第九十二話 赤い月夜を超えて
第九十二話 赤い月夜を超えて
「へーい、相棒~。何か言う事があるんじゃぁないかなぁ?」
自分が気絶している間に取り上げたのか、鞘に納められた剣の柄頭でこちらの頬をぐりぐりとするアリサさん。
牛獣人達の天幕の中。そこにあるベッドで上体を起こした自分への、相棒からの所業であった。
「アリサさん」
「んなぁんだぁぁい?」
「亜竜の心臓はどうなりましたか」
「きちんと封印は継続中だよ」
「それは良かった」
「うん。それは良かったね。でもそれ以外が良くないんだなぁ、これが」
今度はゴスゴスと鍔で頭を叩かれる。加減はされている様だが、地味に痛い。
「……それが重傷で気絶していた者にする態度ですか」
「そこだよこのお馬鹿君!!」
「お馬鹿君!?」
お馬鹿様に馬鹿って言われた!?
「なんであの時戦闘を続行した?ん?答えたまえ」
「あの時……?亜竜が逃げ出した時ですか?」
「そうだよ!」
胸倉を掴んで揺さぶってくるアリサさんは、どうも本気で怒っているらしい。
何となく気まずくなって視線を逸らす。
「なんでと言われても、あの機会を逃せば亜竜を仕留めきる事は出来ないと判断したからですが」
「それで君が死んだら元も子もないでしょー!?」
「そうは言っても、あの竜は僕に対し因縁があった様なので、殺さなければ殺されていましたよ?それこそ傷が治ったら地の果てまで追いかけて来たと思いますし」
「そうだけどさぁ!そうなんだけどさぁ!?」
「何より、貴女も動き出していたじゃないですか。フレンドリーファイアまでして」
「あ、当ててないからセーフ……」
おい目を逸らすなお馬鹿様。
公爵家の御令嬢が、共同戦線を張っている同盟国の重要人物に発砲。それも戦闘中に。
どう考えても洒落で済む話ではありませんが?幸い相手がバトバヤルさんだったので笑って流してくれそうだったし、何より彼自身が前に特大の失言をしていたから首の皮一枚繋がったが。
「アーサーさんへの報告が怖くなってきました……」
「うん……。うん?おい待てぇい。なんで私が悪い流れになってんの?」
「事実だからですが?」
「納得いかねー!?」
今度は両手で胸倉を掴んでくるアリサさん。
おい待て剣を放り捨てるな。地面じゃなく僕の上だったから許すけども。
「あのままじゃ君が死んでいたかもしれないんだよ!?わかる!?肋骨が肺に刺さっていたし、全身打撲と骨折だらけ!あげく背中に大火傷!何で生きているのか不思議だったよこっちは!」
「あ、言い忘れていました。治療して下さりありがとうございます」
「どういたしまして!!」
スパァン!と勢いよく頭を叩かれる。良い音が鳴ったな……。
「一応、何も考えていなかったわけではありません。あの『聖女の技』は世界を味方につける物。『偶然に偶然が重なって』即死には至らず、また魔力操作で血流を調整していました。おかげで貴女が治療してくれるまで命を繋ぐ事ができました」
「最後ぉ!?私が間に合わなかったり失敗したらどうする気だったんだよぉ!?」
「アリサさんなら何とかするでしょ」
「期待が重いよぉ!?私だってミスする事もあるんだぞぉ!?」
眉を八の字にして涙目になった彼女が天を仰ぐ。
かと思えば、勢いよく顔を戻して再度こちらの肩を掴んできた。
「兎に角!次同じような事やったら許さないからね!!その時はねぇ、もう、アレだよ!」
「アレとは」
「君を後ろから撃つ」
やばい、これマジだ。
「肝に銘じておきます」
「そうしてくれたまえ。私だって相棒にそんな乱暴な止め方をしたくない」
そう言ってアリサさんは大きなため息をついてから、チェシャ猫の様な笑みを浮かべた。
「まあ、お馬鹿なシュミット君へのお説教はこのぐらいにして」
「誰が馬鹿ですか。お馬鹿様に言われる筋合いはありませんが?」
「いいんだよ、そこは。流しなよ。───勝てたな、相棒」
「……ええ。相棒」
突きだされた拳にこちらも拳を合わせる。
苦戦と言うのも生ぬるい辛勝であったが、勝ちは勝ちだ。
亜竜の心臓は手に入り、自分も彼女も五体満足で生還。ついでにあの戦闘では牛獣人の戦死者もなかった。
辛勝ながら、完勝。問題はアーサーさんへの土下座案件ぐらいである。
「それはそうと、これ以上彼らを待たせるのはまずいですね」
「おん?」
アリサさんの背後。天幕の入口を見ながら呟く。
「どうぞお入りください。寝台をお借りしている僕が言うのも何ですが」
そう告げれば、ゾリグ様にドルジさん。そしてバトバヤルさんが入って来た。
「失礼。アリサ殿と大事な話があったのかと」
「いえ。まあ、大事は大事でしたが、終わりました」
ベッドから立ち上がろうとする自分に、アリサさんが待ったをかける。
「シュミット君、まだ立ち上がらない方が良いよ。肺の穴は塞いだけど、完治したわけじゃない。今はまだ安静にしないと」
「そうですぞ、シュミット殿。我らが英雄にこれ以上の無理をさせるなど、私の方こそ恐縮してしまいます」
「そう、ですか……では、お言葉に甘えさせて頂きます」
氏族長相手にベッドにいたままなのは無礼かと思ったのだが、本人がそう言うのなら座ったままにさせてもらおう。
言いながら、体内の様子を魔力の流れで軽く確認する。やはりアリサさんは素晴らしい魔法使いだ。これなら一週間も安静にしていれば完治するだろう。
「最初に、感謝の言葉を述べさせてほしい。本当に、ありがとうございました」
ゾリグ様達が、深々と頭を下げてくる。
彼らは牛獣人達にとっての王族の様なものだ。その態度にこちらが慌ててしまう。
「ちょ、自分はまだ平民です。その様な事を」
「いいえ。王国での身分など今は関係ありません。貴方が竜を討ち、我ら氏族を救って下さった。この場では、それ以上の事はないのです」
首を垂れたままそう言い切るゾリグ様に、対応に困ってアリサさんへと視線を向ける。
彼女は軽く肩をすくめるだけで、助け舟は出してくれないらしい。大人しく感謝を受け取れと言う事か。
「その、こちらこそ、あなた方の援護があったからこそ亜竜を倒す事ができました。ありがとうございます」
「そう言って頂けて、草原の戦士としての面目が立ちました。重ねて、お礼を申し上げる」
それから数秒程して、ようやく彼らが顔をあげた。
「しかし、困りましたな」
「……?ああ。確かに亜竜を討ったとは言え、失ったものは返って来ません。ですが」
「いえいえ、そちらではありません」
「はぁ……?」
ゾリグ様が言いたい事に首を捻る。
どういう事だと疑問符を浮かべる自分が可笑しかったのか、彼は笑みを浮かべた。
「貴方へのお礼の品ですよ。亜竜を討伐した勇者に相応しい物など、そう簡単には思い付きません」
「え、あ、ああ……」
そう言えば、そうなるの……か?
一応対外的に自分とアリサさんは『牛獣人達の救援』として来たのである。そして、亜竜を倒し無事彼らを助けてみせた。
確かにこれでゾリグ様から何もなければ、彼の威信に関わる。
だが正直自分は最初から最後まで私情で戦っていたので、助けたなどと上から目線の事を言いづらい。何なら言われるまで頭から抜け落ちていた。
「それでしたら、亜竜の心臓を頂きたい。アレを手土産に王国へ帰ろうと思っていたので」
「それは当たり前です。討ち取った獲物の一番良い部位の所有権は、最も手柄をあげた者にあります。それでは私からの感謝になりません」
「そ、そういうものなのですか」
えー……どうしろと。
純粋な金銭を要求するのは、彼らの状況を考えると心が痛む。人間に戻った事で良心の呵責というものも戻って来たのだ。
では装飾品……は、正直審美眼が大してないのでいらない。金に換えられる物なら先の理由で受け取るのは遠慮したい所だ。
……本当にどうしろと?
「一応言うが、サリフの所有権もシュミット殿のものだぞ。俺と模擬戦をし、亜竜との戦いでも乗りこなした。我らの掟に則れば、既にあの馬は貴殿のものだ」
何故か逃げ道を塞ぐようにそんな事を言ってくるバトバヤルさん。
「ならば戦闘で折れたあの曲刀も同じ事。しかし、何も受け取らないのは逆に失礼ですからね……」
更にそんな事を言ってくるアリサさん。
え、なに、この……なに?
「これは困った!大恩ある勇者殿に何もお礼できるものが無いなど!!これは牛獣人として末代のまでの恥となりかねない!!」
たはーっとばかりに手で額を叩いて天を見上げるゾリグ様。
おい、待て、おい。まさか。
「私に良い考えがあります」
「ドルジぃぃん!!」
無駄に大仰な様子でドルジさんに振り返るゾリグ様。
「物がないのなら者……つまり我が娘を差し出すしかないかと」
「それだぁ!!」
それだじゃねぇよ。
やってんな?お前ら全員やってんな?人が寝ている間に口裏合わせたな?
「氏族長の直系にあたる血筋!そして若くして筆頭巫女を務める実力!」
「妹は今年で十九!シュミット殿より年上だが、そう離れているわけでもない!」
「竜を討ち、姫を娶る……いい話じゃないか相棒!!」
「私も可愛い娘を嫁に出すのは辛い……ですが、それが竜殺しの英雄となれば別ですな!」
くわっと全員でこちらを見てくる馬鹿ども。お前らこんな小芝居の練習する暇あったら他にやる事あったよね?
「あ、私への報酬は今後とも公爵家と良い関係をという手紙でお願いします」
「ええ勿論。『色々と』頑張らせて頂きますとも」
ゾリグ様とアリサさんが時代劇の悪代官と越後屋みたいな顔をしている。やだ、凄く斬りたい……。
自分の馬鹿どもを見る眼が冷たくなっているのを自覚しながら、大きくため息をつく。
「いえ。僕はゲレル殿と結婚する気はありませんよ?」
「なにぃ!?」
凄い勢いでドルジさんが目を見開く。
「我が娘に何の不満が!!??」
「我ら牛獣人とは血を混ぜられないと!?」
「妹は器量良しだぞシュミット殿!」
「君おっぱい大好きだったじゃん!?」
「どうかお静かに。そして最後のは後で覚えておけよ」
人の好みをこの場で言うな。牛獣人の氏族長がいるんだぞ。
ほらぁ、『ほほう。これは事が有利に運びそうだ』と意味深に頷いている。あの爺、血筋だけで長をやっているわけではないらしい。
「ゲレル殿に一切の不満はありません。それは彼女が魅力的な女性だからというのもありますが、まず会って間もない方だからというのもあるのです」
「ふむ……つまり、結婚話は性急過ぎると?」
ゾリグ様の言葉に頷く。
「ええ。もう一度言いますが、ゲレル殿は魅力的な方です」
「おっぱい大きくて美人だもんね」
「黙れお馬鹿様」
「くぅん」
叱られた犬みたいな声を出すな。
「ですが、やはりこういうのはその場の流れで決めるものでもないでしょう」
「しかしシュミット殿。上に立つ者同士の婚姻とは面識の有無など関係ないものではないか?結婚前夜にやっと顔を合わせる場合もあるのだぞ?」
バトバヤルさんがそう言って首を傾げる。
彼の言い分は正しい。自分も名誉騎士となる事が内定しているのだ。上流階級の流儀というものから逃れられる立場ではない。
だが、だ。
「そこは、『竜殺しの英雄』が言ったささやかな我が儘という事でご理解頂きたい」
「おおう、そこでそれを言うのか」
ニッコリと笑みさえ浮かべて言ってやるとも。
道理ではそうだろうが……端的に言おう。根本の部分で全員忘れている事がある。
「自分はラインバレル公爵家に名誉騎士として内定しております。結婚相手、特に正妻は公爵家の意向を聞かなければなりません」
「「「あっ」」」
あっ、じゃねーですよお馬鹿様ども。
「ゲレル殿のお立場は騎士の身分からすれば雲の上。主家を交えず婚姻を決めるのは、不義理というものでしょう」
というか恐い。
散々……それはもう散々にアーサーさんと公爵家の名前を使いまくって物資を集めたり話を通したりしたのだ。これだけやっておいて、『報酬』扱いのゲレルさんとの婚姻を勝手に決めるなど殺されても文句は言えない。
確かに彼女は魅力的である。結婚という単語に心が揺らがなかったわけではない。
未だハンナさんとの事も頭の整理が出来ていないのに、我ながら情けの無い男だと思う。しかし、それはそれこれはこれ。
兎にも角にも、一時のテンションで大事な事を決めると後で大惨事になるのが人生というものだ。
ゲレルさんとの婚姻は、草原の様々な権利や血筋の部分も報酬に含まれている可能性が高い。益々、一介の名誉騎士が独断で決めて良い話ではないだろう。
「しかし、アリサ殿も了承して下さったはず……」
「いやぁ、私。当主公認の家出娘状態ですので……」
「とうしゅこうにんのいえでむすめ……?」
ああ、牛獣人の人達が宇宙を見た猫みたいになっている。
無理もない。事情を知らないとかなり意味不明だから。その経歴。
「そう言うわけですので、その辺りの事は自分の一存では決められません。あなた方の感謝の気持ちは、しかと受け取らせて頂きましたので……」
「なるほど。そういう事なら仕方がありませんな」
わかってくれた様でゾリグ様が深く頷く。
「まずは文通から始めましょう!そして公爵閣下には私からお話すれば良いですな!」
「……まあ、はい。そういう事で」
なんかもう面倒になったので、投げた。
こっちは病み上がりである。寝起きでこれ以上頭を回す事ができるか。
「であれば、シュミット殿も目覚めた事ですし宴の準備に移るとしましょう!」
ドルジさんが手を勢いよく打ち合わせる。
「あ、すみません。シュミット君はまだ暫く固形物は食べない方が良いかもしれないので……」
「いえ、大丈夫ですよ?」
「え?」
不思議そうにする彼女に、頷いて返す。
「魔力もだいぶ戻ったので、白魔法による自力での治療が可能です。一時間あれば全快までもっていけます」
「マジか。君、私より白魔法上手くない……?」
「技量ではたぶんそう変わりませんよ」
単純に一回の魔法行使で使える魔力量の差だ。呪いの影響もあってか彼女の総魔力量は人間どころかエルフも超えていそうだが、その呪いのせいで一度に大量の魔力が使えない。
だから、コストが高い代わりに高出力の魔法が使えないのだ。その点、自分にはその様な制約はない。
「流石婿殿!!」
「婿ではないです」
「まあ、一時間どころか五時間以上かかりますので、ゆっくりしていて下さい。我々もやらねばならない事がありますので」
「はい。お疲れ様です」
彼らは為政者だ。草原のルールは知らないが、武器を振るう以外の仕事の方が多いだろう。
これからペンで数字と文書相手に七難八苦するだろうから、倒れない事を祈るばかりだ。
「大変だなぁ、氏族長と親父は」
「何を言っている馬鹿息子。貴様もだ」
「え゛。いや、俺はもう自分の仕事分は」
「貴様は私の後継者になったのだ。今までとは違う仕事も覚えてもらうぞ」
「はぇっ!?た、助けてくれ義弟よ!!」
「義弟でもないです」
ドナドナされているバトバヤルさんを見送り、力を抜いてベッドに横たわる。
「本当に大丈夫?牛獣人の料理は王国人には結構きついよ?」
「食べられる時に食べておきたい主義ですので」
そうじゃなきゃ死ぬ環境に十五年もいたのだ。飯を食えるだけありがたいと思う性質である。
「……あ、けど流石に氏族長の乳で作ったチーズとかは出てこないですよね?きついと言っても、怪我人にはとかそういう意味でしょう?」
「………」
「相棒?何故目を逸らすんですか、相棒?」
返ってこない返事に、これほど不安を覚えたのは初めてだった。彼女は顔ごとこちらから視線を逸らし、目を合わせようとしない。
……亜竜との死闘を終え、また別の戦いが幕を開けようとしていた。
助けて、相棒。さもなければ貴様も道連れとなれ。
読んで頂きありがとうございます。
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明日の投稿はリアルの都合により休ませていただきます。申し訳ございません。