第九十一話 チェイス 後
第九十一話 チェイス 後
三歩駆け出し、四歩目でトップスピードに。
八双から剣を肩に担ぐような構えへと変え、一息で亜竜へと低い姿勢で距離を詰める。
しかし相手とてサリフの疾走をずっと見ていたのだ。この程度の加速ではその視線を振り切る事はできない。
そう、しかとこちらを捉える瞳に刃を見せる。
聖女の技、その開帳を。
「───『サンライト・クロス』!!」
『ガッ、ァァ!?』
大仰に見せたただの小細工。されど夜闇に慣れた眼に至近距離でこの光は眩しいだろう。
魔力を多少調整しいつにも増した白銀の光を刀身に纏わせれば、一瞬だが亜竜の動きも鈍るというもの。
自分に適した形へ『ダウングレード』させたとは言え、世界を味方につけるのは変わりなし。大気中の魔力を燃やし、自分を加速させる。
敵の急所は地雷の爆発から逃れた逆鱗ただ一点。しかしその位置は踏み込むには高すぎた。
故に、足を奪う。
「おおっ!!」
一閃。初手は、こちらが頂く。
亜竜の左前脚を駆け抜け様に横回転で斬り裂き、腱を断った。先の命を懸けた鬼ごっこで、多少なりとも動きは見ている。凡その当たりをつけて振るえば、見事的中したらしい。
『ガァァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』
痛みと怒りに満ちた声をあげ、亜竜がズタボロの四肢を動かし体を反転させた。
後ろ足が一瞬浮きあがる程の動きは傷ついた己が身を削ると言うのに構う様子もなく、右の前脚をこちら目掛けて振り下ろしてくる。
一瞬で視界一杯に広がる焼け焦げた前足に、地面へと体を投げ出して回避。衝撃で体が揺れ土にまみれながらも前転の要領ですぐさま体勢を立て直した。
「放てぇ!我らが勇者に当てるなよ!!」
追撃に牙を剝いた亜竜に、しかし矢の雨が降り注いだ。
これまでならば気にする必要もなかった鉄の鏃。しかし銀の破片が食い込み再生を阻害されている肉体にならどうか?それも、堅牢な鱗の剥がれた箇所は。
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!??』
足に腹にと矢が突き刺さり、深々と食い込む。更には遠方の木の上で構える相棒による狙撃が、奴の右目を貫いた。
響き渡る竜の絶叫に、牛獣人達の歓声が矢と共に放たれる。
彼らが作った隙を逃さない。生憎とこちらも長期戦はできない身だ。
脳内麻薬が溢れているのか痛みは多少無視できても、全身が悲鳴を上げている事実は変わらない。止まるわけにはいかなかった。
亜竜の力が抜けた左前脚を二歩で駆けあがり、首の付け根を狙う。
だが流石に急所への攻撃は見過ごせなかったか、竜は全力で身を捩った。
「くっ……!」
逆鱗に叩きつけようとした剣が空を切り、返す刀で振るった斬撃も狙いを僅かに逸れて逆鱗の隣を裂くに終わった。
無防備な自分に、隻眼となった亜竜が尾の一撃を叩きつけに来る。
「こ、のぉ!!」
体を回転させながら剣を振るい、切っ先を尾に合わせた。そのまま衝撃を全力で逃しながら、あえて吹き飛ばされる。
身を丸めて草原を転がり、片膝をついて顔をあげた。そして、正面には全力でこちらに向かってくる亜竜の姿が。
そこまで自分が憎いか……!
一歩進むごとに腹の傷から大量の血を流しながらも、亜竜が牙を剝いて襲い掛かってくる。
掬い上げる様な右前脚に、あえて前に出る事で回避。奴の下を走れば、続けて後ろ右足が蹴り砕かんとこちらを狙う。
それに対し咄嗟にスライディングする事で下を潜り抜けた。風圧で髪が逆立つのを感じながら、怪物の下から脱出する。
暴れる尾を避けて走り、反転。振り向きざまにピックを投擲する。
狙うは横っ腹。鱗の剥げた箇所へと突き刺さった。
『ガ、ァァ!!』
痛みに僅かに怯むも、それでも奴は止まらない。亜竜の右側へと回ろうとした自分へと大口を開けて上から食い殺しにかかってきた。
「しぃ……!」
繰り出された牙を避けながら、切っ先を歯茎へと添わせる。ずぐりと刃が突き立ち、相手の勢いも利用して一本抉り飛ばした。
『ギィィィイ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛!!』
野太い重低音ながら金属を掻きむしった様な異音を喉から溢れさせ、歯茎と喉から紫色の血を流す亜竜。
そこへ一切の容赦なく牛獣人達の矢が放たれた。
「足だ!右足に攻撃を集中!動きを封じろ!!」
バトバヤルさんの号令が響き、彼らは亜竜の死角側を旋回して走りながら矢を放ち続ける。
傷を己で抉る暇など与えない。一気呵成に責め立てる。
「おおおおおっ!!」
雄叫びを上げ、崩れ落ちそうな足を叱咤し、前へ。
亜竜が死角である右側を見ようと首を捻るも、そんな事はさせない。こちらを見ろ。
貴方が殺したかった相手だ。貴方が糾弾したかった相手だ。その様な姿に成り果てたとしても消えぬ憎しみを抱く怨敵から、眼を逸らすんじゃぁない!!
ぐるりと顔を、否全身をこちらに向ける亜竜。
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!』
腹の傷が更に開く。それでも咆哮を轟かせながら、竜が右前脚を振り上げた。
打ち下ろされる一撃は岩をも砕く。それを横に跳んで避ければ、直後に影がさした。
腱が切れているはずの左前脚。それが足首が動かずとも叩きつけるだけならと、高々と掲げられていた。
打ち下ろされる一撃。鱗を失い銀の破片が食い込んだ足は、しかし自傷も問わず地面を穿つ。
「くっ……!」
回避には成功するも飛び散った石礫が自分を襲い、土煙が視界を奪う。
ボディアーマー越しでもめり込んでくる礫に視界がぐらつくも、風を裂く音が目を覚まさせた。
反射で跳躍した自分を刈り取らんと振るわれる深紅の尾。目にも止まらぬ速さで迫るそれを勘で蹴りつけて、上へ。
一気に開けた視界が、直後に覆われる。続いて迫る亜竜の左前脚。
ギラリと月光を反射する爪に、体を丸める。爪と爪の間を通り抜け、五体を広げるなり細長いロープを投擲。
ぐるりと亜竜が口から覗かせる牙の一本に巻き付き、それを確認する間もなく思いっきり引っ張った。
空中にあった体が引き寄せられ、目の前まできた奴の下顎を蹴り下に。
逆鱗目掛けて剣を振るう───だが、亜竜が藻掻く様に動いたせいでその横に縦一閃の傷だけ残して地上に着地した。
『ガァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』
咆哮と共に地面を踏み荒らす巨大な足に、人の身では距離を取らざるを得ない。
亜竜の方に体を向けながら、ジグザグに後退する。
「はっ……はっ……はっ……!」
肩で息をしながら、剣を腰だめに構える。
持久戦はしたくないのだが、懐に留まる事が出来ない。ヒット&アウェイを強制されている。
だが、形勢はこちらが有利。奴がどれだけ暴れようと爪も牙も届かない位置に騎馬隊が走り、今も矢を放ち続けている。相棒も狙撃地点を移動しているはずだ。
自分との戦闘で腹の傷は脇からでも見える程に広がり、臓物が自重に耐えきれず地面につきそうになっている。
「ふぅぅぅ……」
頬を一瞬膨らませる程に吸って、吐く。
あと少し。あと少しで殺しきれる。焦るな。だが急げ。
己にそう言い聞かせ、足を踏み出した。その時。
『ギィア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!』
亜竜の発した咆哮に、思わず動きが止まる。
音の爆弾とでも言えばいいのか。あまりの声量に耳鳴りと頭痛で吐き気さえする。
それは矢を射かけていた騎馬隊も同じようで、一瞬だけ戦場全てが停止する。
亜竜と、目が合った。
『ガァァ……!』
そして、反転。竜が背を、いや尻尾を向けて走り出す。
騎馬隊がいるわけでも、アリサさんがいる方向でもない。誰もいない方向に、全力で足を動かしだしたのだ。
「……逃げっ!?」
た。そう、言おうとした。
「かっ……!?」
襲ってきた激痛に踏み出そうとした足が地面につまずき、膝をつきそうになる。
咄嗟に剣を杖にして耐えるも、足が動きそうにない。
「か、ぁぁ……!!」
肺に、折れた肋骨が刺さった。
今まで誤魔化されてきた痛みが、思い出した様に襲ってくる。生物として危険域を迎えている事を知らせる為、全身の各所が悲鳴を上げていた。
無視は許さないと脳みそに叫ぶそれらに、気持ちの悪い汗が止まる事なく流れる。
こんな、こんな時に……!
ごぷりと、血で赤く染まった唾液が口から溢れる。
まずい。このまま奴を逃がすわけにはいかないのに。
亜竜の再生能力は人智を超えている。銀や白魔法で阻害しようが、傷口を新たに抉れば元通り。明日の夜にはあの怪物は全快し、それどころか更なる力を得ているだろう。
対してこちらは火薬も銀も使い切り、ドワーフ製の長巻もへし折れた。サリフも暫くは動けない。そもそも、今回と同じ策が通じるとも思えなかった。
詰んでいる。何故、この可能性を考えていなかった、シュミット。
亜竜も生物だと言うのなら、危険に陥れば逃げ出すのは当然である。無意識にその可能性を失念しているなど、お前は開拓村で何を見てきた……!
走らなければ。幸いな事に、奴の全ての足が傷ついている。特に前足は片や腱が切れ、片や針山めいたあり様だ。速度はこれまで程出ていない。
走れ、走れ、走れ!足を動かし、獲物を追いかけろ!冬の山だろうがやって来た事ではないか!骨が折れた回数とて、片手の指では数えきれまい!
そう、どれだけ自分を叱咤しても。両足が鉛の様に動かない。
神経は繋がっている。ただ、本能が。生物としての機能がこれ以上の戦闘を止めているのだ。
ここまで、ここまで来て、逃すと言うのか……!
奴の心臓を抉り出さないといけない。ケジメの為に、そして『あの剣』を作る為に!
「こひゅっ……くっ……!」
強引に、足を動かそうとする。一歩だ。最初の一歩さえ踏み出せれば、後は流れで体が動く。
心臓を追うのだ。あの心臓を、追いかけて……!
その時、未だ耳鳴りのする耳がこちらに近づく馬蹄の音を捉える。
「乗れ!シュミット殿ぉ!!」
「っ……!」
止まる事なく突き出された腕を左手で掴めば、強い力で引き上げられ彼の後ろに乗せられた。
「恩に、きます……バトバヤル殿……!」
「礼を言うのはこっちだし、そもそもまだ早い!」
バトバヤルさんが手綱を振るい、馬の腹を蹴って亜竜を追いかける。
「アリサ殿に突然尻の近くを狙撃されてな!シュミット殿を乗せて追えと言われたと解釈した!危うく尻の穴が一つ増える所だったぞ!?」
「すみません、うちのお馬鹿様が……」
「お馬鹿様か!いい呼び名だ!!」
彼の銅鑼の音みたいな声が、今は辛い。だがおかげで落ちそうになる意識を保つ事ができる。かなりの荒療治だが。
「我が氏族でサリフこそ最速の馬だが、俺の馬は『最優』だ!地の果てだろうと走れる!」
『ブルル……!』
バトバヤルさんの声に頷く様に答える馬。彼の馬は、まるで冬毛が生えているかの様にふさふさだった。
だが手入れがされていない様には見えない。これは、この馬にとっての鎧なのだと解釈する。
最優を謳うだけあって、意外と起伏のある平原を夜だというのに苦も無く疾走していた。確かにこれならどこまでも走っていられそうだが……。
「追いつけ、ますか……」
「正直厳しい」
キッパリと返された答えに、そうかと頷く。
満身創痍とは言え、亜竜は生物としての格が違う。傷だらけの四肢でありながら地面を抉り猛スピードで走っていた。
このままでは追いつけない。そう聞いて、ポーチから取り出した布で己の右手を縛る。剣が手からこぼれ落ちない様に。
「そのまま、追ってください……!」
「いいのか?シュミット殿の傷は……」
「問題ありません」
意識して覇気のある声を出す。それだけで右の肺が異常を伝え喉に鉄臭い物がこみ上げてくるが、無視。
脳内でスキルツリーを開き、経験値の再分配を開始する。
ヨルゼンの街で戦ったグール共の経験を、ダミアンやジェイソンと戦った経験を。それぞれ『聖女の技』と『魔力制御』の習熟度へと注ぎ込む。
脳みそを直接かき混ぜられるような不快感。それに今度こそ意識が落ちかける。
「シュミット殿!?」
落馬しかけたこちらに驚いた声を出すバトバヤルさんの背を、掴んでどうにか堪えた。
「っ、はぁ……はぁ……大丈夫です。やれます」
「……すまん。心配しておいて何だが、頼らせてもらう」
馬を走らせながら、彼は振り返らずに続ける。
「この機を逃せば亜竜を仕留める事は出来なくなる。貴殿には何としてでも、奴の心臓を破壊してもらいたい」
「ええ……必ず抉りだします……」
「……本来、シュミット殿は部外者だ。これは、俺達がつける決着だった」
もはや答える気力もないと、バトバヤルさんの言葉を待つ。
「多くの同胞を食い殺された。尊敬をする兄を焼き殺された。俺の生まれ育った平原を、奴は我が物顔で踏み荒らしていった」
ギシリと、彼の握る手綱が音をたてた。
「それが、俺は許せねぇ……!くだらねぇ復讐心だ。長の孫として、恥ずべき感情だ……!だが、それでも……!」
「………」
「頼む、シュミット殿。こんな事を頼めた義理はねぇ。だが、あと少しだけでいい。奴を殺しきるまで、耐えてくれ!!」
「……耐えるのは、少し違います」
擦れた声で答え、視線だけを動かす。
そこには、一騎平原を走る少女の姿があった。
黄金の髪をなびかせて、亜麻色の馬を駆り疾走する彼女。美しい顔に氷の様な無表情を張りつけて、ただ一点を見つめている。
構えるはレバーアクション式のライフル。お世辞にも精密狙撃には向かないその銃を、しかしドワーフに作らせる事でコストを犠牲に正確さを追求した一品。
それが、銃声をあげる。
バスリと、逃げる亜竜の右後ろ脚に弾丸が突き刺さった。だがそれだけでは止まらない。亜竜のサイズを考えれば、眼球以外は豆鉄砲に等しいのだから。
レバーが動かされ、金属薬莢を置き去りに第二射、三射が放たれる。
いずれも同じ足に……同じ『箇所』に当たっていく。
『ギ、ガァァ!!??』
亜竜が響かせた驚愕と痛みの声。それを一顧だにせず、金の乙女は引き金を引く。
動く標的に、月夜でありながら馬上での曲芸じみた射撃。
ああ、まったく。
───ダァァン!!
計六発の銀の弾丸が肉をかき分け骨に到達し、遂には鋼を上回る強度のそれに風穴を開けた。
本当に、頼りになる相棒だ。
「は、はははは!凄まじいな、貴殿の女は!」
「相棒ですよ、この世で最も信頼している」
本人には絶対に言わないがな。うざったいリアクションをするのが目に見えている。
「僕が、耐えるのではありません」
指の自由度を上げる為、右手を固定していた布を取る。もう必要ない。魔力制御で、痛みと力の抜ける指は制御できた。
と言っても、気絶していないだけ。相も変わらず激痛は続くも、この身は痛みの許容範囲を広げてある。
ただのやせ我慢と言えば、それまでだがな。
「僕達が、奴を仕留めるのです」
「───ああ!頼むぞ、勇者達!!」
悲鳴を上げ転倒する亜竜。横倒しになり、しかしこちらを見て四肢に力をいれ立ち上がろうとする奴に、バトバヤルさんの馬が疾走する。
『オ゛、オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……!!』
四肢と腹から大量の血をまき散らし、臓物を地面に広げながらも吠え立ち上がった亜竜。
奴は紫色の血でまみれた口を、自分達に向けた。
『ォォオ゛オ゛オ゛オ゛……!!』
そして、発光する魔力の奔流。
十一発目のブレス。あの体で撃てるとは思えないが、死なば諸共と言った所か。ようやく奴も覚悟が決まったらしい。
さあ、最後の打ち合いだ。
「行ってこい、シュミット殿!!」
「ええ、行きます!!」
ドリフトする様に亜竜へと側面を晒す彼の馬から、勢いそのまま射出される。
バク転でもする様に、左手、左足、右足と回転しながら順に地面につけ、右の爪先がついた瞬間疾走を開始。
一切の減速なく、亜竜へと駆ける。
小石一つ躓けば、そのまま倒れてしまうだろう体。お互いにそんなあり様で、竜と相対する。
爪で地面を抉り発射体制に入った亜竜。その懐へ、跳んだ。
一直線に向かう先にある逆鱗。そこへ、渾身の突きを放つ。
攻撃が先に届いたのは、こちら。だが、それでは終わらない。
『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛───!!』
空気の燃焼する音と、奴の唸り声が頭上から響く。漏れ出た炎に背中を焼かれながら、刀身を根元まで逆鱗へと押し込んだ。
刃渡りが足りない。
当たり前の事ながら、刃の届かぬ所まで斬る事はできない。そして、逆鱗という比較的柔らかい箇所に刃を突き立てようが、心臓に届かねば意味がなかった。
諸共自爆する事に成功したのを喜ぶような、竜の声。
それ程までに僕が憎いか。
───謝罪などしない。それは、怪物に成り果てたこの人への冒涜だ。
ぐるりと、刃を回す。
届かないのなら───届かせる。
思い出すは、大砲を斬った時の事。刃に纏わせた魔力を、そのまま刀身の延長として振るう。
『ォォ……!?』
「はぁぁぁああああああ!!」
雄叫びをあげながら、剣を振るう。
一太刀、肉を裂いて血管を断ち、二の太刀が心臓を身から切り離して、三から六が周囲の肉を切り分けた。
追加三閃が、内から開く様に竜の身に振るわれる。
一秒の内に放たれる九連撃。一撃にこそ全てを懸けた聖女のそれと、対極をなす刃。
竜の口からブレスが放たれる半瞬前。彼の体躯が、バラバラに切り刻まれた。
紫色の血煙と、赤い肉に囲まれて地面に落ちる。そして、斬り飛ばされた亜竜の首は天に向かった。
───ゴォォォォォオオオオ……!!
標的もなく放たれたブレスの残り火。極光は赤い月へと伸びていき……届くことなく、霧散する。
どちゃりと膝から落ちる自分に降り注ぐ血肉。それらを振り切って、眼の前に落ちて来た肉塊へ……脈動するソレへと歩み寄り、触れた。
「『アーク』……」
たった一説の呪文。白魔法の中で最上位の封印術が起動し、ゆっくりと停止し始めた心臓を巨大な白い箱が覆い隠した。
散乱する紫の血も赤い肉も急速に灰へと変わり、一迅の風に流される。
その風にあおられて、自分も背中から倒れ伏した。剣からも白銀の輝きが消え、残るのは猛烈な倦怠感と耐えがたい激痛のみ。
「はぁぁぁぁ……」
口端から血が流れるのを感じながら、夜空を見上げる。
赤い月は雲に隠れ、代わりに広がる星々の輝き。その美しさに、疲労をほんの一瞬だけ忘れて見入る。なるほど、ゲレルさんが『星を見るのが好き』と言うわけだ。
二頭の馬がこちらに近づくのを感じるが、もはや上体を起こす気力もない。魔力も、この封印術で使い果たした。逆さにしても何も出ない。
「眠り、ます……後は頼みましたよ、相棒……」
そう言い残し瞳を閉じる。
意識は、あっという間に闇へと落ちていった。
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