください。王国からの援軍であり、今は客人なんですよ僕達。
料理は文化の証。彼らが美味しいと言う伝統料理を否定するのはよろしくない。
というか、臭い以外は普通に美味しいなこれ。
「味は兎に近いですかね。でも兎よりガツンとくる感じです」
「はっはっは!やはり貴殿にはわかるかシュミット殿!ただ岩塩で味付けしただけだが、タルバガンの油がコクを出してくれる。どれ、血と油のスープも飲んで」
「かーっ!貴様、私の乳は気色悪いと言っていた癖にタルバガンは勧めるのかぁ?」
何か来た。
「んだよ、何か文句あんのか親父」
「それは王国人どころか我らの氏族の中でも苦手な者が少なくない料理だぞぉ?それを恩人であるシュミット殿たちに勧めるとは……」
「はぁぁ?少なくないって何だよ。ただの好き嫌いの問題だし、そもそも言う程苦手な奴多くねぇだろ。親父が駄目なだけじゃねぇか」
「私だけじゃないですぅ。他にもいますぅ。さ、シュミット殿!我が乳で作った酒ですぞ。口直しにぐいっと!」
「やめろ馬鹿親父!シュミット殿。このスープを飲め!おっさんの乳なんぞ忘れられるぞ!!」
「何を言うこの馬鹿息子!!」
「やんのかこの馬鹿親父!!」
ぎゃいぎゃいと始まった二人のバトルをよそに、アリサさんにも渡されていたタルバガンとやらのお皿を受け取る。
「これ、僕が頂いちゃいますね」
「ごめんねぇ、あいぼぉう……」
「いえ、お気になさらず」
というかこれ、たぶん食べ慣れている人か余程病気に耐性がないと気軽に食べるのは危ないかもしれない。
と言っても、こういう場で出てくる物なのでそう言った症例はないのかもしれないが。万一があっても自分なら耐えられるから貰うだけで、彼らの食事を特別危険視しているわけではない。
「お二人とも、どうかこちらに」
そんな事を考えながらタルバガンとやらを食べていたら、ゲレルさんがそう呼びかけて来た。
バトバヤルさんとドルジさんの所には笑顔のまま青筋をたてたゾリグ様が向かっているので、放っておいても大丈夫だろう。アリサさんと二人ゲレルさんについていった。
「こちらに王国の方でも食べやすい料理を用意しておきました。お二人とも激戦でお疲れのはず。胃腸は親しみのある食事を求めているかもしれません」
そう言って彼女が示したテーブルには、羊肉を焼いたと思しき物や燻製肉をサンドイッチにした物。他にも王国の街中で視そうな食事が並んでいた。
「ありがとうございます、ゲレルさん……!」
「いえ。どうかお気になさらず」
彼女の手を取って涙さえ浮かべ感謝するアリサさん。だから、もうちょっと内心を隠してって。
そんなに嫌か、おっさんの乳酒とげっ歯類の丸焼き。……あ、前世の自分なら拒否反応凄い気がする。
「それと、こちら水と葡萄酒です。お好きな方をどうぞ」
「ありがとう……本当にありがとう……!貴女になら安心してシュミット君を任せられるよぉ……!」
「アリサさん」
「まあまあ。宴の席ですので、私も彼女も少し酔っているのでしょう」
流石にそれはまずいと口を挟めば、ゲレルさんが穏やかな笑みで首を左右に振る。
「私もシュミット様を素敵な殿方だと思っていますが、個人の意思で決められる事ではありません。父や祖父は乗り気の様ですが、公爵家のご意向も考慮しなくてはなりませんから」
「いーや。私は貴女を推すよ。お兄様やお父様にもそう言っておく!」
無駄に力強く言い放つお馬鹿様。何度も言うけど貴女家出娘ですよね?いや公認ではあるけども。
「ふふ、ありがとうございます。アリサ様」
コロコロと笑いながら聞き流すゲレルさんに、思わず見惚れる。
何というか、今まで接した事のないタイプの女性だ。
気品があるというか、落ち着いているというか。顔もスタイルも良いが、それとは別に人としての魅力もある気がする。
こちらの視線に気づいたのか、彼女が笑みを浮かべたまま小さく首を傾げた。
「どうなさいました、シュミット様」
「あ、いえ。……その、どうですか。亜竜に対しては」
話題に困りそう言ってから、しまったと内心で頭を抱える。
宴の席で出す内容ではない。そう後悔していると、彼女は静かな笑みを浮かべた。
「草原の案内をしている時のお話ですね。……言葉にはし辛いのですが、胸の奥に刺さった針が抜ける様な思いでした」
そう言って、彼女は己の胸元に手を当てる。
「氏族長の孫として考える将来の不安。巫女として思う負傷者や戦死者への悲しみ。妹として兄の死に対する怒り。色んな感情が、堰を切った様に胸の内を渦巻きました」
「それは……」
「今は、もう落ち着いております。これも貴方様があの竜を討ってくれたおかげ。そうでなければ、亜竜に殺される前に倒れていたかもしれません」
そう笑うゲレルさんだが、自分は首を横に振る。
「いいえ。貴女ならきっと、それでも耐えられたでしょう。強く、芯のしっかりした女性ですから」
「あら。それは年頃の娘への評価として如何なのものでしょう。か弱い乙女を自分が支えるぐらいは言っても良かったのでは?」
「え、あ、それはですね」
「ふふ、失礼しました。ただの冗談です」
楽しそうに笑うゲレルさんに、自分の耳がまた熱くなるのがわかる。
困った。この人に翻弄されている。あと傍でニヨニヨしているお馬鹿様の顔が凄まじくうざい。
「お馬鹿様。あっちに羊のお頭がありますよ。食べに行きませんか」
「突然どうしたシュミット君!?」
「すみません、貴女の顔がうざかったからつい……」
「色々酷いな!?」
とりあえず軽くジャブを放てばいい具合に返って来たので、それで精神を落ち着かせる。
うん。顔もスタイルも良いのに緊張しなくて済むお馬鹿様はやはり凄いな。
「あの……これはお聞きしていい事なのかわからないのですが」
「はい、なんでしょうか」
不思議そうなゲレルさんが、自分達を交互に見比べる。
「お二人は婚約関係ではないのですか?若い男女が常に行動を共にしている様ですし……」
「いえ、相棒です」
「そうですね」
キッパリと答えるアリサさんに、自分も頷く。
だがゲレルさんは更に頭の上に疑問符を浮かべた。
「えっと……?」
「まあ、私には、というか公爵家には色々あるんですよ」
ケラケラと笑いながら言うアリサさんに、謎が深まったとばかりに困惑した様子のゲレルさん。
まあ、事情を知らなければ十六歳の令嬢が婚約者でもない男と家公認で二人旅をしている……などと、普通なら訳が分からんだろうな。
だが詳しい事情については、それこそ宴の場には相応しくないだろう。
「おーう!シュミット殿ー、アリサ殿ー!楽しんでるかぁ!」
そんな中、バトバヤルさんが酒瓶片手にやってきた。
「兄様。氏族長からのお説教は済んだのですか?」
「応。二人同時は面倒だから今日はもういいって言われた」
それは済んだと言えないのでは?
「それよりシュミット殿。今は妹の傍を離れん方がいいぞ」
「はい?どういう意味でしょうか」
「あっという間に囲まれて引き倒されるという意味だ」
「ほぉ……」
あまりにも剣呑な内容に警戒心を引き上げる。
「あっちを視ろ」
バトバヤルさんの言葉に、彼が指さす方向を見る。
「女達が貴殿に話しかける順番を言い争っている」
「ほ、ほぉ……」
あまりにもリアクションに困る内容に警戒心が消し飛んだ。
そちらでは十代前半から後半ぐらいの女性達が笑みを浮かべたまま、しかしここまで伝わってくる殺気を向け合っていた。
だが、自分の眼に気づくと一斉に殺気が霧散。『あらあら』『うふふ』とばかりに微笑みあっている。
正直恐い。だが、それ以上に目を引く部分がある。
おっぱいである。でかぱいである。
アリサさんの爆乳すら彼女らの中では平均サイズだとばかりの超乳の数々。これが牛獣人というものか……!
最初にゲレルさんの所へ行った時はTPOを考えて破廉恥な思考は避けていたが、やはりでかい。
ハンナさんがアリサさんを『雌牛』呼ばわりしていたが、牛獣人の女性は更に上を行く者がチラホラと……。
無敵艦隊。咄嗟にそんな単語が浮かんだ自分を、きっと前世の船乗り達も許してくれるだろう。だって船乗りの大半は男達だから。
「まあ俺は貴殿がアレら全てを相手どってくれてもいいのだがな。優秀な戦士の子供は氏族の宝だ」
「い、いえ。そういう、無責任な事はできませんから……」
「別に責任とか取らなくていいから、種だけで構わんのだぞ?子は氏族全体で育てる故」
「な、え、えっとですね」
「あー、バトバヤル殿。それはちょっと公爵家として無視できません」
彼の巧みな話術に陥落しかけていた自分に、アリサさんが待ったをかけた。
「わかっている。公爵家としてはシュミット殿ほどの戦士の血が余所に流れるのは困るのだろう。故に、奴らの暴走を防ぐためにも妹の傍を離れるなと忠告しにきたのだ」
「お気遣い、痛み入ります」
「ど、どうも……」
危ない。よもや自分の鋼より硬い理性が溶けかけるとは、侮り難し牛獣人の誘惑。
……もしや自分はかなりチョロい奴なのでは?いやいや、そんなまさか。
「さて……それはそれとしてだ、シュミット殿」
ガシリとバトバヤルさんが肩を組んでくる。
向こうに見えた桃源郷の後に野郎の胸筋が押し付けられ、自分の顔から表情が消えたのがわかる。おかげで冷静にはなれたが。
「何でしょうか」
「うちの妹は、牛獣人の中でもかなり乳がでかいぞ」
「………な、なんの事ですか?」
「氏族長や親父から公爵家に話は行くだろうが、個人的に文通ぐらいなら構わんだろう?」
「そ、それはそうかもしれませんが」
「妹はなぁ。昔から巫女としての力が強すぎるのと、氏族長の孫という事で中々周囲と馴染めない子供だった……。見知った相手と成長してから友になるのは難しい。貴殿の様な新しい出会いというのは貴重なのだよ……」
さも自分は妹想いの良い兄ですという口調で、そんな事を言ってくるお馬鹿様四号。
くっ、僕は屈さないぞ!!
「兄様。また変な事を言っていませんか?」
「いいや、何も。あ、すまん。酔って手が滑ったぁ」
「え、ちょ」
どんっと思いのほか強く背中を押されたたらを踏む。完全に油断していた事もあって、数歩進んでしまった。
結果。
「むおっ……!」
「きゃっ!」
天国にぶつかった。
たっぷりと詰まった肉の感覚。しかし硬いという印象はない。むしろ、どこまでも沈んでいきそうな錯覚さえ覚える。
ここにずっといたい。そんな安らぎと、それとは別に獣欲の掻き立てられる感触。
「って、すみません!?」
「い、いえ。兄様が背中を押したせいですから……!!」
全力で飛び退けば顔全体に伝わっていた幸せな感触も遠のくも、そこは理性で押し込める。
ゲレルさんが耳まで顔を真っ赤にしながら己の胸を掻き抱き、その腕で彼女の爆乳が形を変えた。
「危ないぞ僕!」
「シュミット様!?」
理性でもって己の顔面に拳を放つ。
仮にもソードマンを倒した男が、この様な色仕掛けで屈するとは思わないで頂きたい!
「では俺は色々と忙しいのでな!さーらばー!!」
「兄様!!」
彼の背中に本気の怒声を浴びせるゲレルさん。そんな彼女の死角で、アリサさんがこちらの肩を優しく叩いた。
お馬鹿様一号がいつものチェシャ猫みたいな笑みを浮かべている。
「お爺様にもきちんと話を通しておくからね、シュミット君」
「今はそっとしておいてくれませんか……!?」
* * *
亜竜を倒し、その翌晩。その日開かれた宴会は遅くまで続き、大いに賑わった。
友を、家族を、財を失った者ばかり。しかし、皆笑みを浮かべ、酒を飲む。
彼ら流の鎮魂歌であり、明日へ向かう為の儀式。そんな中、ふと何と無しに空を見上げた。
澄み渡る満天の星空。そこから視線を下げれば、同じ様に空を見ていたらしいゲレルさんと目が合った。
はにかむ様に笑う彼女に、こちらも小さく笑う。
何ともまあ……自分は単純な男なのだと自覚させられる笑顔だった。
「へいへーい。相棒、やっぱ君はチョロいなぁ」
「人に言われると腹が立ちますね……!」
まあ、そんなセンチメンタルな気分は『お馬鹿様の頭をどつきたい』という感情に秒でとって代わられたが。
これもまた、いつも通りと言えばいつも通りである。
読んで頂きありがとうございます。
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